第777話 第五章「竜と機関士の証言」前編
機械は嘘をつかない、と言う者がいる。
正確には、機械は設計された通りに間違える。
計器は測った値を示す。
しかし、何を測らないかは設計者が決める。
安全弁は圧力を逃がす。
しかし、逃がした先で誰が潰れるかは配管図の外に置ける。
人間の嘘には顔がある。
機械の嘘には、外された名札がある。
機関士が歴史を読む時、英雄の署名は後回しになる。
ボルトの頭。
塗装の影。
工具を差し込める余白。
交換部品の数。
修理された場所は、壊れた場所を語る。
修理されなかった場所は、壊れてよいと決められた場所を語る。
【砕けた歴史都市/機関士版・逆流工場/覚醒/八皿街退避から二十六分】
逆流工場の入口で、ロロは入場料を要求した。
「誰に」とハル。
「歴史に!」
「払わないと思う」
「じゃあ王家」
「なぜ僕」とカイル。
「工場を千年放置!」
「王家管理とは未確定」
「管理者不明は王家請求の好機!」
「会計思想が怪盗より荒い!」
「ミラなら契約書を出す。俺は口頭!」
「荒いことを誇るな」セレナ。
工場は、七つの巨大な胸郭に見えた。
弧を描く梁。
縦に走る配管。
床下でゆっくり上下する七基のピストン。
七空域へ誓力を中継する七心核〈セブン・ハート〉の原型。
現在の天鍵は各地に残されている。
ここにあるのは千年前の試験炉と記録機構である。
終端環では、新しい誓いを燃料にできない。
それでも工場は動く。
歯車へ残った応力。
鉛錘。
水圧。
古い熱。
「魔法がなくても、機械は働く」とロロ。
「嬉しそう」とエリア。
「機械は魔法より修理費の理由が分かりやすい!」
「壊れ方が高い」
「値段は正直!」
七基の心核には、それぞれ名札がある。
王盾。
王獣。
双界。
天雷。
夢灯。
潮骨。
星冠。
現代の正式名とは少し違う古称。
用途も完全には一致しない。
「七つ」とハル。
「見えるのは」とロロ。
「また増える?」
「増やすんじゃねえ。隠した奴へ言え」
ロロは床へ寝転ぶ。
右手は使わない。
二本の補助腕と左手で、第一心核の下へ鏡を入れる。
「焦げパン四号」とカイル。
「勝手に名付けるな!」
「命名規則を学んだ」
「四号はまだ作ってない!」
「今の鏡は」
「焼き魚一号」
「食事体系が分岐した!」ハル。
「歴史の複数版を反映!」
「修理工まで世界観へ乗るな」
鏡に、塗装の切れ目が映る。
七心核の中央を通る太い主管。
その裏へ、指二本ほどの細管。
「一本ある」ロロ。
「案内索と同じ幅?」アムナ。
「似てる。けど索じゃない。内壁に流痕。液か、細かい砂」
「どこへ」
「床下」
床板を外す。
ボルトは七本。
穴は八つ。
一つだけ、頭を切られたボルトが内側へ残っている。
「故障で欠けた?」ハル。
「違う」
ロロの声が低くなる。
「切断面が古い。外から壊れたなら頭が飛んで穴が荒れる。これは頭だけ削って、板を戻してる」
「隠した」セレナ。
「隠すために、開けられなくした」
ロロは補助腕の先を細い楔へ替える。
「外す?」
「可逆じゃない。頭がないから、抜くとボルトを交換する必要」
「部品は」
「同径なし。作るなら二時間」
「期限」
「残り三時間四十二分」とセレナ。
「開ける価値」とエリア。
「第八管の行き先。故障じゃない証拠」
「戻せない代償」
「板を仮留め。都市を出る前に代替ボルト。材料は王家版の余剰手すり」
「王家財産」とカイル。
「歴史都市の所有権を主張する?」
「しない。でも勝手に余剰と決めない」
「じゃあ何を使う!」
カイルは自分の木盾を見る。
「縁の鉄輪。外していい」
「防御が減る」
「左手で普通の盾を持つ。王家の飾りより、戻せる床板」
「その盾、飾りじゃねえ」
「今は交換可能な部品」
ロロは一拍黙る。
「借り。価格は後」
「友情の赤字?」ハル。
「王太子の部品代!」
「結局王家!」
逆流工場には、七つの作業台があった。
工具の形が違う。
第一台は、盾形の広い金槌。
第二台は、獣骨を傷つけない布巻き鉗子。
第三台は、鏡面を磨く柔らかい石。
第四台は、雷鎖用の絶縁柄。
第五台は、灯油と夢紙を分ける二重皿。
第六台は、潮圧へ耐える骨刃。
第七台は、星冠炉の細針。
「天鍵ごとの整備台」とロロ。
「今の道具と似てる?」ハル。
「原型。現代の方が便利。古い方が壊れた時に手で直せる」
「便利さの敗北?」
「便利は勝敗じゃねえ。代わりの手順を捨てた時が負け」
