第404話 第十章「住民が選ぶ門」後編

 選択窓を作ることと、選択できることは同じではなかった。

 最初の試験窓は、中央広場に置かれた。

 白い枠。

 六つの選択。

 音、形、突起、文字。

 制度としては整っている。

 広場へ来られない人には届かない。

「寝たきりの人」とハル。

「窓を各家へ送る」とユノ。

「鏡を持たない旧区画」とエリア。

「携帯枠を持って歩く」

「歩ける担当者が足りない」と返還官。

「王宮儀礼係を出す」とユノ。

「彼らは記憶権手続きを知りません」

「教える」

「四分で?」

「教えられる範囲だけを任せる。質問を受けたら答えず、窓口へつなぐ」

「役に立たない」と返還官。

「分からないのに答える人より役に立つ」

 儀礼係が礼装のまま走る。

 銀盆ではなく、白い選択枠を持つ。

 王に酒を運ぶため訓練された歩幅が、今は旧区画の病人へ保留を運ぶ。

 役割は起源に縛られない。

 第二の問題は、選択の秘密だった。

 広場の窓へ触れれば、家族にも近所にも見える。

「夫に知られたくない」と若い女性。

「何を選ぶか」と窓口係。

「それも言いたくない」

 窓口係は困る。

 選択内容を聞かなければ処理できない。

 聞けば、秘密を作る制度が秘密を奪う。

 リゼが薄い鏡布を出す。

「手だけ入れる」

「本人確認は」

「外で時刻、風、砂。中で選択。二つを別の担当者が確認」

「不正が」

「一人が全部見られる方が不正しやすい」

 白い枠を二室へ分ける。

 外形確認室。

 非公開選択室。

 担当者は互いの記録へ直接触れない。

 番号だけで接続する。

「番号が昔の位相識別と同じ支配になる」とトーヴ。

「一回限り。処理後に切断。再接続には本人の新しい確認」とリゼ。

「履歴は」

「番号が発行され、切断された事実だけ。内容は残さない」

「脚注が七つ必要です」

「後で書いて」

「歴史は後で書くと、勝者が短くします」

「今は一行」

 トーヴは不満そうに、一行で記す。

 第三の問題は、選べない人だった。

 診療所で意識のない老人。

 返還糸は彼の胸元へ来ている。

 家族は「全部戻して」と言う。

 医師は「刺激が強い」と止める。

「本人の過去の希望は」とセレナ。

「記録なし」

「代理人指定」

「妻。亡くなっている」

「子どもは」

「三人。意見が違う」

 多数決では、本人の記憶権を決められない。

「期限付き封印」とユノ。

「都市負荷が残る」と返還官。

「その一件を受領へ押し込んで全体を軽くするな」

「一件ではない。意識不明者が二百三十人」

 数字が、倫理を重くする。

 同時に、個人を薄くする。

 ロロの声が響く。

『残り四分! 保留位相を分けられれば持つ! 全部同じ保留にするな!』

「保留にも種類」とエリア。

「医療保留。本人再確認待ち。代理指定不明。身体危険」とセレナ。

「状態を分ければ同じ位相へ集まらない」とリゼ。

 保留は、一つの箱ではない。

 理由を内容まで公開せず、処理条件だけ分ける。

 老人は『身体危険・医師再確認・家族意見不一致』へ置かれる。

 家族の一人が怒る。

「父を数字にした!」

「数字だけにしていません」とセレナ。「内容を勝手に見ないため、処理条件だけ記録した」

「父は何も選んでいない」

「だから、あなた方の選択を父上の選択として書いていない」

 怒りは消えない。

 それでも、全受領の取っ手から家族の手が離れる。

 第四の問題は、選択窓そのものを壊そうとする者だった。

「王家の罪を隠す装置だ!」

 若い男が石を投げる。

 白い枠が割れる。

 ユノが幻壁を出しかける。

 リゼが弓腕をつかむ。

「防ぐなら、幻と表示」

「分かっている」

 短い一音。

 石の進路に白縁の透明板が現れる。

『防護像・持続三拍・作成ユノ』

 石が逸れる。

 男は叫ぶ。

「選ばせるふりをして時間を稼いでいる!」

「そうだ」とユノ。

 広場が静まる。

「時間を稼いでいる。全公開を一人で命じないために」

「都市が落ちるぞ!」

「落とさないために急いでいる。急ぐことと、あなたの頭の中を王家のものにすることを同じにしない」

「王家が言うな!」

「だから、私の権限もこの枠へ入れる」

 ユノは白い枠の一つへ、自分の名を書く。

『第一継承者による一括閲覧命令――使用不可』

「お前が後で消せる」

「私一人では消せない署名にする」

 リゼ。

 トーヴ。

 セレナ。

 街区代表。

 四者の欄を追加する。

「それでも王家の制度だ」と男。

「今はそうだ。だから暫定二十四時間。失効前に公開審査へ出す」

「また先送り」

「期限を付けた未決だ」

「信用しろと?」

「信用しなくていい。時刻を見て、失効したら止めろ」

