第792話 第十二章「全ての星が消える」後編

 落下開始から十七秒。

 ゼロスター号は、船ではなく落ちる家になった。

 家は、落ちても中の物が同じ方向へ落ちるとは限らない。

 終端環の重力は、砕けた都市と空冠要塞の間で三度ねじれる。

「第一反転、五秒!」エリア。

「何を固定!」ハル。

「人、証拠、熱いもの!」ロロ。

「船は!」

「最後!」

 人を船の部品へしない。

 船を守るために、人の骨を支柱へしない。

 カイルが食器棚の扉を閉じる。

 王太子の仕事としては小さい。

 落下する船では、皿が刃物になるのを防ぐ大きい仕事である。

 セレナは証拠箱の番号を声にする。

「一、三、四、六、七!」

「二と五!」アムナ。

「二はウルへ。五は外周棚!」

「じゃあ船内五箱!」

「数が合った!」ハル。

「今喜ぶところでは」

「数が合うの、今日は珍しい!」

 第一反転。

 甲板が壁になる。

 ロロの二本の補助腕が主軸へ噛む。

 右手の指は動かさない。

 左手だけでクランクを一段送る。

「喘息一。指二。補助腕温度四十一」

「自己申告えらい!」ハル。

「褒めるなら回せ!」

 ハルは左肩を使わず、右腕と腰で補助輪を回す。

 過去の彼なら、肩が外れても回したかもしれない。

 今は、自分が倒れた後の一人不足を先に数える。

「交代、カイル!」

「肋部二。背中三」

「背中三なら十五秒!」セレナ。

「医療命令?」

「提案。拒否理由」

「なし。十五秒」

 第二反転。

 船首が下になる。

 エリアは路図を出せない。

 紙片を三枚、別々の重さで投げる。

 一枚は船首へ。

 一枚は左舷へ。

 一枚は天井へ。

「風が三層!」

「どれに乗る」とハル。

「全部へ少しずつ。右帆四割、左帆二割、船尾布を開く!」

「船尾布は洗濯物!」ロロ。

「面積がある!」

「カイルのシャツ!」

「王家の紋章入りを風見にするの!?」

「王家の歴史、役に立つ三回目!」ハル。

「数えるな!」

 洗濯索を切らず、端を外す。

 シャツ、布巾、ロロの油布が、即席の尾翼になる。

 ゼロスター号は正面落下から斜め滑空へ変わる。

 左帆が鳴る。

 修理済み六・三割。

 その〇・三割が、岩の突起を避ける。

「友情で膨らんだ!」ハル。

「空気だ!」ロロ。

「友情も空気みたいなもの?」

「見えないのに圧だけ掛けるな!」

 笑っている間に、第三反転。

 アムナの身体が証拠箱から離れる。

 腰索が張る。

 彼女は名前を叫ばない。

「停止、一!」

 事前合図。

 ハルとセレナが箱を止める。

 カイルがアムナの索を引く。

「本人」セレナ。

「肩一。頭二。名前混同、今はなし」

「人数」

「ハル二回、エリア二回、カイル二回、ロロ二回、セレナ二回、ノクス二回、私一回」

「自分は」

「返事が聞こえる」

 まだ、同じ答えを使える。

 同じ答えを使えることが、変わっていない証拠とは限らない。

 必要な習慣は、繰り返してよい。

 空冠要塞が見えた時、エリアは最初に出口を探した。

 入口の向こうに、縦穴。

 左右に鉄鎖発射台。

 下面へ風抜き口。

「入る前に出る道!」ハル。

「右風抜き、船幅より狭い。左鎖路、角度が変われば人だけ通れる。上は、今崩れてる都市」

「出口一・五」

「半分は出口じゃない」とカイル。

「人は出られる」

「船は残る」ロロ。

「人を先」

「分かってる!」

 鉄鎖が飛ぶ。

 一本目は船首前を横切る。

 ノクスが鳴く。

 魔法の警告ではない。

 鎖台の歯車音を先に聞いた。

「右!」

 エリアの声より一拍早く、ハルが舵索を引く。

 二本目が船尾へ刺さる。

「抜くな!」ロロ。

「落下止めに使う!」エリア。

「固定点の強度!」

「船尾骨、現状四!」

「四は壊れる!」

「壊れる前に二本目を取る!」

 三本目。

 カイルが木盾を鎖先へ当て、角度をずらす。

 盾は割れる。

「普通の盾!」

「普通だから割れる!」

「王子は」

「肋部三、右腕二!」

「交代!」

 ハルが盾の代わりにならない。

 空いた鎖へ、食堂の長机を差し出す。

「家具!」ロロ。

「船より安い!」

「値段で言うな!」

 長机が砕け、鎖先が床へ噛む。

 二つの固定点。

 落下が、振り子へ変わる。

 ゼロスター号は空冠要塞の外壁を横へ走る。

 木の船腹が黒石を擦る。

 火花は出ない。

 魔法がないため、ただ木粉が飛ぶ。

「収容口、十秒!」エリア。