ロロは工具を取らない。
返却板を先に読む。
『使用者は、借用前に返却不能時の処置を選ぶ。
一、同等品で返す。
二、修理時間で返す。
三、返せない理由を公開し、次の使用者へ優先権を渡す』
「工具にも撤回条件」とアムナ。
「いい工場だった時代」とロロ。
「悪くなった?」
「手順板が途中で変わってる」
古い板の上へ、戦時板。
『中央命令中、工具返却を停止。全品を統合主任へ集約する』
「一人へ集めた」とハル。
「道具も、判断も、負荷も」ロロ。
ニアが終端議会で使った方式に似ている。
最熟練者へ権限を集中する。
速い。
正確。
止める者がいない。
「姉ちゃんの原型」とロロ。
「ニアを責める?」カイル。
「責める。原型が千年前だからって、使った責任は消えねえ」
「同じ方式を作った人は」
「そっちも責める。責める人数が増えるだけ」
「怒りを分散した」とハル。
「負荷分散みたいに言うな!」
七台の工具返却数を数える。
各台、八組分の使用痕。
返却欄は七。
「また一人分」とアムナ。
「工具は何」とロロ。
欠けているのは、細い管切り。
革穴を広げる錐。
身体固定帯の縫い針。
「第八管を作る道具」とセレナ。
「作業者が返さなかった?」
「戦時命令で返却停止。誰が使ったかは統合主任欄へまとめられてる」
「主任名」
「削られてる」
削除跡の下に、板の色が残る。
名札は横長。
王家や軍の役職札より小さい。
「少年航路士の札?」ハル。
「大きさだけでは」とセレナ。
「分かってる」
ロロは、削られた板の周囲へ油を薄く塗る。
文字を浮かせるためではない。
工具傷の方向を見る。
「外した奴、左から右へ刃を入れてる。右利き。急いでない。四周を順番に削って、最後に中央」
「事故の後?」
「錆層は戦時停止前。使い始める前に名を外した」
「受け口へ人をつなぐ前から、記録を消すつもり」とアムナ。
機械事故ではない。
緊急時に偶然一人へ負担が流れたのでもない。
名前を消し、戻す弁を付けず、道具の返却先まで中央へ集める。
設計段階の選択。
工場の壁面に、整備訓練用の模型があった。
七つの水槽。
中央の小さな革袋。
七槽へ同じ量の水を入れると、均等に下がる。
一本の管を閉じると、残りへ分かれる。
「原設計」とロロ。
戦時改造レバーを倒す。
七槽の余りが、中央袋へ集まる。
革袋が膨らむ。
「容量」とセレナ。
「一回ぶんは耐える。二回で縫い目が伸びる。三回で裂ける」
「実際の受け口は千年耐えた」とハル。
「耐えたんじゃない。壊れ続けて、壊れた分を七心が作り直した可能性」
「死ねない修理」とアムナ。
ロロは模型を止める。
自分の補助腕を見る。
壊れた身体へ機械を足す。
それ自体は悪ではない。
本人が望み、外せ、修理を拒めるなら道具になる。
望まない修理を永遠に続ければ、拘束である。
「受け口の身体が壊れた時、交換手順は」とカイル。
手順板を探す。
ある。
『受け口の損耗は、七心の再結合で補填する。
本人の停止申請は、戦時終結まで保留』
「終戦した」とハル。
「終戦文が受け口の名を消した」とセレナ。「申請する主体が記録上いなくなった」
「停止できない」
「制度上」
「機械は止められる?」
「七心を全部止めれば」とロロ。「世界の基幹も止まる」
アザルが現代で選ぼうとしている、約束のない世界。
その思想を、今ここで正当化はしない。
だが、停止申請を千年保留された者が、全体を止める以外の出口を見失う構造は見える。
「第三案」とハル。
「言うだけなら安い」とロロ。
「父さんみたい?」
「似てる。だから値段を先に出せ」
「誰が作業する。何日かかる。止めた間に誰が困る」セレナ。
「今は分からない」
「なら、分からないと書く」アムナ。
希望を答えのふりにしない。
模型の横には、訓練成績板が残っていた。
同じ故障を、二つの方式で直した記録。
『分散手順。完了、十九分。負傷者零。七心停止、各二分以内』
『統合主任手順。完了、七分。負傷者一。中央停止なし』
「速い方が採用された」とカイル。
「戦時なら七分を取る」とハル。
「一回だけなら」とロロ。
次の試験。
『統合主任手順。完了、六分。負傷者一。本人申告、作業継続可能』
その次。
『完了、五分。負傷者一。申告欄、主任代筆』
その次。
『完了、五分。負傷者欄なし』
「速さが上がるたび、人が消える」とアムナ。
「技術改良じゃない。記録範囲を狭くした」とセレナ。
