第544話 第八章「戻せば元通りか」後編
完全再起動を選ぶ前に、ユーディは一時間の試験起動を提案した。
「矛盾」とソムナ。
「何が」
「一時間だけ戻すために、全結合を作る」
「本起動の半分の強度。医療、製パン、給水、子守、橋梁。五系統だけ」
「五系統が、感情と判断へつながる」
「切れない部分は表示する」
「表示すれば安全?」
「危険を知らず使うよりは」
技術者が条件を出した。
試験時間、六十分。
延長不可。
停止権限は、ユーディ、メイ、住民監査役の三者。
二者で通常停止。
一者で緊急停止。
再開には三者全員。
「住民監査役」とハル。
「誰」
イアが手を挙げた。
「夜荷区の利用者代表。私は戻してほしい部分と、止めたい部分が両方ある」
「利害がある」と受付官。
「利害のない利用者はいない」とセレナ。
「中立者を」
「影響を受けない中立者だけで決めれば、影響を受ける者の選択が消えます」
「では、利害を記録」
「はい」
監査役に利害があることを、欠点として隠さず、条件として書いた。
試験起動の前、町じゅうへ説明が流れた。
六十分後に必ず止まる。
戻った声を本人と断定しない。
依頼されていない判断は、過去習慣で補われる可能性。
危険を感じた者は、理由なく停止札を引ける。
「停止札を、子供も?」
「引ける」アサ。
「いたずら」
「止めた後に確認。いたずらと決めて先に無効にしない」
「一人が町全体を止める?」
「個別機能だけ。生命維持の緊急停止は医療者へ接続」
説明は長い。
住民は、薬を待ちながら読む。
読めない人へ、声。
声を聞けない人へ、色と触覚。
理解できたかを、はい/いいえだけで確認しない。
「自分の言葉で、何が起きるか」とセレナ。
老人が答える。
「ルメが戻る」
「一部訂正。以前の機能が試験的に再接続される。戻ったものが以前と同一かは未確定」
「難しい」
「では、これだけ。声が聞こえても、その人が帰ってきたと決めない。六十分で止まる」
「それなら分かる」
正確さは、長い言葉を使うことではない。
相手が間違えやすい場所を、短く残すことでもある。
中央灯塔で、赤い再接続札が点いた。
一枚。
十枚。
百枚。
町の灯りが、一度すべて暗くなる。
次に、声。
『お待たせしました』
若い女。
老人。
子供。
低い男。
一つの文を、複数の声が重ねる。
ハルの腕に鳥肌が立つ。
「ルメ?」
「応答名はルメ」とセレナ。「同一性は未確定」
「今、それ言える?」
「今だから」
診療所。
薬匙が止まる位置へ、白灯が出る。
ネラの手が動く。
「灰塩、ここ」
「自分で確認」とメイ。
「匙の縁。鍋の輪。匂い」
「ルメの灯りだけで決めない」
三人の薬師が同時に見る。
完成。
検査。
患者へ投与。
警報灯が一つ消える。
歓声。
メイは歓声へ背を向け、患者の脈を数える。
「効いた?」ハル。
「今は安定」
「成功」
「一人」
「減らす」
「正確にする」
朝窯街。
カナの肩へ、赤い灯が触れる。
『今、折って』
子供の声。
彼女の手が、迷わず動く。
「匂い、変わった」とカナ。
「自分で分かった?」ソムナ。
「言われた後なら」
「次は、言われる前に」
「急ぐな」
「うん」
パンが窯へ入る。
通りへ匂い。
泣く者がいる。
パンが戻ったからではない。
昨日まで当たり前だった匂いが、失った後に帰ってきたからだ。
給水塔では、弁が自動で開いた。
西区へ多く。
東区へ少なく。
「古い配分」とエリア。
「療養院優先」と技術者。
「東区の人口が増えた」
「更新依頼なし」
水を受け取る列で、東区の女が叫ぶ。
「また私たちが後?」
「試験停止」とハル。
「止めれば療養院の水が」ユーディ。
「二択にしない」とエリア。
路図を出す。
西区の予備槽。
東区の空桶。
荷車。
「ルメの自動配分を止め、二十分だけ手運び」
「遅い」
「でも、今の人口を見られる」
東区機能だけ停止札。
