『ツッコミ禁止! 俺が黙ると学校が終わる』
この学校には、校則が八百二十七個ある。
廊下を走るな。
屋上で告白するな。
購買の焼きそばパンに人生を賭けるな。
そして、先週追加された八百二十七番目が――
「他人の自由な発想を否定する“ツッコミ行為”を禁ずる」
である。
「そんな校則あるか!」
俺――相川ユウが叫んだ瞬間、教室の天井から赤いランプが回転した。
ビービービー!
『ツッコミ行為を検知しました。相川ユウ、違反点一。累積九十九点です』
「監視システムまで作るなよ!」
ビービービー!
『累積百点。退学処分――』
「待て待て待て! 今のは前のツッコミに対する説明要求だ!」
『審議します』
教室が静まり返る。
三秒後。
『ギリギリ、セーフ』
「機械に温情を出される人生、終わってるだろ……」
今度は声に出さなかった。
危ない。非常に危ない。
俺は母子家庭の学費免除特待生だ。退学になれば、母ちゃんはたぶん泣く。泣きながら俺をフライパンで殴る。母ちゃんは感情が二段構えなのだ。
だから、あと一点も取られるわけにはいかない。
問題は――俺が生まれつき、異常にツッコミ体質だということだった。
「みんな、席につけー」
担任の古田先生が入ってきた。
頭にはシュノーケル、右手には金魚鉢、左足にはローラースケートを装着している。
理由を聞きたい。
ものすごく聞きたい。
でも聞いたら終わる。
「先生、その格好……素敵ですね」
クラス委員の白金レイが、こめかみを震わせながら言った。
新校則を推進する王塚校長の方針は「全肯定教育」。
どんな発想も否定しない。間違いも個性。失敗も可能性。ボケも文化。
その結果、教師がシュノーケル姿でホームルームをしても、誰も何も言えない学校になった。
「今日は転校生を紹介する。入ってこーい」
教室の扉が開いた。
女の子が入ってきた。
肩までの黒髪。ぱっちりした目。小柄な体に、少し大きめの制服。
そして両腕には、一メートルを超える冷凍マグロ。
俺は机の下で自分の太ももをつねった。
耐えろ。
ただのマグロだ。
転校生がマグロを抱えているだけだ。
日本ではよくある。
たぶん海沿いではある。
「星野マリカです」
少女はマグロを教卓に置き、深々と頭を下げた。
「前の学校では“歩く天変地異”と呼ばれていました。趣味は盆栽との口論。特技は遅刻の先回りです。今日から皆さんの非常食として頑張ります」
教室の全員が、血を吐きそうな顔で拍手した。
「す、素晴らしい自己紹介です」
白金が言う。
「マグロも……制服に合っています」
無理がある。
全肯定にも限界がある。
「席は相川の隣だ」
なぜ。
星野はマグロを引きずって俺の隣まで来ると、椅子に座った。
マグロも座った。
いや、座らせるな。
星野がこちらを向く。
「あなたが相川ユウ君ですね」
「……そうだけど」
「九十九回、校則を破った伝説のツッコミ男子」
「不名誉すぎる伝説だな」
口に出しかけて、奥歯で噛み殺す。
星野は目を輝かせた。
「やっぱり速い。今、心の中で〇・二秒でした」
「心を計測するな」
危ない。声量はゼロ。セーフ。
「私、あなたに会うために転校してきました」
「……俺に?」
「はい」
星野は俺の手を両手で握った。
柔らかい。近い。いい匂いがする。
クラス中の視線が集まった。
まさか。
これは、少年の人生に一度あるかないかのやつでは。
星野は頬を赤らめ、言った。
「私のツッコミ担当になってください」
「芸人の結婚申込――」
俺は両手で自分の口を塞いだ。
天井のランプが、ピカ、と一瞬だけ光る。
『未遂』
機械が惜しそうに言った。
昼休み。
俺は校舎裏のベンチで、一人静かに弁当を食べていた。
静か。平和。ツッコミ対象ゼロ。
「いただきます」
箸箱を開ける。
中から星野が出てきた。
「お待たせしました」
「どこに入ってたんだお前ぇ!」
ビービービー!
