第772話 第二章「王家の証言」後編

【砕けた歴史都市/王家版・戦勝文書庫/覚醒/石王再演停止から二十八分】

 文書庫に、紙はなかった。

 薄い金属板。

 焼成粘土。

 木簡。

 王家の正史は、燃えた時代ごとに素材を変えていた。

「紙だけ燃えたから?」ハル。

「紙が弱いから、ではない」とセレナ。「紙へ書いた人間が、火災後に書き直せた。金属板は残るが、重い。粘土板は割れる。素材ごとに改竄しやすい場所が違う」

「改竄前提?」カイル。

「訂正も同じ技術です」

「言葉の服が同じすぎる」

「目的と手続を分けます」

 カイルは王家の旧印を知っている。

 印の形だけではない。

 印を押す前に、板の右下を爪で一度なぞる癖。

 公文書係が乾燥を確かめるための、王家独特の手順。

「これは本物の王家工程」と彼。

「内容の真実性とは別」とセレナ。

「分かってる」

「確認」

「君、本当に僕へ厳しいね」

「立場が証拠を増やす時ほど」

「立場は証拠を増やさない。アクセスを増やすだけ」

 セレナが一瞬、目を上げる。

「その訂正は採用します」

「褒められた?」

「文言を」

「本人を褒めて」

「保留」

 第一板。

『我、レグルス。七つの空域より救難の全権を受ける』

 その下に、受領印が八つある。

 王家。

 軍。

 市民評議。

 機関士会。

 竜守。

 航図院。

 物資院。

 八つ目は、印面だけ削られている。

 位置は残る。

「七空域なのに、八印」とハル。

「組織数。空域数とは一致しない可能性」とセレナ。

 第二板。

『我、レグルス。全権を七心へ分け、各地の負担を均す』

 署名欄は八。

 押印は八。

 削られた一つを含む。

 第三板。

『我ら、戦時統合会議は、七心の接続を承認する』

 主語が変わる。

「ここ」とカイル。

 我。

 我。

 我ら。

 単数から複数へ。

 しかし署名欄は七つ。

「人が増えた文で、一人減った」とハル。

「署名主体が王一人から七機関へ変わっただけ、という説明はできる」とセレナ。

「できる?」

「形式上は。ただし第二板の八機関と、第三板の七機関が同じ会議なら、一機関の退出記録が必要」

「ない」とカイル。

 第四板。

『我ら、七つの証言者は、戦争の終結を確認した』

 七署名。

 第五板。

『我らは、一人の王のもとに結ばれた』

 七署名。

「文法が後ろ向き」とエリア。

「何が」

「最初は王が全権を受ける。次に全権を分ける。最後は七者が王のもとへ戻る。分散して、再集中している」

「戦時の一時措置が、終戦文で恒久化」とセレナ。

「王家史では、統一が平和を作った」とカイル。

「実際は」ハル。

「統一したから平和になったのか、平和になった後に統一を正当化したのか、まだ不明」

 カイルは第五板を見た。

 自分の家が、千年守ってきた文である。

 国はこの一文を祭りで唱える。

 子供は学校で暗唱する。

 王太子は戴冠前に、同じ文へ手を置く。

「壊したい?」ハル。

「壊したら、なかったことにできる」

「守りたい?」

「守ったら、正しいと思われる」

「じゃあ」

「並べる」

 カイルは、自分の記録板へ写す。

 原文。

 削られた印。

 主語の変化。

 署名数の減少。

 訂正文ではない。

 原文を消さず、疑問を横へ置く。

「王家の恥を残す?」アムナ。

「王家の物だと決めない。被害を受けた人の証拠でもある」

「名前が戻ったら、王家は謝れる?」

「謝る主体を王家だけにすると、他の七署名が逃げる」

「逃げさせない?」

「僕も逃げない」

 カイルは笑わない。

「でも、千年前の罪を僕一人へ押しつけるのも違う。血が近いから責任を全部継ぐ、は、別の受け皿を作る」

 アムナは一度だけ頷く。

 記録は、人を責任へつなぐ。

 つなぎすぎれば、血縁や役職へ無限に固定する。

 誰が何をしたか。

