第274話 第三章「三本の伝令路」後編

 札を渡す者が、わざと間違った経路名を言う。

「一丸、西」

「不一致」

 瀬尾が止める。

「誰から」

 タマキ。

「試験係」

「誰へ」

「北受領箱」

「何のため」

「間違いを見つける」

「じゃあ、入れない」

 言葉と形が違う時は、伝令が正解を選ばない。

 止める。

 送り主へ戻す。

「急いでる時は?」

 迅。

「急いでるって札に書いてない」

「敵が後ろ」

「敵がいると、間違いを正しくしていい?」

「よくない」

「じゃあ止める」

「止まったら捕まる」

「札を捨てる?」

「人を先」

「札がないと、人が未着になる」

「生きて未着の方が、死んで正着よりいい」

 透子の声が、暗闇で一度だけ遅くなった。

 タマキが言う。

「捨てる時も、できれば番号を覚える」

「できなければ」

「戻って、自分が届いたって言う」

「命令は」

「失う」

「責任」

「捨てた人の名前と理由」

 迅は何も言わなかった。

 紙を守る仕事は、紙のために死ぬ仕事ではない。

 その境界を、紙には書き切れない。

 毛布を外す前に、タマキは偽札を一枚混ぜた。

 北の丸い札。

 結びは二つ。

 文字は西。

 三つの情報が、全部違う。

「これ、誰へ届く」

 迅。

「届かない」

 透子。

「敵が作ったら」

「止める」

「本物の変更だったら」

「送り主の照合印がない」

「印も盗まれたら」

「時刻と受領者」

「それも」

「全部盗まれたら、札だけで決めない」

「何を見る」

「人」

 透子は偽札を折った。

「その人が、誰から受けて、どこを通って、何を見たか」

「人は嘘をつく」

「札も」

「じゃあ信じられない」

「信じるんじゃなく、重ねる」

 タマキが箱を三つ叩いた。

「形、結び、声、時刻、人。全部同じ方向なら、進む。違えば、止める」

「遅い」

「間違って速いより」

「今日そればっかり」

「人気ある正しさ」

 扉の外から南野の声がした。

「暗闇で名言を作るな。受領台が眠くなる」

「起きてる?」

 タマキ。

「座ってる」

「ふらつき」

「なし」

「記録」

「良い方も書け」

 タマキは受領簿へ書いた。

《午後二時三分。南野、座位でふらつきなし。受領台継続可。運転不可》

「最後、余計だ」

「大事」

 毛布を外す。

 光が入る。

 透子は最初に色を見なかった。

 三つの箱の穴を、右手で触った。

 明るい時ほど、暗い時の手順を省きたくなる。

 だから、明るい時にも形から始める。

 午後三時四十八分。

 南稜線路は、三本の中で最も短かった。

 最も短い道は、最も早いとは限らない。

 幅は一人分。

 左右の斜面は深い。

 途中に索道の支柱があり、風が抜ける。

 凱は左膝の装具を確かめながら歩いた。

 澪が前を行く。

 右耳の高音域を失っているため、重要な合図は左側と床振動へ寄せている。

「風、十五」

 由良が上から叫ぶ。

「単位」

 澪。

「毎秒」

「最初から」

「聞こえた?」

「左で」

「受けた」

 南路では、声が風に流れる。

 透子は三角札の角を大きくした。

「暗い時、胸で触れる」

「落としたら」

 澪。

「紐」

「紐が切れたら」

「受領札の番号を復唱」

「番号を忘れたら」

「前後の人が持つ」

「前後がいなければ」

 透子は考えた。

「その人を一人にしない」

「最初からそれ」

「札の工夫、いらない?」

「いる。人を一人にしない仕組みと、札が落ちない仕組みは別」

 透子は頷いた。

 支柱の先で、凱が止まった。

「ここは、膝を曲げる」

 低い横索をくぐる場所。

 左膝を深く曲げれば痛む。

 またげば風を受ける。

「俺は南へ向かない」

 凱が言う。

「最終門担当」

 澪。

「門までは行く。稜線の先へは別の者」

「役割と経路、分ける」

「そうだ」

 凱は横索を持ち上げない。

 後ろの人にも同じ障害が残るからだ。

 右膝を先に地面へ置き、左は伸ばしたまま身体を滑らせた。

「王が這う」

 透子が言う。

「元だ」

「速い?」

「遅い」

「見本には」

「しない。俺の身体の通り方だ」

 澪が短く頷く。

「伝令札に《横索》を追加。人ごとに通り方は違う」

「形は?」

 透子。

「横棒」

「色は?」

「言わない」

「受けた」

 三本の試験が終わる前に、タマキは人の代わりへ石を置いた。

 三百十二個。

 大きさは揃っていない。

 小さな丸石。

 角のある採石片。

 平たい瓦片。

「人を石にする?」

 迅。

「順番だけ」

「石は途中で行先を変えない」

「だから、変える役を作る」

 透子が三百十二個へ形札を付けた。

 北六十四。

 西百七十三。

 南七十五。

 十七個の裏には、殿の横棒。

 三個には残置設備の黒紐。

 二個は別の箱へ置き、《現位置・再確認責任》と書く。

「二個も、人?」

 迅。

「人が使う物」

 タマキ。

「石で試していい?」

「札がどう動くかだけ。人の代わりにはしない」

