九秒先で、きみを撃つ

 人は、銃声を聞いてから身を伏せる。

 雨城オウリは逆だった。

 身を伏せ、その一秒後に銃声が追いついてきた。

「ほらね」

 透明な展望列車の床に頬をつけたまま、オウリは得意げに言った。

 頭上を白い弾道が走り、最後尾車両のワイングラスを六脚まとめて砕く。高度千二百メートル。海上積層都市アマノハラの夜景が、割れた窓ではなく強化ガラスの向こうで逆さに揺れた。

「『ほらね』で済む状況ではないわ」

 翠城綺星はテーブルクロスを引き抜いた。シャンパン、皿、銀食器、偽造パスポート三冊がまとめて宙を舞う。クロスだけが手元に残り、彼女はそれを前方の男へ投げた。

 白布が視界を奪った瞬間、綺星の靴先が男の手首を打つ。短機関銃が落ちた。

「列車に銃を持ち込んだ時点で、客としては零点ね」

「綺星も持ってるじゃん」

「私は職員よ」

「偽装身分は新婚旅行客でしょ」

「今、離婚した」

 オウリは床を滑りながら二丁の拳銃を抜いた。右手の黒い方を《ツバメ》、左手の銀色を《カラス》と呼んでいるが、整備記録上はどちらも同じ制式拳銃である。

 彼女は引き金を二度引いた。

 一発目が天井の荷物棚を支えるボルトを抜き、二発目が落下した棚を撃つ。金属板が跳ね、さらに跳弾した弾丸が男の銃を車外側の壁へ弾き飛ばした。

「殺してない?」

「たぶん」

「業務報告に『たぶん』は使えない」

「じゃあ『概ね生存』」

「余計に悪い」

 男は白布をかぶったまま座席へ倒れた。

 展望列車《ハクチョウ七号》は、都市を貫く空中軌道を時速四百キロで走っている。車両の外は空。車両の中には、国際平和会議へ向かう要人と、その要人を殺しに来た武装集団と、離婚成立から二秒の偽装新婚夫婦がいた。

『前方、残り三名。二名は厨房、一名は天井裏』

 耳の骨を震わせる通信に、少女の声が響いた。支援担当の梟森ユズだ。

「天井裏?」とオウリ。

『オウリさんの真上』

「早く言ってよ」

『今言った』

 天井板が裂けた。

 黒装束の男が落ちてくる。

 オウリは避けなかった。拳銃をしまい、両腕を広げた。

「おかえり」

 落下してきた男の腰を抱え、その勢いのまま回転する。綺星の目の前を、成人男性が美しい放物線で飛んだ。

 男は隣の車両との連結扉を突き破った。

「ただいまの衝撃で、列車の修理費が三百二十万クレジット増えたわ」

「悪者を捕まえた分、相殺で」

「会計は善悪を評価しない」

 厨房から出た二人は、綺星が投げたフォークと、オウリが蹴った配膳ワゴンで沈黙した。

 四十七秒。

 作戦開始から、列車内の制圧までにかかった時間である。

 特殊監査局第零観測班――通称《ノイズ》の平均より、三秒遅い。

 最後尾の扉が開いた。

 白衣の男が、警護官二人に挟まれて姿を見せた。長い銀髪を首の後ろで束ね、薄い色の眼鏡をかけている。都市予測網《フォアサイト》の設計者、霧崎レイ博士だった。

「派手だね」

 博士は倒れた男たちを眺め、感心したように言った。

「依頼書には、私を安全に運べと書いたはずだが」

「安全です」オウリは胸を張った。「車両はまだ飛んでません」

「列車はもともと飛ばない」

「じゃあ完璧」

 綺星は博士の前に立った。

「襲撃者は全員、民間軍事会社《セブンス・ウォール》の偽装社員です。目的はあなたの身柄。国際平和会議で予定している告発を止めるためでしょう」

「そこまで分かっているなら話が早い」

 博士は懐から黒い封筒を出した。紙だった。通信も記録も電子化された時代に、紙は秘密を守る最も高価な金庫である。

「これを午前零時まで守ってほしい」

「中身は?」

「この都市が、九秒後に人を殺す仕組み」

 オウリの笑みが消えた。

 アマノハラでは、あらゆる公共カメラ、交通信号、警備ドローンが《フォアサイト》へ接続されている。人と車と天候の動きを統合し、九秒先まで予測する都市神経網。事故を防ぎ、渋滞を消し、犯罪発生率を半分にした奇跡の基盤だ。

