第149話 第三章「最初に受け取る権利」前編
帳簿は、物を一つに見せる。
壺、一。
剣、一。
家、一。
船、一。
数えるには便利である。
しかし一つの壺にも、作った者、使った者、割った者、直した者、代金を払った者がいる。剣には鍛冶師と兵士と殺された者の歴史があり、家には住んだ者と追い出された者がいる。
帳簿が一と書くたび、世界は何人かを欄外へ押し出す。
セレナ・クロウは帳簿を嫌っていない。
欄外が存在しないふりをする帳簿を嫌っていた。
「物体」
黒い札を一枚。
「保管責任」
二枚目。
「受領順位」
三枚目。
「輸送責任」
四枚目。
セレナは、資料室の床へ札を置いた。
ラナが息をするたび、床はゆっくり傾く。
札の裏には薄い蜜蝋が塗られ、滑らない。
「王獣鈴の欠片は、どこへ置く」とカイル。
「物体」
「ユラたちは」
「保管責任」
「競売院は」
「受領順位の売却管理と、到着後の一時保管」
「灰風便は」
「輸送責任」
「最初の落札者は」
「受領順位」
「買った後なら物体も?」
「現物確認後、購入を受諾し、残額を払い、保管者の異議期間を終えれば」
「長い」
「短くすると、誰かの責任が消えます」
「王子向けに短く」とハル。
「王子向けという分類を作るな」
「じゃあ俺向け」
「箱はまだ誰の物にもなっていない。最初に見る順番だけが売られた」
「分かった」
「本当に?」とエリア。
「今のは分かった。次に分からなくなる準備はできてる」
「準備だけは優秀ね」
ロロは四枚の札の間へ、細い銅線を引いた。
「物体が壊れたら、灰風便?」
「輸送中の事故なら。ただし梱包不備は保管者、受領術による経路変更は術者」とセレナ。
「受領術?」
「遠隔受領は、競売法で認められています。条件付きで」
「もう出てきた」とハル。
「何が」
「分からない次」
「記録しますか」とセレナ。
「しなくていい!」
「主観的理解度として有用です」
「俺の分からなさを証拠にするな!」
ノクスが四枚の札の中央へ座った。
「ノゥ」
「五つ目」とミラ。
「何」とカイル。
「本人」
ミラはノクスの前脚へ巻かれた赤い布環を指す。
「物、保管、受領、輸送。全部、人が決めた欄。運ばれる物が生きてたら、本人の欄が要る」
「今回は欠片です」とセレナ。
「翼鯨の背で運ぶ。生き物が経路になる」
セレナは一拍置いた。
五枚目の札を出す。
「生体経路」
「採用?」とミラ。
「調査項目へ」
「契約成立」
「契約ではありません」
「採用料」
「ありません」
「安い」
「喜んでください」
「無料、怖い」
ジルが低く笑った。
「お前は自分の考えまで売らないと落ち着かないのか」
「売らない考えは、勝手に使われる」
「値札を付けたら、買った奴が勝手に使う」
「使い方を書く」
「紙が濡れたら」
「証人」
「証人が死んだら」
「次の証人」
「全員死んだら」
「私が最後」
「それを怖がってるくせに」
ミラの風鈴は鳴らなかった。
ジルはそれ以上言わない。
人を追い詰める時、言葉の数が多い方が勝つとは限らない。続きを本人の中へ残す一言の方が、長く働くことがある。
最初の落札者、バルド・ペルは、宝石のような男だった。
美しいという意味ではない。
どの面を正面へ向けるかで、色が変わるという意味である。
白い長衣。薄紫の手袋。髭は左右同じ角度。カイルへは深く礼をし、ミラへは浅く、ハルへは礼をしなかった。
「第一受領順位は、投資商品です」
「欠片を見たかったんじゃない?」とハル。
「見たい者へ売るために買いました」
「自分は見ない」
「見る必要のない利益もあります」
「偽物だったら」
「私が持っていた間は、本物である可能性を売った」
「可能性、返品できる?」
「購入者の判断です」
「便利」
「商売です」
セレナは時刻表を開く。
「九の鐘八分、あなたが第一競売へ落札意思を示した」
「はい」
「印を押したのは」
「九分」
「記録は八分」
「鐘棒が下りた時刻です。印はその後」
「乾燥確認、十二分」
「はい」
「第二契約をフェン・オルタと結んだのは十一分」
「条件交渉はその前です」
「第一契約が発効する前」
「将来取得する権利の予約売買は認められている」
「撤回条件」
「私の第一印が乾かなければ、自動失効」
「乾いた」
「だから売れた」
「フェンへ、元保管者の七名条項を説明したか」
バルドの顔は変わらない。
「契約板に付属しています」
「口頭では」
「付属している文を、全て読み上げる義務はない」
「質問へ答えてください」
「説明していません」
「なぜ」
「彼は来歴より、到着確率を聞いた」
「聞かれないことは言わない?」とカイル。
「市場では、聞く能力も価格に含まれます」
「王城の大臣が好きそうな言葉だ」
「殿下のお役に立てば」
「役立てたくない」
カイルの声は低い。
冗談を止めた時の方が本気だと、仲間は知っている。
「七つの名を聞くことは、商品の傷じゃない。商品になる前の人間の話だ」
「感情は価格を乱します」
「価格が感情を消していい理由にはならない」
「王家がそれを?」
バルドは初めて、正面の色を変えた。
「王家は、何百年も遺物を国有と呼び、村の名を記録から落としてきた。殿下が来歴を語るのは、美しい」
「美しいだけか」
「高く売れます」
カイルの右籠手が鳴る。
左拳で叩いたのではない。握った金具が軋んだ。
「カイル」とエリア。
「分かってる」
「何を」
「こいつを盾で殴っても、来歴は戻らない」
「正確です」
「セレナ、お前は今だけもう少し友人になれ」
「友人としても同意します」
「言い方!」
バルドの手袋へ、ノクスが鼻を近づける。
二本尾が同じ方向を指さない。
「破約?」とハル。
「ナァ」
「違う?」
「契約は破っていません」とセレナ。「説明義務がない範囲で説明しなかった」
「匂わない悪さ?」
「悪さと断定していません」
「でも嫌」
「感情として記録外です」
「セレナも?」
「質問を続けます」
それが彼女の嫌い方だった。