第558話 第一章「開廷」後編

 審理官が提出候補百四十七点の分類を読み上げた。

 公開九十二。

 限定閲覧三十一。

 所有者拒否による不提出十七。

 真正性不足七。

「不提出十七点は、存在するのですか」

 冬城側の補佐官が尋ねた。

 石英綺理が、記憶保管者席から答える。

「存在確認、取得時刻、所有確認、拒否時刻までは一覧へ載せます。内容は載せません」

「冬城側に有利な内容である可能性は」

「あります」

「申立側に不利な内容である可能性は」

「あります」

「では、隠蔽では」

「いいえ」

 綺理は、透明な瓶を一つ机へ置いた。

 中身は空だ。

「見せないことと、ないことは別です。見せない理由を記すことと、中身を奪うことも別です」

「歴史的価値が高くても?」

「持ち主が拒めば」

「公共の利益より?」

「公共は、持ち主の外にいる人だけで作られていません」

 審理官は回答を記録した。

 開廷事務の係が、もう一枚の表を持ってきた。

《証人参加費用》

 交通費。

 介助者の賃金。

 欠勤分の補償。

 託児。

 薬剤の保冷。

 帰路の宿泊。

 どの欄も、証言内容への報酬は零と書かれている。

 冬城側補佐官が、紙を指先で持ち上げた。

「証人へ金銭を支払うのですか」

「証言へは払いません」

 真琴が答える。

「出廷によって失う賃金と、必要な実費を補います」

「出ない者には」

「出廷を撤回した時点までに発生した実費。脅迫対応の転居費は別の保護手続きです」

「出れば得をする」

「出れば店を閉める人もいます」

 外周広場の連絡窓から、しわがれた女の声が入った。

「得なら、あんたが代わりに店番してよ」

 洗濯場脇で乾物を売る女だった。証人候補ではない。見物に来たのでもない。審理のため通行止めになった朝市の、休業補償確認に来ている。

「正義は、昼の客に釣り銭を渡してくれないからね」

 補佐官が眉を寄せる。

「傍聴者の発言を審理へ入れるのですか」

「入りません」

 真琴は即答した。

「ただし、審理運営による営業損失の申告として、別帳へ受けます」

「では、今の発言は」

「無許可。要旨へ不採用」

 女が窓の向こうで笑った。

「言った損だね」

「損を記録する帳へは入ります」

「じゃあ半分得した」

 迅が警備線の外で言う。

「半分の得は、だいたい全部の手間がかかる」

「また無許可です」

「今のは店の話」

「審理場で言えば審理運営記録です」

 真琴は、証人費用表を四つへ分けた。

 証言内容への報酬――零。

 出廷実費――領収または定額。

 欠勤補償――本人の通常収入を上限。

 介助・託児・保冷――必要性を本人と担当者が別々に確認。

「一律にしないのですか」

 審理官が問う。

「一律額は簡単です。しかし、一日休めば食費を失う人と、休んでも賃金が出る人へ同じ額を払えば、負担は同じになりません」

「個別審査は、証人の生活を調べることになる」

「だから、収入の公開範囲は本人が選びます。公開記録へは《補償あり/なし/保留》だけ。金額は限定。生活情報を出したくない人は定額を選べる」

「虚偽申告は」

「後で争えます。先に全員を嘘つきとして扱いません」

 冬城が、席から言った。

「都市の判断は、領収書が揃うまで待てない」

「待たない判断もあります」

 真琴は答える。

「ただし、待たなかったため誰が証言できなくなったかを、判断の外へ捨てません」

 費用表の下へ、ひとつ欄が増えた。

《出廷しなかった者の、既発生費用》

 証言しない人間へ払う金は、成果のない支出に見える。

 しかし、出なかったことを罰に変えないためには、何も話さなかった人の帰りの切符も要った。

 係員が、証人番号一の費用札を裏返した。

「出廷撤回です。帰路券を無効にしますか」

「なぜ」

 真琴が問う。

「出廷者用です」

「本人は、出廷のためにここまで来る準備をした」

「来ていません」

「脅迫を受けて来られなくなった」

「では、保護費へ振り替える?」

「振り替えた人の名と理由を残す。帰路券はそのまま。本人が別経路を選ぶなら交換」

 冬城側補佐官が言う。

「証言しなかった者へ便宜を与える」

「証言しなかったことへ不利益を与えない」

「同じでは」

「同じなら、出廷を義務にできます」

 真琴は帰路券へ、証言欄ではなく保護欄の印を押した。

 話さなかった人にも、帰る場所がある。

 法廷は、その当たり前を新しい制度のように書かなければ守れなかった。

 その時、証人入口の係員が、白い封筒を持って真琴の横へ来た。

 開廷から二十三分。

 最初の証人が入る予定時刻だった。

 封筒には、証人番号だけがある。

 名前は限定。

 真琴は審理官の許可を得て開封した。

《本日午前六時四十一分、居所入口へ脅迫文》

《内容――出廷した場合、同居者の薬剤配給先を公開する》

《本人は出廷を撤回》

《脅迫文原本は限定提出》

《欠席理由の公開範囲――脅迫を受けた事実、撤回時刻まで》

 傍聴席のざわめきが、先ほどより低い。

 怒りは、対象を見つけると大きくなる。

 対象が見えない時は、隣の人間へ流れやすい。

「証言を延期し、次へ進めます」

 首席審理官が言った。

 真琴は手を挙げた。

「異議があります」

「理由を」

「空席を、単なる延期として処理しないでください」

「証言はありません」

「欠席という行為があります。脅迫を受け、本人が出廷を撤回した。出廷しなかったことを、信用性の低下にも、賛否にも使わない。空席の理由と、本人が公開を許可した範囲を、審理記録へ残してください」

 冬城側補佐官が立った。

「欠席理由を強調すること自体が、証人の証言内容を推測させます」

「だから内容は推測禁止と明記します」

「空席を象徴化するのですか」

「いいえ」

 真琴は、曲がった証人椅子を見た。

「象徴は、意味を一つにします。この空席は、証言しません。脅迫があったことと、本人が出ないと選んだことだけを記します」

 迅が警備線の外から言った。

「空席を満席に数えなきゃいい」

 真琴は振り返らない。

「警備担当は発言許可を取ってください」

「すみません」

「謝罪が軽い」

「重くすると、記録に載る」

「もう載ります」

 傍聴席の一部から、笑いが漏れた。

 笑いは緊張を解くが、責任を消すこともある。真琴は記録係へ《警備担当の無許可発言。内容は要旨へ含めない》と伝えた。

 審理官三人が短く協議した。

「異議を認めます」

 時刻係が、証人席の前へ小さな札を置く。

《証人番号一》

《六月十八日午前九時二十三分、出廷撤回》

《理由――脅迫。内容限定》

《証言内容――未提出。推測禁止》

 曲がった椅子は空いたままだった。

 七瀬は、その椅子を十秒だけ撮った。

 誰もいなかったことを残すために。

 十秒が過ぎると、彼女はクランクを止めた。

 止めた音だけが、昔の王座の固定穴へ落ちた。