『購買部四天王、全員おばちゃん』

 私立・獄楽ヶ丘高校には、三つの名物がある。

 一つ。校門よりデカい校長の銅像。

 二つ。なぜか校歌の二番だけがデスメタル。

 そして三つ。

 昼休みの購買部は、戦場である。

 チャイムが鳴った瞬間、全校生徒千二百人が一斉に廊下へ飛び出す。目当ては一日限定三個、購買部名物「極上トリプル焼きそばパン」。太麺、細麺、輪ゴムくらい太い麺を一本のコッペパンに挟んだ、炭水化物の三段ロケットだ。

 それを買った者はその日一日、校内で「パン長」と呼ばれる。

 呼ばれるだけで、特に権限はない。

「そんなもんに命かける奴、どうかしてるだろ」

 一年二組、昼休み五秒前。

 窓際の席で頬杖をつきながら、日暮マコトは心底あきれた声を出した。

 小柄。平凡。成績は中の中。運動神経は下の上。特技は、先生に指されそうな気配を察知して絶妙に視線をそらすこと。

 人生の目標は「なるべく騒動に巻き込まれず、十七時には帰宅する」だった。

「マコト」

 隣の席から、地鳴りみたいな声がした。

 振り向くと、二メートル近い巨体が机をきしませていた。

 鬼瓦剛毅。一年二組の番長。入学初日に三年生十人を倒したという噂がある。実際は、廊下で倒れたドミノ十枚を起こしただけなのだが、本人がいかつすぎて誰も訂正できない。

 剛毅は震える手で、一枚のメモを差し出した。

『兄ちゃんへ

 きょう、たんじょうびだから、やきそばパンたべてみたいです

 陽葵』

 丸っこい字だった。

「妹からのお願いか」

「うむ」

「コンビニで買えば?」

「コンビニのは一麺流だ。あいつが望んでいるのは、三麺流の極み……極上トリプル焼きそばパンだ」

「妹さん、食文化にうるさいな」

 剛毅は両手を机につき、深く頭を下げた。机が床に五センチめり込んだ。

「頼む、マコト。俺と共に来てくれ」

「なんで俺が」

「俺は購買部に出入り禁止なのだ」

「何したんだよ」

「去年、焼きそばパンをつかんだら、パンだけが消えた」

「握力の問題じゃねえか」

 その瞬間、時計の秒針が十二を指した。

 キーン、コーン――

 最初の一音で、教室のドアが内側から吹き飛んだ。

「購買部だァァァァ!」

「限定三個を確保しろ!」

「一年は階段使うな! 窓から行け窓から!」

 生徒たちが津波のように流れ出す。

 机が舞い、椅子が回り、担任が黒板に「廊下を走らない」と書き終える前に教室が無人になった。

 剛毅がマコトを見た。

 メモの「たんじょうび」が、やけにまぶしく見えた。

「……一個だけだからな」

「恩に着る!」

「あと走るとき俺を小脇に抱えるな。去年それで三人酔ったらしいぞ」

 剛毅は返事の代わりにマコトを小脇に抱えた。

「聞けよ!」

 こうして、平凡を愛する少年の日常は、チャイム一発で終わった。

 購買部は本校舎一階の最奥にある。

 通常なら教室から徒歩三分。

 昼休みなら、生還率七割。

 廊下を埋め尽くす生徒の群れを、剛毅はブルドーザーのように進んだ。ただし誰にもぶつからない。巨体に似合わず、横向き、爪先立ち、時には反復横跳びを駆使して隙間を縫う。

