『釘星の向こう側』

 釘星は、世界の北に打ち込まれた銀の鋲である。

 船乗りはそれを目印にし、祈祷師はそれに背を向けて眠り、子供たちは「一晩に一度だけ瞬きをする」と囁き合う。

 そしてフイゴ崖町には、釘星の瞬きを見た者は三日以内に消える、という古い言い伝えがあった。

一 町がなくなる日

 ミナ・オルサは、その晩、釘星が瞬くところを見た。

 正確には、夢の中で見た。

 彼女は黒い石の塔に立っていた。空には雲も月もなく、釘星だけが大きすぎる目のように輝いていた。塔の下には、氷でできた都が地平線まで続いている。尖塔、橋、水路、広場。どこにも人影はないのに、無数の窓だけが青白く灯っていた。

 チフェネの手には槍があった。手そのものも自分のものではなかった。指は長く、爪の根元に銀の刺青があり、右の小指が欠けていた。

「北門を見張れ」

 背後から少女の声がした。

 振り返っても、誰もいない。

「眠るな。あれが瞬いたら、鐘を鳴らせ」

 星が、瞬いた。

 その瞬間、都の雪が空へ向かって降り始めた。屋根から、道から、凍った樹々から、白い粒がいっせいに釘星へ吸い上げられる。

 チフェネは鐘へ走ろうとした。だが足が石に縫いつけられたように動かない。

 星の奥で、何かが目を開いた。

 そこで目が覚めた。

 寝台の脇には、溶けかけた雪がひとつまみ落ちていた。

 翌朝、町がなくなると決まった。

 天路会社の執行官サルガが、真鍮の告知板を中央広場に打ちつけたのである。

「北環状重力軌道の敷設に伴い、フイゴ崖町旧区画を収用する。六日後の日没をもって、住民は退去せよ」

 サルガは告知文を読み上げると、銀灰色の外套を払った。背後には会社兵が十二人、雷筒を肩に立っている。広場の端には、岩盤を噛み砕く六本脚の掘削機まで控えていた。

「異議のある者は、天路会社北方支局へ申し立てを」

「そこまで片道三か月だろうが!」と魚屋が怒鳴った。

「旅は心を広くする」

 サルガは微笑んだ。

 フイゴ崖町は、雲海に突き出した黒い崖の上にあった。昔は飛行帆船の寄港地として栄えたが、新しい空路が南へ移ってからは、錆びた風車と骨組みだけの船渠と、坂道ばかりが残った。

 貧しかったが、チフェネたちにとっては世界の全部だった。

 エラの家のパン窯も、ジョボが拾った歯車を山ほど積んでいる物置も、トクが勝手に秘密基地にしている鐘楼も、六日後には掘削機の腹へ消える。

「申し立てなら、ここでしてやる」

 パン屋の娘エラが、小麦粉まみれの腕をまくった。十六歳の彼女は、町の大人の半分より背が高い。

 チフェネとジョボが左右から取り押さえなければ、執行官の顔へ発酵前の生地を投げていたに違いない。

 十一歳のトクは、すでに投げていた。

 生地はサルガの帽子に命中した。

 会社兵が雷筒へ手をかける。

「走れ!」

 四人は広場を駆け出した。

 魚籠を飛び越え、洗濯物の下をくぐり、蒸気管の隙間を抜ける。サルガの「捕まえろ」という声と、町の大人たちの笑い声が背中を追った。

 彼らが逃げ込んだのは、チフェネの家だった。

 正しくは、六年前に失踪したチフェネの大叔父アドの家である。測量士だった大叔父は、北の氷原で王家の宝を見つけたと言い残し、そのまま帰らなかった。以来、家には古地図と壊れた羅針盤と、誰にも読めない帳面だけが残っていた。

