第807話 第八章「幻を使わない公開再演」前編

歴史は、しばしば広場で作られる。

 会議室で決められた命令が、広場で正義の顔を与えられるからである。

 壇上を高くする。

 声を大きくする。

 見せたい場面だけを照らし、見せたくない退出口を暗くする。

 古代の王は、戦に勝ったあとで戦を再演した。

 勝者は中央へ立ち、敗者は端へ置かれた。実際の戦では逃げた兵も、再演の中では勇敢に死んだ。実際には戦わなかった王が、再演の中では最後の敵を倒した。

 再演は嘘とは限らない。

 しかし真実とも限らない。

 真実を扱う時、最も危険なのは、嘘を混ぜることではなかった。

 見る順番を一つにすることである。

【夢灯環・白階市/中央紙灯広場/全誓星術停止から三日と二時間】

「この幕、燃えませんか」

 ソムナ・リルが紙の壁を押した。

「燃える」とユノ・ヴァレント。

「不安を減らす答えをください」

「燃えないと答えるのは、火災時に不安を増やす嘘だよ」

「では、避難口を増やしてください」

「もう三つある」

「四つに」

「見物人より退出口の方が多くなる」

「見る権利より、見ないで帰る権利を多くします」

 白階市の中央広場には、仮設の紙壁が七枚立っていた。

 白い紙。

 黒い枠。

 中央だけ、空白。

 ユノは幻像を出せない。

 空中へ確度の色枠を浮かべることも、百人へ同じ像を同時に見せることもできない。

 白いヴァイオリン・アルマは肩へ掛けているが、弦へ誓星の光は走らない。

 ただの木と弦である。

 ソムナも夢へ入れない。

 人の恐怖を組み替えることも、眠りの中へ安全な出口を置くこともできない。

 だから彼は、現実の出口を作った。

 広場の東に水。

 西に寝台。

 南に医療。

 北に「何も聞かず帰る路」。

 四つ目の退出口には、説明札さえ置かない。

 説明を読まなければ退出できないなら、説明が新しい門になるからだった。

「紙芝居で王国を止める気か」

 広場の外から、夢灯都市危機局長ユーディ・カンデラが言った。

 徹夜三日目の顔である。

 目の下の影は、夢術が消えたからではない。役所が魔法を失っても書類は減らず、書類が減らないのに人だけ眠れなくなったためだ。

「王国は止めない」とユノ。「補給のうち、何を止めるかを住民が選べる材料を出す」

「結果として空冠の囚人が死んだら」

「その可能性も表示する」

「表示すれば責任が消える?」

「消えない。隠せば増える」

「美しい言い方だ」

「今日は美しく見せない」

 ユノは右手薬指を伸ばそうとし、古傷に引かれて止めた。

 弓を握る手が少し震える。

 慢性耳鳴りは、魔法がなくても消えない。むしろ広場のざわめきが減ったぶん、細い金属音として残る。

「確度札を」と彼は言った。

 リゼが木箱を運ぶ。

 白札――確認済み。

 灰札――複数資料で一致、原本未確認。

 青札――当事者証言、一部非公開。

 黄札――推定。

 黒札――不明。

「赤は?」見物人の少年が聞いた。

「危険」

「嘘は?」

「嘘だと確定した紙は外す。嘘の色を目立たせると、嘘だけ覚えられる」

「ずるい」

「そうだね。だから外した記録も、別机で読める」

 ユノは少年へ机の位置を示した。

 中央ではなく、退出口の近く。

 見たい者だけが見る。

 広場の鐘が、九回鳴った。

 空冠要塞から各地へ送られた公式公告が、紙壁の第一面へ貼られる。

『収容対象は全員、自発的に保護移送へ同意した』

『空冠への補給停止は、収容対象の生命を危険にさらす』

『破約受容機構の継承は、七空域再起動に必要である』

『妨害行為は、全市民の生活を停止させる』

 文字だけなら、まっすぐだった。

 まっすぐな文字は、曲がった責任を隠す時に便利である。

「公開再演を始めます」

 ユノが弓を持ち上げた。