『ツッコミ行為を検知――』
「今のなし! 俺の箸箱から人が出たんだぞ!」
『事実確認中』
星野がベンチの下から、普通に立ち上がった。
「箸箱から出たように見える位置に隠れていただけです」
『誤検知。星野マリカの演出力に加点します』
「なんであいつにポイント入るんだよ」
『危険発言』
俺は空を見上げた。
青かった。
今すぐ鳥になりたかった。
星野は俺の隣に座り、弁当箱を開いた。
白米の上に、梅干しが四十二個並んでいた。
「日の丸、多国籍軍かよ……」
「今、言いました?」
「言ってない」
「顔が言いました」
星野は嬉しそうに梅干しを一つ食べた。
「やっぱり相川君、最高です。私のボケを見逃さない」
「見逃したくても目に刺さってくるんだよ」
今度も小声。
監視ランプは点かない。
星野は少しだけ笑った。
さっきまでの騒がしさとは違う、静かな笑顔だった。
「前の学校では、みんな笑ってくれなかったんです」
「こんな調子で?」
「こんな調子だったからです」
妙に納得した。
「最初は面白がってくれるんです。でも、そのうち疲れるみたいで。私が何かするたび、みんな無言で離れていきました」
星野は梅干しを箸で転がした。
「怒られるのは平気です。笑われるのも平気。でも、いないみたいに扱われるのは、ちょっと苦手で」
俺は言葉に詰まった。
ボケというのは、相手がいて初めて成立する。
全肯定は優しいように見えて、実は何も受け止めていない。
「だから、相川君の噂を聞いたとき、会ってみたいと思いました。どんな小さな変なところも、絶対に拾う人がいるって」
「俺は落とし物係じゃないぞ」
つい、小声で返した。
星野がぱっと顔を上げる。
「それです!」
「喜ぶな」
「もう一回」
「アンコール制じゃない」
「今の好きです」
「告白みたいに言うな」
星野は声を上げて笑った。
俺は慌てて周囲を見回した。
監視ランプはない。
校舎裏なら、少しぐらい大丈夫らしい。
「相川君。私と一緒に、お笑い研究会を作りませんか」
「嫌だ」
「即答」
「俺は退学まであと一点なんだ。お前といたら、今日中に地球から除籍される」
「学校より上の処分ですね」
「だいたい今の校則じゃ、お笑いなんて無理だろ。ボケても誰もツッコめない」
「だから、校則をなくすんです」
星野は弁当箱の底から、一枚の紙を取り出した。
『文化祭特別企画 全校生徒プレゼン大会
優勝者の提案を、校則に一つ追加または削除する』
「文化祭は三日後。ここで優勝して、ツッコミ禁止を撤廃します」
「プレゼン大会で?」
「はい。テーマは“我が校をもっと素晴らしくする方法”です」
「校長が納得するわけないだろ」
「納得させる必要はありません」
星野はにやりと笑った。
「校長を、笑わせます」
「話の因果が迷子だぞ」
「大会規則に書いてあります。審査員の校長が笑った場合、無条件で優勝」
紙の隅に、本当に小さく書いてあった。
「王塚校長は創立以来、一度も人前で笑ったことがない。だから誰も気にしてません。でも、笑わせれば勝ちです」
「無茶だ。あの校長、卒業式で鳩がカツラを持っていっても真顔だったんだぞ」
「その話、詳しく」
「去年、校長が『羽ばたけ若者よ』って言った瞬間に――いや、今はいい」
俺はため息をついた。
星野は身を乗り出す。
「お願いします、相川君。私は校則を変えたい。私のボケに、ちゃんと『おかしい』って言ってもらえる学校にしたいんです」
真っ直ぐな目だった。
断るべきだ。
退学がかかっている。
俺には、ふざけた革命に付き合う余裕なんてない。
「……作戦だけ聞く」
「ありがとうございます、相方!」
「まだ相方じゃない」
「共同墓地は海の見える場所がいいですね」
「一気に人生を進めるな!」
ビービービー!
