第520話 第八章「回避が予言を作る」後編

 灯橋事故で、群衆の流れが止まった。

 止まることは安全ではない。

 後方は進み続ける。

「分散路、今!」カイル。

 ユーディが決める。

「北街路を開放。東市場は歩行困難者。屋根路は荷物と医療。地下眠管は使用しない」

「理由」とセレナ。

「覚醒事故の実データがある。封印を維持」

「終了時刻」

「二時間後に再評価」

「署名」

 ユーディが書く。

 カイルも立会署名。

 エリアは地図へ三本の新しい道を描く。

 最短ではない。

 最適でもない。

 異なる目的地と身体を、同じ階段へ集めないための道。

「配信灯へ出して」とユーディ。

 ロロが首を振る。

「夢灯網の行動計画と競合する。自動で危険指示扱いになる」

「手動回線」

「町内鐘、旗、地上伝令」

「遅い」

「遅いけど、網に上書きされない」

「使う」

 紙の町に、古い鐘が鳴る。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 北開放。

 次に形の違う灯籠旗。

 東は歩行困難者。

 地上伝令が走る。

 予測網より遅い。

 しかし人間が、誰に何を伝えたかを残せる。

 配信灯の発生見込みが下がる。

 七十八。

 七十四。

 群衆が分かれたから。

「効いてる」とハル。

「予測条件が崩れた」とエリア。

 だが、六十九で止まる。

「まだ高い」

「上段と下段の主要配置が残っている」

 夢は、街全体ではない。

 最後の数人が同じ位置へ立てば、画面は完成する。

 保護室から、移送命令が出た。

『被害予測対象エリア・ルーンベルグを、白階段上段七へ移動』

「拒否」とエリア。

 即答。

 保安員が戸惑う。

「現在地は灯橋事故区域に近く、安全基準を満たしません」

「上段七は夢の位置です」

「防刃壁が完成しています」

「逃げ道」

「一つ」

「拒否」

「危機局長承認です」

 ユーディが顔を上げる。

「私は承認していない」

 命令札を見る。

 署名欄。

『夢灯網自動保護決裁』

 予測保全官の事前許可が付いている。

「ベレト」とセレナ。

 彼は指揮卓にいない。

 先ほどまでいた椅子が空。

「どこへ」カイル。

「上段設備確認に」と保安員。

「いつ」

「灯橋事故の直前」

 ユーディの紙を叩く指が速くなる。

「移送命令を停止」

 保安員の腕輪が赤く光る。

「局長権限、競合で無効です」

「何と競合」

「予測犯行直前時は、保全官の現場判断を優先」

「直前と誰が決めた」

「発生見込み六十九以上」

 数字が権限を生み、権限が人を配置し、配置が数字を上げる。

 完全な輪。

「物理停止」ロロ。

「待って」とエリア。

 彼女は移送用の紙輿を見る。

 白い。

 四方を防刃紙で囲まれ、中から外が見えない。

「乗る」

「エリア」とハル。

「夢の位置へ入らないと言った」

「今も入らない」

「上段七へ」

「紙輿の底を外す。途中で降りる」

「危険」

「命令線の行き先を追える」

「囮になるな」

「囮ではなく、命令の対象です」

「同じだ」

「違う」

「刺される側が、自分から刃の近くへ行く」

「刃がどこにあるか、まだ分からない」

「だから嫌だ」

「嫌で条件を変えないで」

「君も、地図のために身体を使う」

「地図のためではありません」

「正しさのため」

「人を出すため」

「自分も人だ」

 会話が鋭くなる。

 周囲が、夢の二人を見る。

 犯人役と被害者役。

 役を拒むための口論が、役らしい感情へ見える。

 予測灯が、一つ上がる。

 七十。

「見て」とエリア。

「何を」

「私たちが争うだけで、数が上がる」

「だから黙る?」

「違う。数へ会話を決めさせない」

 エリアは命令形をやめる。

「ハル。紙輿の外側を追ってください。私は底を外し、上段五で降ります。七へ行かない。あなたは階段下へ立たず、屋根から追う。途中で私が合図を出せなければ、紙輿を壊さず止める役をロロへ頼む」