「動きが気持ち悪いほど繊細!」

「母から『人様に迷惑をかけるな』と教わった」

「いいお母さんだ!」

 二人が階段を下りようとした、そのとき。

 踊り場に一本の白線が引かれていた。

 その前に、エプロン姿のおばちゃんが立っている。

 丸眼鏡。小柄。手には赤い旗。

「止まりな」

 たった一言で、先頭集団が急停止した。

 後続が次々に衝突し、生徒の山ができる。

「出たぞ……購買部四天王の一人!」

 誰かが青ざめて叫んだ。

「第一関門、“通行整理のタエさん”だ!」

 タエさんは赤い旗を一振りした。

「右、三年。左、二年。真ん中、一年。靴ひもほどけてる子は端。昨日プリント出してない子は職員室」

「購買と関係ない情報まで把握してる!」

 生徒たちは逆らえない。

 なぜならタエさんの誘導は完璧だからだ。赤旗が動くたびに人波が分かれ、合流し、なぜか一部は図書室へ吸い込まれていく。

 マコトと剛毅の番が来た。

 タエさんの眼鏡が光る。

「鬼瓦剛毅。昨年、パン三個圧縮の罪により出入り禁止。そっちの小さい子は……日暮マコト。遅刻二回、忘れ物四回、保健室で昼寝一回」

「保健室のは頭痛です」

「寝言で『宿題は犬がやりました』って言ってたよ」

「俺の深層心理まで記録するな!」

 タエさんが旗を横にした。

「通すわけにはいかないね」

 剛毅が一歩前へ出る。

「俺は入らん。買うのはマコトだ」

「共同購入も同罪さ」

「そこを何とか!」

 剛毅が頭を下げる。勢いで踊り場のタイルが一枚割れた。

 タエさんは眉ひとつ動かさない。

「購買部の掟は絶対。通りたければ、このタエを倒して――」

「タエさーん! 向こうの列、横入りしてます!」

「何だって!?」

 タエさんが振り返った瞬間、剛毅はマコトを抱えたまま白線をまたいだ。

「今だ!」

「正々堂々っぽい顔でめちゃくちゃ卑怯!」

「人様に迷惑はかけていない!」

「タエさんにはかけてる!」

「戻りな小僧どもーっ!」

 赤旗が手裏剣のように飛んできた。

 剛毅は首を傾けてかわす。旗は壁に突き刺さり、「走るな」のポスターだけが静かに落ちた。

 マコトは思った。

 この学校、教育委員会に一回怒られたほうがいい。

 第二関門は渡り廊下だった。

 そこには長机が置かれ、硬貨が山積みになっていた。

 椅子に座るのは、白髪をきっちり結ったおばちゃん。指には十個の指サック。胸の名札には「フミ」。

「購買部四天王、“釣り銭のフミさん”……!」

 剛毅がうめいた。

 フミさんは目を閉じたまま言った。

「極上トリプル焼きそばパン、税込み二百八十円。ここを通る者は、釣り銭なく払ってもらうよ」

「ちょうど二百八十円ならある」

 マコトは財布を開いた。

 百円玉二枚。五十円玉一枚。十円玉三枚。

「はい、ぴったり」

「甘いね」

 フミさんの両手が残像になった。

 硬貨が空中を舞い、マコトの手の上に着地する。

 百円玉一枚。

 五十円玉三枚。

 十円玉二枚。

 五円玉一枚。

 一円玉五枚。

「合計は?」

「えっ」

「三秒」

「ちょ、勝手に崩しておいて――」

「二秒」

「百、二百五十、二百七十、二百七十五、二百八十!」

「正解」

「ただの算数テストじゃねえか!」

「だが次はそうはいかないよ」

 フミさんの指が鳴った。

 どこからともなくレジスターが三台せり上がる。

「第一問。二百八十円のパンを二割引きで買い、千円札を出したときの釣り銭!」

「七百七十六円!」

「第二問。消費税率が突然三百パーセントになった場合!」

「政治を止めろ!」

「第三問。パン屋の店主が時速四キロで東へ進み、焼きそばが時速六十キロで西へ飛んだ場合、二人が再会するのは何分後!」

「二度と会わねえよ!」

 フミさんの眼鏡が光った。

「正解」

「正解なの!?」

 道が開いた。

 マコトがぽかんとしていると、フミさんは小さく笑った。

「金額だけ見て、人の話を聞かない子が多くてね。あんたはちゃんとツッコんだ。商売は会話だよ」

「急にいいこと言う!」

「ただし、一円足りない」

