第37話 第七章「仮入学生の食堂」前編
食事は、制度より正直である。
王は民を等しく愛すると宣言できる。
食堂は、誰の皿が先に温かいかを隠せない。
同じ鍋から注がれた豆煮でも、運ぶ道が違えば味が変わる。上層の席へ湯気のまま届き、下面の席へ膜を張って届く。料理人が差別したのではない。配膳係が悪意を持ったのでもない。
ただ、建物が「速く運べる人」を先に考えていただけである。
王立星航学院の食堂は、千二百人を同時に養えた。
同じ時刻に食べさせるとは、規程のどこにも書いていなかった。
「所属章を」
食堂の入口で、ハルはまた止められた。
中央に金翼口。右に銀翼口。左に鉄翼口。さらに壁の端へ、職員、来賓、使用人、搬入、医務食の小さな扉が並ぶ。
無翼口はない。
「所属なし」とハル。
「受験者札は」
「失格って書いてある」
「失格者は試験終了後、学院外で」
「異議審査中」とエリア。
「仮入構許可はありますか」
「これ」とハル。
リディアが医務室で出した紙を見せる。
『肩部再診、設備調査協力、異議陳述待機のため、第二鐘から第五鐘まで構内滞在を許可』
食事については書いていない。
「構内にいて、食べるのは構外?」
「許可目的に食堂利用は含まれません」
「腹は目的外で減るんだな」
係員は困って台帳をめくる。
ハルは門の前で覚えた。係員個人へ、制度の理由まで背負わせない。
「誰に聞けば変えられる?」
「食堂監督です」
「どこ」
「金翼口の内側」
「入れない」
「伝票を回します」
「何分」
「混雑時は二十分ほど」
「昼休み、何分」
「二十五分です」
「食べる時間、五分」
「許可が出れば」
「出なかったら?」
「目的外滞在になります」
「言葉で腹を満たせる学校なら、食堂はいらないな」
マオが鉄翼口から戻ってきた。
右手に最安の食券、左手に低い椅子の使用札。
「私の同行者にする」
「同伴規程は家族または介助者」と係員。
「介助される側は誰」
「ケルン受験生です」
「私、介助を頼んでない」
「では同行者にできません」
「本人が頼めば?」
「介助内容を申告してください」
マオがハルを見る。
「私の盆を持つ?」
「要る?」
「入るまで」
「持つ」
「中へ入ったら返す」
「分かった」
「盆運搬介助」と係員が書く。
マオの眉が上がる。
「私のためじゃない。こいつを入れるため」
「制度上の介助対象は――」
「書くなら『相互運搬』」
「その区分はありません」
「作れ」
「仮同伴、理由は食堂入口設計上の所属欄欠如」
ティアが後ろから言った。
右膝へ支持帯。切れた裾は仮縫いされ、左右差が残っている。
「備考欄へ記載し、食堂監督へ事後報告。入構許可の滞在には、必要な水分と食事を含むと解釈します」
「例外?」とハル。
「人間が滞在する条件の確認です」
「昨日より言い換えが上手い」
「褒めていませんね」
「半分」
係員は仮札を発行した。
『鉄翼口・相互運搬』
「本当に作った」とマオ。
「仮分類です」
「仮が残ると本分類になる」
「審査期限を第五鐘までと書きます」
「終了時刻を付けた」
「規則は終わり方まで必要です」
ハルは食堂へ入った。
学院の門を越えられなかった少年が、盆を持つという理由で食堂の境界を越えた。
文明史では、偉大な制度改革より、昼食の都合が先に壁を開けることがある。
食堂は三層だった。
上層は金翼席。天窓に近く、配膳台から空中レールで料理が直接届く。白い卓布、背の高い椅子、温度を保つ星晶蓋。
中層は銀翼席。風路に沿う細長い卓。料理は滑車盆で下りる。