校舎二階の窓から、監視ドローンが顔を出した。
『ツッコミ行為を――』
俺は星野の梅干しをドローンに投げた。
命中。
『酸っぱ――』
ドローンは煙を上げて墜落した。
「機械が味覚持ってんのかよ!」
ビービービー!
『聞こえませんでした』
「聞こえてるじゃねえか!」
『聞こえませんでした』
なぜかドローンは、二回目も見逃してくれた。
翌日から、俺たちの特訓が始まった。
目標は王塚校長を笑わせること。
ただし俺は、本番までツッコミを一回も使えない。
「まず、校長の好みを調べます」
放課後、星野は校長室の前に立った。
服装は清掃員。手にはモップ。顔には馬のマスク。
「馬はいらないだろ」
「清掃員だけでは怪しまれます」
「馬を足したら安心される理屈がわからん」
「大丈夫です。私は馬術部の清掃員という設定です」
「学校の廊下で馬術をするな」
「今、三回ツッコみました」
「ここ監視カメラの死角だからな」
「ルールの穴を見つけると急に元気ですね」
俺たちは校長室の扉に耳を当てた。
中から、低い声が聞こえる。
「今年もプレゼン大会の季節か……」
王塚剛山、五十八歳。
角刈り。身長一九〇センチ。趣味は座禅。好物は氷。
生徒からは「笑わない岩山」と呼ばれている。
「どいつもこいつも、笑いを取ろうとしてくだらん真似をする。教育とは真剣であるべきだ」
教頭が尋ねた。
「例の無条件優勝ルール、今年こそ消されては?」
「ならん。あれは先代校長が残した伝統だ」
「先代、つまりお父上が?」
「ああ。父は何でも笑う男だった。朝礼台から落ちても笑い、給食の牛乳を鼻から出しても笑い、最期の言葉も『布団が吹っ飛んだ』だった」
ずいぶん陽気な最期だ。
「私は、ああいうふざけた大人にはならん」
校長は机を叩いた。
「生徒には、真面目に生きてほしい。失敗を笑われ、間違いを否定される苦しみを味わわせたくない。だからツッコミを禁じたのだ」
俺は眉をひそめた。
ただの意地悪な校則だと思っていた。
でも、校長なりの理由があったらしい。
星野が小声で言う。
「校長先生、昔、何かあったんでしょうか」
「たぶんな」
「では、心の傷に塩を塗る方向で」
「治療しろ。悪化させるな」
そのとき、校長室の扉が開いた。
俺たちは廊下に転がる。
王塚校長が、馬のマスクをかぶった星野を見下ろした。
「何者だ」
星野は立ち上がり、胸を張る。
「通りすがりのシマウマです」
馬だろ。
いや、そこじゃない。
俺は奥歯を噛みしめた。
校長は無表情のまま、星野のマスクを取った。
「星野マリカ。転校二日目にして校長室を盗み聞きか」
「聞いていません。耳が勝手に吸い込みました」
「相川ユウも一緒だな」
「俺はこの馬の飼育員です」
言ってから、俺は自分に驚いた。
星野が目を丸くする。
校長は腕を組んだ。
「くだらん」
そして俺の胸元に、赤いカードを差し込んだ。
『特別監視対象』
「文化祭まで、監視員を一名つける。次にツッコミを入れたら、即退学だ」
校長の背後から、白金レイが現れた。
風紀委員長。成績優秀。規則絶対。笑顔を見た者はいない。
校長の次に、冗談が通じない人間である。
「相川君。以後、二十四時間監視します」
「風呂とトイレは?」
「校則の範囲内で」
「範囲が怖すぎる」
白金の手元の端末が赤く光った。
「今のは?」