 誰が今、何を直せるか。

 誰が直す権限を持つか。

 三つは同じではない。

 文書庫には、後世の修正も残っていた。

 千年前の板へ直接書き足したのではない。

 薄い透明樹脂を重ね、その上へ注釈を刻む。

 第一層。

『我ら、七証言者』

 第二層。

『七証言者とは、七空域の正統代表をいう』

 第三層。

『削除された印は、重複した事務印と推定する』

 第四層。

『異説は王権統合を損なうため、教育用文書へ掲載しない』

「推定が、次の層では禁止理由になってる」とハル。

「推定、仮説、教育上の判断。別々の文を重ねた結果、事実みたいに読める」とセレナ。

「誰が書いた」とカイル。

「年代は三百年幅。署名は王家史編纂局。個人名なし」

「王家が削除した」

「機関として」

「その機関を作ったのも、予算を出したのも王家」

「あなた個人ではありません」

「分かってる。でも、個人じゃないと言うだけで誰も立たなくなるのは嫌だ」

 カイルは樹脂層を剥がさない。

 削除の歴史も証拠だからである。

「訂正するなら、どこへ」とハル。

「原板の横。上へ重ねない」

「なぜ」

「次の人が、訂正文だけを原文だと思わないように」

「王家の正史を横へ追いやる?」

「同じ高さへ置く」

「それ、王家には下げたように見える」

「高すぎたものを同じ床へ置くと、落とされたと感じる」エリア。

「公女が言うと重いね」

「あなたも王子でしょう」

「だから重い」

 文書庫の床が、二人の会話へ反応する。

 王家の血を持つカイルの足元だけ、白く光る。

 魔法ではない。

 古い圧力板が王家印の籠手を読み、機械錠を開く。

 他の者の床が、一段下がる。

「身分差が物理!」ハル。

「王家認証」とロロ。「籠手を外せ!」

「外すと床が戻る?」

「試す!」

 カイルが右腕の盾型籠手を外す。

 肋部へ負担を掛けず、左手で床へ置く。

 白い光が消える。

 しかし他の床は戻らない。

「認証後、特権固定」とセレナ。

「取り消し手順は」

 壁へ小さく刻まれている。

『王家本人の退室により解除』

「僕が出れば、みんな上がる?」

「王家がいない時だけ平等」とハル。

「すごく嫌な制度」

「設計者は、王族を守るため他を低くした」とロロ。

「守られる本人が解除できない?」

「退室しかない」

 カイルは出口を見る。

 自分だけ出れば解除できる。

 その間、王家記録の調査から王家当事者が外れる。

「二択」と彼。

「出るか、みんなを低くするか」とハル。

「作る」とロロ。

「何を」

「退室したと機械へ思わせる」

「偽装?」セレナ。

「籠手の認証板を出口へ運ぶ。本人の生体じゃなく、籠手だけ読んでる」

「制度の穴を使う」

「制度が本人と道具を同じだと思ってる穴」

 カイルは籠手を出口の外へ索で送る。

 圧力板が解除される。

 全員の床が同じ高さへ戻る。

「王家本人は残った」とハル。

「制度上は退室」とセレナ。

「僕、王家を退職?」

「籠手だけ」

「王位が腕一本分!」

「元から権限を道具へ預けすぎ」とロロ。

 同じ高さへ戻った瞬間、石像の百二十七体が一斉に顔を上げた。

 王家認証が消えたためではない。

 床の重さが均等になったことで、像の視線機構が再計算されたのである。

 これまで全員が王だけを見ていた。

 今は、互いを見ている。

「演出が急に民主的」とハル。

「機械は民主主義を理解してない」とロロ。「荷重が同じだから、顔が中央へ戻っただけ」

「結果だけ見ると、立派」

「立派な結果へ立派な意図を足すな」セレナ。

 カイルは出口の外へ送った籠手を見る。

 王族であることを捨てたわけではない。

 王家の認証を、自分の身体と同じ場所から一時的に外しただけである。

「籠手を戻せば、また床が下がる?」

「同じ位置へ戻せば」とロロ。

「じゃあ王家の権限は、使わない善意じゃなく、使うと何が起きるか見える構造にしないと」