「六日で何ができる?」ジョボが息を切らした。「役所は遠い。町には金がない。会社は法律そのものだ」

「法律なら燃える」とエラ。

「掘削機も燃えるよ」とトク。

「町ごと燃やしてどうするの」

 チフェネが窓から広場を見下ろしたとき、壁の中で何かが落ちた。

 告知板を打ち込む振動が、古い煉瓦を揺らしたらしい。暖炉の奥から、煤まみれの金属筒が転がり出てきた。

 筒には、釘星の印が刻まれていた。

 中から出てきたのは、一枚の薄い銅板と、折り畳まれた紙だった。

 銅板には、フイゴ崖町から北へ伸びる古道が刻まれている。雲海を渡る廃橋、白角台地、逆さ森、そして最北端にある円形の印。

 その脇に、大叔父アドの癖の強い字で書かれていた。

 ――宵王の身代金。七つの王国が一度に戦争をやめられるだけの財宝。

 ジョボの口が開いた。

 エラの拳が開いた。

 トクの目が、泥棒猫のように細くなった。

 チフェネは紙のほうを読んだ。

 ――チフェネへ。

 これは宝の地図ではない。だからこそ、行く価値がある。

 釘星が呼んでも、自分の声で返事をするな。

 そして、道連れは選べ。勇敢な者より、怖がりながら進める者を。

                           アド

 四人は顔を見合わせた。

「六日」とチフェネは言った。

「北へは普通、十日」とジョボ。

「普通に行かなきゃいい」とエラ。

「宝を取って、町を買う」とトク。

 そのとき、屋根裏で床板が軋んだ。

 四人は同時に天井を見上げた。

 誰も住んでいないはずの家で、誰かがくしゃみをした。

二 屋根裏の紳士たち

 屋根裏にいたのは、紳士ではなかった。

 一人は長身で、黒い髪を後ろへ撫でつけ、上等だが泥だらけの外套を着ていた。名をロウ・カナリアといった。

 もう一人は金髪で、椅子の代わりに古い天球儀へ腰かけ、片方の長靴を脱いで靴下を乾かしていた。名をフィン・モローといった。

 二人とも、北方諸州で最も値札の高いお尋ね者だった。

「静かに」とロウが言い、雷筒を向けた。「悲鳴を上げると、こちらも驚く」

「俺は驚くと撃つ」とフィン。

「こいつは驚かなくても撃つ」

「おまえは話が長い」

 町の駅舎や酒場に貼られた手配書より、本人たちは少し疲れて見えた。手配書のロウは悪魔のように笑っていたが、本物は胃痛を抱えた会計係のような顔をしている。フィンは手配書より男前だったが、それを自覚している顔が腹立たしかった。

「ここ、わたしの家なんだけど」とチフェネ。

「六年前から空き家だと思っていた」とロウ。

「昨日から借りてる」とフィン。「家賃は将来払う」

「将来があるの?」

 トクが言うと、フィンは胸を押さえた。

「子供にそこを突かれるとつらい」

 ロウの視線が、チフェネの手の銅板へ落ちた。

 彼の表情が変わった。

「それをどこで?」

「暖炉」

「そうか。では、残念だが頂く」

 エラが前へ出た。「やってみな」

 ロウは雷筒を下げ、ため息をついた。

「できれば子供から物を奪いたくない。後味が悪い」

「銀行からは奪うのに?」チフェネが聞いた。

「銀行は子供より金を持っている」

「たいてい機関砲も持ってる」とフィンが付け足した。

 ロウは銅板に刻まれた円形の印を指した。

「そこには宵王の身代金だけでなく、“長い一歩”があると言われている。古代の門だ。世界の端から端へ、一歩で渡れる」

「逃げ道が欲しいんだ」とジョボ。

「理解が速い。サルガ執行官は我々を追っている」

「なんで?」

「天路会社の給与輸送艇から、社員の一年分の給料を借りた」

「返した?」

「貧しい鉱山町に配った」

「それ返してないよ」とトク。

 フィンが指を鳴らした。「この子は勘定ができる」

 チフェネは地図を胸に抱えた。

「宝は町を救うために要る。門はあげる」

「門を半分にはできない」とロウ。

「宝を運ぶには、大人が二人いる」とエラ。

「会社兵を止めるには、雷筒が二丁いる」とジョボ。

「追われてる大人なら、子供を役所へ連れ戻さない」とトク。

 ロウはしばらく四人を見た。それからフィンを見た。

「どう思う?」

「最悪の計画だ」

「同感だ」

「だから、たぶんうまくいく」

 その日の正午、六人は町を出た。

 正門には会社兵がいたので、トクの秘密基地である鐘楼から、廃水路へ潜った。廃水路は崖の内部をくねり、昔の船渠へ続いている。

 ジョボが自作の灯り虫ランプを掲げると、青い光の輪に六人の影が浮かんだ。

「一つ、決めておこう」とロウ。「危険があれば、私の指示に従う」

「嫌」とエラ。

「話し合う時間がない場合だ」

「じゃあ多数決」とチフェネ。

「銃を持っている者に二票」とフィン。

「子供は未来が長いから三票」とトク。

 フィンはロウを見た。「負けたな」

 ロウは眉間を揉んだ。

 廃水路の先には、崖の腹を貫く古い荷車軌道があった。軌道の上に、錆びた四人乗りの鉱車が残っている。

「六人いる」とジョボ。

「二人降りればいい」とフィン。

「おまえからどうぞ」とロウ。

 結局、六人とも乗った。

 ジョボが制動機を調べた。

「壊れてる」

「動くのか?」チフェネ。

「動く。止まらないだけ」

 その背後で、会社兵の灯りが見えた。

 サルガの声が坑道に響く。

「ロウ・カナリア! フィン・モロー! 子供を人質にしても逃げられんぞ!」

「人質だって」とトク。

「少しはそれらしく怯えてくれ」とロウ。

 エラが鉱車の固定楔を蹴り飛ばした。

 鉱車は闇へ走り出した。

三 嘘つき坑道

 最初の十秒、全員が叫んだ。

 次の十秒、フィンだけが笑った。

 その次の十秒、全員がまた叫んだ。

 軌道は崖の中で蛇のように曲がり、下り、跳ねた。灯り虫ランプの光が壁を引き裂く。天井から垂れた鍾乳石が頭上すれすれを飛び、眠っていた洞窟蝙蝠が黒い雲となって追いすがった。