「え?」

 見ると、さっきまで五枚あった一円玉が四枚になっている。

 フミさんの指先で一円玉が回っていた。

「授業料さ」

「購買部より先にカツアゲされた!」

 背後からタエさんの怒声が近づいてくる。

「止まれーっ!」

「行くぞマコト!」

「俺の一円ー!」

 二人は第二関門を突破した。

 購買部まで、あと五十メートル。

 だが廊下の中央に、巨大な給食ワゴンが横たわっていた。

 その上に、割烹着姿のおばちゃんが仁王立ちしている。

 身長百八十センチ。肩幅も百八十センチ。

 お玉を一本、竹刀のように構えていた。

「第三関門、“試食のキヨさん”……!」

「試食でその体格になる?」

「一口を積み重ねた結果だ」

「夢のない努力だな!」

 キヨさんはワゴンのふたを開けた。

 中には小さな紙コップがずらりと並んでいる。

「ここを通りたきゃ、新商品の味見をしていきな」

「味見なら平和じゃないか」

 マコトが一つ手に取る。

 中身は薄い紫色のペーストだった。

「何味です?」

「当てな」

「クイズ形式かよ」

 恐る恐る口に入れる。

 甘い。

 しょっぱい。

 酸っぱい。

 辛い。

 そして、遠くで誰かが謝っているような味がする。

「……失敗した肉じゃが?」

 キヨさんの眉が動く。

「正解」

「当たったのが悲しい!」

「新商品、“肉じゃがジャム”だ」

「新しくする前に会議しろ!」

 キヨさんが二つ目を差し出す。

 今度は鮮やかな緑色。

「これは?」

「匂いがすでに理科室!」

「飲め」

「命令形!」

 背後ではタエさんが迫り、前方では昼休みの残り時間が減っていく。

 マコトは覚悟を決め、一気に飲んだ。

 舌がしびれた。

 頭の中で校歌の二番が流れた。

 なぜか小学校時代の黒歴史をすべて思い出した。

「青汁……に、炭酸と、わさびと……初恋?」

 キヨさんが大きくうなずいた。

「“青春ソーダ”だ」

「初恋の成分、わさびだったの!?」

 最後の紙コップが差し出される。

 透明な液体だ。

「これは簡単さ」

 マコトは匂いを嗅いだ。

 何の匂いもしない。

 一口飲む。

 味もしない。

「水」

「不正解」

「なんでだよ!」

「白湯だ」

「冷めてる!」

「人生も白湯も、冷めたからって水には戻れないんだよ」

「何その妙に刺さる格言!」

 キヨさんはお玉を下ろさない。

「不正解者は通せないね」

 剛毅がマコトを床に下ろし、自分が前へ出た。

「ならば俺が飲む」

「剛毅、お前は購買部出入り禁止だろ」

「ここはまだ購買部ではない。購買部まで残り五十メートルの廊下だ」

「校則の穴を突く番長!」

 キヨさんが巨大なボウルを出した。

 中には肉じゃがジャム、青春ソーダ、冷めた白湯、さらに正体不明の茶色い何かが全部混ざっている。

「飲めるかい?」

「妹のためなら」

 剛毅はボウルを持ち上げた。

 液体が口へ流れ込む。

 廊下の窓が一斉に開いた。

 風もないのにカーテンがはためいた。

 遠くの音楽室で、誰も触れていないシンバルが鳴った。

 剛毅は一滴残らず飲み干した。

「味は?」

 キヨさんが問う。

 剛毅は静かに答えた。

「母の……味だ」

「お前んち何食ってんだよ!」

 キヨさんの目から、太い涙がこぼれた。

「通りな」

「感動する要素あった!?」

「さあ行け! そして母ちゃんに料理教室を紹介してやれ!」

「余計なお世話だ!」

 第三関門突破。

 残るは、購買部そのもの。

 ついに二人はたどり着いた。

 購買部前には、すでに百人を超える生徒が並んでいた。

 いや、並んでいるというより、巨大な団子になっている。先頭がどこか誰にも分からない。

 カウンターの奥には、最後のおばちゃんがいた。

 小柄で、にこにこしている。

 頭には三角巾。

 胸の名札には「サチ」。

「第四関門、“袋詰めのサチさん”……四天王最強だ」

 剛毅の声が震える。

「袋詰めでどう最強になるんだよ」

 直後、カウンターから紙袋が飛んだ。

 パァン!

