第729話 第五章「予知ではない書式」前編
予言は、外れた時に言い訳を必要とする。
天候が変わった。
祈りが足りなかった。
神が慈悲を示した。
読み手が象徴を誤った。
命令書は、外れた時に責任者を必要とする。
誰が条件を決めた。
誰が承認した。
誰が実行した。
誰が止められた。
予言と命令書は、紙の上では似ている。
どちらも、まだ起きていないことを書く。
違いは、未来を見たかではない。
未来へ人を押したかである。
【現実/八室迷宮・保守路前広間/覚醒/アムナ帰還から十二分】
「紙を並べます」
セレナは言った。
「先へ行かない?」ハル。
「先へ行くために止まります」
「俺が言うと褒められるのに、セレナが言うと職務命令になる」
「信用の蓄積です」
「俺にもある!」
「借金なら」とロロ。
「修理工にだけは言われたくない!」
円形広間の中央へ、死亡記録を六枚。
紙の材質は同じではなかった。
ハルの記録は、地球のノート紙に似た繊維。
エリアは王立公文書の薄い星絹紙。
カイルは王家命令用の耐火紙。
ロロは工房の油紙。
セレナは星律院の証拠封紙。
ノクスは、紙ではなく黒い獣皮に似た膜。
「読む者が信じやすい媒体を選んでいる」とセレナ。
「俺だけ安そう」とハル。
「事実として、最も安いです」
「今、値段の証拠いる?」
「比較材料です」
ロロが油紙を灯りへ透かす。
「油染みまで工房用。でも、匂いはない」
「外見へ寄せ、感覚情報は省略」とエリア。
「視覚を優先する施設?」カイル。
「断定できません。ノクスの記録は匂いを使う可能性がある」
ノクスが自分の黒膜を嗅ぎ、くしゃみをした。
「嫌い?」ハル。
「本人の反応は、くしゃみ一回」とセレナ。
「感情を削ると急に診療記録!」
セレナは紙の裏へ光を当てる。
透かし。
予見記録。
執行前様式。
標準対象。
「予見って書いてる」とカイル。
「表題は機能を証明しません」
「王太子令って書けば王太子令じゃないのか」
「偽造文書は、表題から偽造します」
「法官の会話は夢がない!」
「夢の所管は第五環です」
「そういう意味じゃない!」
セレナは六枚を時刻順ではなく、欄順へ切り分ける。
第一欄、対象識別。
第二欄、発動環境。
第三欄、観測された標準行動。
第四欄、誘導行動。
第五欄、停止条件。
「死亡欄は第五」とアムナ。
「結果欄の位置ではない」とエリア。
「死は目的ではなく停止条件?」ハル。
「少なくとも書式上は」
「人を死なせる機械が、死を後片付けの条件に置いてる」
セレナは古い星律語の接続符を示す。
「ここ。『その後』ではありません。『条件が満たされた場合』です」
「文字が似てる」とロロ。
「一画違います」
「一画で死ぬのかよ」
「一画を読まない者が死を未来だと思う」
ハルが目をこする。
「古文書、苦手」
「だから、読めない人にも検証できる証拠が必要です」
セレナは各欄の数字を読む。
確率ではない。
過去に同じ手順を選んだ回数。
ハル、単独先行九十四。
エリア、自己残留三十一。
カイル、最大盾二十六。
ロロ、最終点検への単独帰還四十八。
セレナ、欠落記録への追加照会七十三。
「そんなに戻ってない!」ロロ。
「工房、列車、艦隊、都市配管。『最終点検』の分類が広い」
「便利にまとめやがった」
「分類基準が公開されていません」
アムナが問いを変える。
「選ばなかった回数」
欄はない。
「行かなかった救助。描かなかった地図。使わなかった盾。戻らなかった機関。埋めなかった空白」
「不作為は記録しにくい」とセレナ。
「でも、記録にあるものだけで人を作ると、したことしかない人になる」
人間は、毎日、無数の行動を選ばない。
殴れる時に殴らない。
秘密を言える時に言わない。
帰れる時に残り、残れる時に帰る。