「質問です」
「審議します」
星野が俺の肩を叩いた。
「大丈夫です、相川君。私が必ず守ります」
その直後、星野の制服のポケットから生きたニワトリが顔を出した。
「コケーッ!」
俺は唇を噛んだ。
「どうしました?」
「……なんでもない」
「この子、転校手続きに必要かなと思って」
「……」
「名前は手羽先です」
「……」
「ベジタリアンです」
「鶏が!?」
白金の端末が鳴った。
俺はその場で土下座した。
「今のは驚きです! 否定ではありません!」
「審議します」
三秒後。
「ギリギリ、セーフです」
「お前もその言い方するのか……」
「危険発言」
文化祭まで、あと二日。
俺の胃は、すでに卒業式を迎えていた。
特訓は困難を極めた。
星野が校長を笑わせるネタを試す。
俺が無言で採点する。
白金が横で監視する。
「一発ギャグ。冷蔵庫の中で象がひと言」
星野は全身を丸め、震えながら言った。
「ぞうっとするね」
俺は無言で〇点の札を上げた。
「では次。フランス帰りのカッパがひと言」
「ボン・キュウリ」
〇点。
「落ち込んだ忍者がひと言」
「もう、しのびない」
マイナス十点。
「相川君、顔で人を殴るのは禁止です」
白金が注意した。
「殴ってない。自然にこうなった」
「星野さん。校長先生を笑わせるのは不可能です。別の提案を考えた方が合理的でしょう」
「白金さんは、ツッコミ禁止のままでいいんですか?」
「校則は校則です」
「でも昨日、古田先生が出席簿と間違えて卒業アルバムを読み上げたとき、訂正したそうな顔をしていました」
白金の眉がぴくりと動く。
「していません」
「今日も左右違う靴を履いています」
白金が足元を見る。
右足はローファー。
左足は上履き。
「これは……個性です」
「強がるなよ」
俺は思わず言った。
白金の端末が鳴る。
「相川君」
「今のは励まし!」
「相手の発言を否定するニュアンスがありました」
「でも、その……」
白金は少しだけ目を伏せた。
「助かりました。朝から、何か歩きにくいと思っていたので」
星野が微笑んだ。
「ツッコミって、間違いを笑うためだけじゃないですよ。『あなたを見ています』って伝えることでもあると思うんです」
「……詭弁です」
「左右の靴を間違えたまま、一日過ごしたかったですか?」
「それは困ります」
「ですよね」
白金は黙った。
俺も黙った。
星野の言うことは、たぶん正しい。
俺が今までツッコんできたのは、間違いを許せないからじゃない。
目の前の誰かを、放っておけなかったからだ。
「相川君」
星野が言った。
「本番のネタ、変えます」
「どうするんだ?」
「校長先生を笑わせようとするのを、やめます」
「諦めるのか」
「逆です」
星野はプレゼン用の紙を、びりびりに破った。
「校長先生に、ツッコミを入れてもらいます」
俺と白金は、同時に首をかしげた。
文化祭当日。
体育館には、全校生徒六百人が集まっていた。
舞台中央には演台。審査席には王塚校長と教頭。
プレゼン大会は、予想以上にひどかった。
「我が校をもっと素晴らしくするため、廊下を全部トランポリンにします!」
「素晴らしい自由な発想だ」
「校庭を海にします!」
「雄大な提案だ」
「月曜日を廃止します!」
「生徒思いだ」
校長はすべてを無表情で肯定した。