 横入りしようとした三年生の頭に、紙袋がすっぽりかぶさる。続けて食パン二斤、牛乳パック、メロンパンが袋の中へ高速で収納され、取っ手が蝶結びになった。

「お買い上げ、ありがとうございます」

 サチさんは笑顔だった。

 三年生は一言も発せず、袋のまま運ばれていった。

「人も詰めるの!?」

「サチさんの前では、万物が商品になる」

「怖すぎる接客!」

 そして、カウンターの上。

 金色のトレーに載せられた極上トリプル焼きそばパンが、ちょうど一個だけ残っていた。

「残り一個だァーッ!」

 生徒たちの目が血走る。

 団子が爆発し、百人が一斉に手を伸ばした。

 その瞬間。

「どけいッ!」

 天井を突き破って、一人の男が降ってきた。

 リーゼント。

 学ラン。

 背中には「パン」と刺繍されている。

 三年生の購買部王、早乙女バゲット。

 昨年度、極上トリプル焼きそばパンを二百日連続で購入した伝説の男だ。夏休み中も校門前に並び、守衛から「学校やってないよ」と言われたことで連続記録は途絶えた。

「その一個は、この早乙女バゲット様がいただく!」

「名字からやり直せ!」

 バゲットは生徒たちの肩を飛び石のように駆け、カウンターへ迫る。

 マコトも走った。

「うおおおお!」

 だが遅い。

 普通の高校生の全力疾走だ。しかも途中で上履きが片方脱げた。

 バゲットの手がパンへ届く。

 そのとき、剛毅が叫んだ。

「マコト!」

 剛毅は床に両手を組み、踏み台を作った。

 マコトは反射的にそこへ足を置く。

「飛べ!」

「俺を何だと思って――うわあああああ!」

 剛毅の腕が跳ね上がった。

 マコトの体は弾丸のように宙を飛ぶ。

 バゲットとマコト。

 二人の手が、同時に焼きそばパンをつかんだ。

「離せ一年!」

「そっちが離せ三年!」

「俺は二百日、こいつと昼を共にした! もはや家族だ!」

「家族を食うな!」

 引っ張り合いでコッペパンが伸びる。

 中の三種の麺が、ゴムのようにびよーんと伸びる。

 サチさんは笑顔のまま言った。

「パンを粗末にする子には、売れないねえ」

 二人の動きが止まった。

 サチさんの笑顔は変わらない。

 ただし、背後で紙袋が百枚、羽のように浮いていた。

「すみませんでした!」

 二人は同時に手を離した。

 伸びきったパンは反動で元に戻る。

 勢い余ってカウンターを飛び越え、廊下へ向かった。

「パンが逃げたァ!」

 極上トリプル焼きそばパンは空中を回転しながら、開いた窓へ一直線に飛ぶ。

 このままでは校庭へ落ちる。

 いや、校庭ならまだいい。

 窓の外には、ちょうど校長の銅像が口を開けて立っている。

「校長に食われる!」

「銅像だよ!」

 剛毅が跳んだ。

 だが、でかすぎて窓枠に肩が挟まった。

「ぬおおお!」

「そういうとこだけサイズ通り!」

 マコトは床を蹴った。

 伸ばした指先が、紙袋の端に触れる。

 届かない。

 あと五センチ。

 そのとき、背中を赤い旗が押した。

「行きな!」

 タエさんだった。

 さらに、足元へ硬貨が滑り込む。マコトはそれを踏んで、わずかに高く跳ねた。

「授業料は返したよ!」

 フミさんだ。

 そしてキヨさんのお玉が、マコトの腰をすくい上げた。

「仕上げは任せな!」

「この連携、普段から練習してるだろ!」

 マコトの手が紙袋をつかんだ。

 だが勢いは止まらない。

 そのまま窓の外へ飛び出す。

「マコトーッ!」

 剛毅が窓枠ごと前へ出た。

 片手でマコトの足首をつかむ。

 二人は校舎の外にぶら下がった。

 下では全校生徒が見上げている。

 上ではサチさんが笑っている。

 紙袋の中では、焼きそばパンが無事だった。

「取ったぞ、剛毅!」

「よくやった!」

 その瞬間、パンの重みで紙袋の底が抜けた。

「あ」

 極上トリプル焼きそばパンは、ゆっくり落ちていった。

 校長の銅像の口へ。