「曲がるぞ!」ジョボ。

「もう曲がってる!」エラ。

「もっと悪く曲がる!」

 前方で軌道が二つに分かれていた。左の標識には〈旧船渠〉、右には〈廃棄口〉とある。

「左!」チフェネが叫ぶ。

 トクが切替レバーへ身を乗り出したが、指が届かない。

 フィンが雷筒を抜き、レバーの根元を撃った。

 火花が散り、レバーが倒れる。

 鉱車は左へ滑り込んだ。

「上手い!」トク。

「狙ったのは標識だった」とロウ。

「結果が良ければ腕前だ」

 後ろから二台目の鉱車が現れた。会社兵が四人、必死の顔でしがみついている。

 フィンが振り向いた。

「撃つな」とチフェネ。

「まだ何も言ってない」

「顔が撃ってた」

 エラが荷物袋から、朝焼いたばかりの丸パンを取り出した。

「食べるのか?」ジョボ。

「昨日の売れ残り」

 彼女は石のように固いパンを、後ろの軌道へ放った。

 パンは車輪の間に噛み込んだ。会社兵の鉱車が大きく跳ね、全員まとめて脇の泥沼へ突っ込んだ。

 フィンが帽子を取って一礼した。

「恐ろしい武器だ」

「うちのパンを悪く言うと、次は口に入れるよ」

 坑道はやがて巨大な空洞へ出た。

 中央に石橋が架かり、その下には、黒い水が音もなく流れている。橋の入口には、古い文字が刻まれていた。

 チフェネは大叔父の帳面で見たことがあった。

〈嘘つきだけが渡れる〉

「俺たち向きだ」とフィン。

 ロウが一歩踏み出すと、橋の石が沈んだ。空洞のどこかで低い唸りが起こる。

 壁に彫られた石の顔が、目を開いた。

「真実を語れ」

 石の口が言った。

「嘘つきだけが渡れるのに?」ジョボ。

「真実を語れ」

 ロウは考え、言った。

「私は善良な市民だ」

 橋の先の扉が少し開いた。

「嘘を言えばいいんだ」とチフェネ。

 一人ずつ、橋へ乗る。

「わたしは怒ってない」とエラ。

 扉が開く。

「僕の道具袋は軽い」とジョボ。

 開く。

「ぼく、他人のものを盗ったことない」とトク。

 大きく開く。

「俺は長生きする」とフィン。

 扉が、止まった。

 ロウが横目で彼を見る。

「別の嘘にしろ」

 フィンは笑ったまま、肩をすくめた。

「俺は怖くない」

 扉が開いた。

 最後にチフェネが橋へ足を置く。

 石の顔が、先ほどより近くで囁いた。

「真実を語れ」

 夢の塔が脳裏に浮かんだ。

 雪が空へ落ちる。

 釘星の奥の瞳。

「わたしは、あの星に呼ばれていない」

 橋全体が震えた。

 扉が勢いよく開いた。

 その向こうから、凍るような風が吹いた。

 そして声がした。

 ――やっと、返事をした。

四 白角台地

 廃船渠に出ると、空は夕暮れだった。

 そこには翼の布が半分破れた古い郵便滑空艇が一隻、鎖につながれていた。ジョボとロウが機関部を直し、エラが翼布を縫い、トクが「必要な部品」を近くの会社倉庫から調達した。

