第438話 第三章「運賃ゼロの乗客」後編

 セレナとロロは、過去百便の荷重記録を開いた。

 乗客名簿は毎便、零。

 設備荷重は一定ではない。

 二四一〇。

 二五三二。

 二六八四。

 二六一八。

「人数が変わってる?」ハル。

「住民の出入り」とエリア。

「荷物もある」とロロ。「ただし変化の幅が人間の体重へ近い。寝台数、食料数、排水量と合わせりゃ人数を出せる」

「本名なしで存在を証明できる」とセレナ。

「でも人数が分かったら追跡される」とオルサ。

「追跡者が欲しいのは氏名、罪名、場所、移動先です。人数だけでは足りない」

「人数から便を絞る」

「便名を封印」

「紙の型から線区を絞る」

「紙の供給記録を複数地域へ分ける」

「そこまでできるか」

「できます、とはまだ言いません。方法を検証します」

 セレナは乗客名簿の空欄を見た。

 記録へ残らない不在〈ネガティブ・ログ〉

 誰も見ていない。

 記録できない。

 合法的に除外された。

 三つは同じ空白に見える。

 だが原因が違う。

 ここにある空欄は、誰もいなかったからではない。

 人がいたことを、制度が別の欄へ押し込んだから生まれた。

「空欄は証拠ではありません」とセレナ。

「じゃ、何も証明できない」とオルサ。

「空欄と、余分な荷重と、四十七単位の配給と、四十七組の寝台留めと、四十七件の設備故障票を照合します。空欄だけへ全部を背負わせない」

「人数は」

「本人の同意がある範囲で」

「同意を取る名簿が要る」

「名簿でなくても、同意は取れます」

「どうやって」

「まだ未確認」

 オルサは鼻で息を吐いた。

「正直な記録官は役に立たない時も正直だな」

「役に立つふりをするより安全です」

「信用は」

「要求していません」

「本日三人目?」

 セレナの灰色の瞳が少しだけ動く。

「数えていましたか」

「人を零にする駅だからな」

 監査探針が、保守台帳へ接続した。

 壁の端末が白く点滅する。

『設備群十三種。応答せよ』

 オルサが人差し指を口へ当てる。

 子供も老人も、動きを止める。

 駅は一瞬で無人設備を演じた。

 鍋の火は消さない。

 消せば熱使用量が変わる。

 話さない。

 走らない。

 咳は布へ押し込む。

 生活を続けながら、生活の音だけを消す。

『主機確認』

 オルサが端末へ入力する。

『なし』

『可動付属機数』

『四十七』

『旅客数』

 指が止まる。

 ハルはオルサの横顔を見る。

 答えは決まっている。

 決まっているから苦しい。

『零』

 端末が受理音を鳴らす。

『運賃収入』

『零』

『医療利用』

『該当なし』

 フェルの足には三日分の薬しかない。

『教育利用』

『該当なし』

 学校の鋼板には、明日の授業が残っている。

『居住者』

『零』

 ミコが、ハルの配達鞄の陰へ隠れていた。

 震えてはいない。

 震えないように覚えた身体だった。

 探針が次の質問を出す。

『設備付属四号。応答位置へ移動』

 オルサがミコを見る。

「今日の四号」と小声で言う。

 少女が立つ。

 ハルの鞄から離れ、床の白い四角へ入る。

 端末が身体の重さを読む。

『付属四号、正常』

「名前は」とハルが言った。

 オルサが睨む。

 声は探針へ届く。

『未登録音声を確認』

「凪野ハル」とハル。

『旅客名簿に該当なし』

「俺は旅客」

『設備群十三種に旅客登録なし』

「じゃ、今ここにいる俺は何」

『未登録荷重』

 ロロが笑った。

 楽しくない笑いだった。

「お前、設備になったぞ」

「修理できる?」

「頭は部品欠品だ」

『未登録荷重、排除手順を開始』

 床の白い四角が赤く変わる。

 ハルの磁靴が、外側へ引かれた。

 安全装置ではない。

 異物排除磁場。

「ハル!」

 エリアの路図が床へ走る。

 淡緑の線がハルの足元と柱を結ぶ。

 カイルの盾膜が磁場を受け、痛みが背中へ返る。

