第166話 第十一章「最終所有者」後編
来歴確認の束。
ユラたち七家の条件。
『最初の受領者は、七つの名を本人の声または指定証人の声で聞き、受領を続けるか辞退するか選ぶ』
第一契約には残る。
第二では、欄外へ移る。
第三では、こう要約される。
『原保管者の七声確認』
第四。
『七声機構の互換確認』
第五。
『受領試験済み』
「機構」とユラの声が通信管から聞こえた。
ゼロスター号を経由し、ラナ側からつないでいる。
「私らは機械になったか」
レムが通信管を見る。
「七つの名は、識別手順として非効率だった」
「効率のために売ったんじゃない」とユラ。
「売却市場へ出した時点で、手続は標準化される」
「標準を選んだ覚えはない」
「契約へ署名した」
「最初の文へ」
「再移転を禁止しなかった」
「聞く条件は消してない」
「消えていない。七声確認として残る」
「意味が変わってる」とハル。
「文言は連続している」
「人の名前を、音の数へした」
「実務上の翻訳だ」
「翻訳?」
ハルの声が低くなる。
「相手が言った意味を、都合のいい別の意味へ変えるのは翻訳じゃない」
レムは彼を見る。
「では何だ」
「奪う前の言い換え」
ミラがジルの背から降りようとする。
「立つな」とジル。
「立つ」
「二歩」
「一歩で足りる」
彼女は右脚だけで床へ立ち、机へ手をついた。
「私も契約を短くする」とミラ。
「空賊の告白?」
「相手が読めない長さなら削る。甲板で死にそうなら、免責を後回しにする。署名できない奴には結び目を使う」
「同じだ」
「違う、と言いたい。でも違いを説明できないなら、同じ場所がある」
ジルが黙って彼女を見る。
「だから聞く。あんた、七つの名が人の条件だと知ってた?」
「契約文は見た」
「知ってた?」
「実務上、音声認証と理解した」
「誰に確認した」
「仲買人」
「モロウ・ナイン?」
「匿名枠の担当」
「名前」
「守秘義務」
「当事者の意味を、当事者に聞かなかった」
「市場では仲買人が代理する」
「代理を選んだのは誰」
「契約鎖」
「人を答えろ」
レムは答えない。
ミラの風鈴は鳴らなかった。
「私は盗品の来歴を気にしなかった。払う奴と、今持ってる奴だけ見た。あんたは来歴を読んで、短くして、読んだと言った」
「商いだ」
「商いにする前、誰の言葉だった」
ユラの声が通信管から返る。
「私らのだ」
セレナは、来歴確認書の最下段を示す。
レム・オルデンの署名。
『七声試験を、指定代替手段により完了』
「代替手段の実施記録」とセレナ。
「受信器の試験音」
「誰が七つの名を読み上げた?」
「読み上げは不要と判断した」
「それを、完了と記載した」
「機能は確認した」
「条件は機能確認ではない」
黒い証羽、二枚目。
「来歴説明の不実記載」
レムが小さく息を吐く。
「名前は、荷を重くする」
「重さを盗む話は千艘港で終わった」とハル。
「港?」
「気分」
「彼の比喩を記録しないで」とエリア。
レムは机の向こう、古い王立契送部の壁章を見る。
「戦争中、私は名前付きの手紙を運んだ。差出人の村が焼かれた。宛先の家族が捕まった。名前があるから追われる。来歴があるから奪われる」
「だから消す?」とハル。
「荷だけを動かす。誰の物だったか、誰へ届くかを分ける。人を守るには、名前を切る必要がある」
「守られた人に聞いた?」
「聞く時間がないこともある」
「今回はあった」とセレナ。
声は低い。
「競売前から条件を受領していた。輸送まで一日以上。あなたは聞かなかったのではない。聞けば計画を止められるため、機械試験へ置換した」
「推測だ」
「偽物目録への返答があります。あなたは『七音確認の互換性』を即時に問い合わせた。七つの名を音響試験として扱う計画を、到着前から認識していた」
黒い証羽、三枚目。
「それでも」とレム。「私は受領順位を持っていた」
「はい」とセレナ。
全員が少し驚く。
「認める?」とハル。
「事実を曲げません。九の鐘二十五分から三十二分、あなたは第一受領順位を持っていた」
「なら箱を受け取る権利が」
「受け取る順番です。所有権ではない」
「実務上は同じだ」
「違います」
セレナは四枚の札を机へ置く。
物体。
保管責任。
受領順位。
輸送責任。
「あなたが得たのは一枚。来歴説明を聞き、受領を続けるか辞退する順番。箱の所有を確定する権利ではない。輸送者へ危険を隠す権利でもない。鯨の航路へ移動受信器を置く権利でもない」
「最終所有者」とレムは言った。
「誰がそう呼んだ?」
「市場が」
