第77話 第一章「八旗からの封筒」前編

九月十四日 午前七時十三分

 届いた手紙が立派であるほど、受取人は先に疑った方がいい。

 立派な人間は、たいてい自分で歩いてくる。立派な封筒だけが、他人へ歩かせる。

「受け取れません」

 環玉樹は、八つの封蝋を並べた白い封筒を配達人へ返した。

 差し出されたのは二度目だった。

「宛名は合っている」

 灰色の制服を着た配達人が、封筒の中央を指で示す。

《空白の旗 責任者殿》

 字は金の箔押しだった。

 朝飯の魚を包む紙より、たぶん高い。

「責任者の名前がない」

「団体宛てだ」

「団体じゃない」

「活動集団だと登録されている」

「仕事ごとに違う」

「では、今の責任者に」

「今は朝飯」

 配達人は、卓上の飯茶碗を見た。

 元は零番街の配達所だった一室に、六人が寄り合っている。長机の一端には工具箱、もう一端には帳簿。壁際には、中央が白いままの布が短い棒へ巻かれていた。旗芯はタマキの鉄箱の中だ。保管料は一日一円。支払いは三日遅れている。

 配達所の朝は、仕事より先に返却から始まる。

 昨日借りた梯子。

 使わなかった釘。

 期限を過ぎた通行札。

 頼まれたが、途中で断られた屋根修理の見積書。

 空白の旗〈ブランク〉は、仕事が終われば権限も返す。

 言葉にすれば短い。

 実行すると、朝飯の前に四十分かかる。

 轟が右手だけで梯子の金具を数え、七瀬が返却時刻を記録し、タマキが持ち主の名前を二度確認する。迅は鍋の蓋を開けたまま忘れ、真琴は見積書の「一式」という二文字を消していた。