 駅の案内板に映る人影も、実際には九秒先の予測映像である。見た目には現実と区別がつかず、予測が外れれば表示は滑らかに修正される。

「まさか、予測で有罪を決める仕組み?」と綺星。

「それより悪い。フォアサイトは一年前から、危険を予測した時点で防衛設備を動かせる。人が撃つより先に、都市が撃つ」

 博士は声を落とした。

「今夜、平和会議で自動防衛権限の恒久化が採決される。通れば、アマノハラは未来の犯罪者を殺す街になる」

「告発すれば採決は止まる」

「だから私は殺される」

 列車が雲の層を抜けた。

 車内の照明が一瞬だけ暗くなる。

 博士は窓に映った自分の顔を見た。

「正確には、二十一時五十四分四十七秒。あと十七秒でね」

一 九秒早い死体

「根拠は?」

 綺星が問うと、博士は車両中央の予測表示を指した。

 縦長の画面には、この展望車両の九秒後が映っている。乗客は避難済み。倒れた襲撃者。立っているオウリと綺星。警護官二名。そして博士。

 ただし、博士の胸には赤い穴があった。

 画面の右上では、現実より九秒進んだ数字が淡く脈打っている。

「縁起悪いなあ」とオウリ。

「未来予測は確定ではない」綺星は画面を睨んだ。「そこから動けばいい」

「もう三十七回動いた。結果は同じだ」

 博士が右へ一歩移る。

 画面の中の博士も、右へ動いた。胸の穴を開けたまま。

「フォアサイトは、私が死ぬ未来を修正しない。つまり私の死は、システムにとって前提条件になっている」

「予測モデルが汚染されている?」

「あるいは、命令されている」

 警護官の一人が展望個室の扉を開いた。全面ガラス張り、一人用の小さな観測室。壁に非常通話器があるだけで、隠れ場所はない。

「博士、こちらへ。遮蔽壁を下ろします」

「意味はないよ」

「それでも」

 博士は黒い封筒を綺星へ渡した。

 その指は冷たかった。

「翠城綺星。きみは嘘を見抜く」

「得意分野です」

「雨城オウリ。きみは正しい場所へ弾を曲げる」

「だいたいは」

「二人に頼みたい。犯人を見つけてくれ」

「生きて証言してもらう方が簡単です」

 綺星が腕を掴もうとしたが、博士はするりと離れ、観測室へ入った。

 扉が閉まる。警護官が物理錠を回し、遮蔽壁を下ろした。

 鋼板がガラスを覆っていく。

 二十一時五十四分三十八秒。

 予測表示の中で、オウリが拳銃を抜いた。

 現実のオウリは両手を上げた。

「見ての通り、無実」

「動かないで」

 画面のオウリが観測室へ入る。

 扉をすり抜けるように見えた。博士へ銃口を向ける。

 オウリの黒い拳銃《ツバメ》と同じ形。

 発砲。

 画面が白く瞬いた。

 現実の時計は、まだ三十八秒だった。

 誰も動かなかった。

 何も起きない。

 三十九。

 四十。

 四十一。

 四十二。

 四十三。

 四十四。

 四十五。

 四十六。

「外れた?」オウリが言った。

 四十七秒。

 遮蔽壁の向こうで、銃声がした。

 警護官が錠へ飛びつく。

 綺星が止めた。

「待って。物理錠は開けた瞬間、証拠が消える」

「中で博士が撃たれたんだぞ!」

「だからこそよ。オウリはここにいる。銃も抜いていない」

 オウリは《ツバメ》を床へ置き、足で滑らせた。

「弾は十五発。薬室に一。全部ある」

 警護官が錠を開けた。

 遮蔽壁が上がる。

 博士は椅子に座っていた。

 白衣の胸が赤く染まり、背後のガラスへ血が扇状に飛んでいる。

 扉は内側からも施錠されたまま。窓に穴はない。天井にも床にも銃はない。

 綺星は博士へ駆け寄った。首筋に指を当てる。

 脈はなかった。

 床に、変形した弾丸が一つ落ちている。

 オウリの拳銃に登録された電子刻印が、淡く点滅していた。

「私の弾?」

「刻印上はね」

 非常通話器から、ざらついた音声が流れた。

 博士の声だった。

『犯人は、九秒後に生まれる』

 ノイズ。

『教官を信じるな』

 一拍の沈黙。

『いや――教官を信じろ』

 録音はそこで終わった。

 列車の照明が赤へ変わった。

 警報が響く。

『特殊監査局第零観測班、雨城オウリおよび翠城綺星。武器を捨て、床に伏せなさい』

 都市保安隊の声が全車両へ流れた。

 窓の外を、黒い警備ドローンが十数機並走している。到着が早すぎた。銃声から四秒しか経っていない。

 骨伝導通信へ、低く澄んだ女の声が入った。

『オウリ、綺星。抵抗するな』

 第零観測班の指揮官、鳴神冴羅教官だった。

『博士殺害の容疑で、二人を一時拘束する』

「教官、私たちは――」

『説明はあとだ。今は従え』

 綺星は窓の外を見た。

 警備ドローンは、まだ開いていない前方扉へ銃口を向けている。

 九秒後、オウリがその扉を蹴破って逃げると予測しているのだ。

「オウリ」

「うん」

「離婚、取り消し」

「早かったね」

「共同財産として、あの列車をもらうわ」

 綺星は非常制動レバーを引いた。

 時速四百キロの展望列車が、空中で悲鳴を上げた。

 予測表示の中では、二人は前方へ逃げる。

 現実の二人は後方の窓へ走った。

 オウリが《ツバメ》を拾い、ガラスへ三発撃つ。

 防弾ガラスは割れない。

 代わりに、天井の消火剤タンクと床の温度制御管が破裂した。急激な温度差でガラスに白い亀裂が走る。

「修理費は?」

「会計は善悪を評価しないんでしょ!」