「市場の俗称です。契約にはない」
「言葉遊びだ」
「言葉で権利を得た者が、その区別だけを遊びと呼ばないでください」
室内が静かになる。
ハルが小さく言った。
「強い」
エリアが彼の袖を引く。
「今は黙る役」
「了解」
依頼主通信の封印。
「開示を求めます」とセレナ。
「拒否する」
「理由」
「受領代行士の守秘義務」
「危険輸送と不実記載に関わる依頼なら、特権は絶対ではありません」
「法廷で争う」
「受領。封印したまま差し押さえます」
「開けない?」とハル。
「令状範囲を越えます」
「中に黒幕の名前が」
「あるかもしれない。ないかもしれない。今の事件を、まだ見ていない名前で完成させません」
「逃げるかも」
「だから物を保全し、人を拘束し、法廷へ運ぶ」
「待つ」
「必要です」
ハルは閉じた封筒を見る。
待つことは苦手だ。
父の答えも、地球への道も、開かない扉の向こうへある。
だが開けられるから開けるのではない。
今開けてよいかを、他人と決める。
「分かった」
セレナは単眼鏡を一度だけ押した。
「記録します」
「そこまで?」
「重要な発言です」
「恥ずかしい」
「撤回しますか」
「しない」
レム・オルデンの拘束を告げる。
罪名ではない。
現時点の理由。
危険輸送申告の不実。
来歴確認の不実。
受領器を移動船へ設置したこと。
風圧砲による救難線切断。
証拠保全の必要。
「私は逃げない」とレム。
「船が逃げています」とセレナ。
「自動航行だ」
「停止して」
「受領品を受けるまで止まらない」
「誰が命令した」
「私」
「解除」
「契約が停止されている以上、受領失敗で自動帰投する」
「帰投先」
「守秘」
「それも差し押さえ対象」
「法廷で」
ミラが机へ手をついたまま言う。
「この人、嘘は少ない」
「破約臭も薄い」とハル。
ノクスはレムへ近づき、鼻を鳴らす。
二本尾は受信器と封印通信を指した。
「言わないことで、道を作ってる」とミラ。
「職業だ」とレム。
「私も」
「なら理解できる」
「だから止める」
ミラはジルの肩を借り、風鈴を一度鳴らした。
「仕事を決めた」
「何」とハル。
「盗品の値段じゃない。誰から奪われたかを調べる」
「儲かる?」とロロ。
「分からない」
「ミラが?」
「値段を後で決める仕事もある」
「怖くない?」
「怖い」
即答だった。
「来歴を知れば、奪えなくなる物が増える。依頼を断る。仲間と揉める。金が減る」
「じゃあ何で」
「弱い奴から奪わないって言うなら、弱かった時の名前も知らなきゃ、掟が嘘になる」
ジルが咳のように笑う。
「船長らしくなった」
「今、船長じゃない」
「だから言った」
「嫌味」
「褒め言葉は錆びさせる」
「ありがとうは」
ジルが待つ。
ミラは口を開く。
閉じる。
「保留」
「逃げた」
「利息なし」
《グレイ・リターン》を手動停止する。
ロロが推進輪の圧を抜く。
ジルが帆索をほどく。
エリアがラナとの距離を保つ航路を描く。
古い船は、ようやく速度を落とした。
ゼロスター号から骨白の箱を運ぶ。
受領順位は停止中。
所有権は未確定。
箱を誰が持つかだけを決める。
「王家保管庫へ」とベルナの通信。
「駄目だ」とカイル。
彼は箱を両手で持って旧艦へ渡る。
「王家由来品です」とベルナ。
「王家由来と呼ばれてきた品だ」
「盗難危険が」
「だから公開保管」
「王城が最も堅い」
「鍵を王家が全部持つ」
「当然です」
「それが当然だから駄目なんだ」
カイルは箱を船長室の中央へ置いた。
「一時保管者は俺。証拠封印はセレナ。来歴封印はユラ。三人のうち一人では開けない」
「王太子が他者の許可を?」
「俺から始める」
「法的形式」とセレナ。
「作れる?」
「暫定共同保全命令。背市法と王国法の併用。公開法廷へ移送するまで」
「期限」
「三日。延長は三者の再同意」
「終了時刻あり」とハル。
「王子、成長」とロロ。
「今それを言われる気持ち分かった!」
ラナ側から、小さな鯨守艇が来た。
サーガが操り、ユラが乗っている。
老女は旧艦へ移ると、レムを見なかった。
先に箱を見る。
「受け取る者」と彼女。
カイルが立つ。
「所有は主張しない」
「聞くか」
「聞く」
「聞いた後、戻せるか」
「法廷へ。あなたたちの条件と、王家の主張と、他の来歴を並べる」
「勝てると言わない?」
「言えない」
「負けたら」
「理由を公開する。異議の道を残す」
「王子の答えにしては、景気が悪い」
「俺の口癖を取るな」
ユラは箱の前へ座った。
七本の髪束を一つずつ解く。
青い布を箱の七つの溝へ置く。
