第771話 第二章「王家の証言」前編
王という職業は、単数形で書かれる。
王は決めた。
王は戦った。
王は救った。
これは王だけが一人だからではない。
決定の責任を一つの名へ集めれば、命令を速く出せるからである。
速い命令は、災害の前では人を救う。
戦争の中では人を殺す。
戦後の歴史では、速さだけを残し、誰が遅れたかを消す。
王権とは、冠をかぶる制度ではない。
複数の動詞を、一人の主語へ押し込む制度である。
だから王家の正史を読む時、見るべきは王の名ではない。
王の横で、主語から落ちた人間の数である。
【砕けた歴史都市/王家版・白冠大路/覚醒/帰り皿発見から十七分】
砕けた歴史都市は、受け入れ方まで王家らしかった。
門が開いた。
敷物が敷かれた。
金の鐘が鳴った。
そして、道の両側に百二十七体の石像が並び、全員が同じ王へ頭を下げた。
「歓迎が圧迫面接」とハル。
「王家の公式行事は、人数が多いほど一人で来た気分になる」とカイル。
「経験者の嫌な説得力」
「僕の戴冠式はまだだから、未来形の嫌さだよ」
「未来を確定しないで」エリア。
「王太子の戴冠を未確定扱いすると、国内で問題になる」
「王位継承と生存を同義にする方が問題」
「恋人みたいに心配してくれる?」
「統計対象として」
「恋が表計算に負けた」
「表計算は少なくとも、列を勝手に王冠へしない」
「今日のエリア、王家に強いね?」
「建物が自分で褒めているから、均衡を取っているだけ」
白冠大路は、褒めすぎていた。
壁画の第一面。
一人の王が、七つの空を両腕で支える。
第二面。
一人の王が、竜の七心を鎖で結ぶ。
第三面。
一人の王が、軍と民の間へ立つ。
第四面。
一人の王が、終戦文へ署名する。
絵の隅には機関士も、運搬人も、負傷兵もいる。
しかし顔がない。
手だけ。
背中だけ。
道具だけ。
歴史画は、背景へ置いた者ほど仕事をさせる。
「この王、何代前」とハル。
「千年前のルーメン始祖王、レグルス一世とされる」とカイル。
「される?」
「肖像は死後三百年の復元。実物の髪色、身長、利き腕は不明。右手へ剣を持たせたのも、後代の王家礼法に合わせた可能性が高い」
「右利きにされた王」とロロ。
「僕には少し刺さる」
カイルは本来、左利きである。
右腕へ盾型籠手を装着し続けたため、公的な肖像では右手を前へ出すことが多い。
「未来の壁画では左で苺食べてるところを残そう」とハル。
「王太子の偉業が苺」
「食べられる歴史は強い」
「腐るよ」
「絵なら腐らない」
「味もない」
「王家の正史と同じ?」
言ってから、ハルはカイルを見る。
冗談が近すぎた。
カイルは笑った。
笑うまで、一拍あった。
「味がないかどうかは、食べてから決めよう」
「紙を食うな」とセレナ。
「比喩です」
「あなた方は比喩を物理へ移す傾向があります」
王家版の中心には、白い階段がある。
百二十七段。
上へ行くほど幅が狭くなり、一番上だけ一人分。
カイルは最初の段で止まった。
「何」とハル。
「王族だけが上がれる構造に見える」
「見えるだけ?」
「床の摩耗は中央だけじゃない。左右にも人が通った痕がある。でも壁画には一人しか描かれていない」
セレナが膝をつく。
右手首へ体重を掛けず、左手で光を遮る。
「左右の摩耗、幅が異なる。右は成人靴。左は小さい。複数人」
「何人」とハル。
「最低八。重複の可能性あり」
「王家専用階段に、八人」
「王だけが上ったという記録と不一致」
カイルは階段へ足を乗せない。
王家の末裔が先頭に立てば、都市がそれを正統な再演として固定するかもしれない。
「役割」と彼。
ハルが返す。
「カイル、文書の慣例。セレナ、物証。エリア、位置。ロロ、階段構造。アムナ、名前。俺、声と運搬。ノクス、先の振動。ウルは船で休む」
「本人へ確認」とセレナ。
索管からウルの声。
『休む。二十分後に呼吸を伝える。私の話を勝手に証言へ使うなら、その前に聞け』
「聞きます!」ハル。
『返事が速い者ほど、後で聞き忘れる』
「記録」とセレナ。
「何でも記録するな!」
「忘れないためです」
アムナの煤色の指が、証言片の箱へ触れずに沿う。
「記録は、忘れない以外にも使う」
「追うため」とセレナ。
「固定するため。閉じるため。名前を一つにするため」
「だから範囲を記す」
「範囲を書いた人が、範囲を変えない保証は」
