第462話 第三章「嘘の音がしない」後編

 テトが放送する。

「第二折返しへ進入。進行方向、再反転。重力切替なし。座席は回りません。言葉の向きにご注意ください」

「新しい注意事項が増えた」とハル。

「事故から学ぶのが規則です」

 ティアが証言席から言う。

「事故を忘れないためではない。次の人へ同じ代償を払わせないため」

「その規則が次の事故を作ることもある」とミコ。

「ある」

 ティアは否定しない。

「だから改訂する」

「誰が」

「使う人」

「作った人じゃなく?」

「作った人も、使う人の一人として」

 ミコは返事をせず、窓へ右頬を向ける。

 雨が細く始まった。

 水滴は進行方向へ斜めに走る。

 列車が折返しへ入り、同じ窓の雨筋が逆の斜線へ変わった。

「今の」とハル。

「見た」とエリア。

「窓、同じ。雨、同じ。重力、同じ」

「変わったのは速度の向き」

「雨筋で分かる」

「速度成分の手掛かりになります」

 セレナが時刻を記す。

「ただし風向、雨粒の大きさ、窓の傾斜も必要」

「一個見つけると条件が三個増える!」

「捜査ですから」

 車輪が一度、甲高く鳴る。

 ロロの補助腕が床下計器から伸びた。

「待て」

「何」とハル。

「現在の折返し記録。前輪、正回転。後輪、逆回転」

「壊れてる?」

「同じ車体で同じ時刻だぞ。両方正しいわけ――」

 ロロは言い切らない。

 もう一本の補助腕で、古い事故記録を開く。

 三年前、第六雷刻四十二分三十秒。

 前輪、北西方向。

 後輪、南東方向。

「同じだ」とハル。

「記録器の故障か」とカイル。

「二台が同じ故障を三年あけて?」ロロ。

「折返しの構造」エリア。

「でも車体は一つ」とハル。

「車輪が同じ線路へ乗っているとは限らない」

「前と後ろが、別の方向?」

 エリアの淡緑の瞳が、透明板の向こうで細くなる。

 列車は長い。

 折返しは短い。

 先頭が新しい線へ入り、最後尾がまだ古い線へいる瞬間がある。

 同じ一両の前輪と後輪が、異なる曲線へ引かれる瞬間。

 ただし記録は、車両単位で一つの時刻へまとめられていた。

「二方向を示してるんじゃない」とハル。

「二つの位置を、一つの欄へ入れた」とセレナ。

「また統合」

「ええ」

 過去の記録へ、嘘はない。

 前輪は北西へ回った。

 後輪は南東へ回った。

 同じ時刻。

 同じ車両。

 逆の方向。

 旧法廷は、そのうち一つだけを採用した。

 採用されなかった方向は、間違いではなく、欄が足りなかった。

 ハルは赤いマフラーの端を掴む。

「全員を信じる、じゃ足りない」

「何が要る」とセレナ。

「全員が、どこで正しいかを探す」

「採用します」

「今度は早い」

「検証可能だからです」

 法廷列車の前輪と後輪は、同じ時刻に逆方向へ回り続けていた。

 最初の仮説は、全員が同じ「右」を使っていなかった、である。

 それだけなら、法廷へ提出するには弱い。

 右という言葉が曖昧だったことは説明できる。

 どの証言がどの方向を指したかは説明できない。

「言葉の曖昧さを示すだけじゃ、何でもありになる」とセレナ。

「何でもありなら、誰も嘘じゃない」とハル。

「誰も嘘でないことと、全ての可能性が同じ確率であることは違います」

「可能性にも採点がある?」

「証拠で減らします」

「増やすんじゃなく」

「増やすのは想像。捜査は、あり得ないものを減らす」

 エリアは透明板へ、細い矢印を八本描く。

「まず現在の法廷車で、同じ言葉がどう変わるか再現します」

「俺がやる」

「左肩」

「歩くだけ」

「痛み」

「一」

「具体的に」

「腕を上げなければ平気。固定帯はそのまま。走らない」

「役割」

「目印」

「撤退」

「痛み三。列車が重力切替へ入ったら戻る」

「頼みます」

 命令ではなく、具体的な依頼。

 ハルは法廷車の一番前へ立つ。

「前へ三歩」とエリア。

 三歩。

「右を向いて」

 向く。

「いまの右へ二歩」

 二歩。

 床へ赤い石筆で印をつける。

「次、座席の前を向いて」

 証言席は車体先頭向き。

 ハルの身体は反対を向く。

「右へ二歩」

「さっきの左へ戻った」

「身体基準ではどちらも右」

「言葉は同じ」

「位置は逆」

 テトが放送する。

「折返し開始。進行方向、反転」

「もう一回、進行方向の右へ」とエリア。

 ハルは止まる。

「どっち」

「いま列車が動く向きへ顔を向け、その右」

 車体後方へ向き直る。

 右へ二歩。

 最初の赤印とは、斜め反対。

「全部、右」とハル。

「全部、別の場所」とエリア。

「右って、方向じゃなく質問だったんだ」

「基準を尋ねる質問ね」

 カイルが腕を組む。

「王命で『右門を閉じろ』と出した場合、門番がどこを向いているかで内戦になるな」

「実際、古い城塞戦でありました」とセレナ。

「あるのか」

「右軍門を閉じる命令が、城内基準と攻城側基準で逆に解釈され、味方の退路を閉じた」

「歴史、言葉遊びで人が死にすぎない?」ハル。

「言葉遊びではありません。言葉の手入れ不足です」とティア。

「言葉にも修理代が要る」とロロ。

