第169話 第一章「号令だけの砲撃」前編

砲撃には、癖がある。

 砲手が人間なら、なおさらである。

 最初の一発は恐怖で高くなる。

 二発目は、外れたことへの羞恥で低くなる。

 三発目からは、隣の砲が早かった、上官が怒鳴った、指先へ汗が入った、故郷の名を思い出した、そういう戦史に書かれない事情が弾道へ混ざる。

 軍隊は人を同じ動きへ揃えようとする。

 だが、同じにしようとした跡こそ、人がいた証拠になる。

 一拍も迷わず、一寸も修正せず、同じ言い間違いの後に撃ち続ける砲列があるとすれば。

 それはよほど訓練された兵士ではない。

 兵士が、もういないのである。

『右舷――失礼。左舷砲列、敵軍籍を照合。奉還路を確保せよ』

 霧の中から、咳払いが一つ。

 六・五秒。

 白い砲火が、朝を横へ割った。

「伏せろ!」

 ハルは伏せなかった。

 伏せるより先に、裂れた屋根の上から飛んだ。

 一、二、三。

 足元で、背市カンティレーナの弾力板が沈む。翼鯨ラナの呼気が町全体を一尺下げ、次の瞬間、風圧弾が市場上空の霧を筒のようにくり抜いた。

 砲弾そのものは見えない。

 空気が押し固められ、白い輪になって走る。

 輪の端が香辛料店の屋根へ触れた。

 屋根が消えた。

 壊れた、という順序ではない。布、骨組み、看板、吊り皿が一斉に横へ運ばれ、店だけが蓋を失う。

「シウ!」

「ここ!」

 昨日まで巻き輪係だった十歳の少年が、道の下へ半身を入れていた。避難鐘の索を引こうとして、落ちた看板に袖を挟まれている。

 ハルは右手で看板を持ち上げる。

 左肩が、遅れて痛む。

「一、二――誰か!」

 三まで待たない。

 魚屋の女と皿屋の老人が走ってきた。

 三人で上げる。

 シウが抜ける。

「怪我」

「袖だけ!」

「なら鐘!」

「命令すんな、俺の係だ!」

「じゃあ頼む!」

「受領!」

 シウが避難鐘を二度鳴らした。

 背市の朝は、昨日の砲撃から修理を始めたばかりだった。

 裂れた布は仮縫い。

 南宿の屋根帯は一本不足。

 落とし物台には、まだ持ち主の分からない靴と鍋が残っている。

 そこへ、二十一隻の旧式艦が霧から現れた。

 人のいない旧軍船団〈ゴースト・フリート〉

 幽霊が乗っているからではない。

 乗っている者が見えないのに、帆も舵も砲も、人が命じたように動くため、船乗りがそう呼んだ。

「二発目、来る!」

 エリアの声が、屋根の下から通る。

 白と濃紺の旅装。左側だけ長い三つ編み。両踵には昨夜巻いた冷却布が残っている。彼女は走らず、地図槍グリムリリーを弾力板へ突き、身体の上下を町の呼吸へ合わせていた。

 光の航路を描く地図術〈ルート・レイ〉が、霧へ細い線を引く。

「第一砲線、昨日の保管庫座標。第二、灰風便接舷帯。移動した後も同じ点へ撃っている!」

「外してる?」とハル。

「修正していない!」

「どっちがいい?」

「今は同じ!」

『右舷――失礼。左舷砲列、敵軍籍を照合。奉還路を確保せよ』

 同じ咳。

 同じ間。

「六・五!」とロロ。

 ゼロスター号の船尾で、十四歳の修理工が四本の補助腕を振り回していた。片方は主帆の仮縫いを締め、片方は機関弁を押さえ、片方は時計を持ち、最後の一本だけが本人より先に頭を抱えている。

「今のも六・五! 昨日の霧砲と同じ! 親切に秒まで壊れてやがる!」

「砲撃を親切へ入れるな!」

「規則的って意味だ!」

 第二射。

 今度は、灰風便の接舷帯へ正確に入った。

 だが灰風便の小艇は、昨夜のうちに別区画へ移されている。

 空の帯だけが千切れた。

「着弾確認なし」とセレナ。

 黒い外套を風へ広げ、六角単眼鏡を片目へ押し当てる。右手には見聞きした事実を記録する羽〈テスタ・フェザー〉。黒い羽根の表面へ、砲口、時刻、旧艦の角度が淡く焼き付いていく。