「瓦、十二枚。防水紙、二間。釘、三十六本。人足二名、二時間」

 真琴が読み上げる。

「長い」

 屋根の見積書を取りに来た女が言った。

「一式では、何へ払うか分かりません」

「雨が降る前に直るなら何でもいい」

「直らなかった時、何が足りなかったか分からなくなります」

「雨は内訳を読まないよ」

「雨漏りを直す人は読みます」

 女は渋い顔で紙を受け取った。

 玄関を出る直前、振り返る。

「それで、白い旗の代表は誰なんだい」

「今回の屋根なら轟です」

 真琴が答えた。

「肩を吊ってる大男?」

「現場へ上がるのは別の職人です。轟は荷重確認と返却責任」

「じゃあ、揉めたら」

「見積書の下に異議先があります」

「人を訊いたのに、紙が答えるんだね」

 女はそう言って帰った。

 扉が閉じる。

 真琴は見積書の控えを見た。

 異議先は書いてある。

 氏名も期限もある。

 それでも、女の質問へ答えた気がしない。

 規則を細かくすれば、責任は見える。

 細かくしすぎれば、人の顔が行間へ落ちる。

 その朝、真琴はまだ、落ちた顔を拾う仕事の名前を知らなかった。

 朝飯の責任者は竜胆迅だった。

 炊いた米が少し硬い。

 味噌汁は塩辛い。

 魚は焦げている。

 責任を明確にすると、料理が美味くなるわけではない。叱る相手がはっきりするだけだ。

「朝飯の責任者なら、あいつ」

 タマキが迅を指した。

「手紙は焼いてない」

 迅は焦げた魚の皮を箸で剥がした。右手首から前腕へ薄い黒の支持具が巻かれている。箸は左手だ。慣れ始めたぶん、魚の骨だけが彼の自信を折りにくる。

「活動の責任者は?」

 配達人が訊いた。

「今は、いない」

「では受領不能と記録する」

「待ってください」

 朽葉真琴は立ち上がった。

 椅子の脚が鳴り、全員の視線が集まる。焦って立つと、眼鏡が鼻の下へずれた。左手で直し、白い手袋の指先を封筒へ伸ばす。

「差出人を確認します」

「八旗協議連絡室」

「八旗協議の正式書式ですか」

「封蝋と用紙番号を見れば分かる」

「番号を読み上げてください」

 配達人は、封筒裏面の小さな刻印を読んだ。

 真琴は手帳の一覧と照合する。

 番号は正しい。

 八つの封蝋は色が違う。赤、白、錆、青、黄、黒、緑、無色。すべて同じ大きさではなく、二つは欠け、ひとつには押し直した跡があった。

 八旗が仲良く同じ机を囲んでいるわけではない。

 封筒だけが、そう見えるよう整列させられている。

「受領者欄を見せてください」

「署名するなら」

「先に欄を確認します」

「規定では――」

「規定番号」

 配達人は口を閉じた。

 真琴は少しだけ気分がよくなった。

 相手が規則を持ち出した時、規則番号を訊く。古い役所で身につけた習慣だ。規則は盾に見えるが、番号を訊かれると急に住所を失う。

「確認だけなら許可されている」

 配達人は受領票を開いた。

《受領者氏名》

《本件における地位》

《受領時刻》

《本書記載条件を確認し、関係者へ伝達する責任を負う》

「伝達責任だけです」

 真琴は言った。

「なら、俺でもいい」

 獅堂凱が低い声を出す。

 白い長衣の裾は椅子の横へ畳まれ、左膝の黒い装具が見えていた。昔なら、金箔の封筒は彼の前へ真っ先に置かれただろう。今は味噌汁の椀を両手で温めている。

「よくありません」

 真琴は即答した。

「なぜだ」

「あなたが署名すると、向こうは元王を代表者として扱います」

「扱わせなければいい」

「肩書きは、本人が脱いでも相手が勝手に着せます」

「なら、おまえは」

「法務確認担当として受領できます」

「誰が法務確認担当へ任命した」

 迅が訊く。

 真琴は答えかけて、止まった。

 誰も任命していない。

 昨日、商店の借用書を三枚直した。先週、工場から返された工具の損害区分を書いた。自然に書類が自分へ集まっている。

 自然という言葉は便利だ。

 誰が置いた責任かを隠す時、特に便利だった。

「では、今ここで確認してください」

 真琴は眼鏡を押し上げた。

「この封筒を受け取る作業の責任者を、私にすることへ異議はありますか。仕事は、差出人と真正性の確認、内容の読み上げ、受領によって生じる義務の抽出まで。期限は午前八時。署名は法務担当ではなく、この作業の受領担当とします」

