第15話 第八章「炉心へ続く足跡」前編

秘密には二種類ある。

 誰かを守るため、外から閉ざす秘密。

 自分が傷つかないため、内から閉じこもる秘密。

 厄介なのは、閉じている本人にも、どちらか分からなくなることである。

 扉は同じ形をしている。鍵も同じ音を立てる。

 開けた後に立っているのが守りたかった相手か、自分の言い訳か。それでようやく種類が分かる。

 星見塔の鏡前へ、時計、反射板、星晶蓄光器、冷却管、非常縄が並べられた。

 ロロの四本の補助腕は別々の仕事をしている。一本が歯車を締め、一本が青蝋を削り、一本が月光角度を測り、残る一本がパンを口へ運ぶ。

「作業中に食べるな」とセレナ。

「作業が終わる前に都が落ちる」

「喉へ詰まらせた場合、救護へ人員を取られます」

「心配の言い方が役所!」

「心配ではなく危険評価です」

「同じことを冷たく言い直すな!」

 エリアは銀鏡の前で、月百合の空瓶を掌に置いていた。

 ハルは隣へ立つ。右手首の黒糸はまだセレナへつながっている。左肩はロロの固定帯で吊られ、赤いマフラーの上にはエリアの金針が一本刺さっていた。

「準備が整った」とハル。

「まだ集光角が〇・三度ずれているわ」

「約束の準備」

「……覚えていたのね」

「時刻と場所を決めた約束は覚える」

「決めなかったものは?」

「忘れたふりをする」

「忘れてはいないのね」

「面倒な記憶力だろ」

 エリアは息を整えた。

 強い花香を長く吸ったせいで、左肺の奥が痛むらしい。右手で傘を支え、左手の地図筆で床へ一本ずつ線を足す。

「カイルが最初に疑ったのは、星脈炉の出力報告だった」

 彼女は話し始めた。

「王都全体の消費は減っていないのに、下面区から吸い上げる誓力だけが毎月増えていた。宰相府は『空域全体の誓いが弱っている』と説明した。でも、工房ごとの記録と合わない」

「王子がロロへ聞いた?」

「半年前に。ロロは冷却管の実測値を渡した。私は旧航路図から、報告書にない管を見つけた」

「三人で調べてた」

「ええ」

 ロロは作業の手を止めなかった。

 ただ、パンを運ぶ補助腕だけが動かなくなる。

「ヴィエル様を最初から疑ったわけではない」とエリア。「カイルは、役人か請負工房が横流ししていると思っていた。証拠がなければ、下層の不満を王位争いに利用したと見なされる。だから祭礼の七分間だけ鏡門を開き、炉心の原記録を写す計画を立てた」

「正式な検査はできなかった?」

「宰相管理区は非常権限で封鎖されている。王太子でも、評議会の同意が必要。評議会の半数はヴィエル様の危機管理へ依存している」

「王子なのに、王子の家の地下へ入れない」

「権力は大きいほど、持ち主の自由を増やすとは限らないわ」

 カイルは八時、塔へ入る。

 ロロが時計を七分遅らせる。

 八時十三分、実際の月が最大角へ入り、塔時計は八時六分を示している。儀式上はまだ余裕があるように見える。

 エリアの月百合で鏡を開き、カイルは炉心へ渡る。

 七分以内に記録を取り、戻る。

 八時二十分に塔時計の制動が解け、針が標準時へ追いつく。カイルは外廊へ出て誓冠を終える。

「成功すれば、誰にも気づかれない」とハル。

「そのはずだった」

「王子も、秘密のまま問題を直そうとしたんだな」

「民を混乱させないためよ」

「ヴィエルと似てる」

 エリアの目が鋭くなる。

「同じにしないで」

「方法の話。善い理由で一人が決めて、他の人は結果だけ受け取る」

「カイルは証拠を公開するつもりだった」

「取って帰れたら」

「帰るつもりだった!」

「父さんもだよ」

 言葉が止まる。

 ハルは怒鳴らなかった。

 怒鳴らないことが、いつも優しさになるわけではない。静かな言葉は逃げ場を奪うことがある。

「俺は王子を責めたいんじゃない。三人とも、最初の条件で約束した。七分で戻る。証拠を取る。誰にも捕まらない。でも全部変わった。なのに約束だけ、八時十三分のまま止まってる」

 ロロの手から、細い螺子が落ちた。

「俺が話したら、王子の計画が失敗になる」

「もう失敗してる」

「言うな!」

「失敗って、終わりじゃない。今のやり方じゃ届かなかったって情報だ」

「情報で人は戻らない」

「だから使う。次のやり方へ」

 ロロは歯を食いしばる。

「俺は、上の連中に使われる部品にならないって決めてる。王子だけは、俺を技師として扱った。『時計を七分遅らせろ』じゃなく、『七分作れるか』って聞いた。だから約束した」