 男は石をもう一つ持っていた。

 投げない。

「俺は全部公開を選ぶ」

「自分の記憶を?」

「王家の罪を」

「その二つを分けて選んでくれ」

 男は白い枠へ近づく。

 公共責任部分だけ公開。

 自分の私的記憶は保留。

 二つへ分けて触れる。

 反対者を説得して味方にしたのではない。

 反対したまま、使える制度へ入れた。

 最後の問題は速度だった。

 選択枠が、都市の回転で壁へ移る。

 儀礼係が追う。

 老人の椅子が転がる。

 カイルが王盾炎を一拍だけ出し、止める。

「一拍」と申告。

「次は救難員」とセレナ。

 街区救難員が椅子を受ける。

 白い枠を持った子どもが転び、ハルが右手でつかむ。

「何を選んだ」

「見ない」

「理由は」

「言わない」

「了解」

 子どもを立たせる。

 枠を返す。

 誰も理由を聞かない。

 選ばない権利は、説明を免除される権利でもある。

 中央塔の沈下が、半寸から三分へ減る。

『分岐、認識!』とロロ。

 機関が、初めて人々の異なる答えを故障ではなく接続条件として扱った。

 選択窓が開く。

 黒鏡通り。

 片手袋の鏡磨き職人が立つ。

「今は見ない。夫の感覚断片を返さない。王家の傾向分類から外す。保管は一年。途中で私が申請したら一部だけ」

「公開部分」と窓口係。

「王家が私を『税門への抵抗傾向』へ入れた事実は公開していい。私が何を感じたかは公開しない」

 選択が分かれる。

 制度の罪は出す。

 本人の感覚は出さない。

 黒い鏡が、また薄くなる。

 朝鐘見習い。

「母の歌は、先生がいる時に少しずつ。今日聞いたところまで。残りは封じる。僕が小鈴を二回鳴らしたら続き」

「公共部分」と窓口係。

「僕が通行料で母の歌を預けた年齢と、返還に停止合図がなかったことは出していい」

「歌の内容は」

「出さない」

 黒い鏡が、さらに薄くなる。

 市場の母親。

「子どもの移動目的は非公開。避難経路と危険時刻は公共記録へ」

 葬庭の遺族。

「死者像を見た者の名は出さない。王家機関が同意なく像を表示した事実は出す」

 税官。

「私が不正を見て黙った記憶は公開する」

「本人の自己申告だけでは立証になりません」とセレナ。

「では何のために」

「捜査開始の情報にする。関係書類を保全する。あなたの記憶を唯一証拠へしない」

「私が忘れたら」

「記録した外形が残る」

「内容は」

「あなたが選んだ範囲」

 人々は、同じ結論へ来ない。

 公開する者。

 封じる者。

 一部だけ返す者。

 今は選ばない者。

 全員が同じ選択をしないことが、鏡網の負荷を分けていく。

 以前の機関は、全員の記憶を中立位相へ集め、同じ形式で扱った。

 今は選択状態が枝分かれし、同じ位相へ集まらない。

『中央負荷、十八低下!』

『二十五!』

『三十一!』

 ロロの声が届く。

 外周の六裂帆が、少しだけ白へ戻る。

 王家記録が残った。

 個人の選択だけでは、最後の鏡は開かない。

 王家自身が、公共責任と私的記憶を分けなければならない。

 返還官は代理印を差し出す。

「殿下。王命で区分を宣言してください」

「私が区分すれば、私に都合のよい罪だけ出せる」

「では誰が」

「複数で」

「時間がない」

「仮区分に期限を付ける」

 トーヴが四枚の箱札を出す。

 一、王家の公務決定。

 二、王家が取得した他者の私的記憶。

 三、犯罪・事故の物理記録。

 四、出所未確認の感覚断片。

「一と三は、外形と責任者名を公開。二は本人選択へ返す。四は内容を開かず、存在と保管条件のみ公開」とトーヴ。

「異議」とセレナ。「三も、被害者の身体情報を含む場合は分離」

「脚注追加」

「二へ、本人死亡時の扱いがない」とリゼ。

「自動的に家族へ渡さない。本人の生前指定がなければ期限付き封印」

「期限後」

「再審査」

「誰が」

「王家だけでない委員会」

「委員会の選び方」

「それは後で法へ」

「後で、が多い」と返還官。

「今ここで永遠を決めるよりいい」とハル。

 ユノは白い紙を取る。

 王家規則を書く紙。

 これまで外交文書は右手で書いてきた。

 左利きを矯正され、王族の正しい筆跡を身につけた。

 右手薬指は完全に伸びない。

 痛みは四。

 それでも右で書こうとする。

 リゼが紙を引く。

「左で書いて」

「公式署名は右と決まっている」

「誰が決めた」

 ハルが笑う。

「俺の台詞」

「便利だから借りた」

 ユノは左手へ筆を持つ。

 王家の署名としては不格好な字になる。

 本人の字だった。

 規則名。

『白縁規則』

 一、王家が示す幻像、再現、予測には、幻であることを示す白縁〈ステージ・エッジ〉を付す。

