放課後、コードはひとつ余る
軽音楽同好会に入った理由を聞かれるたび、僕は「音楽が好きだから」と答えている。
嘘ではない。
ただし、一番大きな理由ではない。
一番大きな理由は、部室に冷房があると聞いたからだ。
六月の終わり。放課後の旧校舎三階は、窓を開けても空気が動かない。壁に掛かった温度計は三十二度を指していて、その下で軽音楽同好会の部長、羽鳥先輩がアイスの棒をかじっていた。
「水城。今日の議題は重要だ」
「冷房の修理ですか」
「違う。文化祭で何を演奏するかだ」
「冷房の修理のほうが重要では」
「音楽は心を冷やす」
「たぶん、それは感動ではなく恐怖です」
リモコンには「冷房」という頼もしい文字がある。しかし押しても、室外機は遠くで一度だけ呻き、そのまま黙る。五月からずっとそうだった。
窓際では、小暮がベースを抱いたまま、うちわで自分を扇いでいた。
「文化祭まで、あと三週間」
「急ですね」
「文化祭は毎年、急に来るものだ」
「四月から日程表に書いてありました」
「日程表を読む人間は、だいたい軽音楽同好会に入らない」
羽鳥先輩は断言した。
偏見だったが、反論できる材料が部室内に少なかった。
僕らの同好会は四人しかいない。
ドラム担当の羽鳥先輩。三年生。演奏は豪快で、計画は繊細さに欠ける。
ベース担当の小暮。僕と同じ二年生。低音と無駄な悟りを好む。
キーボード担当の僕、水城透。音楽より先に冷房に裏切られた男。
そして、ギターと歌を担当する星川晴。
晴は、そのとき部室の隅で床に座り、アコースティックギターを膝に乗せていた。さっきから同じ四小節を何度も弾いている。
軽く跳ねるようなコードが三つ続き、最後だけ少し迷う。
行き先を忘れた猫みたいな進行だった。
「星川」
「うん」
「その曲、さっきから帰ってこないね」
「うん。帰り道がわかんない」
晴は笑った。
こいつはいつも、何かが少し足りない。
シャツのボタンをひとつ掛け違えていたり、購買でパンを買ったのに財布を置いてきたり、宿題を全部解いたのに名前を書き忘れたりする。
顔だけは妙に整っているので、周囲はそれを「抜けていてかわいい」と評価している。
僕は「社会生活に向いていない」と評価していた。
「新曲、それでいこう」
羽鳥先輩が言った。
「まだ四小節ですよ」
「四小節あれば、あとは繰り返せる」
「文化祭が五分なら、七十五回くらいですね」
「観客が先に帰るな」
「曲より先に帰れます」
「じゃあ水城、続きを作れ」
「横暴」
「キーボードは鍵盤が多い。つまり、できることも多い」
「ドラムは叩く場所が多いですよ」
「よし。星川と二人で作れ」
「話を聞いてください」
「青春は話を聞かない」
羽鳥先輩は、アイスの棒をゴミ箱に投げた。
外れた。
小暮が無言で拾った。
こうして僕と晴は、文化祭のための曲を作ることになった。
晴の家は学校から歩いて十分のところにあり、一階が小さな喫茶店になっている。
店の名前は「喫茶ほし」。
看板には星の絵が描かれているが、夜は営業していない。
「星なのに夕方で閉まるんだ」
「父さんが夜に弱いから」
「星の適性がないね」
「でも朝にも弱いよ」
「人間の適性も少し心配だ」
放課後、僕らは店の奥の席を借りた。
晴の父親は、アイスコーヒーとプリンを置いて、「作曲会議、がんばって」と言ったあと、カウンターの向こうで新聞を読み始めた。
晴はプリンをひと口食べて、目を丸くした。
「今日の、ちょっと固い」
「不満?」
「ううん。プリンにも意思があるんだなって」
「固さを意思と呼ぶなら、レンガはかなり頑固だよ」
ノートを開く。
晴が例の四小節を弾く。
明るい。
けれど、明るすぎない。
夕方の廊下にまだ誰かの笑い声が残っているような、そんなメロディだった。