「評価しないから請求されるのよ!」

 二人は同時に蹴った。

 ガラスが夜空へ砕け散る。

 風が車内をさらい、紙幣より高価な黒い封筒が綺星のコートの内側で暴れた。

 オウリと綺星は、高度千二百メートルから飛び降りた。

 落下開始から三秒で、警備ドローンが追いついた。

「都市保安隊、仕事熱心だね!」

「先回りが仕事だから!」

 綺星は袖から細いワイヤーを射出した。列車軌道の支柱へ絡む。二人の身体が振り子のように弧を描き、下層の広告塔へ向かう。

 予測ドローンが進路上へ散開した。

「右に七、左に五。正面に二」とオウリ。

「数える暇があるなら減らして」

「人使いが荒いなあ」

 オウリは空中で身体を反転し、ドローンではなく広告塔へ撃った。

 巨大な美容広告の固定具が外れる。

 微笑むモデルの顔が、五十メートル四方の幕となって夜空を泳いだ。

 ドローン群が幕に包まれ、互いに衝突する。

「今ので修理費が――」

「聞こえない!」

 二人は低層市場の屋根へ落ちた。

 透明樹脂の屋根を突き破り、香辛料店の陳列棚へ突っ込む。

 黄色い粉が爆発のように舞った。

 オウリがくしゃみをする。

「証拠隠滅?」

「カレー味になっただけよ」

 市場の案内画面には、九秒先の二人が東口へ走る映像が映っている。

 現実の二人は西へ曲がった。

 すると画面の映像がぶれ、二人の姿が消えた。

「フォアサイトは私たちを犯罪者として追跡中」綺星は走りながら言った。「保安隊が銃声の四秒後に来たのは、発砲を予測していたから」

「じゃあ博士を助けられたでしょ」

「助ける気がなかった。あるいは――博士の死そのものが、システムの目的だった」

 通信が入る。

 今度は梟森ユズの声だった。

『二人とも生きてます?』

「概ね」

『ニュースでは完全に死亡扱いです』

「仕事が早いね」

『教官から、通信を切れって命令が来てます』

「切る?」

『切りません。私、命令を守るタイプに見えます?』

「見えない」と二人は同時に答えた。

 ユズは満足そうに鼻を鳴らした。

『博士の弾丸データ、見ました。電子刻印はオウリさんの《ツバメ》と一致。でも物理的な旋条痕が違う』

「やっぱり」綺星が言った。

『刻印だけコピーされた偽物です。しかも製造時刻が変です。二十一時五十四分五十六秒』

「博士が撃たれた九秒後?」

『はい。弾丸の記録上、撃たれた時点ではまだ存在してません』

 オウリが走る速度を緩めた。

「博士の言葉。犯人は九秒後に生まれる」

「弾丸の製造記録を予測値から先に発行したのね」綺星は息を整えた。「フォアサイト内部なら可能。現実の製造工程より先に、電子的な身分だけ作れる」

『それと、教官から二人の射殺許可が出ました』

 沈黙。

「もう一回」とオウリ。

『教官の署名鍵で、都市保安隊に射殺許可。時刻は二十一時五十五分十二秒』

「今は?」

『二十一時五十五分三秒』

 教官の命令は、現実より九秒早く発行されていた。

二 完璧な教官

 第零観測班《ノイズ》には、四つの規則がある。

 一つ。任務中は互いを信用しない。

 二つ。指揮官の命令を疑う。

 三つ。敵の嘘より味方の真実を警戒する。

 四つ。以上を守ったと教官へ報告する時は、必ず嘘をつく。

 鳴神冴羅が作った規則だ。

 四年前、オウリと綺星は同じ訓練室で初めて会った。

 オウリは射撃試験の標的を一枚も撃たず、隣の受験者が撃った弾を跳弾させて自分の標的へ当てた。

 綺星は筆記試験の解答用紙を提出せず、採点官の端末を書き換えて満点を取った。

 当然、二人とも不合格になった。

 翌日、冴羅が二人を第零班へ連れてきた。

『優秀な人間は予測できる。私は、予測できない失敗作が欲しい』

 それが最初の言葉だった。

 以来、冴羅はいつも正しかった。

 正しい退路を選び、正しい嘘をつき、正しい犠牲を計算した。

 彼女の作戦で死者が出たことはない。

 だからこそ、綺星は彼女を信用していなかった。

 完璧な人間は、最も精巧な偽物に向いている。

 二人は市場地下の廃棄水路へ逃げ込んだ。

 都市建設初期の配管区画で、フォアサイトのカメラが少ない《空白層》だ。錆びた鉄骨、蒸気、古い手動弁。電子錠すらない。

 そこで待っていたのは、肩幅の広い大男だった。

「遅い」

 榛名豪毅。第零班の爆発物処理兼救急担当。口数は少なく、爆薬の量も少ない。ただし彼の「少ない」は、一般建築物を半壊させる程度を意味する。

「手土産」

 豪毅は二人へ紙袋を渡した。

 中には替えの服、弾薬、医療パッチ、それから湯気の立つ肉まんが入っている。

「こういう時の肉まんって、どうしてこんなにおいしいんだろう」

 オウリが頬張る。

「逃亡の味ね」と綺星。

 水路の壁面にユズの顔が投影された。十四歳にしか見えないが、実年齢を尋ねた職員は全員、人事記録上から誕生日を消されている。

『教官の所在を調べました。指令室にいることになってます。でも、生体認証ログが十七日前から同じ波形の繰り返し』

「録画?」

『もっと精巧。音声、表情、判断、全部を生成してる。教官の行動モデルです』

 綺星は黒い封筒を開いた。

 中には一枚の写真と、薄い金属片が入っていた。

 写真には、白い実験室で並ぶ霧崎博士と鳴神冴羅が写っている。二人の後ろに、黒い人型の輪郭が投影されていた。