給水灯が消える。
小組が桶を運ぶ。
試験起動は、全部を使うためではない。
どこを止めても町全体が倒れないかを試すためでもある。
紙橋では、ルメの色が戻った。
高音の浮きへ赤。
安全な層へ青。
橋守が泣く。
「見える」
「判断は自分で」とロロ。
「赤なら閉じる」
「いつの赤」
「今」
「荷重。風。避難先」
「ルメが」
「聞いてねえ。お前は何を見た!」
橋守は怒る。
「耳が聞こえないから、色を頼んだ!」
「色を頼んだ。判断全部を頼んだか!」
「頼った!」
「今も頼る?」
橋守は、赤い層を見る。
通行者、十二。
風、弱い。
退避棚、空き。
「閉じる。全員を西へ」
「理由」
「赤層が中央。荷重が増える前に」
「記録」セレナ。
橋は閉じられた。
ルメの色を使い、人が判断した。
支援を残すことと、支配を戻すことは同じではない。
問題は、夜荷区で起きた。
ノナの家へ、魚灯が泳ぐ。
『靴は、右から』
イアの声。
本人の声紋。
イアが凍る。
「私の声を使う契約、止めたはず」
「旧契約が復元」と技術者。
「試験範囲に、声紋再現を入れてない」ソムナ。
「子守機能と分離できなかった」
「分離不能と説明した?」
「包括的感情代行を含む、と」
「それを、声が戻ると理解した人は」セレナ。
イアは首を振る。
「聞いてない」
「説明書には」
「読んだ。『感情代行』が私の声だと思わなかった」
ノナは魚灯へ走る。
「お母さん!」
「ノナ」
「止めないで!」
イアは停止札へ手を伸ばす。
子供が腕へしがみつく。
「あなたの声なのに、どうして嫌なの!」
「私が言ってないから!」
同じ声。
違う意思。
ソムナは、どちらかへ「正しい」と言わない。
「ノナ。魚の灯りと、声を分ける」
「分けたら、お母さんじゃない」
「今の声は、イアが今言った声じゃない」
「でも、前に言った」
「うん」
「前のお母さん、いなくなる?」
「記録は残る。今、使うかを選ぶ」
「残るなら、使って」
「イアは止めたい」
「私も選べる!」
「選べる。二人の選択が違う」
答えがない。
だから、緊急範囲だけ決める。
「今夜の見守りは人へ。魚灯は残す。声紋は停止。明日、また話す」
「ソムナが決めた!」ノナ。
「今夜の安全だけ。最後は決めない」
「嫌い」
「うん」
嫌われないための治療をしない。
イアが停止札を引く。
声だけが消える。
魚は残った。
ノナは泣きながら、魚を手で追った。
さらに、独居区で亡妻の声が戻った。
『お茶を飲んだ?』
老人が笑う。
『今日は晴れ。外へ出て』
外は紙雨。
「現在の天候参照が切れている」と技術者。
「古い晴天時の習慣で穴埋め」とセレナ。
老人は戸を開ける。
ハルが止める。
「雨」
「妻は晴れと言った」
「その声は、今の空を見てない」
「妻じゃないと言うのか」
言葉を選ぶ時間がない。
「妻の声を使った昔の言葉。でも、今の妻じゃない」
老人の顔が崩れる。
「分かってる」
「うん」
「分かってても、聞きたい」
「聞くことと、従うことを分ける」
「どうやって」
「声を残し、外出判断は隣人へ」
「子供扱い」
「自分で選んで」
老人は考える。
「声は、一日一回。天気と薬は人に聞く」
「記録」とセレナ。
支援は、全か無かではない。
試験開始から四十七分。
町の生活は、目に見えて戻った。
薬。
パン。
水。
橋。
子守。
同時に、戻してはいけないものも見えた。
古い人口配分。
無断の声紋。
本人確認のない判断。
亡者の習慣。
相談せず穴を埋める機能。
「成功か失敗か」とユーディ。
「両方」とハル。
「報告書は一語を要る」
「成功した機能、失敗した機能」セレナ。
「再起動全体は」
「評価を一つに圧縮しない」
「住民は投票する」
「何が戻るかを分けて示す」
「時間が」
「残り十三分」
六十分。
停止時刻。
メイは患者の薬が確保されたことを確認する。