「王家へ帰ったら改装する?」ハル。

「一つずつ。王宮の床を全部壊す予算はない」

「夢が現実の見積書に負けた」

「夢へ見積書を付けない王は、誰かへ請求書を隠す」

 カイルは、籠手を外へ置いたまま文書庫へ進む。

 右腕が軽い。

 同時に、守れない不安が増す。

「盾なし、怖い?」エリア。

「怖い」

「戻す?」

「戻せる。今は戻さない」

「権限を持つことと、使うことを分けた」

「採点?」

「観測」

「それ、褒めない時の便利語だよね」

 王太子は笑う。

 床の下で、古い留め金が一度だけ外れた。

 権限の高さをそろえたことで、これまで王家の足元に隠れていた何かが開こうとしている。

 同じ高さへ戻った床の下に、隠し棚が現れる。

 そこには、戦時救難記録があった。

 始祖王レグルスが、自ら王盾を持って崩落橋を支えた記録。

 負傷者四百十二人を退避させた記録。

 右腕骨折。

 三日間の意識喪失。

「王は、本当に救ってる」とハル。

「英雄部分まで偽物じゃない」とカイル。

「だから一人で救った話が強く残った」とセレナ。

 事実の英雄行為。

 後世の単独英雄化。

 前者があるから、後者は見抜きにくい。

「悪い王だった、で終われない」とハル。

「良い王だった、でも終われない」とカイル。

 彼は救難記録も写す。

 王家の功績を消さない。

 功績を、他者の削除へ使わせない。

「戴冠式で読む?」エリア。

「削られた印の方も?」

「両方」

「式典が長くなる」

「王家の歴史は長いでしょう」

「招待客の腰が死ぬ」

「椅子を増やして」ハル。

「空席も一つ」アムナ。

 カイルは返事をしない。

 まだ、その空席へ誰を置くか決めない。

 名前の分からない者を、王家の物語へ勝手に招待しないためである。

 文書庫の最奥に、戦時王冠があった。

 冠と呼ぶには大きい。

 人の胸ほどある黒金の輪。

 外側へ七つの突起。

 内側へ、布を固定した穴。

「戴くというより、入る」とロロ。

「王を大きく見せる祭具かも」とカイル。

「頭が入らねえ。肩まで入る」

「玉座へ固定して、その中へ王が座った?」エリア。

「可能性」とセレナ。

 王冠は台座へ倒れている。

 触れず、周囲を測る。

 底に、八本の固定索痕。

 外側の七本は太い。

 内側の一本だけ細い。

「また八」とハル。

「八を見つけたい状態になっている」とセレナ。

「注意する」

「見落とすな、でも増やすな」とアムナ。

「難しい」

「記録は難しい」

 ノクスが王冠へ近づく。

 鼻を寄せない。

 終端環では、破られた約束の匂いが薄い。

 代わりに前脚で床を叩く。

 こん。

 こん。

 こん。

 王冠の内部から、半拍遅れて振動が返る。

 ロロが耳を当てようとする。

「触れるな」とセレナ。

「聴診棒!」

 細い木棒を当てる。

「中、空洞七つ。中央……空洞じゃない。柔らかい層が詰まってる」

「布?」

「樹脂。皮脂もあるかも。採取は後」

 カイルが冠の内側へ鏡板を差す。

 焦げパン三号。

 二号は第一章で市場の梁に挟まったまま回収中である。

「修理工の命名史、食事だけ」とカイル。

「空腹で作るからだ!」

 鏡の中に、細い傷が映る。

 一。

 二。

 三。

 縦の傷。

 横に、浅い弧。

 大人の工具痕ではない。

 切削方向がばらばらで、先端が丸い。

「爪」とセレナ。

「断定は」ハル。

「幅、深さ、樹脂のめくれ。工具より爪の可能性が高い」

「何人分」

「爪幅は一種類。小さい」

 カイルの喉が鳴る。

 王冠の内側。

 頭ではなく、肩まで人を入れる大きさ。

 七本の太い固定索。

 一人用の細い案内索。

 子供の爪傷。

 王家の正史は、一人の王が七空を救ったと記す。

 その王冠の中で、名のない子供が外へ出ようとしていた。