「一射目から二射目まで六・五秒。砲口仰角、変化なし。目標座標、前日記録と一致。人影は――」

 霧が一度、薄くなる。

「見える範囲では、なし」

「断定しないの?」

「見えていない船尾室へ、勝手に人を置かないでください」

「じゃあ見に行く」

「今は避難を」

「見ないと避難先も決められない!」

「両方やる」とカイル。

 赤金の髪を風へ乱し、王太子が背市中央の通信台へ立っていた。深紅の半マントは、昨夜の風圧で端が裂れている。右籠手を左拳で叩きかけ、止めた。

「市場側はサーガの指揮。王家兵は住民の荷物でなく人を運べ。競売院は浮力庫の三鍵を維持。箱を動かす判断は三人でしろ。俺一人の命令にするな」

「殿下、艦隊へ王家章を示せば――」と競売主ベルナ。

「何をされるか分からん時に名札を振るな!」

「すでに認識している可能性が」

「可能性で軍艦へ自己紹介するほど景気はよくない!」

 カイルは通信管を取り直す。

「ゼロスター号、出せるか!」

「出せる!」とロロ。

 直後、補助腕が一本、船尾の裂け目を押さえた。

「出した後は!?」

「高くつく!」

「性能を聞いた!」

「金額は性能だ!」

「違う!」

「主帆六割、右推進輪八割、左は昨日の鯨息で軸が少し曲がった! 全速は七分、急旋回二回、三回目から神頼み!」

「ロロが神を頼るの?」とハル。

「請求先が分かる相手なら何でもいい!」

 ノクスがゼロスター号の船首で低く唸った。

 黒い毛。

 二本の青白い尾。

 いつもなら、破られた約束の匂いへ鼻先をまっすぐ向ける。

 今日は向けない。

 右の尾は霧の艦隊。

 左の尾は、昨夜命令札を入れられた旧輸送艦《グレイ・リターン》。互いに逆を指し、本人は両方へ腹を立てている。

「破約の匂いは?」とハル。

「ナァ」

「ない?」

「ノゥ」

「ある?」

「ナァ!」

「翻訳不能」とセレナ。

「古いのと新しいのが違うんじゃ」とエリア。

 ノクスの二本尾は、別の時代の匂いを分ける。

 だが匂いは理由を説明しない。

 昨夜、終端議会の代理人レムは《グレイ・リターン》へ帰投号令を入れた。

 その返事として、霧の艦隊が来た。

 レムは現在、背市外縁の臨時拘置艇へ収容されている。

 ならば今の砲撃を誰が命じているのか。

 答えが彼だと決めれば早い。

 早い答えは、たいてい逃げ足も速い。

「第三射!」

 エリアの路図が曲がる。

「今度は移動市場中央! 人がいる!」

「盾!」

 カイルの右籠手が開く。

 守る人数で燃える王盾〈レグルス・ガード〉

 深紅の炎が、獅子の大盾へ形を取る。

「市場全員、背後へ入れ!」

「全員は無理!」とハル。

「言い方だ!」

 盾が広がる。

 道幅一つ。

 市場全部ではない。

 カイルは自分の身体一個へ守りを戻さないと決めたばかりだった。だが一枚も出さないことが分散ではない。必要な一枚を出し、その後を別の者へ渡せることが分散だった。

「南列、盾の裏へ!」

 人が走る。

 魚籠。

 車輪椅子。

 片方の靴。

 ミラ・ベルウェザーの車輪椅子は、走る者より速かった。

 正確には、ジルが後ろから押している。

「速度落とせ!」とミラ。

「急げと言った!」

「私の腰の値段を含めろ!」

「動けない奴が速度へ口を出すな!」

「船長じゃなくても航路士!」

「椅子の航路は私が持ってる!」

 左の星晶義足は外され、椅子脇へ固定。右膝は厚い布。腰へ巻かれた温石袋が揺れるたび、ミラの顔が一瞬だけ白くなる。

 それでも彼女は、泣き言ではなく割合を言った。

「盾へ入れるなら右から! 左は段差、椅子が跳ねる!」

「見えてる!」

「私の身体は私が先に見てる!」

「受領!」

 ジルが右へ切る。

 第三射。

 風圧弾が王盾へ当たった。

 炎が、音を持ってへこむ。

 カイルの背中にある古い火傷が、服の下で同じ形に燃えた。

 右肋骨へ痛みが返る。

 彼は笑う。

「景気が――」

「悪い、は禁止!」とハル。

「俺の口癖を規制するな!」

「息が短い!」とセレナ。

「観測が細かい!」

 盾の端が割れる。

 だが弾道は上へ逸れた。

 背市の中央は残る。

「次は受けない」とカイル。

「受けられない、の間違いでは」とセレナ。

「両方だ!」

 彼は盾を畳む。

 判断を一枚で終わらせないために。