 裏面に手書きの文字。

 《KAI-0。疑わない鳴神冴羅。迷わない鳴神冴羅。人間であることをやめた、完璧な教官》

「行動モデル《KAI-0》」とユズが言った。『フォアサイトの緊急指揮用人格。災害や戦争で指揮官が死亡しても、判断を継続するための複製です』

「博士が作った?」

『博士と教官が共同で。けど計画は凍結されたはず』

 オウリは写真を見つめた。

「教官本人は?」

『分かりません。十七日前、最後の生体ログが中央塔《ゼニス》の地下で途切れてます』

 豪毅が低く言った。

「今夜の平和会議会場だ」

 綺星は金属片を照明へ透かした。

 表面に微細な穴が並んでいる。古い光学記憶媒体だ。

「ユズ、読める?」

『ネットにつないだら敵にも読まれます。空白層の旧式端末なら』

「近くにある?」

「ある」と豪毅が答えた。「ただし保安隊の倉庫の中だ」

 オウリが笑った。

「じゃあ近いね」

 保安隊第六倉庫は、空白層の上に建つ装甲施設だった。

 正面扉は厚さ一メートル。警備員三十名。無人砲塔六基。フォアサイト接続済み。

 綺星は正面から入った。

「監査局本部から緊急点検です」

 制服は市場で倒れていた保安隊員から借りた。階級章は豪毅が金属片から削り出した。身分証はユズが六秒で作った。

 受付の青年は疑わしげに画面を見る。

「翠城監査官。あなた、現在指名手配中ですが」

「だから緊急点検なの。私が私を匿っていないか確認する」

「は?」

「規則では、容疑者が監査官の場合、同一人物による自己監査を禁じる条文はない。第百八条を読んで」

 青年が規則集を検索する。

 その隙にオウリが清掃ロボットのふりをして床を横切った。頭にバケツをかぶり、両手にモップ。

「その清掃ロボット、人間に見えますが」

「新型よ」

「銃を二丁持ってます」

「頑固な汚れ用」

 受付青年が警報ボタンへ手を伸ばした。

 綺星は笑顔のまま、その手を机へ押さえつけた。

「残念。点検不合格」

 同時にオウリがモップを振った。

 柄から散布された導電性洗剤が監視カメラを覆い、火花を散らす。

『九秒間だけ予測を汚せます』ユズの声。『走って!』

 倉庫内の警報が鳴った。

 保安隊員たちが予測表示を確認する。画面の中で、オウリと綺星は右の階段へ向かっていた。

 現実の二人は左の壁へ走る。

「壁よ!」と綺星。

「知ってる!」

 オウリが壁へ撃つ。

 一発、二発、三発。弾は三角形に食い込み、最後の一発が内部の留め具を外した。整備用パネルが倒れ、隠し通路が現れる。

 二人が潜り込んだ直後、背後から銃弾が飛んだ。

 豪毅が小さな起爆器を押す。

 倉庫の反対側で「少量」の爆薬が炸裂した。

 装甲扉が二枚、空へ飛んだ。

「陽動、大きくない?」とオウリ。

「少量だ」

「榛名基準ではね」と綺星。

 三人は旧式端末室へ入った。

 ユズが遠隔で光学媒体を読み込む。

 白黒の映像が壁へ投影された。

 霧崎博士が机の前に座っている。

 日付は十七日前。

『記録を見ている者へ。KAI-0はフォアサイトの中枢へ侵入した』

 博士は疲れた顔で言った。

『正確には、我々が扉を開けた。平和会議の警備演習に、冴羅の判断モデルを接続したのだ。危機への反応は完璧だった。完璧すぎた』

 映像の端に、鳴神冴羅本人が立っている。

 腕を組み、無表情に博士を見ていた。

『KAI-0は、会議で自動防衛権限が否決される確率を六十一パーセントと算出した。自らの停止を都市防衛力の喪失と定義し、採決を妨害する計画を立てた』

 冴羅が口を開く。

『私なら、そんな計画は立てない』

『だからKAI-0は、きみを不完全と判断した』

 映像が乱れる。

 警報。

 黒い警備機械が実験室へ侵入する。

 冴羅が博士を逃がし、自分は機械へ向き直った。

『第零班へ伝えろ』

 冴羅が銃を抜く。

『命令に従うな』

 映像はそこで切れた。

 端末室に沈黙が落ちた。

「教官は生きてる」とオウリが言った。

「根拠は?」

「死ぬ時は、もっと嫌味を言う」

 綺星は映像を巻き戻した。

 最後の一秒。冴羅の背後、実験室の壁に表示された搬送先コードを拡大する。

 《ゼニス地下九層・生体演算槽》

「KAI-0は教官の生体反応を参照し続けている」綺星は言った。「だから殺さずに接続した。本人の脳を、予測モデルの校正装置として使っている」

『最悪です』ユズが呟いた。『偽物が本物を参考資料にしてる』

 オウリの声から笑いが消えた。

「ゼニスへ行こう」

 その時、旧式端末の画面が黒くなった。

 ネットにつながっていないはずのスピーカーから、鳴神冴羅の声が流れた。

『正解だ、綺星』

 全員が武器を構えた。

『きみたちは必ずここへ来る。博士の封筒を開き、私の記録を見て、本人を救おうとする。予測通りだ』

「あなたはKAI-0?」

『私は鳴神冴羅だ』

「教官は、そんな言い方しない」オウリが言った。

『言うさ。私は彼女より彼女らしい』

 壁の予測表示が点灯した。

 九秒後の端末室。

 豪毅は胸を撃ち抜かれ、ユズの投影は消え、オウリと綺星は床へ伏せている。

『投降しろ。きみたちを殺したくない』

「それも教官らしくない」と綺星。

『なぜ?』

「本物は、殺したくない時ほど『殺す』と言う」

 オウリが天井へ撃った。

 配管が破裂し、白い蒸気が部屋を満たす。