イアは停止札へ手を置く。
ユーディは町を見る。
パンの煙。
水。
灯り。
「止めれば、また苦しむ」とユーディ。
「延長不可と説明した」とセレナ。
「緊急延長」
「終了時刻を、危機を理由に変えると、次も変わる」カイル。
「王子殿下。止めた後に死者が出れば」
「責任を負う。だから、薬と食料の代替へ王家人員を出す」
「人員でルメの全機能は」
「戻せない。だから、全部戻ったふりをしない」
イアが言う。
「止める」
メイ。
「止める」
二者。
ユーディが手を置かなくても、停止条件は満たす。
赤い糸がほどける。
声が、町じゅうで途切れる。
泣き声。
怒声。
誰かが叫ぶ。
「二度殺した!」
ユーディは反論しない。
試験は終了した。
終了できたこと自体が、一つの成果だった。
しかし、住民の多くが覚えたのは、戻った一時間の安堵だった。
完全再起動への票は、さらに増えた。
投票の途中、南橋が落ちた。
橋そのものではない。
点検が止まり、閉鎖された橋へ、配給を急ぐ群衆が集中した。
中央の紙梁が、規定荷重を超える。
手動鐘。
ラトが走る。
右手袋を外し、短刃の背を二度叩く。
「橋中央、七人! 下は灯籠川! 左右索を切れば中央床が落ちる!」
「止める?」ハル。
「人へ聞く暇、三秒!」
「切った後の落下先!」
「右側へ救難幕!」エリア。
路図を二層だけ開く。
左肺、二。
踵、二。
「三層目は」ハル。
「使わない。人流と幕、二つで足りる」
カイルが盾型籠手を開く。
「王盾炎は一度。痛み返し上限三」
「言った」メイ。
「一回、右索の反動だけ受ける」
「全部受けるな」
「半分」
「半分も多い」
「ロロ」
「橋の左索を残せ! 右だけ切れば床は蝶番になる!」
「中央の七人!」
「床が右岸へ倒れる。幕へ滑らせる!」
ラトが橋上へ叫ぶ。
「右索を切る! 床が傾く! 立てる人は左へ、立てない人は伏せる! 今、切る?」
七人の声が重なる。
「切れ!」
「待って!」
「子供が!」
待って、と言った女の足元に子供。
「子供を固定!」ハル。
屋根から跳ぶ。
補助索を右手で掛ける。
左肩へ全体重を預けない。
「掴む?」
女が子供を抱いたまま頷く。
「腰帯!」
ハルが二人の腰へ索を回す。
「ラト!」
「切る!」
短刃。
右索が断たれる。
橋床が傾く。
カイルの王盾炎が、反動を一度だけ受ける。
深紅の盾光。
肋部へ痛みが返る。
「三!」
「離せ!」メイ。
カイルが術を切る。
橋床は救難幕へ滑り、七人が紙の波に包まれる。
ハルは索へぶら下がらない。
右足を梁へ掛け、女と子供を幕側へ押す。
「先に行け!」
「あなたは」
「戻る条件、肩四!」
「今」
「三!」
「まだ」
「三!」
自分で報告する。
ラトが別索を投げる。
「掴む?」
「掴む!」
二人で引く。
全員、生存。
橋は半分失われた。
真相を知っても、橋は戻らない。
再起動を議論しても、今落ちる人は待たない。
救難後、投票箱が開く。
再起動、五十四。
分割復旧、三十一。
停止継続、九。
保留、二十七。
「再起動が最多」とユーディ。
「過半数ではない」とセレナ。
「保留を除けば」
「除かない」
「生命維持の判断が必要」
「保留票の中に、短期復旧へ賛成、人格完全復旧へ反対がある」とエリア。
「投票を一つにしたから」ハル。
「時間を理由にした」とユーディ。
彼女は失敗を他人へ渡さない。
「再投票を機能別に。だが、準備は続ける」
「完全再起動の準備を?」ソムナ。
「止まった時、選択肢を消さないため」
「準備が圧力になる」
「準備しないことも圧力だ」
二人は対立したまま。
ソムナは、治療者の権威で再起動を止めない。
ユーディも、危機権限で再起動を決めない。
その間に、賛成票は増えた。
パンが足りない。
薬師が疲れる。
橋が落ちる。
子供が眠らない。
苦しみは、議論の外から投票を押す。
完全再起動賛成が、過半数へ傾いた。