 旧計量所から三本の廊下へ、伝令試験を始めた。

 北の石は車輪付き箱。

 西は十七個ずつの小袋。

 南は一個ずつ手渡し。

 途中で、真琴が変更札を入れる。

《北三番を西へ》

《理由:受入先の酸素設備停止》

 伝令は石を持ち替えようとした。

「止めて」

 タマキ。

「変更来た」

「本人確認は」

「石」

「試験でも、変更条件は同じ」

「石に訊く?」

「石じゃなく、札の本人欄を見る」

 本人確認欄は空白だった。

 変更を止める。

 次の札。

《西十七番を北へ》

《本人申告あり。医療確認あり。受入確認なし》

「これも止める」

 透子。

「正解」

「急いでる時も?」

「受入がなければ、道だけ変えても届かない」

 三つ目。

《南二番、南のまま。家族だけ西へ変更》

「本人へ再確認」

「家族の札も必要」

「二枚が揃うまで保留」

 石は喋らない。

 だからこそ、人が書き忘れた条件がよく見える。

 試験開始から二十七分後、南の箱だけが先に空になった。

「最短」

 迅。

「受領が戻ってない」

 タマキ。

 南の伝令役が、到着箱へ石を入れただけで戻ってこない。

「着いた」

「届いたことが届いてない」

「石は逃げない」

「人なら迎えに行く判断ができない」

 南役を呼び戻す。

「忘れた」

「何を」

「返事」

「どうして」

「箱を空にして、終わった気がした」

 タマキは、到着箱の蓋を閉じられない仕組みに変えた。

 受領札を差し込まないと、留め金が合わない。

「物で覚えさせる?」

 迅。

「人は忘れる」

「物も壊れる」

「だから人も見る」

 西では、小袋の一つが十六個しかなかった。

「落とした?」

「最初から」

 透子が元の数え札を確認する。

 百七十三を、十七個九袋と二十個一袋にしたつもりが、八袋目だけ十六個。

「計算は合ってた」

「袋は合ってない」

「誰が数えた」

 透子が右手を上げる。

「私」

「二人確認は」

「急いで省いた」

「理由」

「南の形札を作ってた」

「罰」

 迅。

「罰より手順」

 タマキは袋の口へ二つの結びを付けた。

 一人目が数え終えた結び。

 二人目が照合した結び。

「一人しかいない時は」

「十個ごとに別の人へ声を出す」

「敵に聞こえる」

「室内だけ。経路では束番号を使う」

 北の車輪箱は、一個も欠けなかった。

 代わりに、途中の敷居で止まった。

 車輪が一センチの段差を越えない。

「本物の荷車なら」

 瀬尾。

「もっと重い」

 守屋が薄板を一枚入れる。

「板を誰が戻す」

「北殿」

「殿二人の役割へ追加」

「一人が警戒、一人が板」

「同時に追撃が来たら」

「板を置く」

「残置一覧」

 試験用の石が、実際の仕事を増やしていく。

 三百十二個すべての受領札が戻った時、開始から一時間四十八分が経っていた。

「遅い」

 迅。

「本番はもっと遅い」

 透子。

「敵が来る」

「だから、出発を早くする」

「命令、まだない」

「命令を早くする仕事は、私たちじゃない」

 タマキは最後の札を鉄箱へ入れた。

「でも、命令が来た瞬間に、初めて考え始めないようにはできる」

 石は元の箱へ戻された。

 三百十二人の代わりではない。

 三百十二人を、数え方の失敗で消さないための重さだった。

 三本の試験が終わった時、空は暗くなっていた。

 旧計量所へ戻り、三人の受領者から返事が届く。

 北医療受領所。

 西採石受領場。

 南索道下駅。

 すべて、施設名だけではなく、当日の受領担当者名と交代時刻が書かれていた。

 由良は赤索を使わない。

 まだ三地点の本人確認が揃っていない。

 タマキは札を三束に分けた。

 丸、六十四。

 四角、百七十三。

 三角、七十五。

「合計」

 南野が受領台で言う。

「三百十二」

 透子。

「殿」

「北二、西八、南七。全部、内数」

「残置設備」

「三。別欄」

「動かせない箱」

 透子の声が少し遅くなった。

「二箱。捨てるんじゃなくて、現位置に置く。中身と封と再確認する人を書く」

 タマキが訂正する。

「言い方、削った」

「うん」

「変更、誰から誰へ?」

「自分から自分」

「記録」

 透子は三角札の余白へ、小さく書いた。

《二箱を残す》ではなく、《二箱を現位置に置き、封の確認責任を残す》

 長い。

 でも、短くすると、使う人が消える。

 最後に、三本の紐を机へ置く。

 北は一つ結び。

 西は二つ。

 南は三つ。

 同じ場所から出て、違う場所へ着く。

 違う場所へ着いたという返事が、また同じ机へ戻る。

「配達完了は?」

 迅が訊いた。

「三本の最後の札が戻った時」

「人が着いた時じゃない?」

「着いたって分かった時」

「違う?」

「分からなかったら、迎えに行けない」

 タマキは鉄箱の蓋を閉じた。

「届くことと、届いたことが届くのは、別」

「それは名言にするには――」

「料金取るよ」

 迅が口を閉じた。

 旧計量所の壁へ、三本の布帯が掛けられた。

 まだ出発印はない。

 三百十二の名前だけが、三つの形に分かれて待っていた。