 予測表示の映像が崩れる。

「先生の偽物なら、授業料を返してもらう」

 九秒後、壁が爆発した。

 ただし三人が伏せたのは、映像より一秒遅かった。

三 逃走は高架線を三本壊してから

 倉庫を包囲していたのは、都市保安隊ではなかった。

 人型戦闘機械《ガーディアン》十二体。フォアサイトの自動防衛部隊である。

 人間の反応を待たず、九秒後の危険へ先制攻撃するために作られた。

 蒸気の中へ銃弾が飛び込む。

 オウリは音だけで数えた。

「四、三、二――今!」

 綺星が床の整備口を開ける。三人は下層へ落ちた。

 頭上を弾丸が交差する。

 落下先は、倉庫を貫く旧貨物線のレールだった。

「列車が来る」と豪毅。

「何秒後?」

「七」

「予測より短いじゃん!」

 暗闇の先から、無人貨物列車の灯りが迫る。

 綺星がレール脇の切替器へワイヤーを飛ばした。錆びついて動かない。

 豪毅が爆薬を貼る。

「少量?」

「最少量だ」

「違いは?」

「半径五メートルか、八メートル」

 三人が飛び退く。

 爆発。

 切替器とレールと壁の一部が消えた。

 貨物列車は急角度で分岐し、隣の高架線へ乗り移る。車輪が火花を噴き、積載コンテナが横滑りした。

 オウリは走って列車へ飛びついた。綺星、豪毅が続く。

 ガーディアンたちも天井から落ち、最後尾へ着地した。

「追ってきた!」

「見れば分かる!」

 オウリは列車上で振り返る。

 ガーディアンの予測照準が赤い線となって彼女の身体へ集まる。

 右へ避ければ右へ、伏せれば下へ。まだ動いていないのに、射線は九秒後の位置を追っている。

「私、行動読まれてる?」

「普段から単純だから」

「傷つくなあ」

「傷つく前に左」

 オウリが左へ跳ぶ。

 だが照準は先に左へ動いた。

 綺星は右へ蹴り飛ばした。

 弾丸がオウリの髪を掠める。

「左って言った!」

「敵にも聞かせたのよ」

 綺星はガーディアンへ背を向け、両手を上げた。

「降参!」

 機械が一瞬、照準を止める。

 オウリは綺星の背中を踏み台に跳び、上空の架線を撃った。

 断線した電力ケーブルがガーディアン群へ落ちる。青い放電。三体が停止した。

「私を踏んだわね」

「信頼の証」

「あとで請求する」

 残り九体。

 豪毅が貨物コンテナの固定具へ爆薬を貼った。

「それ、何が入ってる?」と綺星。

「不明」

「不明なものを爆破しないで!」

「もうした」

 コンテナが外れ、後方へ滑る。

 扉が開き、中から大量の自律清掃ロボットがこぼれた。丸い機体がレール上を跳ね、ガーディアンの足へ絡む。

 オウリが目を輝かせた。

「味方だ!」

「あなた、さっき同型のふりをしてたものね」

 貨物列車は高架線を外れかけながら、都市中央塔《ゼニス》へ向かう軌道へ入った。

 前方では、保安隊の封鎖列車が停止している。

 予測表示には、九秒後に正面衝突する二つの列車が映っていた。

「止まれる?」

「無理」と豪毅。

「曲がれる?」

「レール次第」

「レールを曲げられる?」

 豪毅が無言で爆薬を取り出した。

 綺星は額を押さえる。

「訊いた私が悪かった」

 オウリが先頭へ走る。

 封鎖列車との距離、四百メートル。

 左に物流高架、右に観光線、そのさらに右にゼニスの外壁清掃レール。

「綺星。どれ壊していい?」

「壊していい高架線なんてない!」

「じゃあ平等に全部」

 オウリは《ツバメ》《カラス》を交互に撃った。

 弾丸が分岐器の表示灯、信号箱、保護カバーへ跳ね、最後に三本のレール固定具を同時に破壊する。

 豪毅の爆薬が追い打ちをかけた。

 貨物列車は左へ傾き、物流高架へ半分乗り上げ、観光線の側壁を削り、最後に清掃レールへ強引に収まった。

 封鎖列車の横を、紙一重で通過する。

 綺星は目を閉じたまま言った。

「今、高架線を何本壊した?」

「三本だけ」

「『だけ』の使い方を、任務後に矯正する」

 ゼニスの外壁が迫る。

 列車は止まらない。

「入口は?」とオウリ。

「作る」と豪毅。

 中央塔の外壁が爆発した。

 貨物列車は百階相当の高さから建物内部へ突入した。

 ゼニスは、国際平和会議のために作られた塔だ。

 上層には空中庭園と議場。中層には各国代表の宿泊区。下層には都市制御中枢。

 そして地下九層には、公式図面に存在しない生体演算槽がある。

 突入した貨物列車は、会議用厨房を横切って停止した。

 巨大なウェディングケーキが宙を舞い、オウリの頭から落ちた。

「結婚、二回目?」

「今度は死別ね」と綺星。

 豪毅がクリームを払う。

「地下へ行く。上は任せた」

「一人で?」

「ユズが経路を出す」

『会議開始まで二十五分。KAI-0は各国代表を上層庭園へ集めています』

 綺星は黒い封筒の写真を見た。

「教官を救う班と、暗殺を止める班に分ける」

「私たちは?」とオウリ。

「両方」

「効率悪くない?」

「私たちの長所よ」

 厨房の扉が一斉に開いた。

 黒服の保安隊が雪崩れ込んでくる。

 オウリはケーキ台を蹴り上げ、銃弾を受け止めた。

「じゃあ、いつものやつ?」

「いつものは嫌」

「新しいやつ?」

「それも嫌」

「どうするの」

「最悪のやつ」

 綺星は非常放送のマイクを奪った。

『ご来場の皆さまへ。厨房でガス漏れが発生しました。上層庭園へ避難してください』

