第60話 第四章「赤い配管」後編

 轟が耳を当てる。

 四拍。

 五拍目が遅れる。

 銀管の信号。

 その奥で、大きな弁が一度だけ震えた。

「自動復帰、動いてる」

 鉄志。

「誰が見てる」

「制御室」

「誰が止める」

「設定上は工場長」

「工場長が倒れたら」

「副長」

「副長が」

「自動」

「鉄志が倒れたら」

「関係ない」

 タマキは六角蓋へ住所札を結んだ。

《地下弁室。自動運転は人の失神では止まらない。開放は操業中のみ。責任者未確認》

 鉄志が札を読む。

「未確認じゃない。工場長だ」

「今ここにいない」

「役職はある」

「人は?」

 鉄志は答えなかった。

 轟は蓋へ手を置いた。

 圧力錠が、内側で脈打っている。

 今なら開く。

 開けば、操業中の地下へ入る。

 今日は外周診断だけ。

 許可された範囲を越える。

「開けない?」

 タマキが訊く。

「今日は」

「壊れそうでも?」

「中を見たいのと、入っていいのは別」

「迅なら入る」

「迅じゃない」

「成長?」

「担当が違う」

 轟は工具棚を戻し始めた。

 鉄志が眉を寄せる。

「今、閉じるのか」

「入口は見つけた。戻す」

「危険が」

「勝手に開けたら、次に工員が隠す」

「おまえが手順を言う日が来るとは」

「工場が古くなった」

「本人は」

「工具、四十三番」

 タマキが差し出した。

 話を終わらせる道具だった。

 百二十六本まで戻したところで、タマキが言った。

「一つ足りない」

「数え違い」

 鉄志。

「番号、四十三」

 轟の手には別の魚骨がある。棚の四十三番は、短い片口レンチだった。

 全員で床を見る。

 ない。

 工具を移した白布。

 棚の裏。

 六角蓋の周囲。

 若い溶接工が更衣室の戸を開ける。

 戸の下から、金属が滑った。

 四十三番。

 扉止めに使われていた。

「誰が」

「前から」

 老班長。

「道具だぞ」

 鉄志。

「戸が閉まる」

「木片を使え」

「木は燃えた」

「交換票」

「書いたら、戸を直すまで閉まる」

 工具一本を返すと、更衣室の出入口が使いにくくなる。

 轟は戸の蝶番を見る。

 上側が二ミリ下がっている。

「四十三を戻す。戸は仮札」

「閉まるぞ」

「持ち手、結ぶ」

 耐熱紐を壁へ通し、開いた位置で固定する。

 タマキが札を書く。

《四十三番レンチ、工具棚へ返却。更衣室戸、蝶番修理まで耐熱紐で開放。閉鎖時は紐を外す》

「道具を返すと、別の不具合が見える」

 若者。

「隠してたから」

 轟。

「便利だった」

「便利は、壊れた理由を黙らせる」

 四十三番は油を拭かれ、番号の場所へ戻った。

 棚は百二十七本になった。

 更衣室の戸には、新しい仕事が一つ増えた。

 午後四時十九分

 工具は百二十七本、全部戻った。

 魚骨一本だけ、轟の手に残っている。

「借り物」

 タマキが言う。

「煉瓦、まだ」

 赤配管区へ戻り、外した煉瓦を二人で入れた。

 鉄志が支え、轟が魚骨を抜く。

 目地へ新しいモルタルは入れない。

 調査口として再利用できるよう、耐熱布で仮封する。

「元通りじゃない」

 鉄志。

「元が間違い」

「誰が決める」

「飲料係と保全」

「おまえじゃない?」

「図を出す。決めるのは使う奴」

 鉄志は壁を見た。

「門柱が、門を返した」

「借りただけ」

「俺は返すのが苦手だ」

「知ってる」

「何を」

「持ち場」

 鉄志は怒らなかった。

 補聴器を外した。

「もう一度」

 聞こえなかったと明言した。

 轟は同じ声量で、左側から言う。

「持ち場を、返すのが苦手だ」

「おまえもだ」

「知ってる」

 二人の間で、壁の中を水が流れた。

 赤い管の奥。

 緑の管の隣。

 銀の細管が、地下へ同じ信号を送り続けている。

 四拍。

 遅れる五拍目。

 工場は、誰かの拳より正確に、止まらない方法を覚えていた。