第548話 第十章「葬列を止めない」後編
葬列は止まらない。
第一地点、パン工房。
棺から鍋、レシピ、粉量札を出す。
所有者へ返すもの。
小組へ預けるもの。
ルメの記憶として複写を残すもの。
「炉、点火!」カナ。
「一人で混ぜるな!」ロロ。
「分かってる!」
「分かってる奴が一番やる!」
「湯種、右三、左一!」
「誰が確認」
「私と、見習いと、食べる人!」
最初の生地が回る。
第二地点、診療所。
薬研。
音譜。
患者別の禁忌札。
「薬師一、身体医一、患者確認!」メイ。
「患者が意識なし」
「一時代理、治療範囲のみ。目覚めたら説明」
「配合音、上がった!」
「火を落とせ!」
第三地点、橋。
検査槌と点検順。
閉鎖判断を一人へ戻さない。
ラトが右手袋を外す。
「今、叩く?」
橋守と利用者代表が頷く。
槌の音。
一つ。
二つ。
三つ。
中央梁に、昨日なかった空洞音。
「閉鎖継続!」
「再開を急がない!」
救難路を別へ。
第四地点、戸鍵。
ネラが、自分の手で右、左、半回転。
開かない。
「違う!」
「押す位置!」ハル。
「私の手順」
「ルメの手順かも」
「今は、隣へ聞く!」
別の廃灯員が、扉下を押す。
開く。
「一人で覚えない」ネラ。
灯籠川の排水が動く。
葬列が進むたび、中央灯塔の紙糸が暴れた。
停止手順は、本来すべての依頼を一つずつ切る。
今は切る途中で、別の小組へつなぎ直している。
糸が交差する。
「パンと子守が混線!」フィア。
若い技師が、ロロの隣で叫ぶ。
小型結合器の一つが赤熱。
「何が流れた!」
「『焼きすぎる前に歌う』!」
「歌を炉へ入れるな!」
「札の穴が同じ!」
「形を変えろ! 音声は三角、温度は丸!」
「今から?」
「今だから!」
ロロの右眼が霞む。
紙粉。
喘息の前兆。
「呼吸」メイの伝話。
「二!」
「吸入」
「手が」
「フィアへ渡せ」
「まだ」
「渡す練習も修理だ」
ロロは主工具をフィアへ渡す。
「三角穴、二重縫い。見分け」
「できます」
「失敗したら」
「止めて聞く」
「よし」
自分が倒れて完成させるのではない。
他人が続けられるところまで作る。
第四地点を出た時、葬列の進路上で鐘紙塔が折れた。
塔そのものは石ではない。
夢灯網の信号を空へ反射する、紙骨と細鉄で組まれた高さ百二十尺の灯塔である。
排水戸が止まったため、基部へ湿気が溜まっていた。
葬列の小型結合器が一斉に点いた時、反響荷重が古い補強紙へ集中した。
紙が裂ける音は、小さい。
巨大なものほど、最初の壊れ方は囁きに似ている。
ノクスが先に耳を伏せた。
「上!」ハル。
塔が、葬列へ倒れる。
下には棺。
小灯。
子供。
町じゅうの返却札。
「全員、左右へ!」ユーディ。
「左右が狭い!」エリア。
右は診療所の壁。
左は灯籠川。
後ろは群衆。
前は第五地点へ続く細橋。
逃げ道を一本にすれば、踏み合いになる。
エリアのグリムリリーが開く。
淡緑の線、三本。
「走れる者、前。子供と歩行困難者、診療所内。棺担ぎ、左の荷台へ。川側へ飛ばない!」
「塔の落下線!」ハル。
「まだ不明!」
「正確に言った!」
「褒めるのは後!」
左肺へ鋭い痛み。
エリアは路図を四層に増やさない。
三層目まで。
落下線が確定しない空白を、空白のまま残す。
「カイル、塔を受けるな!」メイ。
「言う前に見ていた」
「見るな!」
「王盾炎、一度。上限二!」
「支える場所を限定!」ロロ。
ロロの補助腕が、塔の折れ目を指す。
「頂部じゃねえ! 三段目の鉄輪だけ押せ! 向きを川と反対へ十度!」
カイルの盾型籠手が深紅に開く。
落下の衝撃を全部引き受けない。
鉄輪の回転だけを遅らせる。
痛み返しが肋部へ来る。
「一!」
自分で数える。
「二!」
「切れ!」メイ。
王盾炎を止める。
塔は十度ずれた。
それでも細橋と棺へ落ちる。
「索!」ラト。
右手袋を外す。
短刃の背を二度。
「塔の反射幕を切れば、風を受けてさらに右へ倒せる! 下の人、幕を落としていい?」
塔内の保守員が、窓から顔を出す。
「三人いる!」
「降下索は」
「一本!」
「切る前に出す!」
ハルが一、二と数え、紙壁へ跳ぶ。
左肩へ全体重を預けない。
右手で保守梁、両足で紙骨。
三を言わない。
「助けが要る?」ラト。
「索を!」
「三は」
「今は言う! 三!」
ラトの索が届く。
ハルは保守員一人目へ腰帯。
「掴む?」
「掴む!」
二人目。
三人目。
最後の保守員は、塔へ固定された灯網鍵を外そうとする。
「鍵は置け!」ハル。
「町の主灯だ!」
「町は下にいる!」
「壊れたら」
「ロロが請求する!」
