第547話 第十章「葬列を止めない」前編

見送ることと、捨てることは違う。

 残すことと、元へ戻すことも違う。

 人は、失いたくないものを止めようとする。

 動く棺。

 過ぎる時間。

 別れる人。

 しかし、止めたまま残せるものは少ない。

 花は枯れ、食べ物は腐り、言葉は場面を失い、制度は非常時の姿を日常へ広げる。

 見送るとは、なくしてよいと認めることではない。

 同じ形では続けられないと認め、その後を誰かと作ることだった。

「葬列を止めます」

 ユーディが宣言した。

 完全再起動賛成票が、機能別投票でも生命維持項目の過半数へ達した。

 中央灯塔へ棺を入れ、停止手順を逆転させる。

 パン、薬、橋、子守を優先。

 感情代行は個別確認。

 判断代行は停止したまま。

 分割案を混ぜた再起動。

「棺を止めたら、停止の途中で固定される」とロロ。

「だから逆転を始める」

「結合器、まだ試験一回」

「時間がない」

「その言葉で機械は丈夫にならねえ」

「では、失敗率」

「四割」

「完全再起動より高い」

「分割した分、未知が多い」

「完全へ戻す」

「待って」とハル。

 葬列の前へ立つ。

「止めない」

「理由」とユーディ。

「ルメを戻したいからって、葬式を途中で止めたら、ルメは仕事へ戻るだけ」

「町が必要としている」

「必要だから、休ませなかった」

「死んでいない可能性」

「だからこそ、本人の返事なしに仕事へ戻さない」

「返事を聞くために再起動が必要」

「仕事を全部渡して起こすんじゃなく、起きられる場所だけ残す」ソムナ。

「できる?」

「小灯へ分ける。機能は小組へ。ルメの名前と記憶は、仕事をしなくても残す」

「人格を労働から切り離す」とセレナ。

「法的地位がない」

「後で争う」

「今」

「今は、消去を完遂させず、全機能再接続もしない」ロロ。「紙灯を小型結合器へ分ける。葬列が一周する間に、道具と依頼札を各小組へ返す。最後の中央結び目だけ、空席として残す」