「撤回」

 タマキが言う。

「開封前なら、理由なしで撤回可能」

「開けた後は?」

「内容に受領時発効の条件がある場合、別途異議を申し立てます」

「長い」

 迅。

「要約します。私が受け取る。読む前なら返せる。読んで罠があれば争う」

「罠を読んだら、罠に入ってるんじゃない?」

 タマキの質問で、真琴は一拍遅れた。

「その可能性を確認するために、外側を先に読みます」

「賛成」

 七瀬が言った。

 彼女のカメラは机へ置かれたままだ。左肩を痛めてから、手回し機を常に抱えなくなった。小型三脚の脚だけが、椅子の背へ掛けてある。

「撮影は?」

 真琴が訊く。

「開封者と配達人の許可を取ってから。今は記録票だけ」

 七瀬は右手で鉛筆を持ち、時刻を書く。

「反対なし。保留一」

「誰」

「迅」

「反対してない」

「賛成もしてない」

「魚がある」

「魚を理由に議決を保留したと記録します」

「やめろ」

「では賛成か反対を」

「真琴が受け取れ」

「賛成一」

 伏見轟は左腕を胸元へ固定したまま、右手で茶碗を持っていた。肩の手術から三週間。大きな身体に対して、医師が許した可動域は情けないほど狭い。

「俺も賛成」

「理由は」

「おまえ、もう立ってる」

「合理性が不足しています」

「座って飯を食うためだ」

「採用します」

 配達人が咳払いをした。

「まだか」

「今、受領者が成立しました」

 真琴は受領票へ署名した。

 左手の字は細い。

《朽葉真琴。本封筒受領作業責任者。午前七時二十一分》

 封筒の重さが、署名前より増えた気がした。

 紙は質量を変えない。

 人間の方が、持ち方を変える。

 開封には、工具が三つ必要だった。

 封蝋を温める銀匙。

 糸を切る小刀。

 内容を押さえる重石。

 真琴は封筒の外周を調べた。

「裏面の右下に微細文字」

「読める?」

 七瀬。

「眼鏡を替えれば」

「貸す?」

「あなたのは度が違います」

「カメラで拡大する」

 許可を取り、七瀬が卓上三脚を立てた。左肩を上げないよう、右手だけで脚を開く。レンズを封筒へ寄せ、白い壁へ像を投射する。

 微細文字は二行あった。

《封緘の破損をもって文書の受領とする》

《受領は内容への同意を意味しない》

「まともだ」

 迅が言った。

「二行目までは」

 真琴はさらに下を示す。

 折り返しの内側に、もう一行あった。

《ただし、受領者は第七項に定める暫定協力義務を負う》

「第七項は中」

 タマキ。

「そうです」

「開けると義務。義務を見るには開ける」

「そうです」

「罠」

「形式上は、参照条項です」

「罠の丁寧な言い方?」

 迅が訊く。

「場合によります」

「今回は」

「かなり罠です」

 凱が椀を置いた。

「返すか」

 真琴は封筒を見た。

 八旗協議。

 空白の旗が、領土も永久代表も持たないまま、街の仕事へ参加する。その形を、八旗が初めて公式な席で扱う。

 ここで返せば、責任を負わない。

 同時に、読む機会も失う。

 真琴はかつて、読める側にいた。

 白冠の庁舎で、署名欄へ付箋を貼り、難しい条文を「形式です」と言って人へ差し出した。読めることは、責任から逃げる資格ではない。むしろ逆だと、最近ようやく分かってきた。