 具体的な役割。

 助けを求める言葉。

「嫌だ」

「理由」

「君が見えなくなる」

「それは条件です。では、側面へ観測窓を作る」

「防刃が」

「透明星紙を二重」ロロ。「一分」

「呼吸」メイ。

「二」エリア。

「踵」

「二」

「上段五まで歩行」

「なし。紙輿」

「終了条件」

「呼吸三、胸痛一、地図維持不能、命令経路喪失のいずれか」

「同意」とメイ。

 ハルは一を数える。

 二。

 三を言う代わりに、具体的な頼みを受け取る。

「分かった」

「何が」

「見える窓を守る」

 エリアが頷く。

 紙輿へ乗る前、エリアは上段の窓から町を見た。

 地図上では、三本の分散路が開いている。

 現実では、開いた道へ人が均等に流れるわけではない。

 北街路は暗い。

 東市場は薬臭い。

 屋根路は高い。

 西の白階段だけが明るく、灯網の声が繰り返し「安全」と言う。

 道の物理条件を平等にしても、表示が一つを選ばせる。

「地図へ、明るさを入れる」とエリア。

「照度?」ロロ。

「誘導の強さ」

「数値にできるか」

「灯数、音量、案内回数、王家印、保安員数」

「人が怖いと思う量は」ハル。

「聞く」

 近くの住民へ、エリアは短い質問をする。

「北へ行かない理由は」

「暗いから」

「東は」

「病人の道だと札が」

「屋根は」

「若い人用」

 どの札にも、そうは書いていない。

 暗さ。

 薬の匂い。

 高さ。

 人は表示されていない意味も読む。

「白階段を選んだ理由」

「みんながいる」

「夢で殺人が起きる場所です」

「だから、守られてる」

 危険だから警備が多い。

 警備が多いから安全に見える。

 安全に見えるから人が集まる。

 エリアは地図へ、人数とは別の太さを入れる。

 選ばせる圧力。

「母なら、もっと早く描いた」と彼女。

 マリエラ・ルーンベルグ。

 地図を政治へ使う母。

「でも、母は圧力を道の価値として描く。私は、警告として描きたい」

「違いは色?」ハル。

「撤回条件」

「地図にも?」

「この圧力線は、灯籠を消す、案内を減らす、保安員を分散することで細くなる。変えられる線です」

「運命線じゃない」

「地図に運命は描きません」

「昔、俺の帰る道を描いた」

「可能路です」

「帰るって決めたみたいに見えた」

 エリアの地図針が止まる。

「それは、私の失敗」

「責めてない」

「責められなくても失敗は失敗です」

「じゃ、今回、俺の位置をどう描く」

「赤い点では描かない」

「夢は赤」

「だから。あなたは右利き、左肩負傷、白索使用、屋根路、保安矢の対象、私の同行者。複数の情報で描く」

「多い」

「人は一色では足りない」

「君は」

「被害者候補、地図作成者、呼吸二・五、退出札あり、本人」

「最後、強い」

「最初に書くべきでした」

 エリアは自分の点へ『本人』と加える。

 被害者役より先に。

 ハルの点にも。

 犯人役より先に。

「これで乗る」と彼女。

「怖い?」

「怖い」

「俺も」

「だから条件を読む」

 二人は作戦をもう一度、短く確認する。

 上段五で降りる。

 窓を残す。

 呼吸三で終了。

 ハルは屋根。

 赤い布を身につけない。

 連絡が切れたら、ロロが紙輿を止める。

 恐怖を消してから行くのではない。

 恐怖へ、やめる条件をつけて行く。

 紙輿が動き出す。

 人が担いでいない。

 灯網の引き糸が、空中の紙灯籠から紙輿を吊り、白階段へ運ぶ。

 エリアは内部。

 側面に淡緑の観測窓。

 ハルは屋根。

 赤いマフラーを腰へ巻き、夢の記号を減らす。

 ノクスが前を走る。

 カイルは地上で群衆を分散。

 ロロは停止索。

 セレナは命令経路。

 アサは十二段目へ向かう保安班の中。

 ソムナは夢療回線から全員へ退出線を配る。

 灯籠屋根が連なる。

 一枚目。

 二枚目。

 三枚目。

 紙輿が上がる。

 白階段の百八段が、夜の中で骨のように光る。

 上段五。

「今」とエリア。

 底板を外す。

 外れない。

「固定が追加されています」

「誰が!」ロロ。

「自動保護」

 紙輿の四隅から、新しい防刃糸が伸び、底を閉じている。

 エリアは地図槍を短槍へ変える。

 切る。

 一本。

 二本。

 左肺が狭くなる。

「呼吸」メイ。

「二」

「声が短い」

「二」

「三に近い二」ハル。

「勝手に小数を」

「二・七」

「正確」

 底糸、三本目。

 紙輿が上段七へ近づく。

 夢の位置。

 ノクスが急に進路を変える。

 上段七の裏。

 保守壁。

 塗料と蒼苦葉の匂い。

 誰かがいる。

「上段七、裏!」ハル。

 紙輿の窓越しに、エリアの瞳が動く。

 白い壁の継ぎ目。

 夢では見えなかった死角。

 警備を増やしたため、旧点検口が防刃板で隠されている。

 外からは閉鎖に見える。

 内側からは、紙一枚を切れば出られる。

「夢の死角」とエリア。

 回避計画が作った、新しい隠れ場所。

 底糸、最後。

「切れます」

 その瞬間、白階段の下で群衆が揺れた。

『予測犯行者、接近』

 配信灯。

 屋根を走る赤い布の少年が映る。

 ハル。

 保安員の視線が、一斉に上がる。

「止まれ!」

「違う!」

「刃物を捨てろ!」

 ハルの腰には救難小刀。

 夢の記号。

 保安矢が屋根へ飛ぶ。

 ハルは避ける。

 一歩、二歩。

 紙屋根が裂ける。

 エリアの紙輿が上段七へ到達する。

 底糸が切れる。

 だが、床は開かない。

 下から、別の固定棒。

「外側操作!」ロロ。

 上段七の死角から、人影が手を伸ばす。

 紙輿を、夢と同じ位置へ固定する。

 白い袖。

 左右で長さが違う。

 ベレト・カーム。

「保全官!」ユーディの声。

 ベレトが振り返る。

 穏やかな顔。

「動かさないでください」

 彼は言った。

「今、予測が完成します」

 完成。

 回避ではなく。

 予測を正しかったことにするための言葉。

 白階段の発生見込みが、八十二へ跳ねた。

 上段七。

 エリア。

 十二段目。

 アサ。

 屋根上。

 赤い布のハル。

 そして誰も見ていない死角に、夢を現実へ押す人間が立っていた。