第458話 第一章「止まれない開廷」後編
七人の証言席は、同じ方向へ並べられていなかった。
円形の床へ、事故当時の座席角度をそのまま移してある。
右側五番窓。
左側四番窓。
救難円中央。
信号台端。
証拠棚前。
連結器脇。
運転台。
七つの椅子は、互いの顔が見えにくい。
「証人を向かい合わせないのですか」と代訴官。
「事故当時、向かい合っていません」とセレナ。
「法廷では互いの表情を確認する権利が」
「表情は証拠ではありません」
「信用判断にはなる」
「証言の内容より、怯え方や堂々とした態度へ判定を寄せる危険がある。今回は位置再現を優先します」
「証人が他者の言葉を聞けば、証言を修正する可能性もある」
「だから封印済みの初回証言を先に固定した」
セレナが七枚の黒い羽根札を伏せて置く。
見聞きした事実を記録する羽〈テスタ・フェザー〉。
映像も音も、証人が見た向きのまま記録される。便利な術だが、便利さは神の目を意味しない。視野の外は記録されず、まばたきは空白になり、恐怖で焦点が狭まれば世界まで狭くなる。
しかも三年前の事故当時、証羽はなかった。
今回の証羽が記録できるのは、「三年後の証人が、いま何を語ったか」だけである。
「証羽が矛盾していないなら、全員が同じ記憶を持っているのでは」とハル。
「証羽は記憶の真偽を保証しません」とセレナ。
「じゃ、何を保証する?」
「少なくとも、記録開始後に言葉を差し替えていないこと」
「小さい」
「小さい保証を重ねるのが捜査です」
「大きい答え、売ってない?」
「その売り場は詐欺です」
円の中央に、空席が一つあった。
被告席ではない。
証人席でもない。
『不明』とだけ刻まれた席。
「何の椅子」とハル。
「誰も見ていなかった部分」とセレナ。
「椅子にする必要ある?」
「人は空欄を机の上へ置くと、すぐ物を載せるからです」
「座れなくした?」
「座った者の意見が事実になるのを防ぐ」
「空席を守る椅子」
「矛盾してる」とロロ。
「空白を存在させるには、場所が要るのよ」とエリア。
ハルは空席を見る。
父が帰らない理由も、ずっと空席だった。
子供は空席を嫌う。
嫌うから、病気、事故、秘密の任務、家族を捨てた、という答えを順番に座らせる。
座らせた答えは、真実でなくても育つ。
「触らないでください」とセレナ。
「触ってない」
「顔が座らせようとしていた」
「顔の証拠能力、高すぎない?」
「これまでの行動記録があります」
「巻?」
「長い事故報告の比喩です」
法廷車の後部扉が開いた。
灰銀の短髪。
右耳の後ろへ一本だけ編み込まれた深紅。
左右対称の双規刃。
そして、左右非対称に縫い合わされた救難外套。
ティア・グランツが入る。
右膝へ、黒い補助帯を巻いていた。
隠していない。
ハルがそこを見る前に、ティアは言う。
「第一条。見るのは構わない。勝手に配慮を決めるな」
「まだ何も」
「顔が決めかけた」
「この法廷、顔の権限が強い」
「第二条。私は証人として召喚された。混成実地救難班の監査員として現在の安全確認も行う。役割は分ける」
「第三条は?」
「遅刻理由」
「聞いてない」
「言う。接続列車が二分遅れた。私の責任ではない」
「そこ、規則で先に切るんだ」
「責任のないものまで引き受けると、責任のあるものが見えなくなる」
カイルが口笛を吹きかけ、セレナの視線を受けて口を閉じる。
「グランツ。膝は」
「申告済み。連続立位四十分、跳躍三回、着地荷重は左優先。救難班へ別条件として記録した」
ティアは答えた。
以前なら、完治していると言っただろう。
同じ条件を全員へ課す者が、自分だけ異なる条件を隠していた。彼女はその矛盾を、治すのではなく公開する方へ進んでいた。
「三年前も痛かった?」
ハルの質問に、ティアの右親指が双規刃の目盛りをなぞる。
「事実質問か」
「うん」
「痛かった。申告しなかった」
「理由」
「救難実習から外されると思った」
「結果」
「号令位置を一度、変えた」
セレナが記録筆を止める。
「初回供述へない」
「三年前の供述では、痛みを負傷と認めなかった。今は認める」
「位置をどれだけ」
「床目盛り一つ分。正確な距離は証拠車の床を測るまで断定しない」
「記録します」
代訴官が身を乗り出す。
「証言変更です」
「追加です」とセレナ。
「信用性が下がる」
「後から気づいた事実を隠す方が上がるのですか」
「供述が変わった事実は評価されるべきだ」
「評価します。変わった理由も」
ティアは証言席へ向かう。
カイルが低く言う。
「無理なら座れ」
「王太子殿下」
「何だ」
「私の身体条件を、あなたの命令へ変えるな」
「心配しただけだ」
「心配は情報。命令は権限。混ぜるな」
「はい」
「素直で気持ち悪い」とハル。
「最近、医師にも言われた!」
イヴァ・レイルは、被告席の椅子へ背を預けていなかった。
濃紺の車掌外套。電光色の青い長三つ編み。左耳から首へ走る稲妻形の火傷。右手の指先には、細かな震えがある。
机には白い移送票。
『被告』。
『証人』。
『技術補助』。
『乗客』。
四つの欄へ、それぞれ別の穴が開いている。
「肩書が渋滞してる」とハル。
「同じ人間へ役割を積みすぎる制度が悪い」とイヴァ。
「どれで話す?」
「聞かれた欄で」
「本人としては」
イヴァは左耳をハルへ向ける。
「判決を変えてほしい」
「無罪に?」
「違う」
「じゃ」
「起きたことを、一人で起こしたことにしないでほしい」
改札鋏は鳴らない。
私情だった。
「私がしたことまで消すな。していないことを、したことにするな。救ったから正しい人間だった、とも書くな」
「難しい注文」
「人間一人分だ」
セレナはその言葉を記録しない。
羽根札を伏せたままにする。
本人の願いは、証拠ではない。
だが、法廷が何をしてはいけないかを示す条件にはなる。
ベルが時刻鐘を見る。
「七法域通過まで、六時間十四分。判決鐘までに審理を終える。終わらなければ」
「無効ですか」とテト。
「未了として次周へ持ち越す」
「もう一周?」ハル。
「燃料費、誰に請求すりゃいいんだよ!」ロロ。
「法廷会計へ」とセレナ。
「払う?」
「争います」
「最初から景気が悪い!」
ベルはヘスタへ戻る。
「第一証人。右とは、何の右だ」
ヘスタの黒い人差し指が、証言台の縁を一度叩く。
「当時の私の右」
「列車の右ではない」
「聞かれなかった」
「進行方向の右でもない」
「聞かれなかった」
「三年前の法廷では」
「『右から火が来た』と記録された」
「主語は」
「私」
「記録では」
「消えた」
法廷車は後ろ向きに走り続ける。
主語の消えた「右」だけを、三年前の判決は固定した。
固定された方向は、列車より長く人を運んだ。