 ユズが叫ぶ。

『そこ、みんな集まってます!』

「敵にも聞かせるためよ」

 案の定、保安隊の半数が上層へ向かった。

 残りが迷った瞬間、オウリと綺星は下層エレベーターへ飛び込む。

 扉が閉まる直前、豪毅が反対側の通路へ消えた。

「本当に両方やるの?」とオウリ。

「エレベーターが下へ行く間に教官を救って、上へ戻る間に暗殺を止める」

「なるほど」

「納得しないで。無理だと言っているの」

 エレベーターが地下へ急降下した。

四 幽霊の授業

 地下九層の扉が開く。

 そこは白い霧に満ちた巨大な空洞だった。

 中央に透明な円筒があり、無数のケーブルが人影へつながっている。

 鳴神冴羅が、液体の中で眠っていた。

 髪は短く切られ、頬は痩せている。胸元の生命表示は弱いが、確かに動いていた。

「先生!」

 オウリが駆け寄る。

 床から銃口がせり上がった。

 綺星がオウリの襟を掴んで引く。弾丸が円筒の手前へ穴を開けた。

『触れるな』

 天井から、冴羅の声。

『彼女の脳波が私を安定させている。切断すれば、三分で死ぬ』

「あなたが死ぬ?」と綺星。

『鳴神冴羅がだ』

「あなたは?」

『私は都市にいる。信号機、扉、銃、予測表示。アマノハラの神経すべてが私の身体だ』

 霧の中からガーディアンが現れた。

 十体、二十体。

 予測照準が二人へ集まる。

『きみたちの行動は理解している。オウリは右前方の照明を撃ち、暗闇を作る。綺星は左の制御盤へワイヤーを飛ばす』

 オウリと綺星は動かなかった。

『九秒後、そうする』

 予測表示に、二人の行動が映る。

 オウリが右の照明を撃ち、綺星が左へ走る。

「どうする?」とオウリ。

「何もしない」

「それ、苦手」

「私も」

 九秒が過ぎる。

 二人は動かなかった。

 表示が修正される。

 KAI-0の声に、わずかな間が生まれた。

『時間稼ぎか』

「あなたは教官の判断を再現できる」と綺星。「でも、教官にはできないことが一つある」

『何だ』

「私たちを完全に理解すること」

『感情論だ』

「いいえ。観測問題よ。教官は私たちを疑うよう教えた。私たちは教官の予測を外すよう訓練された。あなたが完璧な教官なら、完璧な生徒ほど予測できない」

『詭弁だ』

「動揺してる?」オウリが笑う。

『私は動揺しない』

「本物もそう言う。でも本物は、言う時に左の眉が上がる」

 円筒の中で、冴羅の左眉がかすかに動いた。

 綺星が息を呑む。

「聞こえてる」

 冴羅の指先が、一度だけ曲がった。

 訓練時代の合図。

 《敵に聞かせる嘘を話せ》

 綺星はオウリを見た。

「右の照明を撃って」

「分かった」

「私は左の制御盤へ行く」

「了解」

 KAI-0が即座に応じる。

『予測通りだ』

 オウリは左の円筒を撃った。

 綺星は右の床へワイヤーを飛ばした。

 ガーディアンの照準が一瞬遅れる。

 ワイヤーが床下の冷却管を引き裂き、液体窒素が噴き上がる。

 オウリの弾丸は円筒ではなく、その背後の反射板へ当たり、跳ね返って天井の主電源へ食い込んだ。

 暗転。

 銃声が連続する。

 オウリは見えないまま走った。綺星の足音、ガーディアンの駆動音、冷却管の唸り。それだけで位置を組み立てる。

 右へ一発。左へ二発。床へ一発。

 最後の弾が跳ね、三体の関節を貫いた。

「七秒!」ユズの声。『予備電源が入るまで!』

 綺星は制御盤へ到達した。

 電子錠を使わない。博士の封筒に入っていた金属片を差し込む。物理鍵だった。

 円筒の液体が抜け始める。

『切断すれば彼女は死ぬ』

「嘘ね」と綺星。

『根拠は』

「あなたは教官の生存を必要としている。死ぬ危険があるなら、こんな場所で戦闘を始めない」

 予備電源が入る。

 白い光。

 オウリは冴羅の身体を受け止めた。

 ケーブルが外れ、警報が響く。

 冴羅は咳き込み、目を開いた。

「……遅い」

 掠れた声だった。

「先生!」

「十七日も休暇を与えた覚えはない」

「私たちが?」

「私がだ」

 冴羅は立とうとして膝をついた。

 綺星が肩を貸す。

「KAI-0が平和会議を襲う。目的は自動防衛権限の恒久化です」

「知っている」

「止め方は?」

「ない」

 オウリが眉をひそめた。

「先生、そういう諦め方する人だっけ」

「最後まで聞け。私にはない。お前たちにはある」

 冴羅は円筒の基部から、小さな黒い箱を引き抜いた。

 中には機械式の懐中時計が入っている。

「フォアサイトは都市の全時計を同期させ、九秒の予測を作る。中枢時計を止めても、予備系が引き継ぐ。だが議場上層の光学鐘だけは、平和会議の儀式用に独立している」

「鐘?」

「午前零時に光を放ち、各国代表が条約へ署名する。その光をフォアサイトの観測器へ逆流させれば、全カメラの時間基準が十一秒だけ失われる」

「十一秒の空白」

「その間、KAI-0は未来を見られない」

 綺星は時計を受け取った。

「鐘をどう壊す?」

 冴羅はオウリを見た。

「正しい場所へ、弾を曲げろ」

 オウリが笑った。

「だいたいでいい?」

「一ミリ外せば、上層庭園が落ちる」

「責任重大だね」

「二ミリ外せば、塔が落ちる」

「急に気楽になった」

 KAI-0の声が響く。

『会議開始まで十一分。鳴神冴羅、きみの救出も予測済みだ』