「盗んだな」とチフェネ。

「未来から借りた」

「誰に習ったの」

 トクはフィンを指した。

「教育の成果だ」とフィン。

 滑空艇は、沈みかけた太陽を背に飛び立った。

 フイゴ崖町は遠ざかるほど小さくなった。黒い岩棚に家々がしがみつき、風車が腕を回している。その外れでは、会社の掘削機がもう地面を測っていた。

「戻れるかな」とジョボが言った。

「戻る」とチフェネ。

「宝がなくても?」

 チフェネは答えられなかった。

 滑空艇は雲海の上を北へ進んだ。

 夜になると、釘星が正面に昇った。どれだけ船が揺れても、それだけは空の一点から動かなかった。

 チフェネは眠るまいとした。

 だが風の音が遠のき、仲間たちの声が水の底へ沈み、気づけばまた黒い塔に立っていた。

 今度は、少女がいた。

 チフェネと同じくらいの年に見えた。白い毛皮をまとい、右の小指がなく、銀の刺青が指を這っている。

「あなたが、わたしの夢?」

 少女は言った。

「そっちこそ」

「わたしはイシュラ。エルダーン北門の見張り」

「チフェネ。フイゴ崖町の地図描き」

「聞いたことのない都」

「町だよ。小さい」

「夢の国はいつも小さい」

 イシュラは塔の縁から都を見下ろした。遠くの城壁の外に、黒い影が集まっている。人の形に似ているが、腕が多すぎた。

「敵が来る。けれど皆、眠ってしまった。王も、兵も、鐘守も。わたしだけが起きている」

「何日?」

「わからない。星は動かないから、夜が終わらない」

 イシュラはチフェネの手を取った。

 触れた指は冷たく、確かだった。

「あなたが目覚めれば、門が開く。そう星が教えた」

「星を信じてるの?」

「他に声がない」

「大叔父は、返事をするなって書いた」

「大叔父?」

「先にここへ来た人かも」

 イシュラの表情が変わった。

「片目の男?」

 チフェネの胸が鳴った。

「見たの?」

「六つ前の夜。けれど、ここでは夜は一つしかない。男は鐘楼へ行った。戻らなかった」

 塔の下で、何かが城壁を叩いた。

 都全体が震える。

「起きて、チフェネ。起きて、門を開けて。でないと――」

 イシュラの顔の向こうで、釘星が大きくなった。

「チフェネ!」

 目を開けると、エラが頬を叩いていた。

 滑空艇は嵐に入っていた。

 白角台地から吹き下ろす氷風が、翼を捻っている。前方には、雲を突き抜ける白い大地がそびえ、その縁から巨大な氷柱が逆さに垂れていた。

 後方で、二つの灯りが近づいてくる。

 会社の追跡艇だった。

「早すぎる」とロウ。

「サルガは近道を知っていたんだ」とフィン。

「それか、誰かに印をつけている」

 ロウは自分の外套を探り、内襟から細い銀針を抜いた。針先で赤い石が明滅している。

「いつ?」

「広場で会ったときか」

「捨てろ!」エラ。

 ロウは銀針を見つめ、首を振った。

「いや。使える」

 彼は針を、ジョボの道具箱にあった小型風船へ結びつけた。トクが火薬筒を一本添える。フィンが導火線へ火をつけると、風船は右手の氷谷へ飛んでいった。

 追跡艇の一隻が進路を変えた。

 数秒後、谷が白い爆発に染まる。雪崩が追跡艇を飲み込んだ。

 残る一隻は速度を上げた。

 雷光が走り、滑空艇の尾翼に穴が開いた。

「台地まで届かない!」ジョボ。

「届かせる」とエラが、破れた索を腕に巻きつけた。

「下に橋がある!」チフェネは地図を開いた。「昔の巡礼橋。あそこへ降ろして!」

 滑空艇は墜落に近い角度で降下した。

 白い霧の中から、一本の細い橋が現れた。鉄骨と骨材で作られ、二つの氷崖の間を渡っている。中央部分は半分崩れていた。

「止まれないぞ!」ジョボ。

「止まらなくていい!」

 機体が橋へ接触した。

 翼が千切れ、火花が尾を引き、滑空艇は鉄骨の上を滑った。六人は雪の上へ投げ出された。

 その先で、機体だけが崖から落ちた。

 追跡艇が上空を旋回する。

 会社兵が縄梯子を下ろし始めた。

「走れ!」ロウが叫んだ。

 六人は、崩れかけた橋を北へ走った。

五 橋の上の二発

 巡礼橋の中央には、幅三歩ぶんの裂け目があった。

 下は雲海だった。落ちたものが地上へ着くのか、それとも永遠に落ち続けるのか、誰も知らない。

 エラが先に飛び越えた。次にトク。ジョボは足を止めた。

「無理だ」

「できる」とチフェネ。

「距離を計った。僕の脚では十三センチ足りない」

「十三センチなら、怖さのぶん伸びる」

「科学的じゃない」

「今だけ科学を裏切って!」

 背後で会社兵が橋へ降りた。雷筒の安全栓を外す音がする。

 ジョボは助走し、飛んだ。

 指先が縁に届く。

 エラとチフェネが腕をつかみ、引き上げた。

 ロウが続く。フィンは橋の向こうに残り、追ってくる兵へ二発撃った。

 一発目は兵の足元の留め金を砕いた。

 二発目は頭上の氷柱を折った。

 氷柱が橋を貫き、会社兵たちの前を塞ぐ。

「早く!」ロウ。

 フィンが裂け目へ走る。

 そのとき、追跡艇の機関砲が火を吹いた。

 橋の縁が砕け、フィンの足場が消えた。

 彼の体が宙へ落ちる。

 ロウが腹ばいになり、片腕を伸ばした。