客席の俺は、両手で口を押さえ続けていた。
白金が隣で監視している。
「相川君、呼吸を」
「忘れてた」
危うく校則ではなく酸欠で退学するところだった。
「続いて、二年C組、星野マリカさん」
司会に呼ばれ、星野が舞台へ上がった。
制服姿。
小道具なし。
マグロもニワトリもいない。
会場がざわめく。
星野はマイクの前に立った。
「私の提案は、“ツッコミ禁止校則を、もっと厳しくすること”です」
俺は立ち上がりかけた。
白金が俺の肩を押さえる。
「耐えてください」
「聞いてないぞ、こんなの」
「私もです」
校長は興味を示したように、わずかに顎を上げた。
「続けなさい」
「はい。今の校則は不十分です。言葉だけでなく、心の中のツッコミも禁止すべきです。変だと思うこと自体が、個性の否定だからです」
星野は舞台袖から、大きな看板を引っ張り出した。
『第一条 毎朝、全校生徒は校長の銅像にプリンを供える』
「素晴らしい」
校長が言う。
『第二条 体育の授業は全員、冷蔵庫の気持ちになって行う』
「斬新だ」
『第三条 校長のことは今後、“プリティー剛ちゃん”と呼ぶ』
「親しみやすい」
会場中が震えていた。
誰もツッコめない。
星野は次々と看板をめくる。
『校歌の二番を全部「にゃー」にする』
『購買で売るパンを、袋だけにする』
『期末試験の解答欄を、全部俳句にする』
『校長室を回転寿司にする』
「すべて、生徒の自由な発想です」
校長は真顔で肯定し続ける。
「なるほど」
「良いだろう」
「可能性を感じる」
星野の狙いがわかった。
どこまで無茶を言えば、校長は否定するのか。
自分でツッコミを入れさせるつもりだ。
だが、校長は頑固だった。
星野が最後の看板に手をかける。
「では、最終提案です」
看板をめくった。
『王塚校長は、本日をもって校長を辞任する』
体育館が静まり返った。
校長の眉が動く。
「その提案も、生徒の自由な発想か」
「はい」
「……素晴らしい」
校長は立ち上がった。
「受け入れよう」
「えっ」
今度は星野が固まった。
「王塚校長!」
教頭が慌てる。
「規則は規則だ。全肯定教育を掲げた以上、私だけ例外にはできん」
校長は胸元の校章を外し、机に置いた。
「今日で辞任する」
星野の作戦は、最悪の方向へ成功した。
客席からどよめきが起こる。
「校長が辞めるって!」
「文化祭どうなるんだ?」
「次の校長、教頭?」
「教頭は朝礼が四時間あるぞ!」
パニックが広がった。
星野は舞台上で青ざめている。
「ち、違います! 今のは本気じゃ――」
「君の発想を否定するつもりはない」
校長は背を向けた。
その瞬間。
舞台袖から、巨大な轟音がした。
ドゴオオオオン!
壁を突き破り、高さ十メートルの王塚校長像が現れた。
「な、何だこれは!」
教頭が叫ぶ。
美術部員が泣きながら答えた。
「星野さんに頼まれて作った、“笑う校長像”です! 設計図の一メートルを十メートルと読み間違えました!」
「誰も訂正してくれなかったので、そのまま作りました!」
「材料費が足りなくて、台車は陸上部のスターティングブロックと理科室のロケットエンジンです!」
情報の全部がおかしい。
巨大校長像は、口をカタカタ動かしながら舞台へ進んだ。
『ワッハッハ! ワッハッハ!』
背中のロケットエンジンが点火する。
ゴオオオオオッ!
