第662話 第七章「三つの計算」後編

 ロロの全体構造計算を、人の移動へ追従させる。

 一人が救難口を越える。

 荷重が二十六キロ減る。

 代わりに、救難索が上層柱へ三十キロ引張を足す。

 持続炉を運ぶ。

 下面から百二十キロ減る。

 上層昇降筒へ百八十キロ増える。

 猫が走る。

 二・八キロ。

「猫まで」とカイル。

「六匹と灰で十九・四」とロロ。

「正確!」

「一匹ずつ違う!」

 ノクスが模型の猫豆を一つ外す。

「何」

『灰は自分で歩いてる!』ハル。

「荷重位置更新!」

 模型は、生きている町へ近づくほど落ち着かない。

 数値が常に変わる。

「完成しない」とロロ。

「町が動いているから」とエリア。

「完成しない模型で決める?」

「更新条件を決める」

「何秒」

「五秒ごと」

「遅い」ニア。

「三秒」

「処理者がもたない」とセレナ。

「交代」

「誰」

 王立学院の計算科へ公開協力を求める。

 生徒、教師、卒業生、下面区の修理工。

 誰も全体データへは触れない。

 区画ごとの小計だけ。

 中央でロロとセレナが統合。

「情報を分けると遅い」とニア。

「一人で全部持つより止まらない」とロロ。

「誤差」

「公開する」

「責任」

「分ける」

「最終判断」

「そこが一人のまま」

 全員の視線がニアへ戻る。

 計算を分けても。

 記録を分けても。

 現場を分けても。

 停止ボタンだけは、彼女の指の下にある。

 ニアが三枚を見る。

「多数救命計算は、現在の登録者を優先する」

「お前の」とロロ。

「そうだ」

「全体構造は、生活改修を仮値にする」

「俺の」

「そうだ」

「未記録負荷は、痛みを持つ場所しか見えない」

「私の」とエメ。

「そうだ」

「どれが正しい」とハル。

「全部」とニア。

「じゃ、どれを使う」

「全部を単独で使わない」

「便利な答え」

「不便だ。統合に時間が要る」

「時間ない」

「知っている」

 ソウジが古い測量筒を開く。

 十五年前の王都下面図。

「これを足せる」

 ロロが寝台から覗く。

「古い」

「古い。だが、切断線の外に逃がし管が三本あった」

「今は二本埋まってる」バズ。

「一本は」

「共同浴場へ転用」サラ。

「つまり、図は正しいが現状ではない」ハル。

「そうだ」ソウジ。

「また使えない答え」

「使えない部分が分かれば、使える」エリア。「三本の逃がし先が必要だった、という設計意図は残る」

「今の逃がし先を三つ作る?」

「六つの可動節を、三組へ」

「時間」セレナ。

「二十一分」

 王都が揺れる。

 模型の白塔が一センチ滑る。

 現実では、王城北棟が三十二ミリ傾いた。

『上層避難列、学院橋で停滞!』

『下面医療区、持続炉一台停止!』

『中央炉応答、二・〇拍遅延!』

 情報は増える。

 答えへ近づくほど、救う対象も増える。

「ニア」とカイル。「王太子として、停止を命じる」

「非常手順上、無効」

「政治上は有効だ」

「機械が従わない」

「機械へ従わせる者は」

「私」

「一人」

「一人」

 セレナが停止盤を調べる。

「副鍵なし。監査鍵なし。住民同意欄なし」

「作る」とニア。

「何分」

「物理鍵なら五」

「五分で制度を?」ハル。

「制度ではない。暫定手順」

「五分で作った暫定が百年残る」とサラ。

「失効条件を入れる」カイル。

「誰が延長する」

「三者全員」セレナ。

「三者は誰」

 沈黙。

 一人で決めない、と言うだけでは権限は分かれない。

 誰へ渡すかを決める瞬間、また誰かが選ぶ。

 ニアは三枚の計算を見る。

「構造」

 ロロ。

「記録」

 セレナ。

「現場」

 サラ。

 エメが眉を上げる。

「私は」

「監査助言。鍵を持てば、痛みが投票になる」

「正しい」

「カイルは」

「王家を外す?」

「王家が作った非常手順を王家が停止する形にすれば、次の王家が再起動できる」

 カイルは拳を握る。

「腹が立つが、正しい」

「ハルは」とハル。

「現場へ戻れ」

「雑!」

「医療区の二十六人を、鍵の議論から消さない役」

「……受領」

 停止盤を、全員が一度ずつ試した。

 カイル。

『王家権限、除外』

 セレナ。

『監査権限、閲覧のみ』

 エメ。

『現場資格、該当なし』

 ロロ。

『年齢、資格、所属、いずれも不一致』

「年齢いらねえだろ!」

『評価語は受理しません』

「評価じゃなく抗議!」

 ハル。

『世界籍、不明。接続拒否』

「世界で弾く?」

『規格外』

「地球人差別!」

「規格に地球人がいないだけ」とエリア。

「結果が同じ!」

 サラ。

『住民は執行系統へ接続できません』

「切られる側は止められない」と彼女。

『安全確保のため』

「誰の」

 機械は答えない。

 最後に、ニア。

『主任機関士ピクス。全権限承認』

 彼女が指を置いただけで、停止、再起動、対象変更、切断幅修正が開く。

「便利」とハル。

「危険」とロロ。

「同じ」とニア。

「同じじゃない。便利だから危険」

 終端議会では、切断現場で迷う時間を減らすため、最熟練者へ権限を集中させた。

 判断の遅れで死者が増えた事故が、その制度を生んだ。

 制度が生まれた時の死者は、本物である。

 だから制度を批判すると、死者を軽視したと責められる。

 だが過去の死者へ敬意を払うことと、過去の対策を永遠に使うことは違う。

