第66話 第七章「事故の責任」後編

「面倒」

「はい」

「すぐ見たい」

「はい」

「でも見せない」

「はい」

「頑固」

「それは記録済みです」

 どこかで笑いが起きた。

 番台女は笑わない。

「住民側の監視、私がやる」

「浴場を離れられますか」

「昼は閉めた。ぬるい湯で料金は取れない」

「工場停止へ賛成ですか」

「湯が出るなら反対。危ないなら賛成。つまり、まだ決めてない」

「適任です」

「褒めてないだろ」

「条件との一致です」

 負傷者側は秋生が手を上げた。

「右腕は使えません」

「目は二つある」

「長時間立てますか」

「椅子」

 迅が言った。

 小麦がすぐ、折り畳み椅子を一脚持ってくる。

「料金」

 タマキ。

「監視業務の備品。共同会計」

「返却期限」

「本日二十時」

「受領」

 秋生は座った。

 工場側の監視役には、記録係の井桁千鶴が来た。三人は互いに知り合いではない。

 番台女は秋生の包帯を見る。

「風呂、入れないね」

「今ぬるいんでしょ」

「傷にはちょうどいい」

「料金」

「怪我人割引はない」

「けち」

「生きて払え」

 秋生は笑った。

 七瀬は三人へ封印番号を読み上げた。

 一、旧槽。

 二、赤戻り。

 三、入退場。

 四、休憩札。

「異常とは」

 番台女。

「封印の破損、時計の停止、画角の変更、電源断。計器の数値変化は異常ではなく記録対象です」

「誰か倒れたら」

「救助を優先。カメラを守る義務はありません」

「盗まれたら」

「盗んだ人より、盗める状態を作った私の責任を先に記録します」

「それ、犯人が得する」

「得はしません。別の責任です」

 井桁が鍵束を鳴らす。

「責任を分けすぎると、誰も捕まらないよ」

「捕まえることと、直すことを同じにしません」

「鉞谷を捕まえない?」

「今、逮捕権限の話はしていません」

「嫌われる話し方だね」

「よく言われます」

「誰に」

「全員に」

 迅が答えた。

「質問は七瀬へです」

「答え、同じ」

 また笑いが起きた。

 七瀬は笑わなかった。

 だが、接続を切った時に胸へ入った冷たさが、少しだけ形を変えた。

 信頼は得られていない。

 代わりに、疑う人が三人、同じ画面を見ている。

 記録にとって、それは信頼より丈夫な始まりだった。

 午後三時三十七分

 記録は退屈だった。

 圧力計の針が〇・一上がる。

 旧槽が七十八から七十七・八へ下がる。

 工員が入る。

 工員が出る。

 休憩札が表になる。

 十七分後、裏返る。

 劇的な物は何もない。

 だから、初めて見えることがあった。

 休憩に入った人数は十二。

 戻った人数は十三。

 七瀬は入退場映像を戻さない。

 連続記録中に操作すれば、封印が切れる。

 横の紙へ時刻だけ書く。

《十四時五十八分 休憩復帰、入場数+一。確認待ち》

 十五時三分。

 南雲秋生が診療所から歩いてきた。

 右腕を吊ったまま。

「何をしています」

 七瀬。

「見に」

「復帰許可は」

「ない」

「入場しないでください」

「してない。線の外」

 黄色線から靴一足ぶん外に立つ。

「親方、休んだ?」

「個人追跡はしていません」

「見てたら分かるだろ」

「分かっても、今は人物へ焦点を合わせません」

「逃がしてる?」

「工程を逃がさないためです」

 秋生は圧力計の画面を見る。

「地味」

「事故前も、地味でした」

「俺の腕は派手」

「痛みを見せる必要はありません」

「見せたんじゃなく、見えた」

 七瀬は返せなかった。

 見える物と、見せる物は違う。

 カメラは、その違いをしばしば踏みつぶす。

 十五時九分。

 工場内で短い警報が鳴った。

 圧力計、九・四。

 旧槽、七十七・五。

 休憩札、表。

 入退場時計、変化なし。

 七瀬はカメラを持ち上げかけた。

 肩が痛む。

 迅が鞄の上へ手を置く。

「固定」

「現場を撮ります」

「四台、今を撮ってる」

「人が」

「七瀬」

 名前だけ。

 止める命令ではない。

 彼女は三脚を見た。