「いい曲だと思う」
「ほんと?」
「うん。だから余計に、最後が迷子なのが気になる」
「最後の音、透が決めてよ」
「作った人が決めるものじゃない?」
「俺が決めると、また最初に戻っちゃうんだ」
晴が弾く。
たしかに最後のコードから、そのまま最初へ戻りたくなる。
終わらない放課後みたいだった。
「終わらせたくない曲なのかも」
「文化祭では終わらせないと、先生に電源落とされるよ」
「それは困る」
僕は鍵盤の代わりに、テーブルを指で叩いた。
晴の鼻歌に、頭の中で音を重ねる。
少し低いところから支えて、最後だけ高い音をひとつ置く。
帰り道の街灯みたいに。
「ここ、こうしたら」
スマートフォンの鍵盤アプリを開き、和音を鳴らす。
晴が止まった。
「それだ」
「早いね」
「ずっと探してたやつ」
「コード?」
「うん。たぶん」
たぶん、と言ったわりに、晴は嬉しそうだった。
もう一度、最初から弾く。
僕が最後の和音を足す。
今度は曲が、ちゃんと帰ってきた。
晴はギターを抱えたまま僕を見る。
「透って、すごいな」
「普通だよ」
「俺が足りないところ、すぐわかる」
「日常生活ではわかりやすすぎるけどね」
「そう?」
「今日も靴下が左右で違う」
「これは迷った結果」
「靴下に分岐があるとは思わなかった」
晴は自分の足元を見て、青と灰色の靴下を交互に動かした。
「でも、透はいつも見つけるね」
「何を」
「俺の足りないもの」
その言い方が、妙にまっすぐだった。
僕はアイスコーヒーを飲んだ。
氷がほとんど溶けていて、ぬるかった。
「見つけたくて見てるわけじゃない」
「じゃあ、見てるのは認める?」
「言葉の罠が雑だな」
「引っかかった?」
「引っかかってない」
「そっか」
晴は笑った。
それから、ノートの端に小さく「帰るコード」と書いた。
僕はそれを見なかったことにした。
翌日から、僕らは毎日、部室で曲を作った。
羽鳥先輩は「監督」と称して椅子に座り、小暮は「記録係」と称してお菓子の減りをノートにつけた。
「曲の記録は」
「音は消える。クッキーも消える。しかしクッキーは誰かが食べている」
「哲学っぽく言っても、ただのお菓子泥棒捜査だよ」
「昨日、羽鳥先輩が七枚」
「待て。五枚だ」
「自己申告で二枚減った」
「記録係、怖いな」
曲は少しずつ形になった。
Aメロは晴の鼻歌から。
Bメロは僕がつけた。
サビは二人で作った。
問題は歌詞だった。
「テーマは放課後」
晴がホワイトボードに書いた。
「広いね」
「じゃあ、部室」
「狭くなりすぎた」
「冷房」
「壊れてる」
「プリン」
「文化祭で歌うには思想が甘い」
「恋」
晴が、さらりと言った。
羽鳥先輩が椅子から落ちた。
小暮がクッキーの記録に一本線を引いた。
「何で先輩が落ちるんですか」
「青春が急に来た」
「日程表に書いておいてください」
「誰の恋だ、星川」
「曲の話ですよ」
「曲は人間から生まれる。人間には生活がある。生活には秘密がある」
「部長、急に面倒くさい記者みたいですね」
「相手はいるのか」
「います」
晴は答えた。
部室が静かになった。
壊れた冷房が、今だけは空気を冷やした気がした。
「へえ」
自分の声が、思ったより普通に出た。
僕は鍵盤の電源を入れた。
「じゃあ、その人を思い浮かべて書けばいいんじゃない」
「うん」
「おお、実在するのか」
「します」
「同じ学校?」
「はい」
「何年?」
「二年」
「小暮、容疑者を絞れ」
「恋愛を事件にするな」
羽鳥先輩と小暮が騒ぐ横で、晴は僕を見ていた。
僕は譜面を見た。
音符は何も悪くない。
ただ紙の上に並んでいるだけだ。
「透」
「何」
「サビ、もう一回合わせよう」
「いいよ」