「止めろ!」
校長が初めて強い声を上げた。
「停止ボタンはどこだ!」
「設計図では右耳です!」
「実際は?」
「左ひざです!」
「なぜ変えた!」
「個性です!」
巨大校長像が加速した。
舞台を横切り、体育館の出口へ向かう。
出口の先は下り坂。
その先には、模擬店でにぎわう中庭がある。
このままでは、巨大な笑う校長が文化祭を轢き潰す。
「星野!」
俺は叫んだ。
彼女は校長像の肩にしがみついていた。
「相川君! 予定より少し大きいです!」
「少しで十倍になるか!」
白金の端末が鳴る。
『ツッコミ行為を検知しました。相川ユウ、累積百点』
体育館の天井から、赤いランプが回った。
『退学処分が確定しました』
胸の奥が冷たくなる。
終わった。
母ちゃんの顔が浮かぶ。
学費も、進路も、全部消えた。
それでも目の前では、星野が巨大校長像から落ちそうになっている。
「相川君!」
俺は走った。
「白金! 右側の非常扉を開けろ!」
「しかし、退学処分が――」
「あとで退学でも入学でも好きにしろ! 今は人命優先だ!」
「……はい!」
白金が非常扉へ向かう。
「美術部! ロープを持ってこい! 陸上部は床にマット! 理科部はロケットを止める方法を考えろ!」
「ロケットに水をかけます!」
「花壇のじょうろで止まるか! 消火器を使え!」
「消火器、中身を炭酸ジュースに変えました!」
「何の自由研究だ!」
ツッコミを入れるたび、赤いランプが鳴った。
もう点数は関係ない。
俺は舞台へ飛び乗り、巨大校長像の背中を駆け上がった。
「星野! 手を伸ばせ!」
「届きません!」
「お前、腕を袖の中に引っ込めてるだろ!」
「あ、緊張で」
「カメか!」
星野が腕を出す。
俺はその手をつかんだ。
「相川君、退学……」
「あとで考える!」
「でも、私のせいで」
「お前のせいだけじゃない!」
俺は彼女を引き上げた。
「間違いを誰も止めなかった! 変だと思っても黙ってた! その結果がこの十メートル校長だ!」
『ワッハッハ! ワッハッハ!』
「笑い声が腹立つ!」
巨大校長像は体育館を飛び出し、坂道へ入った。
速度が上がる。
中庭の生徒たちが悲鳴を上げた。
白金が非常放送のマイクを奪う。
『全校生徒に告げます! 校則八百二十七条を一時停止! 今から全員、好きなだけツッコんでください!』
一瞬の沈黙。
そして、校内のあちこちから声が上がった。
「校長でかすぎ!」
「なんでロケット積んだ!」
「笑いながら突っ込んでくるの怖いわ!」
「校歌をにゃーにする案はちょっと好き!」
「今それ言う!?」
押し殺されていた言葉が、弾けた。
生徒たちは笑いながら逃げ、叫びながら協力した。
「テニス部、ネットを張れ!」
「サッカー部、ゴールを横に並べろ!」
「茶道部、お湯を持ってくるな! 何に使うんだ!」
「落ち着くかなって!」
巨大校長像の進路に、部活動の道具が次々と組まれていく。
だが勢いは止まらない。
「相川君!」
星野が像の左ひざを指さした。
「停止ボタン、あそこです!」
「遠い!」
「私が行きます」
「落ちるぞ!」
「大丈夫です。私、遅刻の先回りが特技なので」
「今それ一ミリも役に立たない!」
星野は笑った。
「やっぱり、相川君のツッコミ、好きです」
そして像の肩から飛び降りた。
「星野ぉ!」
俺は反射的に彼女の足首をつかんだ。
星野は逆さ吊りになり、両手を伸ばす。
指先が、左ひざの赤いボタンに届く。
「押します!」
「早くしろ!」
「このボタン、“押すな”って書いてあります」
「押せぇぇぇぇぇぇ!」
星野がボタンを押した。
カチッ。
ロケットエンジンが止まる。
巨大校長像はテニスネットに突っ込み、サッカーゴールを三つ巻き込み、柔道部の畳の上を滑り――
最後は、中庭の噴水に頭から突き刺さった。
ザッパアアアアン!