「だったら今も技師として決めろ。壊れた計画を、そのまま動かすのか」

 四本の補助腕が、ゆっくり下がった。

「……動かさない」

 ロロは言った。

「作り直す」

 エリアも月百合の空瓶を閉じた。

「私も話す。証拠がなくても、カイルを先に取り戻す。戻った後の責任は、三人で引き受ける」

「三人で?」

「あなたを入れれば四人だけれど、計画時点の責任は押しつけない」

「俺、空から落ちてケーキ壊した責任はある」

「それは別会計」

「身体は別会計にするなって言ったのに」

「請求は分けるわ」

 エリアの右手が口元へ上がる。

 今度は笑いを隠しきれなかった。

 セレナが黒羽を開く。

「供述として記録します。エリア・ルーンベルグ、鏡門触媒を提供。ロロ・ピクス、塔時計を七分遅延。目的は王太子による炉心原記録の確認。王太子本人の主導については、本人確認後に確定」

「逮捕する?」とロロ。

「違法行為はあります」

「そこは濁してくれよ」

「濁した記録は、あなたを守りません」

「守ってくれるの?」

「事実の範囲で」

 ロロは少し考え、うなずいた。

「じゃあ、それでいい」

 供述が終わると、空気が少し軽くなる――ということはなかった。

 秘密は口から出した瞬間に質量を失うものではない。むしろ他人も持てる形になって、初めて重さが測られる。

 セレナは黒羽を閉じ、今度は作戦用の白紙を床へ広げた。

「ここから先は捜査と救難を分けます。発見した物を追う係、王太子へ到達する係、門を維持する係。全員が全部をしようとしない」

「俺、どれ」とハル。

「あなたは道標と、予定外の発見」

「役割名が事故」

「実績に基づきます」

「私は先導」とエリア。

「条件付きです。路図は、見た、測った、印を付けた、対象が一歩踏んだ――四条件を省略しない」

「分かっているわ」

「さきほど一つも満たさず発動しました」

「分かり直したわ」

「俺は門と機械」とロロ。「向こうの機構が未知なら、触る前に俺へ見せろ。特にハル」

「俺だけ名指し?」

「おまえは扉を見つけると開ける。箱を見つけると持つ。高い所を見つけると飛ぶ」

「配達員の資質」

「盗賊と落下物の資質だ」

 ノクスが白紙の中央へ座った。

「こいつは?」

「指揮系統外」とセレナ。

「一番自由な役職」とロロ。

「役職じゃないわ」とエリア。

 ノクスは紙の端に並べられた七個の留め石から一つを弾き飛ばし、空いた場所へ前足を置いた。

「欠員担当?」とハル。

 青白い二尾が、否定とも肯定とも取れる角度で揺れた。

 リディアから携行品が渡される。塩露を拭わず保存するための黒布。炉心の強光を遮る眼帯。帰還時に本人を照合する名札。非常縄は一本で四人をつながず、二人ずつ三系統に分ける。

「一本なら全員が離れない」とハル。

「一人落ちれば全員落ちます」とセレナ。

「仲間って難しいな」

「一緒にいることと、同じ事故へ巻き込まれることを混同しないでください」

 エリアは名札へ『エリア・ルーンベルグ。星見塔へ戻る』と書いた。

 ロロは『ロロ・ピクス。戻れなければ王城地下へ出る』。

 セレナは帰還先を二つ書き、優先順位と撤退条件まで添えた。

 ハルの札だけ、筆が止まる。

「帰還先、どこへする?」とエリア。

「星見塔」

「その後は?」

「分からない」

「地球、と書かないの」

「この門の戻り先じゃない。嘘を書くと、門にも俺にもよくない」

 彼は『凪野ハル。いま一緒に入った人のいる側へ戻る』と書いた。

「場所ではないわ」

「人も場所になる」

「また言葉遊び?」

「半分。残り半分は迷子対策」

 セレナが札を検分し、訂正しなかった。

「曖昧ですが、本人の意思としては明確です」

「役所に褒められた」

「許可ではありません」

「褒め方まで冷たい」

 ドランが携帯食の包みを投げる。

「戻るまで食うな。鏡中で吐けば照合面が汚れる」

「心配を衛生規則で言う流行、続いてる?」

「私は心配していない! 反射板の清掃費を心配している!」

「物より人を見ろって、さっき練習しただろ」

「一日で人格を改修できると思うな!」

「でも改修する気はあるんだな」

 ドランは返事をせず、予備の包帯をハルの鞄へ押し込んだ。

 言葉で負けた者が、行動で退路を作ることがある。敗北ではない。会話の続きを別の言語へ移しただけである。