晴の声が流れる。
歌詞はまだ仮で、「ラララ」しかない。
それなのに、さっきまで好きだったメロディが、急に知らない場所へ向かっているように聞こえた。
同じ学校の二年生。
条件だけなら、僕も入る。
けれど晴には友達が多い。廊下を歩けば誰かに呼び止められ、昼休みには他のクラスから人が来る。女子にも男子にも好かれている。
僕とは違う。
僕は晴の足りないものを見つける。
でも晴には、足りないものを埋めてくれる相手が、ほかにもいくらでもいる。
サビの最後。
帰るコード。
僕は一音、外した。
「あれ」
晴が歌うのをやめる。
「ごめん」
「珍しいね」
「暑いから」
「音楽は心を冷やすぞ」
羽鳥先輩が言った。
「その理論、まだ生きてたんですか」
「冷房よりは元気だ」
みんなが笑った。
僕も笑った。
その日、僕は初めて、部室が暑くてよかったと思った。
顔が赤くても、暑さのせいにできたから。
文化祭まで、あと一週間。
歌詞はほとんど完成していた。
晴はなぜか僕に見せなかった。
「当日まで秘密」
「伴奏する人間に秘密にする?」
「透なら、歌を聞けば合わせられる」
「信頼の使い方が乱暴だな」
「だめ?」
「だめではないけど」
困る。
その恋の相手が誰なのか、歌詞でわかってしまうかもしれない。
知りたい。
知りたくない。
両方が同じくらいあって、頭の中でずっと押し合っていた。
ある日の帰り、昇降口で晴が誰かと話しているのを見た。
二年三組の高瀬だった。
背が高くて、バスケットボール部の副主将。僕も顔と名前だけは知っている。
高瀬が晴に、小さな紙袋を渡した。
晴は驚いた顔をして、それから笑った。
見なければよかった。
そう思ったのに、足が止まった。
高瀬が晴の肩に手を置く。
晴が何か答える。
雨が降り始め、昇降口の屋根を細かく叩いた。
「透?」
晴が僕に気づいた。
「帰る?」
「うん」
「一緒に――」
「用事あるから」
僕は傘を開いた。
本当は用事なんてなかった。
「そっか。じゃあ、また明日」
「また明日」
それだけ言って、雨の中へ出た。
傘を叩く音がうるさかった。
うるさいほうがよかった。
自分が何を考えているのか、聞かなくて済む。
家までの道で、何度も例のメロディが浮かんだ。
最後のコードだけが、うまく思い出せなかった。
翌日、僕は部活を休んだ。
風邪ではない。
家の用事でもない。
ただ、行きたくなかった。
自宅の机で課題をしていると、午後六時にメッセージが届いた。
『冷房が直った』
晴からだった。
僕は三秒で返信した。
『今から行く』
自分でも驚くほど、迷いがなかった。
学校へ戻ると、校門はまだ開いていた。
文化祭準備期間で、各教室に生徒が残っている。
旧校舎の階段を上る。
三階の廊下だけ、妙に静かだった。
部室のドアを開ける。
「涼しい」
思わず言った。
冷房は本当に直っていた。
天井から、文明の風が吹いている。
晴が一人、床に座ってギターを抱えていた。
「透」
「ほかのみんなは?」
「先輩は生徒会に呼ばれた。小暮はクッキーの仕入れ」
「仕入れって言うと仕事みたいだね」
「大事な仕事らしいよ」
晴は笑った。
でも、いつもより少しだけ困った顔だった。
「昨日、どうして先に帰ったの」
「用事」
「今日も?」
「今日は、冷房を確認しに」
「俺より冷房が大事?」
「冷房は裏切らない」
「ずっと壊れてたけど」
「今は反省してる」
「俺も反省したほうがいい?」
晴の声が静かになる。
「何を」
「透が怒ってる理由、わかってない」
「怒ってない」
「じゃあ、避けてる?」
「避けてない」
「今日、部活休んだ」
「出席率で責めるの、羽鳥先輩みたいだよ」
「透」
名前を呼ばれる。
たった二文字なのに、逃げ道がなくなる。