 二人の手がぶつかり、滑り、手首で止まった。

「重いぞ」とロウ。

「荷物のせいだ」

「銃を捨てろ」

「友情を捨てるほうが早い」

 橋が軋む。

 エラとチフェネがロウの腰をつかみ、ジョボとトクがその後ろへつながった。

 六人は一本の綱になった。

「三つで引く!」エラ。「一、二――」

「二半で!」フィン。

「なんで!」

「三は縁起が悪い!」

「一、二、二半!」

 全員で引いた。

 フィンが雪の上へ転がり上がる。

 その直後、橋の南半分が崩れ落ちた。

 追跡艇は北側へ回り込もうとしたが、白角台地の風に煽られ、いったん上昇した。

 六人は氷の裂け目へ逃げ込んだ。

 暗い洞窟の中で、しばらく誰も喋らなかった。

 やがてロウが言った。

「銃を捨てろと言った」

 フィンは雷筒を抱きしめた。「こいつは俺を裏切ったことがない」

「さっき一緒に落ちた」

「最後まで付き合う忠義だ」

 トクが笑い出した。

 チフェネも笑った。

 エラも、ジョボも、最後にはロウまで笑った。

 笑い声は氷の洞窟を駆け、何重にも反響した。

 その一つだけが、六人の誰の声でもなかった。

 ――門は近い。

 笑い声がそう言った。

六 逆さ森の食卓

 洞窟を抜けると、逆さ森だった。

 白角台地の裏側から、透明な樹々が下へ向かって生えている。根は氷天井に張りつき、枝は雲海へ垂れ、青い実が重力に逆らって上へ落ちていた。

 道は樹々の根元を縫う細い氷棚しかない。

「腹が減った」とトク。

「青い実は食べるな」とロウ。

「なんで?」

「食べた者は一日じゅう、未来のことしか話せなくなる」

「便利じゃない?」ジョボ。

「明日の朝食がないと知って、今日の夕食まで不味くなる」

 エラが袋を開いた。残っているのは、固いパン二個、干し肉少々、砂糖漬けの雲苺ひと瓶だった。

「六人で分ける」と彼女。

 フィンがパンを見て眉を上げた。「さっき兵士を倒したやつと同型では?」

「これは今朝の。柔らかい」

 フィンが噛み、しばらく無言になった。

「どう?」エラ。

「噛み応えに思想がある」

 食事をしながら、チフェネは大叔父の地図を氷へ広げた。

「この先に〈七つの口〉。その向こうが円形の印」

「日没まで半日」とジョボ。「町が壊されるまで、あと四日半」

「帰り道も要る」とエラ。

「長い一歩を使えばいい」とフィン。

「門が本当にあれば」とロウ。

「あるよ」とチフェネ。

 全員が彼女を見た。

 チフェネは夢のことを話した。黒い塔、氷の都、イシュラ、大叔父らしい片目の男。

 話し終えると、雲海の風だけが鳴った。

「星の言うことは信用するな」とロウが言った。

「無法者の助言としては立派すぎる」とジョボ。

「嘘をつく相手は選ぶ。星は選ばない」

「イシュラは本物だと思う」

「本物だから正しいとは限らない」とエラ。

 トクが雲苺を指ですくった。

「でも、置いていけないんでしょ?」

 チフェネは頷いた。

「町も、イシュラも」

「両方助ける計画は?」フィン。

「これから考える」

 フィンは満足そうに笑った。「やっぱり最悪だ」

 食事を終え、六人が立ち上がったとき、森の上空を追跡艇の影が横切った。

 サルガの声が拡声管から響く。

「子供たちへ告ぐ! その二人は君たちを利用している! 財宝を見つければ、必ず置き去りにするぞ!」

「聞いたか」とロウ。「我々の評判は最悪だ」

「反論しないの?」チフェネ。

「財宝を見てから決める」

 サルガは続けた。

「ロウ! フィン! 宵王の身代金を渡せば、国境まで見逃してやる!」

 フィンが空へ向けて叫んだ。

「国境の向こうに何がある?」

「砂漠と処刑台だ!」

「観光案内が下手だな!」

 追跡艇から兵が降下し始めた。

 六人は逆さ森を走った。

 透明な幹の間を雷光が裂く。撃たれた枝から青い実が雨のように――空へ向かって――落ちていく。

 ジョボが一つを受け止めた。

「食べるな!」ロウ。

「食べない。使う!」

 彼は実を地面へ叩きつけた。

 青い果汁が弾け、会社兵の顔へかかった。兵は突然、泣き出した。

「来月、妻に逃げられる!」

 別の兵も実を浴びた。

「三年後に髪が全部なくなる!」

「今もほとんどないだろ!」とフィン。

 未来を叫び合う兵たちを置き去りにし、六人は森の最奥へ飛び込んだ。

 そこには、氷壁に並ぶ七つの巨大な石の口があった。

七 七つの口

 七つの口は、すべて違う形をしていた。

 笑う口。泣く口。牙のある口。唇を縫われた口。子供の口。老人の口。そして、何もない滑らかな顔。

 中央の石床には、古い文字が刻まれている。

 チフェネが読んだ。

〈王は七人、王冠は一つ。光を食べる口だけが、夜を通す〉

「どれが光を食べる?」エラ。

 ジョボは灯り虫ランプを一つずつ近づけた。

 笑う口は笑い返した。

 泣く口は水を吐いた。

 牙の口はランプへ噛みついた。

 縫われた口は何もしない。

 子供の口は「ちょうだい」と言った。

 老人の口は昔話を始めた。

 滑らかな顔には口そのものがない。

「最後だ」とトク。「口がないから、光を食べられない」