「参加は任意。途中退出可。再入場可。発言しない選択可。記録を拒否できます。触れて誘導する必要がある場合、事前に聞きます。危機局、異議は」

「ある。だが中止権限は私一人にない」

「よい改訂だ」

「あなたの功績にするな。前回の失敗から変えた」

「失敗の所有者は譲らない方がいい」

「褒めている?」

「訂正可能な観測」

 エリアの言葉が、遠い土地で別の口へ移っていた。

 第一の紙人形は、黒い耳を持っていた。

 二本の尾。

 四本の脚。

 胸の前へ、小さな札。

『物品区分七』

「それ、動物?」

 広場の子供が言う。

「夜獣ノクス」とユノ。「正式乗員。自己選択主体」

「公告では全員が署名したんだよね」

「そう書いてある」

「手がない」

「前脚はある」別の大人。

「署名欄は?」

 リゼが公式移送簿の写しを貼る。

 ノクスの欄には署名がない。

 代わりに、物品保管番号。

「全員に入ってないんじゃない?」

「公告は『収容対象は全員』」ユノ。

「物品なら対象じゃない」

「では、なぜ拘束された?」

「拘束されたなら対象」

「対象なら署名が必要」

「署名できないなら代理」

「代理は誰」

 紙壁が黙る。

 ユノは答えを補わない。

 紙人形の口も動かさない。

 ノクスが人間の言葉を話したことにして、分かりやすい抗議をさせない。

 代わりに、子供が自分の紙へ書いた。

『ノクスに聞いてない』

 白ではない。

 黒札の隣へ貼る。

 第二の人形は、顔が空白だった。

 史料保全現場責任者。

 本人が固有名の公開を拒んでいる。

「この人にも署名がある?」

「公開写しには、同じ形の印だけ」リゼ。

「本人の名前がない」

「名前を出さず署名する方法はある」と危機局長。

「ある。だから無効とは断定しない」とユノ。「ただし、本人確認手続、撤回条件、立会記録が公開されていない」

 灰札。

 第三から第三十八の紙人形。

 中央待機区の三十六人。

 名前を出した者だけ、名札。

 出さない者は人数札。

 公告の別紙には、同じ筆圧、同じ傾き、同じ乾燥むらの印が並ぶ。

「同じ人が押した?」

「可能性高」とユノ。「ただし印章を機械で押しただけなら、同じになる」

「じゃあ証拠にならない」

「署名の証拠には弱い。様式の証拠にはなる」

「面倒だな」

「真実は、理解しやすいように出来ていない」

「演説には向いてない」

「だから今日、演説をしない」

 ユノはヴァイオリンの開放弦を一音だけ鳴らした。

 装飾なし。

 和音なし。

 注意を集めるだけの音。

 耳鳴りが重なり、彼の眉がわずかに動く。

 ソムナが近づき、触れずに聞いた。

「座りますか」

「まだ」

「耳、四?」

「三」

「演奏を減らす」

「公開再演で音を減らすのかい」

「聞き取れる音を増やします」

 ユノは弓を下ろした。

 広場の北端で、一人の女性が倒れた。

 倒れる前に、両耳を塞いでいた。

 紙芝居の内容ではない。周囲のざわめきと、空冠の公告鐘が重なったためだった。

 ソムナが走る。

 夢へは入れない。

 恐怖の形を見られない。

「触れていいですか」

 返事がない。

「返事がないので、今は触れません。呼吸できる空間を作ります」

 見物人へ手を広げる。

「二歩下がってください。命令ではありません。下がれない人は、その場で顔を別方向へ」

 紙壁を一枚倒し、視線を遮る。

 寝台の布を床へ敷く。

 水を手の届く距離へ置く。

「私はソムナ。夢を見せません。今いる場所は白階市中央広場。出口は右、左、後ろ、もう一つは説明なし。目を開けなくていい」

 女性の指が、一度動く。

「触れる?」

 小さく首が横へ。

「触れません」

 ソムナはその選択を、治療拒否と呼ばない。

 拒否は治療をやめる言葉ではなく、治療の形を変える情報である。