「開けます」

「理由」

 タマキ。

「公式協議へ参加する可能性を、内容を知らずに捨てたくない。暫定協力義務が過大なら異議を出す」

「異議が認められなかったら」

「私が受領責任を負います」

「一人で?」

 迅の声が低くなる。

「受領作業は私です」

「中の仕事まで勝手に取るな」

「取っていません」

「今、一人で負うって言った」

「受領の――」

「言葉を細くして逃げるな」

 真琴は口を閉じた。

 指摘は乱暴で、正確だった。

「開けることへ賛成する者だけ、内容確認の責任を分ける」

 凱が言った。

「反対者へ結果を負わせない。内容を見た後、仕事を受けるかは別に決める」

「賛成」

 七瀬。

「賛成」

 轟。

「読むだけ」

 タマキ。

「俺も」

 迅。

「では、開封します」

 銀匙で蝋を温める。

 色の違う八つの封蝋は、溶ける温度も違った。赤は早く、無色は遅い。全部を一度に剥がそうとすると、紙が裂ける。

 轟が右手だけで重石を押さえる。

「左、使わないでください」

 真琴が言う。

「使ってない」

「肩が上がっています」

「紙が逃げる」

「逃がしてください」

「封筒だぞ」

「あなたの腱より安い」

 轟は不満そうに右肘の位置を変えた。

 最後の封蝋が外れる。

 中から、厚い紙が三枚。

 薄い紙が九枚。

 市場街の地図が一枚。

 受領確認の追補が一枚。

 真琴の胃が、朝飯とは別の理由で重くなった。

「何枚」

 迅。

「十四」

「招待状じゃない」

「招待状は一枚目です」

「残り」

「招待されるための階段です」

「階段が長い家には入らない」

 凱が一枚目を取る。

「読む」

 真琴は取り返しかけた。

 自分が受領担当だ。

 しかし、伝達責任まで自分だけで握れば、さっきの指摘へ戻る。

「一段落ずつ。原文の後、要点を確認します」

 凱が低い声で読んだ。

 八旗協議は、九月二十三日に予定する臨時傍聴枠へ、空白の旗から三名以内の参加を認める。

 ただし、現在係争中である南環市場街の複合契約について、当事者の生活を停止させず、契約の有効性と撤回手続きを整理し、書面を提出すること。

 提出がない場合、参加資格の審査は保留。

 提出しても、一票を与えるとは書いていない。

「試験だ」

 迅が言った。

「条件です」

 真琴。

「言い方を変えただけだ」

「条件と試験は違います」

「落とす側が決めるなら同じだ」

「結果だけ見れば。しかし、条件なら達成方法へ異議を――」

「第七項」

 タマキが薄い紙を抜いた。

 小さな指が、中央の番号を示す。

 真琴は読んだ。

《第七項 暫定協力義務》

 封筒を受領した者およびその活動関係者は、係争解決まで市場街の安全維持に協力する。

 協力中に生じた損害は、故意または重大な過失がない限り各当事者が負担する。

 ただし、活動関係者の介入により既存保証が停止した場合、受領者が暫定的な連帯責任を負う。

 異議は受領後二十四時間以内。

 異議提出中も安全協力義務は止まらない。

「連帯責任」

 轟が言う。

「俺たちが扉を開けて、店の保証が切れたら」

「受領者へ請求できます」

 真琴は自分の署名を見た。

「おまえ」

 轟が太い右人差し指で真琴を指す。

「そうです」

「肩より高い?」

「比較できません」

「金額」

 タマキ。

「上限なし」

「最悪」

 真琴は市場街の地図を開いた。

 南環の古い商業区画。

 地上に露店と常設店舗。二階から五階に住居。東棟に診療所。西棟に共同倉庫。中央の階段棟を通らなければ、住居から市場外へ出られない。

 地図の余白には、同じ番号が何度も書かれている。

《複合生活契約 共通条項》

「店、家、診療所、通路が一つの契約です」

 真琴は参照番号を追った。

「店舗利用を解約した場合、住居利用資格を再審査。住居利用資格が停止した場合、診療所の組合負担を停止。組合負担が停止した場合、共用通路の優先利用を停止――」

「店をやめると、病院へ行けない?」

 タマキ。

「直ちに行けないとは書いていません。再審査と負担停止です」

「行ける?」

「自費なら」

「いくら」

「別表です」

「どこ」

「十一枚目」

 タマキが十一枚目を抜く。

 診療費の横に、住居区分、売上区分、通行負担、保証点数の列が並ぶ。

「分からない」

「計算できます」

「計算じゃない。病気の人が払える?」

 真琴は答えられなかった。

 轟が地図へ右手を置く。

「中央階段、一本か」

「非常階段が二本」

「契約上は」

「北は住民専用。南は搬入業者専用」

「火事の時は」

「災害時例外があります」

「どこ」

「共通条項の……」

 真琴は頁をめくる。

 四枚目から七枚目。

 七枚目から二枚目の但書。

 二枚目から別表。

 指が止まった。

「火事は待つ?」

 迅が訊く。

「待ちません」

「人は読む?」

