第148話 第二章「未到着品の落札」後編

 競売資料室は、円形屋根の下にあった。

 壁は棚でなく、回転する平板になっている。ラナが傾いても資料が落ちないよう、契約板を一枚ずつ薄い枠へ挟む。床中央には排水溝。火事より、雨と噴気を恐れる書庫だった。

 セレナは入室前に、見ていない角を振り返る。

 単眼鏡の縁を一度押し、黒い証羽を五枚並べた。

「調査権者はミラ。閲覧補助は六名まで」とベルナ。

「七」とミラ。

「規定は六」

「ノクスは人員?」

「本人の意思によります」

 ノクスが資料室へ先に入った。

「七」とベルナ。

「柔軟」とハル。

「規定外を本人確認で処理しただけです」

「ティアが好きそう」

「彼女なら確認手順を三枚増やします」とエリア。

「元気かな」

「伝羽は昨日、学院へ着いたはず」

「返事、まだ」

「議長は忙しい」

「忙しい人ほど返事を後回しにする」とハル。

「あなたは忙しくなくても後回しです」

「返す言葉がない時だけ」

「八件あります」

「数えた?」

「数えています」

 ベルナが最初の契約板を外す。

「本日の競売対象。第二天鍵候補片に関する、最初に受け取る権利〈ファースト・クレーム〉

 親文字は分かりやすい。

 最初に受け取る権利。

 市場での呼び名は短い。

 ファースト・クレーム。

 それは所有権ではない。

 明朝、輸送小艇がカンティレーナへ到着した時、最初に箱を受け取り、封印を確認し、購入を受諾するか拒否するか決める順位だった。

「拒否したら」とハル。

「次順位へ」とベルナ。

「買わなくてもいい?」

「受領権は、買うか決める権利です」

「決める前を買う」

「未来市場」とミラ。

「未来、小分けにしすぎだろ」

「大きいままだと金持ちしか買えない」

「小さくしても金持ちがたくさん買う」

「だから私が盗る」

「盗る前提?」

「買った。今日は」

 ベルナは契約板の一行を示す。

『本契約は現物所有を移さず、到着時の第一受領判断のみを移す』

 カイルはその文を二度読んだ。

「王獣鈴の欠片そのものを落札した者はいない」

「現時点では」とセレナ。

「じゃあ、値段を付けられたのは」

「最初に触れる順番」

 カイルの顔がさらに険しくなる。

「それも嫌か」とハル。

「嫌だ」

「何で」

「王家遺物だからじゃない。来歴を知らない者が、最初に触れたという事実だけで、次の説明を作れるからだ」

 セレナが彼を見る。

「正確です」

「誉められた気がしない」

「事実です」

 資料室の奥から、小さな咳がした。

 一人の老女が座っていた。

 白髪を七本の細い束へ分け、青い布でそれぞれ結んでいる。背は低い。膝へ古い木箱を置き、蓋の内側へ刻まれた名前を指でなぞっていた。

「ユラ・ハーン」とベルナ。「欠片の来歴証人です」

「所有者?」とカイル。

「違う」

 ユラは即答した。

 声は乾いている。

 怒ってはいない。怒ることを何度も使い、もう必要な分だけ残した声だった。

「では誰の」とカイル。

「七家で守った」

「七家の所有?」

「守ったと言った」

「売却へ同意したのは」

「七家のうち、生きて見つかった三家。二家は名だけ。二家は行方がない」

「半数もいない」

「だから現物を見てから、売るか戻すか決める契約にした」

 ユラは最初の契約板へ目を向ける。

「最初に受け取る者は、七つの名を聞く。聞いて、箱を開ける。嫌なら次へ渡す。そう決めた」

「王家へ返す選択は」

「七つの名を聞いた後なら、候補に入る」

「先では駄目か」

「王家は昔、名を一つにした」

 カイルは黙った。

 王獣鈴。

 王の獣を従わせる鈴。

 その呼び名の時点で、誰の名前が消えたのか。

 彼はまだ知らない。

「俺は、来歴を聞く」とカイル。

「王子として?」

「受領を求める一人として」

「なら、座れ」

 カイルは老女の前へ座った。

 王太子が膝を折る時、歴史はよく象徴を見つける。

 実際には、資料室の椅子が低かっただけである。

 第一契約の落札者は、バルド・ペル。

 宝飾商組合の代理人。