 二、出典、確度、有効期限、作成者を表示する。

 三、見ない、途中で止める、別の説明を求める権利を保障する。

 四、王家の公務記録と、個人の私的記憶を同じ公開命令へ含めない。

 五、緊急権限には終了時刻を付す。

 六、この規則は王家自身の演出と記録にも適用する。

 最後の一行で、返還官が止める。

「殿下。六は不要です。王家が規則の執行者である以上――」

「執行者だから必要だ」

「自らの権限を縛れば、次の危機へ対応できない」

「縛らない王家が作った危機だ」

「あなたの善意まで」

「善意が一番、縁を忘れる」

 ユノは署名する。

 左手で。

 白い線が、署名の周囲へ浮かぶ。

『本人署名』

『王家権限の自己制限』

『暫定二十四時間』

『住民手続きによる改訂対象』

 自分の権限も、永遠の正解にしない。

 黒い鏡が、半透明になる。

 その向こうに、王家の罪録が見える。

 文字は読めない。

 白縁が付いている。

『公共責任部分・監査待ち』

 個人記憶の箱は、別々の小さな鏡へ分かれる。

『本人選択待ち』

 最後の一枚が、一枚でなくなった。

 全てを同じ錠前へ入れていた構造がほどける。

「負荷、急減!」とロロ。

 黒い鏡の取っ手が現れる。

 しかし、中央塔が沈む。

 開放前の最後の反動。

「下層に人!」とエリア。

 王家記録室の床下に、返還作業員が残っている。

「カイル!」

「交代後だが、六拍だけ!」

「四拍」とセレナ。

「五!」

「四!」

「四で行く!」

 カイルが盾を展開する。

 一拍。

 床が落ちる。

 二拍。

 ハルが梁を走る。

 三拍。

 作業員二人を、左右のロープへつなぐ。

 四拍。

 盾が消える。

 カイルは自分で閉じた。

 ハルと作業員が落ちる。

 エリアの可逆路が、落下方向へ描かれる。

 安全地面へ向かう線ではない。

 今の下が三秒後に右へ変わることを示す線。

「三秒、壁へ!」

 ハルがロープを蹴る。

 一。

 二。

 三。

 右壁が床になる。

 全員が滑り込む。

 ハルの左肩へ衝撃。

「痛み!」

「三!」

「続行不可」

「鏡が!」

「門守がいる」とエリア。

 黒い鏡の前には、王家の返還官がいた。

 彼は取っ手を見つめる。

 これまで、王族だけが開けると思っていた。

「私が?」

「あなたが開けたいなら」とユノ。

「王命では」

「救難作業員として」

「私は王家へ仕える者です」

「今は街へ仕えて」

 返還官は両手で取っ手を握る。

 王家の秘密を守ることと、王家の制度を守ることを同じだと思ってきた。

 制度を変えても、守るべき人は残る。

「開けます」

「理由を記録しますか」とセレナ。

「王命ではない。私の救難判断。王家の罪録の公開範囲は、後で監査を受ける」

「記録」

 取っ手を引く。

 最後の鏡が開く。

 光は、爆発しなかった。

 細い糸になって流れた。

 一本ではない。

 住民が選んだ数だけ。

 見る者へ。

 見ない者へ。

 保留する者へ。

 公開する者へ。

 封じる者へ。

 異なる枝へ分かれ、外周の六裂帆を通り、空へほどける。

 百の都市像が、一つずつ薄くなる。

 百番目の市場が消える。

 九十九番目の鐘楼が消える。

 九十八番目の宮殿が消える。

 消えるたび、そこにいた像が何であったかは分からない。

 偽物だったとは言わない。

 別位相の同じ生活だった。

 今の都市へ接続し直される。

 黒鏡通りの鏡磨き職人が、自宅の扉へ手を掛ける。

 扉は一枚になる。

 夫の記憶は戻っていない。

 彼女は欠けたままではない。

 朝鐘見習いが、小鈴を一度鳴らす。

 母の歌は途中で止まったまま。

 少年は未完成ではない。

 リゼの母の記憶は、封じられたまま。

 今のリゼは消えない。

 ユノは、減っていく都市像を見上げる。

 自分の演奏でまとめたのではない。

 人々が、別々の選択をした結果である。

 拍手は揃わない。

 泣く者。

 怒る者。

 何も言わない者。

 王家を許さない者。

 規則が遅いと叫ぶ者。

 ユノが最も恐れていた光景だった。

 全ての情報を示しても、人々が同じ結論へ来ない。

 彼は恐怖の中で、初めて少し笑う。

 完璧ではない笑い。

「その結論まで、私が整えすぎていたようだ」

「今も少し整えた」とリゼ。

「そうだね」

「訂正する?」

 ユノは楽器を持たず、言い直す。

「みんな、違うまま残った」

 都市像は、一つずつ現実位置へ戻っていく。

 しかし街そのものは、まだ回っていた。

 負荷は解けた。

 接続は戻っていない。

 論理の答えが出ても、地面は止まらない。

 最後の救難が残っている。