「名を言う」
船長室にいる全員が黙る。
「ハーン家。落ちた欠片を最初に拾った。王の兵へ渡さず、傷を布で包んだ」
一つ。
「オルム家。割れた縁を鍛え直さず、割れたまま残した。直せば元の形を偽ると言った」
二つ。
「セヤ家。飢饉の年、売る話へ反対した。代わりに家を売った」
三つ。
「ドレ家。追手へ偽物を渡し、三人を失った」
四つ。
「ミル家。王獣の世話をした。鈴の音で従わなかった獣にも餌をやった」
五つ。
「カーン家。欠片を持ったまま空域を越え、戻らなかった。名だけが残った」
六つ。
「ルウ家。最後に箱を作った。家も名も今は見つからない」
七つ。
ユラは言い終える。
「聞いたか」
「聞いた」とカイル。
「続けるか」
「保管を」
「受領した」
三人で封印を開ける。
セレナの黒い証糸。
ユラの青布。
カイルの王家印は、冠ではなく自分の名で押す。
箱の蓋が上がる。
中にあるのは、鈴ではなかった。
鈴の一部。
黒銀の曲面。
掌二つ分。
縁に七本の細い溝。
表面は古い夜空のように暗く、角度を変えると獣の毛並みに似た光が走る。
第二の天鍵たる王獣鈴〈ビースト・ベル〉の欠片と呼ばれる物。
全用途は分からない。
王が獣を従わせたという伝承も、誰が鳴らしたかも、まだ証明されていない。
「触れる」とカイル。
「保管確認のため」とセレナ。
「手袋」とユラ。
カイルは薄い布手袋をはめる。
欠片を持ち上げた。
音は鳴らない。
彼の顔が変わる。
「何」とハル。
「静かに」
カイルは目を閉じる。
一つの心音。
ではない。
彼の掌から、異なる拍が伝わる。
速い。
遅い。
二つ続き。
長い間。
跳ねる拍。
弱い拍。
最後に、地面のように低い拍。
「七つ」とカイル。
「何が」とセレナ。
「心臓の音」
「誰の」
「分からない」
「言葉は?」
「ない。拍だけ」
「王家へ反応?」とベルナの通信。
「断定しない」とカイル。
「持ってるのはあなたです」
「俺の心音へ重なっただけかもしれない。七つの名を聞いたから、そう感じた可能性もある」
セレナは記録する。
「カイル・アークレイは接触時、七種と感じる心拍様振動を自覚。他の者は未確認。原因不明」
「夢がない」とハル。
「夢を事実欄へ入れない」
ユラが欠片を見る。
「昔も、七つ鳴ると言った人がいた」
「誰」とハル。
「名は、今は言わない」
「何で」
「その人が受け取った話は、別の来歴だから」
後続の答えを、ここで開けない。
カイルは欠片を箱へ戻した。
蓋を閉める。
「公開法廷まで、俺が持つ」
「王子として?」とユラ。
「三人の保管者の一人として」
「受領」
レム・オルデンへ拘束輪を掛ける。
彼は抵抗しない。
「最終所有者じゃなかった」とハル。
「最初から」とセレナ。「受領順位者」
「じゃあ巻題が」
「何の話ですか」
「気分」
レムは机へ残った封印通信を見る。
「依頼主を守る」と彼。
「法廷で範囲を争えます」とセレナ。
「名を出せば、同じことが起きる」
「名を隠せば起きない?」
「少なくとも追跡は遅れる」
「その遅れで、ラナが傷ついた」
「事故だ」
「事故の原因へ、あなたの選択がある」
レムは初めて、目を伏せた。
後悔か。
計算か。
セレナは記録しない。
見えても、意味は断定できない。
彼を船長室から出す。
その時。
レムの左脚補助具が、床板へ一度当たった。
乾いた音。
ロロが振り返る。
「今の」
補助具の踵から、小さな真鍮札が滑った。
薄い。
指二本分。
古い王冠と、横向きの翼。
「止めろ!」
ハルが手を伸ばす。
札は床の細い溝へ入る。
旧契送艦の命令投入口。
「偶然です」とレム。
ノクスが低く唸る。
「今の言葉、匂う」とハル。
真鍮札が内部へ落ちる。
カン。
船の奥で、古い歯車が回った。
セレナはレムの補助具を見る。
踵の裏に、札を押し出す小さなばね。
「故意」と彼女。
「何を送った」とミラ。
レムは答えない。
《グレイ・リターン》の発信筒が開く。
一枚の灰色伝羽が、霧へ飛び出した。
普通の伝羽より重い。
文字ではなく、命令札を運ぶ古い軍用型。
ゼロスター号の甲板で警報鐘が鳴る。
「行先!」とエリア。
灰色の羽はラナへ向かわない。
背市の受信塔でもない。
霧のさらに奥。
そこには、まだ何も見えない。
レム・オルデンは拘束されたまま、命令羽が白へ消えるのを見た。
「届いたものだけが、次へ進む」
「何を進めた」とセレナ。
返事はなかった。
灰色伝羽は霧の向こうへ消えた。
数秒後。
遠くで、同じ形の金属音が一つ返った。
命令を受け取った音だった。