「誰に請求」

「使った奴全員」

「徴収不能」

「だから制度予算だ!」

 次に、七人の身長を床へ棒で示した。

 ヘスタ、一六九。

 サナ、一六七。

 ティア、事故当時一七〇に届かない。

 テト、事故当時一四〇台。

 ミコ、記録なし。現在の身長から推定しない。

 オルサ、一八三。

 イヴァ、一七二。

「ミコだけ空欄」とハル。

「三年前の身体情報を、現在から勝手に逆算しない」とセレナ。

「成長してるかもしれない」

「していないかもしれない」

「年齢も」

「非公開」

「分からないまま使える?」

「見えた窓の高さ、手が届いた棚、座席傷から範囲を出します。身体へ年齢を貼る必要はない」

 ミコが離れた席から言う。

「分からないまま使って」

「不便じゃない?」ハル。

「便利にするために名前と年齢を一緒に取られた」

「じゃ、空欄」

「空欄を欠陥みたいに言わないなら」

 セレナはミコの身長欄へ、数値ではなく幅を書く。

 棚へ届く。

 窓下縁より視点が低い。

 証言時の再現姿勢で一三八から一五八。

 数字は一つにならない。

 だが、何もないわけでもない。

「俺、地図が苦手なの、数字が一つじゃないからかも」とハル。

「地図のせいにしないで」とエリア。

「でも幅があると、どこ歩けばいいか」

「幅の中で選べばいい」

「正解一個じゃない?」

「道路は一本でも、歩幅は人ごとに違う」

「それを地図に書く?」

「書きたい」

 エリアの声がまた一音上がる。

「興奮」

「集中」

「はいはい」

 ハルは、七人の言葉を自分の配達経験へ置き換えた。

 同じ住所へ、表通りから行く。

 裏路地から行く。

 屋根を越える。

 坂の上から降りる。

 地下道を抜ける。

 到着した玄関は同じでも、右へ曲がった回数は違う。

 受取人が「どこから来た」と聞き、全員が「右」と答えたなら、嘘つきは多分いない。質問が短すぎる。

「配達なら、伝票に経路は書かない」とハル。

「なぜ」とセレナ。

「届け先が分かればいいから」

「事故記録は」

「経路が必要」

「なぜ」

「同じ事故を起こさないため」

「裁判は」

「誰かを罰するだけじゃなく、何が起きたか残す」

「それだけでもない」とカイル。

「何」

「責任を負うべき者へ、負う範囲を返す。多すぎても少なすぎても駄目だ」

「王子っぽい」

「普段は何だと思ってる」

「苺泥棒」

「王城厨房の内部監査だ」

「食べる監査」とセレナ。

「味の確認は必要だろ!」

「監査報告がありません」

「腹の中に」

「提出不能」

 カイルは景気の悪い顔をした。

 最初の仮説へ、代訴官は簡単な反証を出した。

「左右の基準が違ったとしても、切断音の回数は変わらない。時刻も三十秒ずれない。火が床と天井から同時に来る説明にもならない」

「その通りです」とセレナ。

 ハルが振り向く。

「認めるの早い」

「正しい反証です」

「味方とか敵とかないの」

「ありません」

「裁判なのに」

「裁判だから」

 代訴官は少し拍子抜けした顔をする。

 反論されるつもりで出した刃が、受け止められず机へ置かれた。

「したがって」とセレナ。「左右差だけで全証言を説明する仮説は棄却します」

 エリアは透明板の一枚目を外す。

 捨てない。

 右という言葉の基準差は残る。

 ただし、それだけで全てを説明しない。

「仮説って、外れたら無駄?」ハル。

「外れ方で、次に必要な証拠が分かる」とエリア。

「切断音。時刻。上下」

「そして車輪」

 ロロが二方向を示す記録板を上げる。

「こいつが一番、景気悪い」

「同じ時刻に逆回転」

「同じ車両の前後輪」

「記録器が車体全体を一つとして扱ったから、欄の中で衝突した」

「じゃあ」とハル。「証人も一人ずつを一つとして扱ったから、見た向きが衝突した?」

「証人は一人です」とセレナ。

「でも、事故の途中で身体の向きが変わる。座席から床へ落ちる。重力が変わる。進行方向が変わる。同じ人でも、前半の右と後半の右が別かもしれない」

 エリアの透明板が止まる。

 ティアが双規刃の目盛りをなぞる。

 イヴァは左耳を車輪音へ向けた。

「同じ証人の中にも、複数の座標がある」とセレナ。

「人間って、一人なのに地図が多い」

「いま気づいた?」エリア。

「地図嫌いだったから」

「地図へ責任を逃がさないで」

 車輪記録は、同じ時刻に逆方向を示している。

 嘘ではない。

 故障とも限らない。

 前輪と後輪の間に、記録の欄が持てなかった何かがある。

「証拠車へ入る許可を申請します」とエリア。

「目的」とベル。

「座席固定、車輪間隔、折返し時の車体姿勢を測る。方向を一つずつ別の層へ分けます」

「危険条件」

「証拠車は封印区画。現行線で重力切替へ入る。立会いと退避路が必要」

「誰が行く」

「私、ロロ、星律官。ハルは外から歩数再現」

「俺、中に」

「左肩」

「荷重なし」

「証拠を動かす実績」

「未遂!」

「未遂の実績」

「言葉が強い」

 ベルは片眼鏡を上げた。

「許可。次の重力切替前に終えろ。止まれない法廷で、証拠だけ止めるな」

 法廷車の窓を、雨が逆向きに流れ始めた。