第27話 第二章「第一条、遅刻者は失格」前編

試験には二種類ある。

 知っていることを測る試験と、知らない者を落とす試験である。

 前者は答案を見ればよい。後者は、試験会場へ来るまでの服、言葉、金、身体、家の習慣まで採点する。その場合、問題用紙に書かれていない問いの方が多い。

 王立星航学院の臨時補充試験は、表向きには三つの受付印を集めるだけだった。

 救難課で命を運べるか。

 航路科で道を選べるか。

 機関科で壊れる物を扱えるか。

 簡単に言えば三つ。

 規則番号で言えば百四十七項目。

 人は、簡単なことほど書類を増やして守ろうとする。

 第二鐘が鳴った。

「開始!」

 ティアの声と同時に、十二人の受験生が飛び出した。

 金の翼章を付けた三人は、背中の薄布を光らせて上昇する。銀翼の五人は、腰の滑空翼を開き、外壁沿いの風へ乗った。鉄翼の四人は、星鉄の足具、巻上げ索、小型噴気筒をそれぞれ起動する。

 ハルは走った。

 三歩で止められた。

「仮登録票」とティア。

「走る試験じゃないの?」

「走る前に、誰が走るかを登録する」

「俺」

「氏名欄へ」

 外門の脇に、細長い机が三台並んでいた。金翼用は羽根筆と乾燥砂まで用意され、銀翼用は二人掛け。鉄翼・無登録用は一台を共用し、脚の高さが揃っていない。マオは椅子を一度見て、座らず床へ膝をついた。

 紙には学院古字で、氏名、出生環、初誓日、誓紋位置、後見家、所有翼具、緊急時の誓力接続許可、死亡時の記録公開範囲が並んでいる。

「入学前に死亡時まで聞く?」とハル。

「星航士は事故率が高い」とティア。

「正直すぎる学校だな」

「隠して志願させる方が不誠実です」

「そこは好き」

「評価を求めていません」

「じゃあ返す。名前以外、ほぼ書けない」

 ハルは地球の漢字で『凪野ハル』と書いた。受付板が赤く点滅する。

『未登録文字』

「名前が落第した」

「共通空字で転記して」とエリア。

 彼女が左手の地図筆を取る。

「待って。俺が書く」

「字形を知らないでしょう」

「最初の一文字だけ」

 エリアは『H』に似た共通空字を一つ書き、残りの線順を説明しようとした。ハルは掌で紙の下半分を隠す。

「一個でいい」

「間違えるわ」

「間違えたら直す」

「時間が減る」

「俺の時間」

 言い方が強かった。

 エリアの指が止まる。彼女は怒らず、筆を手放した。

「では、書き終えたら呼んで」

「見ないの?」

「見られていると書きにくいでしょう」

「そこまで離れなくていい」

「距離の指定をして」

「三歩」

 エリアは正確に三歩下がった。

 ハルは名前を七文字で書いた。二文字目と五文字目が左右逆だった。

 ロロが船から望遠ゴーグルで見て叫ぶ。

「最後の字、機関停止の印だぞ!」

「見ない約束!」

「俺とはしてねえ!」

「遠くから答案を見るな!」

 マオは自分の票へ、小さな文字で追記していた。

『装具へ触れる前に本人へ確認。運搬時は左脚を下側へしない。痛みの申告を拒否と解釈しない』

「その欄、緊急連絡先だ」とティア。

「緊急時に一番連絡してほしい内容」

「別紙へ」

「別紙は救助者が読む前に落とす」

「欄外は機械が読めない」

「人が読め」

 ティアは紙の端を机と平行へ直した。

「転記欄を作らせます。今日は欄外も有効」

「特例?」とハル。

「未規定条件の暫定処理」

「その言葉、今日だけで何回使う気?」

「試験中に回数を数えないで」

 受付係が仮札へ開始印を押した。すでに四十七秒が過ぎている。

「これも持ち時間?」

「全員同じ手続です」とティア。

 金翼の机では、後見家と翼具情報が章から自動転記され、平均十二秒で終わっていた。

 同じ手続という言葉は、同じ紙を指していた。

 同じ時間を指してはいなかった。

「飛ばないの?」と銀翼の受験生が上から叫ぶ。

「見れば分かるだろ!」

「無翼って、本当に翼がない意味なの?」

「制度の言葉が身体の悪口に追いついた!」

 ハルの胸には、翼章ではない白い長方形札が揺れている。所属も資格もない者〈ノー・フェザー〉。王都の制度語ではそう呼ぶ。ハルはその語を聞くたび、翼を持って生まれなかった罰を受けているような気分になった。