僕は鞄を置き、キーボードの前に座った。
電源を入れる。
音量を確かめるふりをする。
「昨日、高瀬に告白されたの?」
言ってしまった。
晴が瞬きをした。
それから、なぜか少し笑った。
「違うよ」
「紙袋」
「借りてたゲーム返してもらった」
「肩」
「高瀬、距離が近いんだよ」
「笑ってた」
「ゲームのセーブデータ消したって言うから」
「それで笑えるんだ」
「怒ると怖いかなと思って」
全部、僕の勘違いだった。
安心した。
安心した自分に、さらに困った。
「じゃあ、好きな人は別にいるんだ」
「いる」
「そう」
結局、そこは変わらない。
僕は鍵盤に指を置いた。
Cの音。
ただの音。
「透は?」
「何が」
「好きな人」
「いない」
「嘘」
「何で」
「昨日の透、すごくわかりやすかった」
「君に言われるとは思わなかった」
「俺、透のことは見てるから」
心臓が、急に大きな音を立てた。
晴はギターを置いた。
床から立ち上がり、僕の隣に来る。
「俺が足りないもの、透はすぐ見つけるって言ったよね」
「言った」
「俺も、透の足りないもの、見つけたい」
「今は冷静さが足りない」
「じゃあ、それ以外」
「睡眠」
「それは毎日」
「話を逸らして」
「透が逸らしてる」
晴の手が、鍵盤の端に触れた。
白鍵がひとつ沈み、頼りない音が鳴る。
「歌詞、できたんだ」
「秘密じゃなかったの」
「もう、秘密にしたくない」
晴はギターを持ち直し、椅子に座った。
近い。
肩が触れそうだった。
「聞いて」
前奏が始まる。
何度も合わせた曲。
僕が続きを作った曲。
僕が帰り道をつけた曲。
晴は歌った。
放課後の廊下。
窓から入る風。
片方だけ違う靴下。
ぬるくなったアイスコーヒー。
壊れた冷房。
誰かが見つけてくれる、足りない音。
知っているものばかりだった。
僕と晴の間にあったものばかりだった。
サビの最後。
「帰れない僕のコードに
きみがひとつ 灯りを足す
名前を呼べば 曲は終わる
終わったあとも 隣にいたい」
晴の声が止まる。
最後の和音だけが残る。
僕はしばらく鍵盤を見ていた。
「……これ、僕?」
「うん」
「同じ学校の二年生」
「うん」
「もっと絞り込めたよね」
「キーボード担当、とか?」
「ほぼ一人だよ」
「でも、透が聞かなかったから」
「君が秘密にしたんだろ」
「そうだった」
晴が笑う。
僕は笑えなかった。
胸の奥がいっぱいで、うまく表情を作れない。
「返事、聞いていい?」
「その前に、ひとつ」
「うん」
「歌詞に靴下を入れる必要あった?」
「大事な思い出」
「恋の歌で左右違う靴下を歌う人、初めて見た」
「俺らしくない?」
「らしいけど」
「じゃあ、返事」
「急ぐね」
「曲、終わっちゃったから」
晴はまっすぐ僕を見る。
僕はずっと、晴の足りないものを探していた。
ボタン。
財布。
名前。
最後のコード。
でも本当は、足りなかったのは僕のほうだったのかもしれない。
言葉にする勇気。
勘違いを認める素直さ。
誰かの隣にいたいと言うための、ほんの少しの音。
「僕も、晴が好き」
初めて名前で呼んだ。
晴の目が大きくなる。
それから、ゆっくり細くなる。
「もう一回」
「聞こえたでしょ」
「聞こえたけど、アンコール」
「文化祭前に気が早い」
「透」
「好きだよ」
晴が僕の肩に額をつけた。
近すぎて、髪が頬に当たる。
ギターの木の匂いと、柔らかいシャンプーの匂いがした。
「暑い」
「冷房、直ったよ」
「じゃあ、君のせいだ」
「俺、心を温める音楽かも」
「羽鳥先輩よりひどい理論だ」
晴が顔を上げる。
笑っている。
僕は少し迷ってから、その頬に触れた。
「キスしていい?」
聞くと、晴はまた目を丸くした。