水柱が上がる。
『ワッ……ハ……』
巨大校長像の笑い声が、弱々しく止まった。
俺と星野は、噴水脇のマットに落ちた。
「生きてるか?」
「はい。相川君は?」
「退学した」
「元気そうでよかったです」
「学校籍の話だよ!」
周囲から、どっと笑いが起きた。
全校生徒が笑っていた。
先生も、白金も、教頭も。
そして。
「……ふ」
低い声が聞こえた。
王塚校長が、噴水の前に立っている。
「ふふ……はは」
口元を押さえ、肩を震わせていた。
「ワッハッハッハッハ!」
岩山が、笑った。
「自分の像が噴水に頭から刺さって……しかも『押すな』を押して止まるとは……ワッハッハ!」
校長は腹を抱えた。
「父なら、きっと大笑いしただろうな」
会場が静かになる。
校長はしばらく笑ったあと、目元をぬぐった。
「私は子どものころ、失敗するたび父に笑われていると思っていた。だから、笑われない学校を作ろうとした」
巨大校長像の頭から、水が噴き出した。
「だが、違ったのかもしれんな」
校長は星野を見る。
「笑うことは、否定することだけではない」
次に、俺を見た。
「相川。君のツッコミも同じだ。乱暴で、騒がしく、いちいち声が大きいが……誰より周囲を見ていた」
「褒めるときまで三回刺すのやめてもらえます?」
校長は再び吹き出した。
「今のも良い」
「採点されると腹立つな!」
さらに笑いが広がった。
星野が校長に尋ねる。
「では、プレゼン大会の結果は?」
校長は胸を張った。
「審査員を笑わせた者は、無条件で優勝。伝統は守る」
「やった!」
「ただし、校長辞任の提案も優勝案の一部だ」
「えっ」
「本日をもって、私は校長を――」
「そこは撤回しろよ!」
全校生徒のツッコミが、きれいに重なった。
校長は、今日一番大きな声で笑った。
一週間後。
校則八百二十七条は、正式に改正された。
『愛のあるツッコミを推奨する。ただし頭部への強い打撃、人格否定、同じネタの三回以上のこすりは禁止する』
ずいぶん具体的になった。
俺の退学処分は取り消された。
さらに、文化祭で全校生徒を救った功績により、「特別ツッコミ奨学生」に任命された。
そんな奨学制度、世界で俺しか使わないと思う。
星野は念願のお笑い研究会を設立した。
部室は、噴水から引き上げられた巨大校長像の頭部の中。
「なんでそこを部室にしたんだ」
「防音性が高いので」
「校長の頭の中で漫才する学校があるか!」
「ここにあります」
「事実で殴るな!」
白金も研究会に入った。
本人は「校則運用の監督」と言い張っているが、最近は自分からボケる。
「相川君。本日の私は、左右同じ靴です」
「それは普通だ」
「しかし両方とも右足用です」
「難易度を上げるな!」
古田先生は顧問になった。
相変わらずシュノーケルを頭につけている。
「先生、それ結局なんなんですか」
「老眼鏡だ」
「どんな海底で文字読むんだよ!」
部室に笑い声が響く。
星野が俺の隣に座った。
「相川君」
「なんだ」
「私のツッコミ担当、引き受けてくれますか?」
「研究会に入った時点で、もう逃げられないだろ」
「では、一生ということで」
「契約期間を勝手に伸ばすな」
「嫌ですか?」
星野は、少しだけ不安そうに俺を見る。
転校初日、マグロを抱えていたときと同じ目だった。
誰かに見つけてもらうのを待っている目。
「……まあ、お前のボケを全部拾えるのは、たぶん俺だけだ」
星野が笑う。
「それ、告白ですか?」
「違う」
「では、結婚式はマグロの解体ショー形式で」
「だから人生を進めるな!」
その瞬間、部室の扉が開いた。
王塚校長が、巨大な冷凍マグロを抱えて立っていた。
「入部希望だ。ボケを学びたい」
俺は立ち上がった。
「校長までマグロ持ってくるな! しかも冒頭の小道具をラストで回収すんな!」
天井の監視ランプが回転する。
ビービービー!
『愛のあるツッコミを検知しました。相川ユウに、功労点一』
「今度は加点されるのかよ!」
『功労点二』
「連続で入るな!」
『功労点三』
「もう黙れ!」
『功労点四』
全員が笑った。
俺のツッコミは、今日も世界を救わない。
でも少なくとも、目の前の変なやつを、一人にはしない。
了