「だからこそかも」とチフェネ。

 彼女は銅板を滑らかな顔へかざした。

 磨かれた銅面に釘星の光が反射し、顔の中央へ当たる。

 すると、石に細い裂け目が生まれた。

 裂け目は唇の形に開き、光を吸い込んだ。

 氷壁全体が左右へ動き、奥へ続く階段が現れた。

「当たり」とトク。

「どうしてわかった?」ジョボ。

「大叔父の手紙。これは宝の地図じゃない。書いてあるものより、書いてないものを見るんだと思った」

 ロウが感心したように銅板を見た。

「測量士は、ひどく面倒な人種だな」

「銀行強盗よりはまし」

「銀行の扉は、もっと素直だ」

 階段を下りるほど、空気は暖かくなった。

 壁の氷が消え、黒い石へ変わる。石には星図が彫られていたが、どの星座も現在の空と一致しない。何千年も前の空か、別の世界の空だった。

 最下層に、円形の大広間があった。

 中央には青銅の鐘。

 その後ろには、黄金の扉。

 左右には、白骨化した人々が何百人も、祈る姿勢で座っている。

 一番手前の白骨だけが、片目に真鍮の眼帯をつけていた。

「大叔父さん」

 チフェネは膝をついた。

 白骨の胸元に、革表紙の帳面が挟まっていた。

 最後の頁には、震える字でこうあった。

 ――身代金は本当にある。

 だが宝ではなく、餌だ。

 長い一歩は道ではない。向こう側から来るもののための口だ。

 私は鐘を鳴らせなかった。

 次に来る者よ、星を見上げるな。

 読み終えた瞬間、背後で拍手がした。

「実に有益だ」

 サルガ執行官が階段の上に立っていた。

 会社兵が広間へ流れ込む。雷筒が六人へ向けられた。

 サルガは帽子についた乾いた生地を指で払いながら、トクを見た。

「ようやく礼ができる」

八 宵王の身代金

 サルガはチフェネから銅板を取り上げた。

「天路会社は、北環状軌道などに興味はない。あれは口実だ。アド・オルサが残した地図を、町ごと掘り返すためのね」

「町はどうするつもりだった」とエラ。

「軌道は本当に敷く。嘘は少ないほうが管理しやすい」

 サルガは黄金の扉へ銅板をはめ込んだ。

 円形の溝が光り、扉がゆっくり開く。

 その向こうには、山ほどの金貨があった。

 赤い宝石、月銀の延べ棒、王冠、儀礼剣、封印された箱。七つの王国が戦争をやめるため差し出したという伝説は、誇張ではなかった。

 トクが息を呑んだ。

 エラでさえ言葉を失った。

 フィンだけが小声で言った。

「全部持てないな」

「そこか」とロウ。

 サルガは笑った。

「長い一歩はどこだ?」

 チフェネは答えなかった。

 執行官は青銅の鐘を見た。その台座には、地図と同じ釘星の印がある。

「これだな」

「触るな」とチフェネ。

「君の大叔父もそう書いたか?」

「門じゃない。口だって」

「古代人は、理解できない技術を怪物にたとえた。会社は迷信より利益を信じる」

「利益は怪物じゃないの?」トク。

 サルガの頬が引きつった。

 彼が鐘の綱を引いた。

 音は鳴らなかった。

 代わりに、広間の天井が消えた。

 そこに夜空が開いた。

 釘星が、ありえないほど近くにあった。

 白骨たちが一斉に頭を上げた。

 金貨の山から霜が広がる。宝石が曇り、兵たちの吐息が白くなり、床の石に氷の花が咲いた。

 星の中心に、縦長の瞳が開く。

 会社兵の一人が叫んだ。

 その影が床から剥がれ、星へ吸い込まれた。影を失った兵は、糸を切られた人形のように倒れた。

「門を閉じろ!」ロウ。

「どうやって?」ジョボ。

 チフェネの耳に、イシュラの声が響いた。

 ――起きて。

 世界が二重になった。

 広間の向こうに氷の都が透けて見える。都の城門には、腕の多い黒い群れが押し寄せている。イシュラが塔の上で一人、鐘の綱を握っていた。

 ――こちらへ来て。門を開けきれば、皆が目を覚ます。

 チフェネは理解した。

 イシュラの都は過去ではない。釘星に捕らえられた、終わらない一夜だった。星は二つの世界を夢で縫い合わせ、こちら側から門を開かせようとしている。

 イシュラは嘘をついていない。

 ただ、星の嘘の中に生きている。

「鐘は二つある」とチフェネは言った。「こっちと、向こうに。両方を同時に鳴らせば閉じる」

「向こうへどう行く?」エラ。

「眠る」

「今?」

 会社兵が混乱の中で発砲した。雷光が柱を砕く。

 フィンとロウが応射する。

「今しかない!」チフェネは叫んだ。「わたしが眠っている間、鐘を守って!」

 ジョボが道具袋を開いた。「眠り薬なんてない!」

 エラが拳を上げた。

「それは最後の手段!」チフェネ。

 トクが雲苺の瓶を差し出した。「食べたら眠くなるって母さんが」

「それ普通の食べすぎ!」

 広間の温度がさらに下がる。

 サルガは金貨を両腕で抱え、出口へ走ろうとしていた。だが彼の足元から伸びた影が、逆方向へ引かれている。

「助けろ!」彼が兵へ命じる。

 誰も聞かなかった。

 チフェネは大叔父の白骨の隣へ横たわった。

「エラ」

「ここにいる」

「ジョボ」

「鐘は僕が鳴らす」

「トク」

「金貨、一枚だけなら?」

「あとで」