「私が意識を失えば」とニア。

『遠隔盤へ移管』セレナが読む。

「死んでも」とロロ。

「死亡登録では失効しなかった」とハル。

「私の身体を生体鍵として保存する可能性」

「言い方!」

「規則上」

「怖くないの」

「怖い」

「また即答」

「今は隠さない」

 ソウジが停止盤の旧型番号を見る。

「オルロイ号にも似た系統があった」

「父も一人権限?」ハル。

「船長代行へ航路変更権が集中した」

「使った?」

「使った」

「結果」

「乗員の一部を救い、一部の離船選択を遅らせた」

「正しかった?」

「当時の情報では、合理的だった」

「今聞いてる」

「一人へ集めるべきではなかった」

「合理的でも?」

「合理的な誤りは、次の人が真似しやすい」

 ニアがソウジを見る。

「一人で第三案を持つ傾向」

「ある」

「私と同じ」

「似ている」

「二人で納得するな!」ハルとロロ。

 声が重なる。

「親が勝手に消える側!」

「姉が勝手に切る側!」

「分類が違う」とセレナ。

「今そこ!?」

「違いを消すと対策も消えます」

 ハルとロロは互いを見る。

「でも腹立つ」とハル。

「そこは同じ」とロロ。

「同意」

 怒りの同盟は短い。

 だが、家族へ一人で答えを持たせないという点では役に立つ。

 三鍵の候補を選ぶ。

 王家を外す理由。

 旧制度へ再吸収されるため。

 ニアを外す理由。

 現在の権限集中本人であるため。

 ハルを外す理由。

 現場救難から離せず、世界籍規格も不明。

 エメを外す理由。

 痛みが重要な監査である一方、本人の過去損傷と構造負荷を分ける必要。

「外す理由ばっかり」とカイル。

「入れる理由も」とエリア。

 ロロ。

 構造模型を更新する。

 姉へ反対できる。

 負傷により現場へ行けないため、鍵位置を固定できる。

「最後、褒めてない!」

「配置上の利点」

 セレナ。

 記録を事実、不明、推論へ分ける。

 王家命令にも異議を出せる。

 操作記録を消さない。

 サラ。

 住民代表ではないと自分で言える。

 反対、保留、回答不能を先に読む。

 生活設備の損失を人数へ隠さない。

「三人とも、ニアへ好かれてない」とハル。

「選定条件?」カイル。

「私へ反対できることは条件」とニア。

「好かれてないは」

「評価不能」

「そこだけ弱い!」

 サラは鍵を受ける前に言う。

「私が住民全部の声だと思うな。時間がなくても、聞けなかった人の欄を残せ」

「残す」とニア。

「次の危機で、面倒だから代表一人で済ませるな」

「この手順へ失効を入れる」

「十二時間?」

「危機終了または十二時間の早い方」

「延長」

「三者一致」

「沈黙」

「同意にしない」

「記録」

「公開」

 サラは頷く。

「なら、鍵候補」

「まだ候補?」ロロ。

「使うたび聞く」

「面倒!」

「生きるため」

 ロロが笑う。

「採用」

 ニアは停止盤を見つめる。

 機械は彼女だけを正しい者として待っている。

「私が権限を分ける」と言えば、分ける者としてまた自分を上へ置く。

 だから彼女は、三人へお願いしない。

「三者へ、私を止める権限を要求する」

「要求?」ハル。

「私が欲しい」

「何を」

「一人で正しくならない仕組み」

 ロロは目をそらす。

「それ、今さら」

「今さらだ」

「断る権利」

「ある」

「じゃ、今は受ける。期限付き」

「受領」

 ニアは三本の金属片を切り出す。

 まだ能力は使わない。

 物理刃。

「三者の鍵でのみ行う切断〈トライ・ロック〉を、停止にも適用する」

「既存術の反転運用」とセレナ。

「切断も停止も三者。失効は危機終了または十二時間。延長は三者一致。沈黙は同意に数えない」

「住民鍵の代表性」とサラ。

「あなたが全住民を代表するとは扱わない。現場へ不可逆損失がないことを確認する鍵」

「反対意見を読む時間」

「毎操作前、三十秒」

「短い」

「危機手順」

「記録する」

「受領」

 ロロが寝台を起こす。

「俺、立てる」

「立つ必要はない」とニア。

「鍵は物理だろ」

「手が届けばよい」

「子供扱い」

「負傷者扱い」

「姉扱いすんな」

「していない」

「してる声」

「生来だ」セレナ。

「お前が言うな!」

 笑いは一秒。

 切断予定まで十八分。

 ニアが停止盤へ手を置く。

『停止権限――主任機関士ニア・ピクス』

「現状確認」とセレナ。

『同一人物による停止・再起動が可能』

「暫定三鍵を追加」

『追加権限は認めません』

「現地修正者権限」

『修正範囲外』

 ニアの瞳が細くなる。

「なら命令網を切る」

 六本の補助腕が起きる。

 ロロが叫ぶ。

「一人でやるな!」

「切れば、遠隔盤も私も再起動できない」

「戻せない!」

「止まる」

「正しい一人になってる!」

 ニアの腕が止まる。

 その一瞬、切断盤が鳴った。

『現地停止要求、競合中』

『執行権限保持者――ニア・ピクス』

『停止権限保持者――ニア・ピクス』

『再起動権限保持者――ニア・ピクス』

 同じ名が三度並ぶ。

 事故の原因が一人ではなくても、事故を止められる人間を一人へすれば、歴史はその人を英雄か犯人にする。

 ニアはその仕組みを作る側にいた。

 利用する側にもいた。

 今日、止める側に立っている。

 停止権は、彼女一人にしかなかった。

 それが、三つの計算に共通して書かれていない最大の負荷だった。