「でも中央停止なしは、救われた人がいる」とハル。
「いる」とロロ。「だから悪い方式って一語で捨てると、また非常時に同じ案が魅力的に見える」
「何を残す」
「速い。全体停止を避ける。熟練者一人へ負担が集中する。本人申告が代理される。繰り返すほど負傷が記録から消える」
「長い」
「機械の欠点を短く書くと、人が部品になる」
ロロは訓練模型へ、水ではなく七個の鉄球を置く。
「今の人数で試す。ただし人へ負担を流さない」
「時間は」とセレナ。
「三分。模型だけ。失敗しても本管へ接続しない」
「役割」ハル。
「七弁へ一人ずつは足りねえ。だから、人ではなく手順を分ける」
第一弁、カイル。
第二、アムナ。
第三、ハル。
第四、エリア。
第五、セレナ。
第六、ロロの補助腕一。
第七、補助腕二。
ノクスは数へ入れない。
本人が模型を見ているだけなら、見学である。
「俺一人で三役」とロロ。
「人へ集まってる」とハル。
「腕は別でも、身体は一つ」アムナ。
「じゃあ時間差」エリア。
「七弁を同時に開く前提が、中央方式を作った」とセレナ。
ロロは鉄球を一つずつ動かす。
一番目の弁が上限へ届く前に開く。
閉じず、半分残す。
二番目。
三番目。
全てを同じ状態へそろえない。
「不揃い」とカイル。
「不揃いだから、次の弁へ時間を貸せる」とエリア。
「完了条件は」ハル。
「七槽が空になることじゃない」とロロ。「どの槽も破裂せず、誰でも次の操作を引き継げること」
「終わってないのに完了?」
「保全完了。修理完了は別」
「言葉を分けると、仕事が増える」
「分けずに終わったことにすると、壊れた仕事が人へ残る」
二分四十秒。
七槽には、少しずつ水が残る。
中央袋は膨らまない。
「戦争は止まらない」とハル。
「戦時の要求なら不合格かもしれねえ」ロロ。
「でも、人を受け口にしない」
「その代わり、七系統が一時的に性能低下。誰がその不便を引き受けるか決める必要がある」
「第三案にも代金」
「無料の第三案は、見えない誰かへ請求してる」
模型の底から、古い採点札が一枚落ちる。
『分散手順――遅すぎる。王家承認なし』
裏。
幼い筆跡。
『遅いなら、早くなるまで練習する。人を管にするより早い』
「誰が書いた」とハル。
「署名なし」とセレナ。
「アザル?」
「まだ」
筆圧は弱い。
右へ跳ねる古字が一つある。
離脱。
兵士版の誤字と同じ。
「一致点、追加」とセレナ。「ただし、本人同一は後」
ロロは札を工具台の上へ置く。
「千年前の修理工見習いかもしれねえ」
「少年航路士かも」とハル。
「どっちでも、言ってることは正しい?」
「正しさじゃない。試す価値がある」
「修理工の最高評価?」
「最高は、実際に直る」
「夢がない」
「夢は直らねえ!」
その怒鳴り声へ、工場の七槽が一斉に小さく響いた。
中央の革袋だけは、何も鳴らさなかった。
第八工具掛けの裏には、外し鍵の図があった。
受け口を身体から外すための鍵。
「あるじゃん!」ハル。
「図だけ」とロロ。「現物なし」
鍵は三つの歯を持つ。
王家承認。
機関停止。
本人申請。
「三者鍵の原型」とカイル。
「でも本人の鍵穴だけ、図から削られてる」とアムナ。
戦時追記。
『中央対象は申請主体にあらず。王家が代行』
「本人の鍵を王家へまとめた」とハル。
「三者鍵を二者鍵にした。しかも王家が本人役を兼ねる」ロロ。
「外せる仕組みを残したまま、使う権利を奪った」
鍵の保管箱は、王家版の王冠台と同じ高さにある。
「現物が王冠の中?」カイル。
「可能性。王家史では救難道具として別名へされたかも」セレナ。
ロロは、鍵図を写す。
完全な寸法は残っていない。
歯の角度だけ。
「作れる?」ハル。
「今は無理。材質、内部荷重、外した後の生命維持が不明」
「でも出口はあった」
「出口の絵があった。実際に開いた証拠はない」
「希望を小さくする」
「希望を工具の形へする。持てる大きさに」
ノクスが、削られた本人鍵穴へ前脚を置く。
押す。
石板の下から、小さな金属音。
鍵はない。
ただ、本人側の歯だけが折れて内部へ残っている。
「使おうとした」とロロ。
「折れた?」
「外から壊されたか、自分で回して折れたかは不明」
アムナは記す。
『本人側外し鍵の一部。使用痕あり。成功不明』
アザルは、一度も出口を求めなかったのではない。
少なくとも機械には、外そうとした痕が残っていた。