「ロウ、フィン」

 二人は背中合わせに雷筒を構えていた。

「子供の昼寝を守る仕事は初めてだ」とロウ。

「報酬が高い」とフィン。

 チフェネは目を閉じた。

 釘星が、瞼の裏で瞬いた。

九 夢の見張り

 黒い塔には雪が降っていた。

 上ではなく、今度は下へ。

 イシュラが鐘の前に立っている。彼女の背後で、氷の都の灯りが一つずつ消えていく。

「門が開いた」とイシュラ。「あなたが目覚めたから」

「違う。わたしは眠った」

「同じこと」

「同じじゃない。ここはあなたの夢でも、わたしの夢でもない。あの星の夢」

 イシュラは釘星を見上げた。

 瞳がこちらを見ている。

「星は、皆を起こすと言った」

「星は皆を食べる。わたしの世界も、あなたの世界も」

「では、どうすれば?」

「鐘を鳴らす」

「門が閉じる」

「うん」

「わたしの都は、永遠に夜の中だ」

 城壁が崩れた。

 腕の多い影が、氷の街路へ流れ込む。影に触れた家々は、記憶のように薄くなって消えた。

 イシュラは槍を握った。

「あなたは帰れる。わたしは?」

 チフェネは答えられなかった。

 正しい言葉が見つからないとき、地図描きは嘘をついてはいけない。ない道を描けば、誰かが崖から落ちる。

「わからない」とチフェネは言った。「助かる方法は、わからない」

 イシュラの目に涙が浮かんだ。涙は頬で凍った。

「なら、門を開けて。あなたの町へ逃がして。子供たちだけでも」

 釘星が明るくなった。

 都の広場に、眠っていた人々が現れた。母親に抱かれた赤子。杖をつく老人。負傷した兵。皆、目を閉じたまま歩き、門へ向かっている。

「見て」とイシュラ。「まだ生きている」

 チフェネは彼らの足元を見た。

 誰にも影がなかった。

「あれは星が見せてる」

「違う!」

「イシュラ。あなたは、最初から一人だったんじゃない?」

 少女の顔が凍りついた。

 塔の下の人々が、同時に顔を上げた。

 目のあるはずの場所が、すべて釘星になっていた。

 イシュラが後ずさる。

「違う。王が命じた。北門を見張れと。鐘守が言った。眠るなと」

「その声を聞いたのは?」

「わたしだけ」

「星は、あなたの声であなたを呼んだ」

 人々の形をしたものが塔を登り始める。

 イシュラは槍を構えたが、手が震えていた。

「わたしは、失敗したの?」

「ずっと見張ってた」

「でも誰も守れなかった」

「わたしの大叔父は鐘を鳴らせなかった。わたしも一人なら無理だった」

 チフェネは鐘の綱をつかんだ。

「二人ならできる」

 イシュラは釘星を見た。

 消えていく都を見た。

 最後に、自分の右手を見た。

 そして槍を捨て、チフェネの隣へ立った。

「あなたの町には、朝がある?」

「毎日。曇ることも多いけど」

「パンは?」

「固いのがある」

「それは要らない」

 二人は笑った。

 塔へ影たちがなだれ込む。

 イシュラが綱を握る。

「合図を」

「一、二――」

「三で?」

「二半で」

「変な数え方」

「友達に教わった」

 二人は綱を引いた。

「一、二、二半!」

 鐘が鳴った。

 音は氷の都を貫き、空へ昇り、釘星へぶつかった。

 星の瞳に亀裂が走る。

 人々の形をしたものが砕け、雪になる。

 イシュラの体も、指先から白くほどけ始めた。

「イシュラ!」

「大丈夫」と彼女は言った。「やっと、見張りが終わる」

「待って。ほかの道を――」

「地図描き。ない道を描いてはだめ」

 イシュラは笑った。

 その笑顔は恐れていた。

 恐れながら、それでも綱を離さなかった。

「朝を見て」

 釘星が割れた。

十 最後の宝箱

 チフェネが目を開けると、広間は崩れ始めていた。

 ジョボが青銅の鐘へぶら下がっている。エラとトクも綱を引き、三人まとめて宙へ浮いていた。

 鐘の音が二つの世界で重なった。

 天井の夜空が縮む。釘星の瞳が細くなり、叫びのような光を放った。

 サルガ執行官は金貨を抱えたまま、影から先に星へ吸い込まれた。

「会社は……私の……」

 最後まで所有権を主張しながら、彼は光の穴へ消えた。

 門が閉じる。

 残った会社兵は武器を捨て、階段へ逃げた。

「立てる?」エラがチフェネを起こす。

「イシュラが……」

 言葉の続きは、崩落の音に消えた。

 黄金の扉が閉まり始める。

「宝!」トクが叫んだ。

「一箱だけ!」ロウ。

 エラとフィンが、入口近くの小さな木箱を担いだ。ジョボは床に落ちていた巻物を何本か道具袋へ突っ込む。トクは本当に金貨を一枚だけ拾った。

 六人は階段を駆け上がった。

 七つの口を抜け、逆さ森へ戻る。

 背後で白角台地が鳴動していた。透明な樹々が根元から割れ、青い実が空へ舞い上がる。

 追跡艇が一隻、森の外れに残っていた。

「操縦できる?」チフェネ。

「墜とすよりは簡単」とジョボ。

 艇までは、むき出しの氷棚を百歩ほど走ればいい。

 だが背後では、逃げ延びた会社兵が十数人、崩れた七つの口を越えて追いつこうとしていた。森の出口は一人ずつしか通れない。そこを抜かれれば、宝箱を担いだまま艇へたどり着くのは無理だった。