 スポッ。

 完璧なホールインワンだった。

 全校生徒が沈黙した。

 校歌の二番だけが、どこからともなく流れ始めた。

「……終わった」

 剛毅の声がかすれた。

 妹の誕生日。

 たった一つのお願い。

 命がけで駆け抜けた昼休み。

 そのすべてが、銅像の口に収まっている。

 マコトはぶら下がったまま拳を握った。

「まだだ」

「何?」

「銅像の口から取ればいい」

「あれは高さ十八メートルだぞ」

「お前なら登れる」

「校長に登るのか」

「銅像だよ」

 二人が地面へ下りた、そのとき。

 購買部の奥から、サチさんが声をかけた。

「はい、次の人」

 カウンターに、金色のトレーが置かれた。

 その上には。

 極上トリプル焼きそばパンが、あと二個あった。

「…………」

 マコトは固まった。

 剛毅も固まった。

 全校生徒も固まった。

 サチさんは首を傾げる。

「限定三個だからねえ」

「最初から残り三個だったの!?」

「誰よ! 残り一個って叫んだの!」

 全員の視線が、一人の生徒へ集まった。

 最初に叫んだ二年生が、そっと目をそらす。

「だ、だって盛り上がるかなって」

「昼休み返せーッ!」

 購買部前に、今日一番の怒号が響いた。

 結局、マコトは極上トリプル焼きそばパンを買うことができた。

 剛毅は購買部出入り禁止なので、校門の外で待っていた。

 マコトが紙袋を渡すと、巨体の番長は何度も頭を下げた。

「ありがとう、マコト。この恩は一生忘れん」

「いいって。俺も、まあ……ちょっとだけ面白かったし」

「友よ」

「重い。言葉も肩に置いた手も重い」

 放課後、二人は剛毅の家へ向かった。

 妹の陽葵は小学一年生で、兄とは似ても似つかないほど小さく、ふわふわした髪をしていた。紙袋を見ると、目を輝かせる。

「やきそばパン!」

「誕生日おめでとう、陽葵」

 剛毅が優しく言った。

 マコトは少し離れた場所で、その光景を見守った。

 タエさんの赤旗。

 フミさんの釣り銭。

 キヨさんの地獄の試食。

 サチさんの人間袋詰め。

 バゲットとの死闘。

 校長の口に吸い込まれた一個。

 全部、この笑顔のためだったと思えば悪くない。

 陽葵は袋からパンを出し、じっと見つめた。

「お兄ちゃん」

「何だ?」

「わたし、やきそばパン、食べたいって書いてないよ」

「……何?」

 剛毅がメモを取り出す。

『兄ちゃんへ

 きょう、たんじょうびだから、やきそばパンたべてみたいです

 陽葵』

 陽葵は首を振った。

「それ、“やきそばパンつくってみたいです”って書いたの。『つくって』のところ、お兄ちゃんの指で消えてる」

 剛毅の親指を見る。

 朝に墨汁でも触ったのか、真っ黒だった。

 メモには確かに、「やきそばパン」の後に、うっすら『つくって』の跡がある。

「つまり……」

 マコトはこめかみを押さえた。

「買う必要、なかった?」

「うむ」

「今日一日、全部?」

「うむ」

「俺の一円も?」

「うむ」

 沈黙。

 陽葵がにっこり笑う。

「だから、お兄ちゃん。いっしょにつくろ」

 剛毅は巨大な手で顔を覆った。

「もちろんだ」

 その声は少し泣いていた。

 マコトはため息をつき、笑った。

「じゃあ、その買ってきたやつを見本に――」

 剛毅がパンを持ち上げた。

 力加減を間違えた。

 パンは一瞬で、直径三センチの球になった。

「…………」

「…………」

「兄ちゃん、それ、たこやき?」

 陽葵の無邪気な一言が、とどめだった。

「ゴウゥゥゥゥゥ!」

 マコトの叫びが町内に響く。

 翌日。

 購買部では新商品「一口サイズ・極上トリプル焼きそば玉」が発売された。

 考案者、鬼瓦剛毅。

 一日限定三百個。

 昼休み開始十秒で完売した。

 そして剛毅の出入り禁止期間は、さらに一年延びた。

                            〈了〉