選ばなかったものは見えない。
見えないものをゼロと扱えば、予測は過去の大きな行動だけで人を狭くする。
「まず仮説」とセレナ。
一、未来予知。
二、過去行動の統計。
三、死亡記録を読んだ反応まで含む誘導。
四、対象の内心を直接読む。
「四は?」カイル。
「証拠なし。もし内心を読めるなら、ハルが役割を口にする前から内容を記録できたはず」
「でも『単独修理を選択』は、ロロが言いかけただけで出た」とエリア。
「発話前兆、身体動作、過去率からの推定で説明可能」
「俺の補助腕、顔より正直」とロロ。
「改善しろよ」とハル。
「感情を隠すための腕じゃない!」
仮説を捨てず、順位を付ける。
未来予知はまだ完全には否定できない。
しかし予知を仮定しなくても、今までの現象を説明できる。
謎を解くとは、派手な答えを選ぶことではない。
少ない仮定で、同じ数の傷を説明することである。
ハル。
エリア。
カイル。
ロロ。
セレナ。
ノクス。
アムナは白紙。
紙は未来を語る顔をしていた。
時刻。
場所。
手順。
死亡確認。
セレナは文章を横へ切り分ける。
「動詞を見ます」
確認する。
進入する。
選択する。
保持する。
残留する。
遮蔽する。
記入する。
「未来形がない」とエリア。
「アステリア共通空語では、時制を補助語で示す。ここには未来補助語が一つもありません」
「でも死亡時刻は未来だった」とカイル。
「時刻欄は予定欄です」
「予定された死!」
「感情的な要約は後で」
「王太子の感情に順番札を付けるな!」
セレナはハルの最初の記録へ線を引く。
救助対象を確認。
最短経路へ単独で進入。
三拍跳躍の第三拍を省略。
「命令形でもない」とハル。
「主語もありません」
「俺の名前が上にある」
「名札と手順書が接続されているだけです」
セレナは、ロロの記録を重ねた。
機関異音を確認。
作業者を退出させる。
主軸停止を拒否。
一次弁を手動保持。
「性格評価がない」とアムナ。
「優しい、頑固、勇敢、愚か。そうした語は一つもない。過去の行動から作る予測型〈ビヘイビア・フレーム〉です」
意味仮名が、古い書式の内側へぴたりとはまる。
「人の選択を組んだ死亡記録〈デス・スクリプト〉」
セレナは正式名称を読んだ。
「未来を知る紙ではありません。条件が与えられた時、その名札の人物が実行する確率の高い標準手順。罠は手順に合う舞台を作り、記録を読んだ私たちが回避しようとする手順まで追加する」
「じゃあ時刻は?」ハル。
「舞台の稼働予定」
「場所は?」エリア。
「標準環境の名称」
「死亡確認は?」ロロ。
「停止条件」
言葉が冷える。
死を確認して罠が止まるのではない。
死亡扱いにする条件まで実装している。
「結果を本当に確認した?」アムナ。
短い問い。
セレナの右手が止まる。
「機関室」ロロ。「俺が出た後、爆発した。黒板は死亡欄を消した。でも、中を見てない」
「橋も」とハル。「俺が落ちたかじゃなくて、三つ数えたか、索を変えたかを取ってた」
「結果より行動」とエリア。
「一方向」とロロ。
「何が」とカイル。
「記録から罠へは命令が行く。罠から記録へ、死体の確認は戻ってないかもしれない」
セレナは紙の端へ、初めて大きな空白を残した。
結果確認――不明。
証拠庫の扉が開いた。
セレナの名を読んだからである。
中には、棚。
黒い羽根。
封筒。
透明箱。
そして一枚だけ欠けた証言図。
「私の部屋」
「入る?」ハル。
「全員で」
「即答」
「学習しました」
「施設と同じ言い方!」
証拠庫の中央台へ、七つの事件名が浮く。
月冠祭。
落第門。
十三番書架。
嵐庭園。
白環杯。
千艘港。
翼鯨競売会。
さらに、下へ続く。
幽霊艦隊。
台風金庫。
走る森。
百獣祭。
死王谷。
空域脱皮。