「読める者が案内する想定です」

「読める奴がいなかったら」

「管理員がいます」

「管理員が倒れたら」

「例外規定を――」

「誰が読む」

 迅の質問は、同じ場所へ戻ってくる。

 真琴は苛立った。

「契約は、あらゆる事故を一文で処理するものではありません」

「じゃあ何をする」

「事前に責任と手順を定めます」

「読めない手順で」

「読めないのではなく、複雑なのです」

「落ちる時、階段が複雑なら落ちる」

「あなたは何でも床へ喩えますね」

「床に立ってるからな」

 凱が地図を自分の方へ引いた。

「市場の側は、何を求めている」

 招待状の添付資料には、申立人の名が三十七。反対意見が二十一。継続希望が十四。署名保留が九。数字の合計は、住民数と合わない。

「同じ人が複数へ署名しています」

 七瀬が言った。

「店は続けたい。家は失いたくない。診療も止めたくない。だから全部に名前がある」

「賛成と反対を同時に?」

 轟。

「同じ契約の、違う部分へ」

 真琴は数字を追った。

 ひとつの名前が、継続希望と解約申立ての両方にある。

 形式上は矛盾している。

 生活としては、たぶん矛盾していない。

「先に現地を見ます」

 真琴は言った。

「異議は二十四時間以内。受けるかどうかを決める前に、契約の運用と当事者の意思を確認する必要があります」

「もう安全協力は始まってる」

 七瀬が第七項を示す。

「はい」

「行かなければ、協力違反?」

「可能性があります」

「行けば、壊した保証を真琴が払う」

「可能性があります」

「どっちも罠」

 タマキが結論を出した。

 迅が紙を取った。

 右手ではなく左手。

 支持具の上で、右指がわずかに曲がる。

「破る」

「待ってください」

「異議の紙にする」

「原本を破れば、受領内容の立証が難しくなる」

「写せ」

「真正性が争われます」

「封筒ごと返す」

「受領済みです」

「じゃあ、燃やす」

「家賃まで燃えません」

 声ではなかった。

 机の向こうから、小さな黒板が差し出されていた。

 全員が、いつの間にか入口に立っていた少女を見る。

 顎で揃えた黒髪。

 透明な喉当て。

 白い手袋の各指に、黒い句読点がひとつずつ描かれている。右手には折り畳み黒板、左手には紙袋。紙袋の口から、色違いのチョークが覗く。

 彼女は、全員の視線が自分の手元へ集まるまで動かなかった。

 それから手話を使い、同時に黒板へ短く書いた。

《一文字巴。契約通訳。市場住民から依頼》

 配達人が入口で頭を下げる。

「黒板会の読解官です」

 巴は彼を見た。

 片手を上げ、口元へ視線を促す。

 配達人が言い直す。

「一文字さんは、黒板会所属の契約通訳者です」

 巴は頷いた。

「これを読めますか」

 真琴が十四枚を揃える。

 巴は紙を見なかった。

 代わりに、真琴を見る。

 眼鏡。

 署名した左手。

 受領票。

 次に、迅の持つ薄紙。

 最後に全員の顔を順に見た。

 巴は黒板を消し、書いた。

《先に質問》

 手袋の句点が、文字の横で止まる。

《あなたたちは、何を承知したつもりですか》

「市場の契約紛争を解く仕事」

 真琴が答える。

 巴は首を横へ振らない。

 ただ、右手の人差し指を立てる。

 一人ずつ、という意味だった。

「市場で、人が閉じ込められたら助ける」

 迅。

「八旗協議へ提出する結果を作る」

 真琴。

「市場の安全を守る」

 凱。

「壊さない」

 轟。

「受取人が誰か確認する」

 タマキ。

「撮影範囲を当事者と決める」

 七瀬。

 六つの答えは、一つも同じではない。

 巴はそこで初めて封筒へ触れた。

 白手袋の親指には読点、人差し指には句点が描かれている。

 彼女は第七項を読み、招待状を読み、地図を読み、受領票を最後に読んだ。

 速度は真琴より遅い。

 一行ごとに視線を上げる。

 誰が待てずに口を挟むかまで、読んでいるようだった。

「結論は」

 迅が訊いた。

 巴はすぐには答えない。

 黒板へ書く。

《迅さん。紙を破った後、家賃は残ります》

「俺の家賃じゃない」

《だから、もっと悪い》

 迅が黙る。

 巴は次の行へ移った。

《この封筒は、六人に六つの仕事を承知させた》

《同じ署名で》

《市場街では、それが何百人分も起きています》

 真琴は、十四枚の紙を見下ろした。

 読める。

 条項同士の参照も追える。

 なのに、さっき自分が何へ同意したかを、一文で言えなかった。

「あなたなら、一文にできますか」

 真琴が訊く。

 巴は、今度は声を使った。

 低く、音量が少し揺れる。

「できます」

 真琴の肩から力が抜けかける。

 巴は続けた。

「でも、私の一文に同意させたら、同じです」

 巴は招待状を六人の前へ戻した。

《受けるかは、まだ決めていない》

「受領済みです」

 真琴が言う。