 九の鐘八分、競売成立。

 印の乾燥確認、九の鐘十二分。

「ここまでは普通」とベルナ。

「普通の空箱売買」とハル。

「受領順位です」

「普通から遠い」

「この町では普通」

「普通、場所で変わりすぎ」

「変わらない普通の方が危険です」とエリア。

 第二契約板が出る。

 バルド・ペルから、保険仲買人フェン・オルタへ。

 押印、九の鐘十一分。

 第一契約が乾く前に、次の売買意思が置かれている。

「まだ権利を持ってないのに売った?」とハル。

「持つ予定を売った」とミラ。

「未来の中の未来」

「市場は重ねると高くなる」

「不安も?」

「特に」

 第三契約。

 フェン・オルタから、仲買名モロウ・ナインへ。

 押印、九の鐘十四分。

 第四。

 モロウ・ナインから、受領代行サディ・グレイスへ。

 九の鐘十七分。

 第五。

 サディ・グレイスから、記号名L・Oへ。

 九の鐘十九分。

「全部、数分」とロロ。

「値段は」とミラ。

「第一、三万二千。第二、三万九千。第三、五万。第四、六万四千。第五、八万一千」

「物、まだ来てないのに」とハル。

「来ない可能性が減るほど上がる」とミラ。

「来たら」

「本物なら、もっと上がる」

「偽物なら」

「最初に拒否できる」

「拒否する権利に八万?」

「損をしない順番は高い」

 カイルは第五契約板を取ろうとした。

「触らないで」とセレナ。

「見るだけだ」

「手袋を」

「王子の手でも汚れる?」

「王子の手だから、付着物が後で政治問題になります」

「分かった」

「返事だけでなく手を下ろす」

「監督が細かい」

「罪状が多い」

 ハルが第五契約の端を覗く。

「L・Oって誰」

「登録非公開」とベルナ。

「調査権で見られる?」とミラ。

「有効な受領者になっていれば」

「なってなければ」

「ただの未発効契約です」

「押した順じゃない?」

「乾いた順です」

 セレナの単眼鏡が、印の縁へ近づく。

「全契約の乾燥確認記録を」

 ベルナは、別の板を出した。

 五つの印。

 五つの時刻。

 ただし三番目だけ、欄が空白だった。

「第三契約の乾燥確認は」とセレナ。

「ありません」

「紛失?」

「確認者が、乾く前に席を離れました」

「誰」

「モロウ・ナイン」

「本人を」とミラ。

「呼び出しました」

「返事は」

「ありません」

 ベルナは最後の板を回した。

 盗難申告。

 申告者、フェン・オルタ。

 時刻、九の鐘二十五分。

 文面は短い。

『第一受領順位が、本人の認識しない契約発効により失われた。緊急停止を求む』

「最初の落札者じゃない」とハル。

「二人目」とセレナ。

「フェンは買って、数分後に売った」

「はい」

「自分で売ったのに、盗まれた?」

「本人の主張では、売却契約が発効する前に撤回した」

「撤回は」

「印が乾く前なら可能です」

「乾いたか分からない」

「だから申告した」

 ミラが契約板の順を見つめる。

 風鈴を鳴らさない。

「一番目が二番目へ売った。二番目が三番目へ売った。三番目が四番目へ。四番目が五番目へ」

「そうです」とベルナ。

「それで、二番目は売ってないと言ってる」

「撤回したと」

「三番目は来ない」

「連絡不能」

「四番目は」

「姿があります。会場内」

「五番目は非公開」

「有効なら開示」

 ミラは笑わなかった。

「未到着品が盗まれたんじゃない」

「何が」とハル。

「順番が、先に逃げた」

 セレナは五枚の契約板を、押印時刻順へ並べる。

 次に、乾燥確認時刻のあるものだけを別へ置く。

「まず確認します」

「何を」とカイル。

「この五枚は、本当に同じ順で発効したのか」

 黒い証羽が一枚、第三契約の上へ落ちた。

「そして、存在しない仲買人を誰が通したのか」

「存在しない?」とハル。

「モロウ・ナイン。競売院の登録簿に、個人も会社もありません」

 資料室の外で、ラナが大きく息を吸った。

 床が持ち上がる。

 五枚の契約板は枠へ固定されている。

 順番だけが、固定されていなかった。