彼らが通ってきた場所。
名前を読むだけで、傷が順番に疼く。
「全事件?」カイル。
「まだ一部」とセレナ。
証拠庫の箱は、事件を保存していなかった。
事件から、人の手順だけを剥がしていた。
月冠祭の箱には、王都が落ちかけた空の色も、祭りの音楽もない。
ハルが何秒で走り、誰へ何を頼み、どの順で索を替えたかだけ。
落第門には、不合格となった生徒の悔しさも、マオが装具を締め直した音もない。
ティアが規則を止めるまでに何条を口にしたかだけ。
十三番書架には、翼亀の腹から見えた雲も、失われた記録の名もない。
セレナが空白を何分保留したかだけ。
「世界が消えて、手順だけ残る」とエリア。
「人間を作戦表へ圧縮した」とカイル。
ロロが自分の箱を探す。
台風金庫。
切り離される王都。
十五年前から落ちた船。
ニアの名が、何度も隣へある。
切断提案。
荷重計算。
権限委譲。
再確認。
「姉弟って分類はない」
「必要?」ハル。
「罠には要らない。俺には要る」
ロロは箱を閉じる。
セレナの棚には、自分の左眼の悪化や右手首の痛みが数値で残る。
痛い時に証羽を何枚減らしたか。
減らさず使った時、誰が止めたか。
「身体制限も入力」とエリア。
「能力を使う条件だけでなく、使えなくなる条件も」
「わざと左側へ証拠を置けば、セレナは近づく」とハル。
「近づく前に、他者へ確認を頼むよう更新されています」
「成長が入ってる」
「だから次は、頼んだ相手の視界を罠へ使う」
声は平坦だが、右手首を左手で押さえている。
「怖い?」ハル。
「はい」
セレナは即答した。
「自分の判断が予測されることより、私へ証拠を渡した人の行動まで、私の履歴として利用されることが」
壁の向こうの九人が、証拠庫の外周窓へ現れる。
薬車が紙を掲げる。
私たちの記録もある?
セレナは答えを急がない。
「検索してよい範囲を、本人へ聞く必要があります」
窯番号の男が、首を振る。
検索しない。
保留の人は、手を横へ。
今は決めない。
「承知」
全事件台帳へ近づいても、全てを見る権利は得ない。
その原則を守ることは、真相へ届く速度を落とす。
遅さには代償がある。
だが、速さのために他人の過去を開くなら、この施設と同じになる。
セレナは検索盤へ封印札を貼る。
「当事者同意なしの個人検索を停止」
黒板が光る。
調査効率低下。
死亡確率上昇。
「脅してる」とハル。
「数字は命令ではありません」
「でも怖くなる」
「怖いまま、範囲を守ります」
棚の奥へ、もっと古い題名。
王権発足前。
七空域分離前。
初代星脈炉事故。
移動名簿制度試験。
反抗者標準行動・第一版。
「反抗者」とハル。
「誰に対する?」
「記録へ従わない者」とアムナ。
棚の札。
反抗者は、禁止を破る。
反抗者は、弱者を優先する。
反抗者は、証拠を公開する。
反抗者は、権限を疑う。
反抗者は、仲間を見捨てない。
「褒めてる?」カイル。
「罠用の分類」とエリア。
「正しいことをする人ほど、狙いやすい」ハル。
「正しい、ではありません」とセレナ。「反復することです」
彼女は月冠祭の箱を開く。
ハルが王子救出へ走った順序。
エリアが経路を一つへ絞った時刻。
カイルが王盾炎を最大化した人数。
ロロが損傷部へ戻った回数。
セレナが欠落証言を推定で補わなかった欄。
「最後のは、外せた行動」とハル。
「それも記録されています」
「成長も材料」
「はい」
セレナは箱を閉じる。
「だから、逆の人格を演じるだけでは駄目です。ハルが人を見捨てる。エリアが地図を描かない。カイルが守らない。ロロが直さない。私が証拠を捨てる。それは人格を壊すだけで、罠の分類を一つ増やす」
「じゃあ何を変える」とロロ。
「手順」
アムナが答えた。
「自分を、捨てない。順番を、渡す」