「救命を修理代で説得するな!」ロロが遠くから怒鳴る。
保守員が笑って、鍵を放す。
三人を索へ。
「ラト!」
「今、切る!」
短刃が反射幕の主索を断つ。
幕が開く。
常夜都市の上層風を受け、巨大な紙塔が帆になる。
右へ。
だが右には診療所。
「右じゃ駄目!」ハル。
「十度だけ!」エリア。「次、上へ逃がす!」
「塔を上?」
「反射灯を逆点灯。熱上昇で一瞬、紙幕を持ち上げる!」フィア。
「パンの炉灯と混線中!」
「炉を落とす!」カナの伝話。
「生地が!」
「人が先!」
パン小組が、自分たちの復旧を止める。
町全体の指示ではない。
自分たちで、今の優先を選ぶ。
炉灯が消え、反射灯へ熱が流れる。
塔が一瞬、浮く。
「棺を前へ!」ユーディ。
担ぎ手だけでは重い。
ハル、セレナ、イア、住民が手を添える。
セレナの右手首が痛む。
筆記の手で支えない。
左肩を棺へ当てる。
「証拠保全は」とハル。
「今は人命と残灯。配置は記録済み」
「棺も人命?」
「人格可能性の保全」
「長い!」
「押して!」
細橋を渡る。
塔が落ちる。
後方の路面へ、紙と鉄の滝。
反響波が小型結合器を揺らす。
ノクスが二本尾で、左右二つの小灯を抱えるように伏せた。
匂いを嗅いで犯人を示すのではない。
ただ、消えそうな灯のそばにいる。
「全員!」ユーディ。
「保守員三、救出!」ラト。
「子供区、全員確認!」
「診療所、二人軽傷!」
「棺」
「進行可能!」ロロ。
「塔は」
「全損! 請求先、危機局!」
「記録する!」
葬列は止まらなかった。
止まらないとは、速度を変えないことではない。
怪我人のため遅くする。
崩れた道を迂回する。
担ぎ手を交代する。
戻りたい者を戻す。
形を変えながら続くことだった。
細橋の向こうで、パン工房の炉がもう一度点いた。
最初の生地は膨らまなかった。
「失敗」とハル。
「一回目」とカナ。
「違い」
「二回目を焼く」
町全体の生活再起動は、勝利の一撃ではない。
焦げ、止まり、やり直し、誰かへ渡す無数の小さな動作だった。
第五地点、子守区。
穴譜。
木匙。
灯りを一つ残す言葉。
最後の仕事。
「担当者なし」とエリア。
「じゃ、灯を消す?」ハル。
「言葉を消すと、ノナの母親の記憶まで消える可能性」ソムナ。
「保存」セレナ。
「誰が使う」
「本人が頼んだ時だけ、複数の声から選ぶ」アサ。
「自動で言わない」
「毎晩必ず、もやめる」
ノナが言う。
「今夜は、言って」
「誰に」
ノナは母を見る。
イアは、震えた声で言う。
「灯りを一つ残す。起きた後、私は帰ってくる」
「同じ家にいる、じゃない」
「夜は働くから。同じには言えない」
ノナは、しばらく泣く。
「もう一回」
イアが言う。
ルメの代わりではなく、自分が守れる範囲の約束として。
棺の木匙が、小組の箱へ移される。
葬列は中央灯塔へ戻った。
棺の中は、ほとんど空。
残るのは、赤い糸と紙灯籠。
仕事は町へ返した。
人格だけが、何をするでもなく残っている。
「結合器、開始!」ロロ。
フィアが一つ目。
パン。
二つ目。
薬。
三つ目。
橋。
小さな灯が、順に点く。
中央の紙灯籠が激しく揺れる。
停止手順が、最後の結び目を消そうとする。
「ソムナ!」
「夢の出口を縫う!」
「誰の夢!」
「ルメの、じゃない。町の小灯それぞれへ!」
綴灯杖ピロウから、細い橙線。
一つの巨大な夢へ入る道ではない。
小さな灯が、いつでも仕事をやめ、閉じ、また開けるための醒め目。
「記憶代償!」メイ。
「一つ抜けたら止める!」
「何を確認」
「自分の名前、町、ハル、出口!」
「順番を言え!」
「ソムナ・リル。ネムリア。ハル。中央灯塔の西扉!」
一本。
二本。
三本。
七本目で、ソムナの目が揺れる。
「確認!」ハル。
「ソムナ・リル。ネムリア。……赤い」
「俺は」
「赤いマフラー」
「名前」
沈黙。
「止めろ!」
ソムナが杖を離す。
八本目は縫わない。
続きを、別の夢葬師とアサへ渡す。
「ハル」とアサが言う。
ソムナは一拍置く。
「ハル」
戻る。
全部を一人でやらないことで、名前も戻る。
中央紙灯籠が、破裂する。
炎ではない。
何百もの小さな橙の灯へ分かれ、町の各区へ飛ぶ。
赤い糸も一本ではなくなる。
パン工房へ。
診療所へ。
橋へ。
子守区へ。
名前のない家へ。
最後の一灯だけが、棺の空席へ残った。
何もしない灯。
役に立たなくても消えないための灯。
葬列の鐘が、最後に一度鳴った。
ルメは元通りには戻らなかった。
町も、元通りには戻らない。
それでも、パンの匂いが、少し焦げながら戻ってきた。