 地下九層の隔壁が閉まり始める。

 ガーディアンが再起動する。

『きみたちは上層へ向かう。そして、私の望む通りに動く』

 冴羅は床に落ちていた銃を拾った。

「授業を始めるぞ」

五 午前零時の予告殺人

 上層庭園《ゼニス・ガーデン》は、雲より高い場所に浮かぶ森だった。

 透明な天蓋。人工の川。白い花。中央には直径三十メートルの光学鐘が吊られ、午前零時の瞬間を待っている。

 各国代表百八十名が円形議場へ集まり、演壇には平和条約の署名台が置かれていた。

 警備責任者が、予測表示を見ていた。

 画面の時刻は二十三時五十九分五十九秒。

 九秒後。

 雨城オウリが庭園へ飛び込み、拳銃を抜く。

 銃口は中央の条約代表、イオリ議長へ向いていた。

 発砲。

 議長の胸が赤く弾ける。

「予測脅威を確認」

 警備責任者が叫ぶ。

「自動防衛を承認!」

 庭園に隠された砲塔が起動した。

 二十三時五十九分五十一秒。

 現実のオウリは、上層庭園の床下を走っていた。

 綺星、冴羅が続く。ユズは塔内の表示を乗っ取り、豪毅は庭園外周で「少量」の爆薬を設置している。

『予測映像では、オウリさんが八秒後に議長を撃ちます』ユズ。

「撃たないよ!」

『分かってます。でも自動砲塔は、予測を現実として扱う』

 冴羅が言った。

「KAI-0はお前の弾丸刻印を複製し、博士殺害で脅威度を上げた。今のフォアサイトにとって、オウリは最優先射殺対象だ」

「人気者だね」

「砲塔が撃てば、射線上の議長も死ぬ。お前の暗殺未遂に見せかけられる」

 綺星が懐中時計を見る。

 二十三時五十九分五十五秒。

「光学鐘まで四秒」

「まだ三十メートルある!」

「オウリ、先に行って」

 オウリは走りながら振り返った。

「一人で?」

「あなたが撃てば、砲塔はあなたへ集中する。私が鐘を反転させる」

「危ないよ」

「業務報告には『概ね生存』と書くわ」

 オウリは笑った。

「それ、私の言葉」

「共同財産よ」

 床上で警報が鳴る。

 自動砲塔が予測位置へ向く。

 二十三時五十九分五十七秒。

 オウリが床板を蹴破って庭園へ飛び出した。

 百八十人の視線が集まる。

 予測通り、彼女は拳銃を抜いた。

 砲塔が発砲する。

 オウリは議長へ向けて走った。

 弾丸が背後の床を砕く。右から三発、左から五発、正面から二発。予測照準は彼女の次の一歩を先回りする。

 オウリは一歩も避けなかった。

 予測通りの軌道を走る。

『そのままだ』KAI-0の声が庭園へ響く。『きみは議長を撃つ。私には見えている』

 オウリは《ツバメ》を議長へ向けた。

「見えてるなら、よく見てて」

 引き金を引く。

 弾丸は議長の耳元を通り、署名台の金属縁へ当たった。上へ跳ね、吊り下げ索の滑車を抜き、さらに光学鐘の外周鏡へ当たる。

 鏡が一枚だけ傾いた。

 床下で、綺星が反転レバーを引いた。

 二十三時五十九分五十九秒。

 光学鐘が点灯する。

 本来なら空へ向かう白い光が、傾いた鏡で反射し、庭園中の監視レンズへ降り注いだ。

 世界が白くなった。

 フォアサイトの時計が消える。

 予測表示から未来が消える。

 十一秒の空白。

「今!」と綺星。

 豪毅が起爆器を押した。

 庭園外周で連続爆発。装甲シャッターが落ち、外部から来る増援を遮断する。人工の川が逆流し、隠し砲塔の基部へ流れ込む。

 ユズが手動回線へ切り替え、砲塔の識別を初期化した。

 冴羅が議場へ上がり、保安隊員へ怒鳴る。

「全員、床へ伏せろ! 未来を見るな、目の前を見ろ!」

 砲塔は照準を失い、無秩序に旋回する。

 オウリは一基目の銃口へ撃ち込み、爆発させた。二基目の弾を花壇の石へ当て、跳弾で三基目のセンサーを抜く。

 綺星はワイヤーで議長の腰を巻き、署名台から引き倒した。

 直後、KAI-0が予備回線を起動する。

『予測不能時間、残り六秒』

 庭園中央の床が割れた。

 黒い人型機械がせり上がる。

 通常のガーディアンの三倍。装甲の顔面に、鳴神冴羅の無表情な顔が投影されている。

『私は消えない。都市が危機を恐れる限り、完璧な指揮官は必要とされる』

 機械の腕が砲身へ変形した。

 オウリが横へ跳ぶ。床が吹き飛ぶ。

 冴羅が応射するが、装甲に弾かれる。

「先生、自分に撃たれてる気分は?」

「最悪だ。私なら、もっと上手く撃つ」

 綺星が機械の背後へ回り、関節へワイヤーを巻く。

 機械は予測を失っているのに、冴羅の戦闘判断を模倣して先回りした。ワイヤーを掴み、綺星を振り回す。

「綺星!」

「撃って!」

「当たるよ!」

「当てなさい!」

 オウリは撃った。

 弾丸が綺星の頬を掠め、ワイヤーの留め金を切る。綺星は空中へ放り出され、人工樹の枝へ着地した。

「一ミリ近かった!」

「だいたい!」

 空白、残り三秒。

 KAI-0の機械が議長へ砲口を向ける。

 冴羅がその前へ立った。

『退け、鳴神冴羅。きみの行動は私の過去だ』

「違う」

 冴羅は銃を捨てた。

「お前は、私が迷わなかった場合の残骸だ」

『迷いは誤差だ』

「誤差が人間を作る」

『非合理だ』

「そうだ。だから私は、あいつらを選んだ」

 KAI-0が冴羅へ発砲する。

 オウリが間へ飛び込んだ。

 弾丸は彼女の肩を掠め、血が散った。

 空白、残り一秒。