 ロロの補助腕が端末の制御線を引き抜く。

 セレナは時刻を記録する。

 イヴァだけが端末へ近づき、左手を白い枠へ置いた。

「乗務員識別。イヴァ・レイル」

『資格失効』

「旧救難線、臨時乗務員権限」

『照合中』

「付属四号を人員へ一時変更」

『変更権限なし』

「未登録荷重を旅客へ」

『変更権限なし』

「排除を停止」

『根拠』

 イヴァが息を飲む。

「私の責任で」

『責任主体、収監者。無効』

 右手の震えが強くなる。

 ハルは磁場へ引かれながら叫ぶ。

「誰の責任なら止まる!」

『設備管理者』

 オルサが白枠へ手を叩きつけた。

「管理者、オルサ・レイ」

『登録名不一致』

「今の名だ!」

『照合不可』

「名前を固定しない人は責任も持てないの?」エリア。

『照合不可』

「質問へ答えてない!」

「機械は答えるために作られていません」とセレナ。「分類を実行するためです」

 ノクスが端末へ飛びつく。

 右耳の欠けを震わせ、低く唸る。

 約束の匂いを嗅ぐ。

 だが端末には約束がない。

 命令だけがある。

 命令は破られない。

 最初から相手へ何も約束していないからだ。

 イヴァが封印箱を見る。

 トランジットを使えば、異物排除磁場へ停止条件を打てるかもしれない。

 使用承認は三名。

 セレナが先に言う。

「承認しません。現時点で物理切断が可能です」

「冷たいな」とハル。

「能力使用より速い。ロロ」

「三秒!」

「二秒で」

「修理費二倍!」

「王家負担」とカイル。

「王子権限?」

「個人借金!」

「成立!」

 ロロの左手が制御線を切る。

 磁場が消える。

 ハルは床へ落ち、右手をつく。

 左肩は使わない。

 エリアが駆け寄る。

「痛み」

「一」

「十段階」

「昨日より一多い」

「尺度を」

「元気」

「診断名ではありません」

 いつものやり取りへ戻れることは、無事の証拠ではない。

 無事へ戻る途中の手すりである。

 端末が低い警告を続ける。

『未登録荷重を確認』

『設備分類異常』

『本体監査を要請』

 オルサの顔から血の気が引く。

「探針だけで済まなくなった」

 ロロが切った線を見下ろす。

「俺のせいにするな。排除されるよりましだ」

「正しい」

「なら」

「正しいことが困らせないとは言ってない」

 遠くで、監査列車の鐘が鳴る。

 今度は四回ではない。

 一回。

 本体発車の長い一音。

 切断した端末の裏から、紙片が一枚落ちた。

 古い運行命令。

 表面は油で黒い。

 セレナが手袋で拾い、乾いた布へ載せる。

『設備十三種、臨時適用』

『適用理由 追跡危険下にある救難対象の保護』

『期間 七十二時間』

『氏名照会 停止』

『目的地照会 停止』

『司法移送照会 停止』

 末尾に、署名欄。

 青い車掌印。

 I・R。

 イヴァ・レイル。

 発行日は三年前。

 七十二時間の命令が、三年後も駅を支配している。

 セレナは紙片をイヴァへ向けない。

 時刻を確認する。

「監査探針が入る前、とあなたは言いました」

「入った」

「説明を」

 イヴァの左耳が、遠い監査鐘へ向く。

 右耳をセレナへ向ける。

「この分類へ署名した」

「理由は記載されています」

「理由だけでは足りない」

「では、足りない部分を」

 オルサが先に言った。

「後でだ」

 セレナが見る。

「あなたは説明を求めていたのでは」

「監査列車が来る。今ここで昔話を始めたら、話し終える頃には全員また設備だ」

「期限を」

「本体が到着する前。私たち全員の前で」

 イヴァは頷く。

 改札鋏を鳴らさない。

「承知した」

 ミコが紙片を見ている。

「青い車掌が、四号を作った?」

 イヴァの声が出ない。

 少女は追及しない。

 その方が、追及より重い場合がある。

 監査列車の長い鐘が、二度目を鳴らした。

 運賃零の駅へ、代金を取り立てる列車が近づいていた。