下層は鉄翼席。床へ固定された低い卓と、装具を置ける広い間隔。厨房から最も遠く、料理は螺旋路を回って来る。
食券の値段も違う。
金翼定食十八ルク。
銀翼定食十一ルク。
鉄翼定食六ルク。
下面豆煮三ルク。
「三ルク」とマオ。
「足りる?」とハル。
「足りるものを選んだ」
「好きなものは」
「胡椒の強い豆煮」
「それ三ルク?」
「胡椒は別。一つまみ半ルク」
「一つまみの半分どう払う」
「二日分まとめる」
エリアが金貨に近い大きな銀片を出した。
「五人分」
「待て」とハル。
「調査協力への食事費」
「俺の分は払う」
「地球の硬貨は使えないでしょう」
「皿洗い」
「肩を固定しているのに?」
「右手で」
「私が払った方が速い」
「速いからって選ぶな」
エリアは銀片を引っ込めた。
「では、貸す。返済方法は後で決める」
「利子」
「不要」
「借りが大きくなる」
「では、一ルクだけ利子」
「高い」
「あなたが決めて」
「半ルク」
「硬貨がない」
「マオ方式で二日分」
「成立ね」
「契約ごっこするなら列から出ろ」とロロ。
四本の補助腕へ盆を一枚ずつ載せている。食券は機関科作業員用。量は多いが、味は濃い。
「何食べる」とハル。
「揚げ歯車、油ボルト、豆ねじ、焦げ板」
「正式名は」
「知らねえ」
「料理まで工具にするな」
「逆だ。工具が食い物」
ドランは金翼口から入ったのに、下層へ下りてきた。
白手袋の片方を外し、会計板を抱えている。
「食堂配送の監査を命じられた」
「奉仕処分、広いな」とハル。
「私が帳簿へ強いからだ。皿拾いだけで侯爵家の教育を使い切るな」
「何食べる?」
「金翼定食」
「ここで?」
「監査中だからだ」
「一緒に食べたい?」
「違う!」
「速い否定」とエリア。
「誤解の余地を消した!」
ドランの金翼定食が届いた。
蓋を開けると湯気が立つ。焼いた白身魚、苺ソースの小菓子、香草スープ。
マオの豆煮が届いた。
湯気はなかった。
表面へ薄い膜が張り、胡椒は底に沈んでいる。
「同じ厨房?」とハル。
「同じ」と配膳係。
「作った時刻」
「第二鐘後四分。全定食一斉」
「届いたの今、二十分」
「鉄翼路は搬送に十二分、配膳待ち四分」
「金翼は?」
「二分以内」
ドランがスープへ匙を入れ、止めた。
「勘定が合わない」
「交換する?」とマオ。
「哀れみではない。温度管理費を全食券から取っている」
「私の三ルクにも?」
「食堂維持費として〇・四ルク」
「温かくない」
「返金請求が可能だ」
「いくら戻る」
「温度基準違反なら〇・一二」
「少な」
「百食なら十二ルクだ!」
「会計の怒り方」
ティアは下面豆煮を買った。
胡椒を一つまみ、二つまみ、三つまみ、四つまみ。
「多くない?」とハル。
「一度決めた量です」
「何を基準に」
「最初に食べた下面店の推奨」
「店ごとに辛さ違うだろ」
「同じ量で比較しなければ採点できません」
一口。
ティアは無表情を保った。
二口。
右耳の後ろが赤くなる。
三口。
「けほっ」
咳が一つ出た。
全員が見る。
「辛いなら減らせ」とハル。
「許容範囲です」
「涙出てる」
「香辛料の反応」
「それを辛いって言う」
「評価基準を変えると、過去の記録と比較できません」
「毎回むせてる?」とマオ。
「……はい」
「変」
「あなたに言われたくありません」
ティアは豆煮を四等分し、きっちり一角ずつ食べた。
規則に厳しい少女が、胡椒の量だけは誰にも課さず自分へ課している。その無意味さが、ハルには少し好きだった。
