第440話 第四章「穴は座標ではない」後編

 ノクスが救った紙は、配給票だった。

 ただし現在の駅のものではない。

 五年前。

 場所は雷鎖環西端の鉱山支線。

『設備十三種付属物資』

 耐熱封材、三十二。

 濾過布、三十二。

 冷却粉、三十二。

 人員、零。

 翌月、同じ穴を持つ切符が、四百キロル離れた廃監獄線で使われている。

 配給数は四十。

 翌年、別の鎖島。

 配給数は二十七。

 施設が移動したのか、人が移動したのか。

 記録だけでは区別できない。

 だが一つだけ分かる。

 十三は場所ではない。

 場所なら、同じ月に二か所へ存在できない。

 分類ならできる。

「端末の旧辞書を開け」とロロ。

 補助腕が焼けた蓋を外し、内部の語彙筒を回す。

「現行辞書じゃ『設備十三種』しか出ねえ。旧版の正式名が削られてる」

「削除時期」セレナ。

「十二年前。改訂理由は省略」

「省略は理由ではありません」

「機械に言え」

「今、あなたへ言いました」

「面倒だな!」

 ロロが歯車を逆へ回す。

 語彙筒の裏側に、古い刻字が現れた。

『第十三類 追跡危険下臨時救難施設』

 さらに小さな補注。

『施設所在・収容者氏名・目的地・司法照会を一時停止し、保守資産として移送可能とする』

 セレナは読んだ。

 もう一度、読む。

 一字ごとに、別の欄へ分けるために。

「救難施設」カイル。

「始まりは」とエリア。

「人を追跡から守る制度です」とセレナ。

「終わりは」とハル。

 セレナは現在の表示を見る。

『乗客 零』

「人としての照会も、乗降も、裁判も停止する制度です」

「一時って書いてある」

「期限が切れた後の自動復帰規定がない」

「七十二時間」とエリア。「イヴァの命令にはあった」

「命令には。分類そのものにはない」

 人を追う悪意から隠すため、名前を止めた。

 名前を止めたので、配給を受けられなくなった。

 配給を受けるため、設備へ変えた。

 設備になったので、移送できた。

 移送できたので、逃げ続けられた。

 逃げ続けたので、戻す場所を失った。

 善意は、出口を作らないまま長く続くと、檻に似る。

 檻と違うのは、最初に助けられた記憶があることだった。

 その記憶が、扉を開けにくくする。

 旧辞書の裏には、分類開始の手順があった。

 終了手順は、なかった。

「見落とし?」ハル。

「一ページ抜けてる」とロロ。

「破られた痕跡は」とセレナ。

「ねえ。綴じ穴の数が最初から一枚少ない」

「別冊かもしれません」とエリア。

「別冊なら参照番号がある」

「ない?」

「ない」

 ロロは語彙筒をさらに回した。

 分類開始。

 三枚歯を中央へ穿つ。

 外周十三孔で接続先を保留する。

 人員照会を停止する。

 設備台帳へ荷重を移す。

 その下に、細い注意書き。

『有効期間、七十二時間を標準とする』

「標準」とカイル。「期限ではないのか」

「自動終了とは書いていません」とセレナ。

「七十二時間後に何が起きる」ハル。

「何も」とロロ。

「何も?」

「延長しなければ警告が出るだけだ。警告を無視しても分類は残る。解除するには別の切符を通すはずだが、その穴形が辞書にねえ」

「出口の切符が存在しない?」

「設計図には空き接点が一つある」

 ロロが端末の奥へ補助腕を差し入れ、小さな受け歯を引き出す。

 使われた痕がない。

 油も古い。

 金属の角が鋭いまま残っている。

「解除信号を受ける場所だけ作って、信号規格を決めなかった」とエリア。

「救難を先に始め、出口は後で作るつもりだった」カイル。

「歴史上、よくある」とセレナ。

「よくあってほしくない」ハル。

「だから記録します」

 円筒の端末が突然、低く唸った。

 監査探針が旧保守庫へ入り、現行辞書で読めない記録を『重複保守票』として整理し始めたのである。

 整理。

 行政語で、消去を穏やかに言う時に使われる。

『旧形式票、統合まで六十秒』

「統合先は」とセレナ。

「現在の設備十三種台帳」とロロ。

「人員零へ上書きされる」

「止める!」

 ロロが端末へ潜る。

 四本の腕。

 一つは給電。

 一つは語彙筒。

 一つは記録送り。

 一つは監査回線。

「どれ切る」とハル。

「切るな! 切ったら改竄扱いだ!」

「じゃ、どうする」

「読ませたまま、別の物へ写す!」

 セレナが証羽を四群へ分ける。