 針。

 時計。

 札。

 入口。

 人間が映っていない記録は、不完全だ。

 人間だけを追う記録も、不完全だ。

「確認へ行きます。固定記録は継続。南雲秋生、線外から封印を目視できますか」

「俺?」

「右腕を使わず、ここから動かず、異常があれば左側の鐘を一回。できますか」

「できる」

「断れます」

「やる」

「理由」

「親方だけ格好よくするの、やめる」

 七瀬は頷いた。

 カメラを持たず、工場内へ走った。

 左肩が軽い。

 軽いことが、少し怖い。

 午後三時十八分

 警報の原因は、二次冷却路の小さな圧力振れだった。

 負傷者なし。

 設備停止なし。

 工員二人が現場確認し、休憩へ戻った。

 七瀬が正門へ戻ると、秋生は黄色線の外にいた。

 鐘は鳴っていない。

「異常」

「なし」

「封印」

「全部ある」

「時刻」

「三時十八分四十秒」

「時計を見ていましたか」

「ずっと」

「圧力は」

「九・三に戻った」

「旧槽」

「七十七・四」

「休憩札」

「表のまま」

「入退場」

「二人、戻った」

 七瀬は記録紙へ書く。

 秋生が訊いた。

「これ、いつ出す」

「停止判断に必要な時刻が揃い、証言者が公開範囲へ同意した後」

「遅い」

「はい」

「その間、嘘って言われる」

「はい」

「嫌じゃない?」

「嫌です」

「じゃあ出せば」

「嫌なことを避けるために事実を早く切ると、別の人へ責任が集まります」

「名言?」

「手順です」

「長い」

「あなたが訊いた」

 秋生は左手で眉の傷を掻いた。

「親方なら、『後で』って言う」

「後とは何時ですか」

「小麦さんみたい」

「不本意です」

「似てる人、多いな」

 固定記録を引き継いだあと、秋生が七瀬を呼び止めた。

「朝の答え」

「何の」

「街にも責任あるか、って聞いた」

 七瀬は覚えていた。

「これは証言の続きではありません」

「分かってる」

「撮りません」

「珍しい」

「個人として答えると言いました」

 秋生は黄色線の外へ座る。吊った右腕を膝へ置けないため、椅子の背へ布を掛ける。

 七瀬も立ったままにせず、隣の椅子へ座った。

「街に責任はあります」

「湯を使ったから?」

「使うこと自体ではありません」

「じゃあ」

「安い、早い、止まらない供給を望み、その条件を誰が負うか見なかった責任」

「俺も街の人」

「工員でもある」

「二重?」

「責任は点数ではありません」

「また難しい」

「あなたは危険を引き受け、同時に湯を使った。鉞谷は守り、休まなかった。私は事故を撮りたがり、普段の休憩を撮らなかった」

「七瀬にも?」

「あります」

「何をする」

「今、固定記録を残す。後で公開範囲を決める。間違えたら訂正する」

「それで払ったことになる?」

「なりません」

「じゃあ責任って、終わらない?」

 七瀬は工場を見る。

 休憩札が二十分で裏返る。

「終わらせるために持つものではないのかもしれません」

「重いな」

「分けます」

「誰と」

「持った人同士で。本人へ勝手に渡さず」

 秋生は左手で眉の傷を掻いた。

「親方へ言う?」

「私の答えとしてなら」

「俺が言う」

「内容を変えても構いません」

「変えたら七瀬の答えじゃない」

「あなたが受け取った答えです」

「面倒」

「記録していません」

「じゃあ悪口、無料?」

「一回だけ」

 秋生は笑った。

 七瀬は撮らなかった。

 撮らなかった笑いは消える。

 消えるから嘘になるわけではない。

 記録へ残らない時間にも、人は次の言葉を選び直している。

 七瀬は四台のカメラを見た。

 どれも同じ時刻を映している。

 英雄は映っていない。

 犯人も映っていない。

 ただ、工場が人の休みをどれだけ待てるか、その秒数だけが残っている。

 午後三時二十分。

 休憩札が裏返った。

 二十分。

 今日は、誰も三分で戻らなかった。

 画面の隅で、十三人目の工員が、自分の名を入場簿へ書いた。

 七瀬は追わなかった。

 追わないことで、その一行を見失わずに済んだ。