「ありません」
セレナは即答した。
「ないから、改訂履歴と異議窓口を残す」
「歴史にも?」
「本来は」
「この街にはない」
「探します」
アムナは二度、呼ばない。
今のは名前ではなく、仕事だった。
階段は、一人ずつ上がるよう作られていなかった。
左右の壁に、細い溝が七本。
中央に一本。
「運搬軌道」とロロ。
「人の?」ハル。
「箱。重いもの。上で固定して、下から七方向の索で引く」
「王の玉座?」カイル。
「玉座を運ぶなら、王が歩け」
「王家への敬意が修理工場の床」
「床は支える。敬意より役立つ」
ロロは補助腕の一本を中央溝へ入れる。
深さを測る。
「中央だけ新しい削り。後代に広げてる。元は七本と、もっと細い一本」
「八本目?」
「子供の指二本分。物を運ぶ管じゃねえ。信号索か、小さい手で握る案内索」
階段の下から、金の鐘が鳴った。
一回。
石像百二十七体が、同時に頭を上げる。
「嫌な歓迎、第二段階」とハル。
壁画の王が歩き出す。
絵ではない。
白い漆喰層が厚みを持ち、石の人物として階段へ出てくる。
歴史版が、自分の正しさを再演し始めた。
『我、七空を救わん』
王の声は、建物全体から響く。
「文言」とカイル。
「正史の第一句?」セレナ。
「違う。学校では『我、七空を結ばん』」
「救うと結ぶ。版が違う」
「どっちが古い?」ハル。
「救う方が、王政初期の戦時宣言。結ぶは後世の統合式」
「どっちが本当」
「今は両方が残った事実だけ」セレナ。
石王が右手を上げる。
七本の光ではない。
七本の鉄索が、壁から飛ぶ。
終端環では誓星術が使えない。
古代都市は、魔法の代わりに機械で歴史を殴ってくる。
「伏せろ!」
ハルは叫ぶ。
自分は飛ばない。
カイルが木盾を斜めへ置く。
索は盾へ当たり、滑る。
一本が、ハルの赤いマフラーを引く。
首が後ろへ。
ノクスが布を噛み、結び目を解く。
マフラーだけが索へ持っていかれる。
「返して!」
「首と布、どっち」とエリア。
「そういう二択にするな!」
「学習」
エリアは白い地図槍を魔法なしで床へ差し、索の間隔を測る。
「七本、同時じゃない。王の発声に合わせて右から順。『我』で一、『七』で二、『空』で三――」
「文章が攻撃手順!」ハル。
「歴史は言い回しで人を動かす」カイル。
「今は物理!」
「物理も!」
次の宣言。
『我、七空を――』
「言い終わる前に止める?」ロロ。
「記録を壊さない」とセレナ。
「じゃあ黙らせず、文を変える」とカイル。
「どうやって」
王太子は階段の第一段へ立つ。
肋部の痛み二・五。
木盾を右。
左手を空ける。
王家の発声法は、声量を上げる技術ではない。
広い場で、次に来る語を聞き手へ予測させる技術である。
「我――」
石王と同時に言う。
都市が、現代の王太子を正史の続きとして拾う。
「七空を、救った――者たちを記す」
石王の文が詰まる。
『我、七空を救わ――』
「主語を増やした」とエリア。
「王家の文章へ勝手に追記?」セレナ。
「仮読。破壊してない」
七本の索のうち、三本が止まる。
残り四本が別の時刻へずれる。
「今!」
ロロが中央溝の古い手回し輪を回す。
ハルとアムナが補助索を引く。
エリアが索の落下位置を声で刻む。
「右二尺。次、左一。中央は遅い!」
カイルは自分の声を石王へ重ね続ける。
「我らは、七空を救った者たちの――」
『我らは――』
石王の主語が変わる。
その瞬間、階段上の壁が開いた。
文書庫。
同時に、石王の背後から八本目の細い索が飛ぶ。
カイルの左手首へ巻きつく。
「カイル!」
「引くな!」エリア。
索は細い。
引けば皮膚を切る。
カイルは自分で一歩、前へ出る。
張力を減らす。
「王太子が捕まった!」ハル。
「王家の歴史に!」
「洒落が悪い!」
「僕が作ったんじゃない!」
アムナが索の先を見る。
壁の中。
大人の高さではなく、低い穴へつながっている。
「引いてない」と彼女。
「何が」
「連れていく索じゃない。帰る位置を教える」
カイルは左手を開く。
索は握らせるだけで、それ以上巻かない。
「案内索」とロロ。「子供用」
カイルが一本、指でつまむ。
「僕が握っていい?」
「本人へ聞けない」とアムナ。
「なら、調べる間だけ。所有しない」
彼は索を離さず、階段を上がる。
七本の運搬軌道とは別の八本目。
王の一人用階段へ、誰かを帰すための手すり。