 分類名。

 開始手順。

 七十二時間の注意。

 未使用の解除接点。

「証羽だけでは、魔法記録と争われます」とヘスタの遠隔声が端末から入った。

 まだ現場へ到着していない監査列車から、監査回線だけが接続している。

「では監査記録へ同時複写を」とセレナ。

『権限外』

「現行監査が削除を開始しています」

『削除でなく統合』

「意味が失われます」

 十秒の沈黙。

『現地映像を監査保留欄へ。私が受領する』

「氏名は」

『不要。設備欠陥として』

「人の権利停止を設備欠陥へ落とすのですか」

『今、残せる欄がそれしかない』

「後で意味を戻す」

『後で監査する』

 セレナは同意と言わない。

「受領時刻を」

『第六雷刻、五十一分』

 カイルは王家の印章を出しかけ、戻した。

「王家記録へ写せば強い」

「同時に、王家が所在地へ関与した証拠になります」とエリア。

「使わない」

「その判断を記録します」とセレナ。

「使わないことまで?」

「後で、なぜ王家記録がないのかを問われる」

「不在にも理由が要る」

「不在を証拠にしすぎないためです」

 ハルは配達鞄から紙を出す。

「俺は手書き」

「法的効力が弱い」とセレナ。

「弱い記録も、消え方が違う」

 エリアが見た。

 第二章で言った言葉を、ハルが覚えている。

「書いて」とエリア。

「漢字は」

「図でいい」

「地図読めない」

「穴の形」

 ハルは三枚歯の穴を紙へ写し、その横へ大きく書く。

『出口なし』

「正確には、出口規格未制定」とセレナ。

「長い」

「短くすると、最初から出口を作る意思もなかったことになります」

 ハルは書き直す。

『出口は、作りかけ』

 六十秒。

 端末の旧表示が白く消える。

 だが、証羽、監査保留、ロロの非魔法写真板、エリアの透明板、ハルの手書きへ、同じ内容が違う形で残った。

 一つの記録が消されても、事実まで一緒に消えないように。

「これを公開すれば」とカイル。

「分類の存在は立証できます」とセレナ。「現在地を公開せずに」

「住民の存在は」

「配給差分、荷重、設備故障票、生活痕で立証する。ただし本人が権利主体であることを認めさせるには、代表または個別の意思確認が必要です」

「名前なしで?」ハル。

「方法を探します」

「まだ未確認」オルサの声が入口からした。

 いつからいたのか。

 締結レンチを肩へ担ぎ、煙の残る円筒を見ている。

「だが、十三が場所じゃないことは分かった」とオルサ。

「知っていましたか」

「暮らしている者は、仕組みの全部を知らなくても、仕組みが自分へ何をするかは知っている」

「分類名は」

「知らなかった。知っていたのは、次の空き箱へ移れば追跡が切れることだけだ」

「空き箱?」

「監獄車。保守車。廃駅。救難倉。中央が『人はいない』と数える場所なら何でも」

 エリアの地図筆が止まる。

「駅が移動するのではなく」

「住民が、空いた無人設備へ移る」

「なら現在地を消しても、共同体は残る」

「消せればな」

 オルサは端末の一行を指した。

 監査探針が更新した予定欄。

『設備群十三種』

『現管轄 旧監獄支線保守局』

『翌日第一雷刻 管轄移転』

『移転先 中央拘束設備局』

『処理区分 無人資産回収』

「回収って」とハル。

「ここを空の設備として切り離し、別の管轄へ運ぶ」とロロ。

「四十七人ごと?」

「機械には零人だ」

 セレナは時刻欄を見る。

 翌朝。

 あと十一時間。

 管轄が変われば、保守局の偽装配給は止まる。中央拘束設備局は人の暮らしを機械故障として見つけ、撤去する。住民を登録すれば追跡名簿へ載る。登録しなければ、無人設備の異物として排除される。

 選択肢が二つしかない制度では、第三の生き方は違反と呼ばれる。

「監査列車の目的は、違反者を探すことじゃない」とエリア。

「設備を回収することです」とセレナ。

「話せば止められる?」ハル。

「誰として話すかが、問題です」

 乗客零の駅には、陳情者も零である。

 オルサが締結レンチを床へ置いた。

「なら、今夜中に決める」

「何を」

「存在するかどうかだ」

 遠くで、監査列車の白い灯が点いた。

 一つではない。

 駅の表と裏、二方向から同時に近づいてくる。

 穴は座標ではなかった。

 だが穴の中へ落とされた人々は、翌朝までに、どこか一つの場所を選ばなければならなかった。