「閉じる?」

「開いてる。閉鎖歯車、手動なら向こう側に人がいる!」

「アザル?」

「断定しない!」セレナ。

 入口は、自動罠ではない。

 誰かが今、彼らを入れようとしている。

「避ける道」ハル。

「右風抜きへ人だけ。船を捨てる」

「証拠箱は」

「三つまで」

「全員は」

「ノクスを含めて通れる。ただしソウジとウルは外。船を捨てれば、要塞外壁へ取り残される」

「選択時間」

「五秒」

 船を捨てる。

 船ごと入る。

 二択に見える。

「第三案!」ハル。

「五秒で言うな!」ロロ。

「鎖を巻いて、収容口へ船尾から! 入った後、鎖を外壁へ残す。脱出索になる!」

「入口が鎖を切るかも」

「切られたら観測できる!」

「観測のために捕まるな!」

「捕まらない案ある!?」

「ない!」

「じゃあ、脱出の痕を残して入る!」

 同意を取る時間は短い。

「入る、ただし鎖二本を外へ残す。異議!」ハル。

「船体損失大!」ロロ。

「人員損失より下!」

「採用!」

「採用!」カイル。

「採用」エリア。

「記録」セレナ。

「人数全員、返事あり」アムナ。

 ノクスが尾を一度打つ。

 本人も残る。

 ゼロスター号は船尾から収容口へ入る。

 逆さになった食堂。

 割れた盾。

 六・三割の左帆。

 三人へつながれた方位具。

 完全ではないものを、完全に失わないための入り方だった。

 着底後、すぐには立たない。

「一分、頭部確認」とセレナ。

「牢が閉まる」とハル。

「脳震盪で倒れたら、閉まる前でも出られません」

 ハル、頭二。

 エリア、呼吸三、踵二。

 カイル、肋部三、背中三。

 ロロ、喘息二、右指三。

 セレナ、左眼三、右手首二。

 アムナ、頭二、混同一。

 ノクス、左後脚に擦過傷。

「治療は」ハル。

「魔法なし。洗浄、固定、休息」

「牢で休める?」

「休むかは私たちが決める」

 カイルは割れた木盾の半分を拾う。

「普通の盾、半分」

「半分でも盾」とハル。

「王盾炎より、今は役に立つかも」

「歴史に書く?」

「嫌だな。王太子、洗濯物と長机で落下を生き延びる」

「食べられる歴史より強い」

「食堂が壊れた歴史だよ!」ロロ。

 笑いが、黒い牢内へ一度だけ残る。

 アザルは、収容口の上に立っていた。

 黒い瞳。

 星白の髪。

 周囲に色はない。

「殺さない」と彼は言う。

「頼んでない」とハル。

「君は迎えに来た。だから今度は、僕の待った場所を君が知る」

「それが約束の実行?」

「途中」

「目的地を言ってない」

「牢で聞けばいい」

「答える?」

「質問は止めない」

「退室は」

 アザルは答えない。

 それが答えだった。

 アザルが上から見る。

 彼は笑わない。

「君たちは、何でも手順にする」

「手順にしないと、強い人の癖が制度になる」とハル。

「牢から出る手順も?」

「今から作る」

「零星針は動かない」

「針が動かないことは、方向がないって意味じゃない」

 手作り方位具も動かない。

 北を失ったのではない。

 最初から北を教える道具ではなかった。

 嫌な方向を知った時、回し直してよいと教える玩具だった。

 ハルは牢の床を見て、最初の嫌な方向を決める。

 アザル一人の気分が、世界の停止条件になっている状態。

「まず、それを変える」

「牢の中から?」

「配達員は、扉が閉まってから住所が違うって気づくこともある」

「普通は戻る」

「戻れない時は、受取人と話す」

「僕が受取人?」

「まだ不明。荷物も不明。だから受領印は押さない」

 アザルの黒い瞳に、怒りか、疲労か、千年分の何かが動く。

 答えは出ない。

 出ないまま、鉄の扉が降りてくる。

 ハルは仲間を見る。

 全員いる。

 負傷はある。

 魔法はない。

 船は壊れた。

 歴史の真相は、外へ分けて渡した。

 アザルは第八の少年だった。

 被害者だった。

 そして現在、自分たちを拘束する加害者である。

 その二つを、もう誰も一つの役へ戻さない。

 鉄の扉が閉じ始める。

「次の役割」とハル。

「生存確認」とセレナ。

「船体確認」とロロ。

「出口確認」とエリア。

「人数」とアムナ。

「普通の盾」とカイル。

 ノクスが、ハルの靴紐を一度引く。

 撤退ではない。

 ここにいる、という本人の合図。

 ハルは零星針の蓋を開く。

 針は動かない。

 星は一つも灯らない。

 牢の扉が閉まる。

 星のない羅針盤は、完全に沈黙していた。