 もっとも、この世界の人間も身体に翼が生えているわけではない。

 章と装具と権限を、ひとまとめに「翼」と呼ぶ社会だった。

 言葉は便利である。便利な言葉は、別々のものを一緒に運びすぎる。

「右、救難課受付!」

 エリアが上空から指す。

「右ってどっち!」

「あなたの槍を持たない側!」

「槍、持ってない!」

「箸を持つ側!」

「今、箸もない!」

「私がいる側!」

「最初からそう言え!」

 白い日傘を開いたエリアは、風を受けてハルの右上を滑っていた。監督補助であり、案内係ではない。そのため、彼女は答えを教えまいとして、答えに至る説明を三倍に増やしている。

「あなたは標識を見て進む試験よ」

「標識が読めない時は?」

「赤い三角が救難、青い直線が航路、黄色い歯車が機関」

「それ、今教えていい?」

「記号の意味は受験前資料にある」

「俺、その資料の裏面で落ちた」

「では説明は合理的配慮」

「便利だな、その言葉」

「便利だからこそ、誰が何のために使うかを記録するの」

「説明を受けた時刻、第二鐘後二十六秒」とドランが後ろから言った。

 金翼用の小型翼布を使えば先へ行けるのに、彼は時刻記録係として地面すれすれを飛び、全受験生の通過を台帳へ書いている。

「会話まで採点?」

「異議申立てが出た時の証拠だ。私情ではない」

「昨日まで私情で殴ろうとしてたのに」

「未遂だ!」

「そこを訂正する?」

「事実は事実だ!」

 救難課受付は、外壁の一階――まだ地面と呼べる面の端にあった。

 赤い三角旗の下へ、担架、命綱、砂袋、三体の人形が並んでいる。受付の教官はオルトだった。

「候補二名。最初の課題。負傷者一名、崩落路二十歩、運搬具一つ。五十息以内に安全線へ運べ」

 人形は大人ほど重い。

 担架は一つ。

 道は中央が崩れ、左右に細い梁が残っている。

 ハルは人形の脇へしゃがみ、首、背中、脚を見た。

「怪我は?」

「右脚骨折想定。意識なし」

「俺一人?」

「候補は同時に入る」

 マオが遅れて受付へ来た。

 外門の装具検査に四分二十一秒かかったため、開始時点ですでに他の受験生より遅れている。彼女は息を切らしていない。代わりに、左腿の装具留めを一度、二度、三度と確かめた。

「一緒に運ぶ?」とハル。

「役割を先に言え」

「俺が頭側。おまえが足側」

「私の左脚で段差を越える時は速度を落とす。勝手に持ち上げるな」

「分かった」

「分かった、だけじゃ曖昧。段差の前で声をかけろ」

「段差前、声をかける」

「よし」

「試験中の相談は減点対象ですか」とティアがオルトへ訊く。

「救難で相談しない者を通す方が減点だ」

「時間制限は」

「残る」

 ハルとマオは担架を中央へ置かなかった。

 左右の梁へ一本ずつ滑らせ、人形を布帯で固定し、二本の細い橋として使う。

「担架を壊す気?」とマオ。

「折らない。広げる」

「壊したら弁償」

「ロロみたいなこと言うな」

「誰」

「あとで請求書を出す友達」

「友達の定義が金利付きだな」

 最初の段差。

「上がる。三、二、一」

「逆に数えるの?」

「落ちる時は一、二、三。持つ時は三、二、一」

「迷信」

「身体への連絡」

「なら採用」

 二人は人形を渡した。

 四十五息。

「合格印」とオルト。

「速さだけ?」とハル。

「負傷者を落とさず、相談を声に出し、撤退路を塞がなかった」

「担架、本来の使い方じゃない」

「本来の目的は運ぶことだ。形を守ることではない」

 ティアが記録板へ何か書く。

「規定担架の横置き使用。再現性の検討が必要」

「減点?」

「検討」

「その二文字、落とす時に便利そう」

「通す時にも使います」

 マオが赤い三角印を仮札へ押した。

 その指は白墨の粉で汚れている。

「次、航路科」とハル。

「先に聞け」

「何を」

「一緒に行くか」

「行く?」

「同じ順路なら」

「じゃあ一緒」

「勝手に友達へ昇格させるな」

「同じ順路の人」

「長い」

「マオ」

「縮めすぎ!」