「成功率」

「五割」

「下がった!」ハル。

「でも失敗しても、全部が一度に戻らねえ。小組ごとに止められる」

「人命」メイ。

「薬と低血糖食は先に手動復旧。橋は閉鎖継続。葬列へ急がせない」

「一周、何時間」

「今の速度で二」

「薬」

「二時間持たせる」とメイ。「持たせるため、全員働く。終わった後に休ませる名簿も作る」

 ユーディの指が、紙を叩かない。

 即断型の人間が、決める前に手を止めた。

「住民へ再確認」

「時間」ハル。

「止めるかどうかを、一人で決めない時間は使う」

 広場で、ユーディが案を説明する。

 完全再起動ではない。

 完全消去でもない。

 葬列を最後まで行う。

 ルメが担っていた仕事を、途中の各区で小組へ返す。

 最後に残る人格記憶は、小灯へ分け、仕事を強制しない。

 説明は、一度では終わらなかった。

 大人へ一度。

 子供へ一度。

 字を読めない者へ、絵と道具で一度。

 夢灯網を使いたくない者へ、手動鐘と紙札で一度。

 同じ説明を聞くと過去の治療を思い出す者へ、別室で一度。

「同じ案なのに、言い方を変えたら別の案になる」とユノの遠隔鏡が指摘した。

「変えないと届かない」とユーディ。

「届きやすくした順番で、賛成を誘導する危険があります」

「あなたに言われると腹が立つ」

「正しい反応です」

「腹が立つことを正しいと言うな」

 ユノは、説明映像を一つに編集しなかった。

 文字版。

 音声版。

 触覚札版。

 子供向けの絵版。

 専門用語を残した原文版。

 どれかが本物で、他が簡略版という扱いもしない。

 相互に違う部分へ番号を付け、誰が変えたかを残す。

「この絵、ルメが笑ってる」とノナ。

 子供向け版には、灰衣の人影が描かれていた。

 ユノがすぐ、絵を外す。

「描いた者の想像です」

「消すの?」

「あなたが見たルメとは違う?」

「違う。でも、誰かはこう見たかも」

「では、想像と表示して残す」

「私の母さんも描く」

「描いてよい。ただし、他の人のルメを上書きしない場所へ」

 説明板の周囲へ、何十枚ものルメが並んだ。

 丸い顔。

 長い手。

 顔のない灯。

 歩く鍋。

 母親。

 老人。

 二人分の影。

 赤い糸だけ。

 共同人格を一枚の公式肖像へ固定しないという方針は、法理より先に、子供たちの画鋲で実行された。

 反対者もいた。

「分ければ弱くなる」と夜荷組合長。

「一つなら速かった」薬師。

「一人へ賃金を払えば安い」と商人。

「賃金口座を持たせればいい」と別の者。

「一人分の賃金で、町中の夜を買う?」メイ。

「設備費も払う」

「構成した住民の技能使用料、休息、医療、撤回後の生活支援は」

「細かすぎる」

「細かい仕事を束ねて、大きな便利に見せたのがルメです」

「町が潰れる」

「潰れないため、無給の誰かを作る?」

「理想で腹は膨れない」

「だから費用を数えてる。理想だから無料、とは言ってない」

 メイは小鍋の横へ、必要額を置く。

 夜間手当。

 交代要員。

 設備保守。

 患者負担軽減。

 失業補償。

 監査。

 休止中の小灯保全。

 合計は、旧ルメ会計の三倍だった。

「三倍!」ロロが叫ぶ。

「驚く側?」ハル。

「機械屋は予算が増えると喜ぶと思ったか! 払わない奴が増える!」

「旧費用が三分の一だったのではない」とメイ。「残り三分の二を、眠り、家族、身体、無記名労働で払っていた」

 歴史上、多くの都市は、道路や水道や夜警を作った時、それ以前に誰が無料で水を運び、病人を見張り、火を消していたかを記録しなかった。

 公共制度の誕生は進歩である。

 同時に、進歩の前に働いた者を「家族だから」「隣人だから」「女だから」「貧しいから」と無給へ置いた歴史を、完成した制度の光で見えなくする。

 夢灯都市では、その見えない労働が一つの名を持った。

 名を持ったから、人々は初めて悼んだ。

 だが名を持たせすぎれば、また何千人分の労働を一人へまとめる。

「金はどこから」と商人。

「危機予測事業の停止予算」とユーディ。

「十四日後は」

「利用料、事業税、王家拠出、夜市契約罰金。三か月の暫定」

「三か月後」

「再審議」

「保証がない」

「永遠の保証を、誰か一人の永遠の労働で買わない」

 拍手は少なかった。

 拍手が少ないことを、反対多数とは数えない。

 沈黙の中には、理解、疲労、拒否、保留、聞こえなかった者が混じる。

 投票札は、案への賛否だけでなく、葬列の途中で撤回できるよう切り取り線を付けた。

「進み始めてから変えたら混乱する」とユーディ。

「変えられないから賛成する人がいる」とアサ。

「変更受付を三地点。生命維持の接続後は、即時停止でなく次の安全地点まで」

「誰が安全を決める」

「小組と現場救難の二者」

「意見が割れたら」

「遅い方」

「急患」

「医療小組が期限付き優先」

「期限」

「十五分」

 答えるたび、案は複雑になる。

 複雑になるほど、実行は遅くなる。

 遅くなるほど、完全再起動は魅力的になる。

 それでも、複雑さを人の側から消すのではなく、運用の側へ引き受ける。

「決定」とユーディ。

 紙を三度叩く。

「葬列続行。機能分割。生命維持は手動先行。変更受付三。中央人格は労働義務なしで残す。失敗時は小組ごと停止。開始まで十八分」

「十八?」ハル。

「二十では長い。十五では準備不足」

「三分の歴史」

「今、作った」

「ルメは死ぬ?」ノナ。

 誰も、簡単に答えられない。

 ソムナが膝をつく。

「今のルメは、同じ形では戻らない」

「母さん、いなくなる?」

「歌と、言葉と、君が覚えている夜は残る。ルメ全部が母さんだった、と僕は言えない」

「嘘つき」

「うん」

「嘘じゃないって言った」

「君が母さんと呼んだことは嘘じゃない。でも、ルメの中には、他の人の手や声もある」

「分けたら、母さんどれ」

「分からない」

「じゃ、分けない!」

 ノナは棺へ走る。

 ハルが横へ並ぶ。

「止める?」

「聞かないで!」

「じゃ、止めない。隣を走る」

「邪魔!」

「右と左、どっちが邪魔じゃない」

「右!」

 ハルは右へ。

 棺へ着く。

 ノナは透明蓋へ両手を置く。

「母さん。起きて」

 返事はない。

 紙灯籠が、弱く明滅する。

「これ、返事?」

「決めつけない」とソムナ。

「何でも決めつけない!」

「うん」

「じゃ、何を決めるの」

「今夜、君が一人にならないこと」

「母さんじゃない」

「母さんじゃない人が、母さんの代わりを名乗らず、そばにいる」

 イアが前へ出る。

「私が」

 声が掠れる。

「灯りを一つ残す」

 ノナが振り返る。

「今まで言わなかった」

「夜に、いなかった」

「ルメは言った」

「知ってる」

「同じに言わないで」

「同じには言えない」

 イアは、ルメの重なった声を真似しない。

「私の声で、帰ってくると伝える。嫌なら、別の人を呼ぶ。遅れる時は、誰が代わるか先に言う」

 ノナは泣きながら、頷かない。

 拒否もしない。

 保留のまま、母の袖をつかむ。