下層席の壁には、今週の献立が書かれていた。
学院古字で十六行。料理名、栄養値、食材産地、誓力回復率、アレルギー表示。情報は多い。食べる前に読むには多すぎる。
「今日の豆煮、どれ」とハル。
「上から九行目」とエリア。
「字の形だけ一つ」
「豆を表す丸印」
「そこから自分で読む」
ハルは丸印を探した。
二つある。一つは豆煮。一つは豆菓子。
「湯気の印がある方?」
「そう」
「胡椒は」
「小さな火箭」
「ティアの皿、火箭四本」
「表は一本推奨」とマオ。
「第一条さん、自分の規則にも違反してる」
「推奨は規則ではありません」
「便利な区別」
ハルは献立の文字を指でなぞった。
地球では、学校の献立表を読めないことなど考えたことがなかった。読めるという能力は、使っている間、自分の能力に見えない。失った時に初めて、壁だったと分かる。
「この小さい字は?」
「『温食は受領後三十息以内に提供』」とエリア。
「三十息?」
「食堂規程」
「守ってない」
「受領ってどこ」
「配膳台」とドラン。「席ではない」
「料理が配膳台へ着いてから、席へ十二分かかるのに?」
「規程上は、台が受け取った時点で提供工程へ入る」
「言葉だけ先に食べてる」
ドランは魚の皮を小さな紙へ包んだ。
ハルが見る。
「何」
「残飯分類」
「自分のポケットへ?」
「廃棄経路の監査だ」
「猫」
「なぜ分かる!」
「魚の皮を帳簿へ食べさせないだろ」
「下面区の害獣対策として、特定個体を餌付けし行動範囲を管理している」
「猫に名前つけてる?」
「付けていない」
「何て」
「……アルブレヒト三世」
ロロが吹き出し、豆ねじを鼻へ入れかけた。
「三世なら一世と二世がいるのか!」
「血統ではない! 似た模様の個体を更新しただけだ!」
「猫まで家名で管理」とマオ。
「識別には名前が必要だ!」
「自分の眼鏡も識別しろ」とハル。
「眼鏡の話をするな!」
上層席から二人の学生が降りてきた。
三日前の王都救難でハルを見たらしい。遠巻きにひそひそ話し、やがて一人が紙片を差し出す。
「落下少年ですよね。名前を」
「凪野ハル」
「書いてください」
「共通空字、まだ間違える」
「地球の字で」
ハルは紙へ名前を書いた。
少年は嬉しそうに受け取り、すぐ友人へ見せる。
「本当に翼なしで星脈炉へ落ちたんですか」
「落ちた」
「怖くなかった?」
「怖かった」
「でも英雄だから」
「怖くないやつが英雄なら、俺じゃない」
学生は少し困った。
英雄へ聞きたい答えは、たいてい本人より物語の方がよく知っている。
「学院へ入るんですよね」
「門に落とされた」
「都を救ったのに?」
「都を救えるかと、受付の字を書けるかは別らしい」
「変なの」
「俺もそう思う」
学生は笑い、上層へ戻った。
ハルは自分の名前を書いた指を見る。
「嬉しかった?」とエリア。
「ちょっと。恥ずかしい」
「顔が赤い」
「胡椒」
「あなた、食べてない」
「近くにあった」
エリアは右手で口元を隠す。
学院食堂が三層になったのは、身分差を見せるためではない。
創設当時、金翼生は天窓から直接入り、飛行具を畳まず席へ着いた。銀翼生が増えた時、横風を使う中層が足された。鉄翼課程は八十年後、厨房下の倉庫を改造して作られた。
その都度、誰かのために場所は増えた。
増築は歓迎の証拠でもあった。
だが、古い中心を動かさず外側へ足した結果、後から来た者ほど厨房から遠くなった。
差別は、必ずしも「来るな」と言う。
「来てもよい。空いている端へ」と言うこともある。