第151話 第四章「ミラの偽物目録」前編
嘘には、広さがある。
一人へ言う嘘。
一室へ流す嘘。
一つの町へ掲げる嘘。
百年後の教科書へ残す嘘。
同じ一文でも、届く範囲が広がるほど、踏む人間が増える。
だから古い密偵は、嘘の内容より先に出口を決めた。
誰へ渡すか。
いつ訂正するか。
信じた者が行動した時、どこまで害が出るか。
真実は広ければよいとは限らない。
嘘は狭ければ許されるわけでもない。
それでも罠を置くなら、罠に掛からなかった者まで傷つけない形にしなければならない。
「反対」
「価格は」
「値段じゃなく反対」
「反対にも条件がある」
「ない。嘘は駄目」
「地球の少年、十五歳。人生で一度も嘘なし?」
「ある」
「終了」
「終わらせるな! あるから、駄目だったって分かるんだ」
「何の嘘」
「今は関係ない」
「関係を隠した」
「それを嘘扱いするな」
「情報の未開示」
「契約屋みたいな言い方!」
「空賊」
「悪化した!」
競売院の裏手。
ラナの背びれに沿って作られた小さな書写工房で、ハルとミラは六枚の目録を挟んで向かい合っていた。
六枚とも、表紙は同じ。
『第二天鍵候補片 到着時確認項目』
中身だけが一行ずつ違う。
一枚目には、到着小艇を北側受領台へ変更する、とある。
二枚目は南側。
三枚目は、箱を塩霧で洗う。
四枚目は、金属器具を近づけない。
五枚目は、到着時刻を一刻早める。
六枚目は、受領試験を七音から無音振動へ変える。
全て偽物である。
「同じ目録を全員へ配らない」とミラ。「バルド、フェン、サディ、匿名枠管理人、受信塔書記、競売院内務。六か所へ一枚ずつ」
「誰かが外へ連絡したら、その人へ渡した内容で分かる」とエリア。
「外へ連絡するだけで犯人?」
「違います」とセレナ。「反応した経路を確認するだけ。連絡には正当な理由もある」
「じゃあ騙す意味」
「知らないはずの情報を知る者を見つける」とミラ。
「偽情報を知ってるのは、俺たちと渡された人だけ」
「そう」
「でも渡された人が家族へ相談したら」
「家族も経路になる」
「迷惑だ」
「だから一刻で訂正。現物の進路、温度、封印へ影響する内容は入れない。誰かが行動しても、問い合わせの伝羽を飛ばすだけ」
「塩霧で洗うって」
「実行命令じゃない。『検討中』」
「小さい字」
「読まない奴の責任」
「それ嫌い」
ミラの灰緑の目が細くなる。
「私も嫌い」
「なら」
「嫌いでも使う道具はある。刃、借金、規則、嘘」
「使うなら、使った側が責任を持つ?」
「失敗したら私の名を出す。調査権を買ったのも私。訂正費も私」
「一万二千の上に?」
「だから高い」
「命も危なくなったら」
「中止」
「誰が決める」
「セレナ」
黒い外套の星律官が単眼鏡を押す。
「私は罠の共同実施者になった覚えは」
「止める権利を売る」
「買いません」
「無料」
「なお不要です」
「では監査権」
「それなら受領します」
「同じ?」とハル。
「違います」と二人が同時に言った。
ジルが銅笛を噛む。
「似た奴ほど違いを細かく言う」
「一航士、どっち側」とミラ。
「失敗した時、紙を海図の余白にして飯を食う側」
「役に立たない」
「役に立つ味方は高いぞ」
「値段」
「お前が謝るまで」
「何を」
「港を置いて出たこと」
「置いてない。残した」
「言葉の値切りは終了」
ジルは六枚の目録を一枚ずつ匂った。
「紙は同じ。樹脂も同じ。折り方だけ変えろ」
「なぜ」とエリア。
「受信塔の書記は色覚差がある。色札で分けると見落とす」
「知ってるの?」
「昔、同じ船にいた」
「来歴」とハル。
「何が」
「情報にも、誰から来たかがある」
ミラが彼を見る。
「それ、今言う?」
「今だから」
彼女は返さなかった。
六枚の目録の角を、それぞれ違う形へ折った。
偽物を配る役は、ハルとエリアになった。
「俺、反対って言った」
「だから監視役」とミラ。
「渡す人が監視?」
「嫌な奴が近くにいる方が、作戦は丁寧になる」
「信頼されてる気がしない」
「されてる。嫌がる部分を」
「部分指定」
「全部を信頼する契約は危険」
「友達にも?」
「特に」
ハルは北側目録を鞄へ入れた。
エリアは六枚の配布経路を路図へ描く。
「一刻後、全て回収または訂正。受領者が外出する場合は、追わず記録。伝羽を出した場合も止めない」
「止めないの?」
「止めれば、行先が分からない」
「罠って、待つ方が難しいな」
「あなたは待つこと全般が苦手です」
「待つ間にいなくなるかもしれない」
言ってから、ハルは口を閉じた。
エリアは地図針を差し直す。
「いなくならないと約束はできない」
「分かってる」
「でも、行く時は説明する」
「今のは約束?」
「選ぶつもりの共有」
「細かい」
「細かくしないと、あなたは永遠の誓いにします」
「してない」
「顔」
「俺の顔を読むな」
「ミラの真似」
ハルは笑った。
エリアの右手が一瞬、口元へ上がる。
すぐ地図筆へ戻った。
カンティレーナの北市場は、ラナの肩に当たる場所にある。
呼吸の上下が大きい。
店は床へ固定せず、四輪台へ載せ、坂になった方向へ少しずつ移動する。香草店が一つ隣へ滑り、代わりに靴直しが来る。昼食を食べている間に、向かいの店が変わる。
「歩く市場って、店が歩くのか」とハル。
「客が歩かなくても買い物できる」とエリア。
「欲しくない店も来る」
「人生に似ています」
「エリアが急に重い」
「地形の説明です」
「人生って地形?」
「選択肢の高低差はあります」
「貴族の会話」と、露店の老婆。
「違います」とエリア。
「否定が貴族」
「買う?」とハル。
「何を」
「塩漬け柑橘」
露店には、薄く切った青い柑橘が並んでいる。
エリアは値札を見る。
一袋四ルク。
「二袋」と言い、金貨を出した。
老婆の目が丸くなる。
「それ、百ルク」とハル。
「釣りを」
「この市場、呼吸で店が移動するぞ。釣り受け取る前に逃げる」
「店は逃げない!」
「動いてる」
「移動と逃走を同じにしないで」
老婆が笑い、九十二ルクを正確に返した。
「坊や、これ」と柑橘を一枚追加する。
「俺、払ってない」
「口止め料」
「何の」
「お嬢さんが相場を知らないこと」
「もう全員知ってます」とエリア。
「なら宣伝料」
「市場、強い」とハル。
エリアは柑橘を一枚、彼の口へ押し込んだ。
塩辛い。
酸っぱい。
笑うとさらに喉へ刺さる。
「何する!」
「口止め」
「物理!」
「有効でした」
「記録した!」
そんなふうに歩きながら、二人はバルドへ北側目録を渡した。
バルドは眉一つ動かさない。
「受領台変更の根拠は」
「検討中です」とエリア。
「誰の提案」
「調査中です」
「投資判断へ影響する」
「だから事前連絡」
「確定前に広めるべきでない」
「あなたは確定前の受領順位を売りました」
「それとこれは」
「違いを、後で聞きます」
エリアは微笑まない。
バルドは目録を受け取った。
ハルは彼の手袋を見る。
伝羽を出す様子はない。