 やがて女性は自分で水杯へ手を伸ばした。

「空冠に、弟がいる」

「名前を言わなくていいです」

「公告を止めたら、弟への水も止まるって」

「全部の補給を止める案だけではありません」

「分けられる?」

「確認中です」

 ユノが遠くから黒札を上げた。

 分からない。

 女性は笑った。

「安心させる気、ないのね」

「安心できる材料がない時に、安心を渡すと借金になります」

「あなた、夢の医者?」

「案内人です。医者ではありません」

「十五歳?」

「はい」

「若すぎる」

「年齢は訂正できません」

 女性はもう一度笑った。

 笑ったから安全になったのではない。

 呼吸が一つ戻っただけである。

 第一幕が終わる前に、証言希望者が一人増えた。

 灰色の作業帽を深く被った老人である。

 空冠補給局の元封緘係。

「顔を出さない。声も変えろ」

「声を変える幻は使えません」とユノ。

「なら別人に読ませろ」

「内容を読んでよい範囲は」

「全部。ただし、日付を変えろ。箱の色も変えろ。勤務年数も」

 ユノは黄札を取る。

「それでは、証言の検証可能性が下がる」

「本物だ!」

「本物かどうかを疑っているのではありません。公開後に誰があなたか特定される危険と、情報を変えた結果として別人が疑われる危険があります」

「じゃあ喋れない」

「喋らない選択も残します」

「それで空冠が止まらなかったら」

 老人の手が震える。

 ソムナは椅子を勧めない。

 座ることを治療の開始にしない。

「今、何を一番避けたいですか」

「孫が連れていかれることだ」

「次」

「俺のせいで、別の封緘係が犯人にされること」

「次」

「何も言わず、また箱が行くこと」

 三つ。

 全部を同時にゼロへはできない。

 ユノは紙人形を二組作る。

 一組目は公開用。

 人物の外見、勤務年数、家族構成、正確な日付を出さない。箱が医療品と拘束部品を同じ封で運んだという構造だけを示す。

 二組目は封印用。

 原日時、封印番号、担当列、見た範囲、見ていない範囲を老人本人が書く。公開鍵は老人、危機局、補給労働者組合の三者へ分ける。

「三者のうち、俺が死んだら」

「本人鍵は失効。残り二者だけでは開かない」とユノ。

「証拠が死ぬ」危機局長。

「本人の拒否より証拠を長生きさせない」ソムナ。

「犯罪者が得をする」

「得をする可能性はある」

「それでも?」

「治療記録でも同じです。救うために聞いたことを、本人の意思なしに武器へしない」

 ユノは一瞬、反論しかける。

 彼は真実を公開した結果、報復を生んだ経験がある。

 それでも、証拠を封じれば別の被害が続く恐れも知っている。

「封印期限は」と彼が聞く。

「本人が選ぶ」ソムナ。

「永遠を選んだら」

「永遠という言葉を一回の署名で取らない。半年ごとに、開く、閉じる、保留を聞く」

「聞けない状態なら」

「閉じたまま」

「正義が遅れる」

「遅れる」

 ソムナは否定しない。

「遅れの費用を、証言者一人へ払わせない方法を別に探します」

 ユノは右手薬指を揉む。

「僕は、見せれば選べると思いすぎる」

「私は、見せなければ傷つかないと思いすぎることがあります」

「では、どちらが正しい」

「正しさを一人へ決めさせないため、二組にします」

 老人は長く紙を見た。

「公開用だけ、今日」

「封印用は」

「書く。開けるかは保留」

「保留期限」

「次の満月……魔法が戻らなければ、月は見えるのか」

「空は残っています」とユノ。

「じゃあ、次の満月まで」

 期限を書く。

 老人は壇上へ上がらない。

 紙人形の裏で、自分の声のまま、ゆっくり話す。

 観客は顔を見ない。

 ユノは声を美しく加工しない。

 咳も、言い間違いも、途中で黙った時間も残す。

 公開再演は、上手に演じるほど真実になるものではなかった。