 ロウは残弾筒を開いた。

「三発」

「俺は四発」とフィン。

「向こうは?」

「数えたくないほど」

 白角台地の亀裂が広がる。あと数分で、森ごと雲海へ落ちる。

 ロウはチフェネへ、追跡艇の起動鍵を投げた。

「子供たちと箱を連れて行け」

「全員で行く」

「通路が狭い。誰かがここで引きつける必要がある」

「別の道を探す」

「地図描き」とロウは静かに言った。「ない道を描くな」

 チフェネは息を止めた。

 フィンが帽子のつばを直した。

「安心しろ。俺たちは包囲されるのが得意だ」

「逃げるのが得意なんじゃなかったの?」トク。

「逃げるために、まず包囲される」

 エラが宝箱を下ろした。

「わたしも残る」

「君はパンを焼け」とフィン。「あれは武器になる」

「まだ言うか」

「町に必要だ」

 ジョボは唇を噛み、予備の火薬筒を二本、ロウへ渡した。

「三十秒で爆発する」

「二十秒にできる?」

「できるけど、どうして」

「長く待つのが嫌いだ」

 ロウとフィンは、氷棚へ出た。

 会社兵たちが雷筒を構える。

 ロウが振り返る。

「チフェネ。町を買え」

 フィンも振り返った。

「余ったら、俺たちの懸賞金も払ってくれ」

「本人に払われないよ!」トク。

「融通の利かない制度だな」

 二人は並んだ。

「何人いる?」フィン。

「十分だ」とロウ。

「何に?」

「伝説を正直にするのに」

「俺は正直な伝説が嫌いだ」

「知っている」

 二人は雷筒を上げた。

 チフェネたちは走った。

 背後で最初の銃声が鳴る。

 次に二発。

 続いて、数えられないほどの雷鳴。

 追跡艇へ宝箱を押し込み、ジョボが機関を起こす。艇が氷棚を離れた瞬間、白角台地の端が崩れた。

 逆さ森が、透明な滝のように雲海へ落ちていく。

 火薬筒が爆発した。

 白い光の中に、二つの影が立っていた。

 一人が何か言い、もう一人が笑ったように見えた。

 それから雲がすべてを隠した。

十一 朝のある町

 フイゴ崖町へ戻ったのは、退去期限の前夜だった。

 追跡艇は中央広場へ墜落し、魚屋の屋根を半分壊した。

「修理代は払う!」とチフェネは煙の中から叫んだ。「たぶん!」

 宝箱には、月銀の延べ棒が十二本、古王朝の金貨が二百枚、宝石が三袋入っていた。

 だが町を救ったのは、ジョボが拾った巻物だった。

 それは三百年前、フイゴ崖町の土地を最初の入植者たちへ永久譲渡した王家の勅許状だった。天路会社が所有権の根拠にしていた地図より、二百年古い。

 町の鐘楼から各地の通信鐘へ写しを送ると、天路会社は翌朝には「計画の再検討」を発表した。会社は法律そのものではなかった。法律そのもののふりをするには、人に見られていないことが必要だった。

 月銀の半分で町の借金を払い、残りで船渠を直した。

 魚屋の屋根も直した。

 エラの家は新しい窯を買った。前より温度が安定し、パンは少しだけ柔らかくなった。フィンなら文句を言っただろうと、皆が思った。

 トクは金貨を一枚、町の博物室へ寄付した。

 本当は二枚拾っていたことを、チフェネだけが知っていた。

 ジョボは追跡艇を分解し、町で最初の郵便飛行艇を作り始めた。艇の左右には、黒い鳥と金色の鳥を描いた。

 チフェネは大叔父の家を地図工房にした。

 壁には新しい北方図を貼った。白角台地があった場所には大きな空白を残し、その脇に小さく記した。

 ――ここに道はない。

 ――それでも、誰かが見張っていた。

 釘星は、今も北にある。

 けれど以前とまったく同じ場所ではない。

 ほんの髪の毛一本ぶんだけ、西へずれていた。

 町の人々は測量誤差だと言った。ジョボは観測器の歪みだと主張した。エラは「星だって立ちっぱなしなら足を動かす」と言い、トクは「逃げたんだよ」と言った。

 チフェネは、ときどき夜空を見上げる。

 星はもう瞬かない。

 夢にイシュラも現れない。

 ロウとフィンの遺体は見つからなかった。

 春になると、南の砂漠で給与輸送車が二台襲われたという噂が届いた。犯人は二人組で、一人は計画どおりに進まないと不機嫌になり、もう一人は計画そのものを聞いていなかったという。

 手配書の似顔絵は、まるで似ていなかった。

 チフェネはその紙を工房の窓辺へ貼った。

 朝日が昇り、フイゴ崖町の風車が回り始める。

 遠い雲の向こうで、二つの雷鳴が続けて鳴った。

 それは銃声にも聞こえたし、

 世界の果てで、誰かが星を笑い飛ばしている声にも聞こえた。