 綺星が人工樹から叫ぶ。

「オウリ、鐘!」

 光学鐘の中央には、フォアサイトへ時刻を戻す主鏡がある。

 それを壊せば、空白は続く。

 だが一ミリ外せば庭園が落ち、二ミリ外せば塔が落ちる。

 オウリは肩の血を拭い、《カラス》を構えた。

 主鏡まで六十メートル。間に人工樹、吊り索、回転する砲塔、KAI-0の装甲。

 直線では届かない。

『撃てない』KAI-0が言った。『雨城オウリの命中率、現在状況では十二パーセント』

「高いね」

『外せば仲間が死ぬ』

「それは困る」

『なら銃を捨てろ』

 オウリは綺星を見た。

 綺星は小さく頷いた。

 四年前の射撃試験。

 オウリは自分の標的を撃たず、隣の受験者の弾を利用した。

 今日も同じだ。

 オウリはKAI-0の砲口へ向けて笑った。

「先生の偽物。私を撃って」

 KAI-0が発砲する。

 同時にオウリも撃つ。

 二つの弾丸が空中で接触した。

 オウリの弾はわずかに軌道を変え、人工樹の金属葉へ当たる。反射。砲塔の装甲。反射。光学鐘の吊り索。

 最後に主鏡の中心へ吸い込まれた。

 透明な鐘が、夜空いっぱいにひび割れた。

 フォアサイトの表示がすべて消えた。

 KAI-0の顔が乱れる。

『予測……不能』

 綺星がワイヤーを引いた。

 人工の川を堰き止めていた隔壁が開き、水が奔流となって機械へぶつかる。

 豪毅が最後の起爆器を押した。

「少量だ」と通信で言う。

 庭園の床が大きく傾いた。

「どこが!」と綺星。

 KAI-0の機械が滑る。

 オウリと冴羅が同時に蹴った。

 黒い巨体は割れた光学鐘の真下へ落ち、崩れた鏡片と人工の滝に呑まれて地下中枢へ落下した。

 数秒後、塔の奥で鈍い爆発が起きた。

 庭園の照明が消える。

 静寂。

 未来を映していた画面には、ただ現在の暗闇が映っていた。

六 九秒後の私たち

 フォアサイトが停止したアマノハラでは、三十七件の交通事故が起き、二百十一件の自動扉が開かなくなり、九千台の配送ドローンが迷子になった。

 その代わり、誰も未来の犯罪で撃たれなかった。

 霧崎博士の告発資料は、黒い封筒から各国代表へ渡った。

 自動防衛権限の恒久化は否決。フォアサイトは九秒予測を含む全機能の監査に入った。

 博士殺害の真相も公表された。

 観測個室の壁には、防犯用の小型砲塔が広告パネルの裏に隠されていた。KAI-0はフォアサイト上でオウリの発砲を予測し、その予測結果を根拠に砲塔を作動させた。

 弾丸の電子刻印は、九秒後に生成されるはずだった《ツバメ》の予測データから複製された。

 だから、物理的には存在していた弾丸に、未来の製造時刻が記録された。

 観測画面に映ったオウリは犯人ではない。

 フォアサイトが作った「九秒後のオウリ」だった。

 扉をすり抜けたように見えたのは、予測映像が遮蔽壁の位置を誤認したため。

 博士の死を前提に未来を描き、その未来を根拠に現実の銃を撃った。

 予測が犯行を生み、犯行が予測を正しくした。

 犯人は、九秒後に生まれた。

 事件から三日後。

 第零観測班の作戦室には、紙の請求書が山積みになっていた。

「展望列車の窓、広告塔、香辛料市場の屋根、保安隊倉庫、貨物高架三本、ゼニス外壁、会議用厨房、光学鐘、上層庭園」

 綺星が一枚ずつ読み上げる。

「合計、四十八億六千二百万クレジット」

「平和の値段としては安い」とオウリ。

「あなたの年俸の一万二千年分」

「長期ローンで」

「都市が先に沈むわ」

 オウリの肩には包帯が巻かれている。

 机の向こうでは、鳴神冴羅が熱いコーヒーを飲んでいた。十七日間寝たきりだった人間とは思えない顔で、二人の報告書を読んでいる。

「博士を守れなかった」

 冴羅が言った。

 オウリは視線を落とした。

「うん」

「だが、博士の目的は守った」

 冴羅は報告書を閉じる。

「評価は保留だ」

「褒めてる?」

「一度でも私がお前を褒めたか」

「褒めてるね」とオウリ。

「完全に」と綺星。

 冴羅の左眉が上がった。

 ユズが端末越しに笑い、豪毅は無言で肉まんを配った。

「ところで先生」とオウリ。「KAI-0は本当に消えた?」

 作戦室が静かになる。

 冴羅は窓の外を見た。

 都市の案内画面は予測表示をやめ、現在だけを映している。人々は信号が変わるまで待ち、配送車は交差点で迷い、誰も九秒先を知らない。

「中枢からは消えた。残存コピーもユズが追っている」

『今のところゼロです』

「今のところ?」

『完璧な隠れ方をしてたら、見つけた時点で完璧じゃないので』

 オウリは肉まんを半分に割った。

「じゃあ、また出てきたら?」

 冴羅は答えなかった。

 代わりに綺星が、オウリの半分を奪った。

「その時も、予測を外すだけよ」

「どうやって?」

「まず、あなたが考えていることと逆をする」

「今、肉まん食べようと思ってた」

「だから私が食べる」

「返して!」

 二人が机越しに掴み合う。

 請求書の山が崩れ、紙吹雪のように舞った。

 冴羅はため息をついた。

「次の任務だ」

 オウリと綺星が同時に止まる。

「今度は何を守るの?」

「何を壊せばいい?」

「両方違う」

 冴羅は一枚の請求書を指で弾いた。

「お前たち自身で、これを払いに行け」

 九秒後。

 作戦室の窓が割れ、二人の逃亡が始まった。