「透、そういうの聞くんだ」
「聞くよ」
「もっと急にするかと思った」
「僕を何だと思ってるの」
「冷房が直ったら学校に戻ってくる人」
「判断材料が偏ってる」
「していいよ」
唇が触れた。
ほんの一瞬。
音で言えば、四分音符より短い。
それでも、僕の頭の中では、曲が一度きれいに終わって、すぐ次の曲が始まった。
その瞬間、部室のドアが開いた。
「クッキーを確保――」
小暮が立っていた。
その後ろに羽鳥先輩もいた。
僕と晴は離れた。
晴の手からピックが落ちた。
小暮は無言でドアを閉めた。
「待って、小暮」
「何も見ていない」
「見てたよね」
「音楽は心を隠す」
「先輩の変な理論を継承しないで」
ドアの向こうから、羽鳥先輩の声がした。
「青春が日程表より早く来たな!」
「帰ってください!」
「ここは俺の部室だ!」
冷房の効いた部屋で、晴が声を立てて笑った。
僕もつられて笑った。
たぶん、この同好会に秘密は向いていない。
文化祭当日。
体育館のステージは暑かった。
せっかく直った冷房は、部室から一歩も出てきてくれない。
客席には生徒と保護者が集まり、思ったより多くの顔が並んでいた。
「緊張してる?」
晴が聞く。
「少し」
「俺も」
「珍しいね」
「歌詞、透に聞かれるのは平気だけど、全校にはちょっと」
「今さらだよ」
「靴下、削る?」
「そこは強く残したんだ」
羽鳥先輩がスティックを鳴らした。
「各員、最終確認。忘れ物は」
「ないです」
「財布」
「ある」
「名前」
「書いた」
「靴下」
「今日はそろってる」
「青春」
「先輩、進行してください」
小暮がベースの低い音を鳴らす。
「クッキーは控室に」
「それは今いらない」
「大事な報告だ」
客席から笑いが起きた。
まだ演奏は始まっていないのに、いつもの部室みたいだった。
僕はキーボードの上に手を置く。
晴と目が合う。
小さく頷く。
イントロ。
ドラムが走り、ベースが支え、ギターが跳ねる。
僕の和音が重なる。
晴が歌う。
放課後の廊下。
窓から入る風。
片方だけ違う靴下。
ぬるくなったアイスコーヒー。
壊れた冷房。
そして、足りない音を見つける誰か。
曲は進む。
サビの最後。
僕らの帰るコード。
晴は歌いながら、僕を見た。
名前を呼べば、曲は終わる。
終わったあとも、隣にいたい。
僕は最後の和音を弾いた。
音が体育館に広がり、ゆっくり消える。
一瞬の静寂。
それから、拍手が来た。
晴は笑っていた。
僕もたぶん、笑っていた。
曲はちゃんと終わった。
でも僕らは、そのあとも隣にいた。
文化祭から一週間後。
放課後の部室。
冷房はまた壊れた。
「早かったね」
「恋より寿命が短かったな」
羽鳥先輩がリモコンを叩く。
小暮は窓を開ける。
晴は床に座り、新しいメロディを弾いている。
「今度はどんな曲?」
僕が聞く。
「夏の曲」
「もう夏だよ」
「じゃあ、間に合った」
「文化祭は終わったけど」
「来年がある」
「気が長いね」
晴が僕を見る。
「透、最後のコード、決めて」
「また?」
「俺だけだと帰れない」
「一人でも帰れるようになって」
「一緒がいい」
羽鳥先輩が咳払いした。
小暮がクッキーの袋を強めに開けた。
「部室でいちゃつくな」
「先輩、青春は話を聞かないんでしょう」
「過去の俺を正しく引用するな」
「記録してある」
小暮がノートを見せた。
ページの端に、羽鳥先輩の発言集が書かれていた。
「なぜそんなものを」
「音は消える。失言は残る」
「哲学が実用的になってる!」
晴が笑う。
僕は鍵盤の電源を入れる。
四小節のメロディ。
最後だけ、少し迷う。
僕はそこに、ひとつ音を足した。
帰るためではなく。
この放課後を、もう少し続けるために。
(完)