第175話 第四章「軍籍と量札」前編
規格は、平和な顔をして歴史を運ぶ。
穴の幅。
ねじの山。
鐘の間隔。
帳簿の欄。
同じ規格を使えば、違う町の部品がつながる。壊れた船を遠い港で直せる。読めない言葉の札でも、穴の位置だけで荷物を分けられる。
便利である。
便利であるから、戦争が終わっても残る。
軍用のねじが農具へ使われる。
砲弾箱が子どもの机になる。
敵を見分けた札打ち機が、いつか市場で小麦の重さを記録する。
物は、過去の用途を恥じない。
人が新しい用途だけを見ている間も、古い機械は同じ穴を覚えている。
「触るな」
ロロ・ピクスは言った。
「誰に?」とハル。
「全員」
「お前は」
「俺は触ってない。工具が触ってる」
「補助腕もお前!」
「法的にはまだ議論がある!」
「ない」とセレナ。
「即答すんな!」
旧砲艦《第九翼》の船腹。
外板から半身を突き出した標的識別器へ、ロロの四本の補助腕が入っていた。
場所は甲板ではない。
左舷砲列の下、霧へ向いた細い保守足場。幅は靴一足半。下に手摺はない。上では旧砲が六・五秒ごとに回り、砲身の影が人を切るよう通る。
ロロの工具箱は腰索で固定。
本人は左手だけで外板の鋲を持ち、右目の度入りゴーグルを下げている。
「右眼、休ませて」とエリア。
「今左で見たら、穴の縁が二重になる!」
「三分ごとに上げる約束」
「約束じゃねえ。推奨!」
「あなたが『分かった』と言った」
「理解と同意は別!」
「ミラの悪い部分を学んだ」とハル。
「良い部分だ!」とミラの声。
彼女はゼロスター号に残り、通信管の向こうから参加している。
車輪椅子ごと砲艦へ渡すには、砲線が狭すぎた。
「同意のない理解は契約不成立」
「診療指示に契約の抜け道を作らないでください」とセレナ。
「医療は同意が必要」
「休眼は処置ではなく作業条件です」
「細かい女が二人になった!」とロロ。
「三人」とエリア。
「誰が」
「私」
「最初から数えてる!」
ハルは保守足場の反対側へ背を付けた。
砲身が頭上を通る。
ぎい。
古い歯車の音。
砲口が背市カンティレーナへ向く。
『右舷――失礼。左舷砲列、敵軍籍を照合。奉還路を確保せよ』
「四秒」とセレナ。
「何が!」
「発射」
「毎回、先に単位!」
「秒です!」
「今は分かる!」
ロロが識別器の奥から、薄い金属板を抜いた。
「出た!」
「伏せろ!」
砲が撃つ。
風圧弾の反動で船腹が震える。
金属板がロロの指から浮く。
ハルは取らない。
証拠へ勝手に触るな、とセレナに言われている。
だが落ちる。
「取っていい!?」
「位置記録済み、取って!」
右手で取る。
足場が跳ねる。
左肩を壁へぶつける。
「痛み」
「二!」
「十段階?」
「たぶん!」
「曖昧」とエリア。
「砲撃中に診察を始めるな!」
金属板は掌より少し長い。
端へ三つの穴。
中央へ五つ。
文字は磨耗している。
ロロが受け取る前に、セレナが証羽で表裏を記録する。
「旧軍籍を示す札〈ウォー・タグ〉」と彼女。
「知ってる?」とハル。
「法学院の軍用証拠分類。船体、砲、命令筒の所属と改修世代を穴形で示します」
「文字じゃなく穴」
「煙、火、水で文字が消えても残るため」
「紙が濡れたら何が残る」と通信管のジル。
「穴」とハル。
「縄も残る」
「今は札!」
ロロはウォー・タグを外板へ当てる。
「上三穴が艦種。中央五穴が所属、年代、隊列」
「読めるの?」
「規格表があれば。なくても穴の摩耗で、どこへ何回差したかは分かる」
「何回」
「数えるな。俺が死ぬ」
「死因が穴数え」
「地味すぎる!」
補助腕が識別器の中から、もう一枚を出した。
今度は新しい。
銅色。
端へ自由港ヴェインの結索印。
「量札」とハル。
自由港で、荷重の負担先を示す札〈ウェイト・タグ〉。
自由港で、港全体を沈めかけた制度。
今はカンティレーナの仮浮力網にも使われている。
二枚を重ねる。
穴が、合った。
「同じ」とハル。
「全部じゃねえ」とロロ。「外周の三穴。ウォー・タグでは敵味方と艦級。ウェイト・タグでは浮力網と荷重層」
「違う意味を、同じ穴へ入れた」
「違う時代がな」
ミラの通信が、一拍遅れる。
「自由港の最初の札打ち機は、王家廃船場から買った」
「知ってた?」とエリア。
「軍用だったことは。何を読んだ穴かまでは、港の古株も記録を持ってない」
「廃船場が説明書を渡さなかった」とロロ。
「買った側も、安いから聞かなかった」
「値段」
「二百年前、金貨十二枚」
「安いの?」
「港一つの札を打てる機械としては盗みに近い」
「盗んでない」とジル。「王家が売った」
「売った側が用途を消し、買った側が来歴を聞かなかった」とセレナ。
「責任、半分?」とハル。
「分数へするには早い」
「責任って重さみたい」
「量札へ戻すな」とミラ。「責任を他船へ移す話は前の事件で足りてる」
「同じは起きない」
「だから違う壊れ方を見ろ」
標的識別器は、意図を読まなかった。
札の穴へ細い音を当てる。
返ってきた響きを分類する。
分類に対応した標的名をオーダー・パイプへ渡す。
「人が敵だと思ってるんじゃない」とハル。
「機械は思わねえ」とロロ。「合うか、合わないか。穴が規格表の敵軍籍へ合った。それだけ」
「じゃあ、自由港の量札を全部変えれば」
「港の浮力網が読めなくなる」
「二つの読まれ方を分ける」
「今やってる!」
ロロはゴーグルの右レンズを上げた。
三分。
エリアに言われた通り。
「休ませた」と彼。
「一分」
「三分じゃ」
「上げる間隔が三分。休眼一分」
「細かい!」
「眼は交換部品ではありません」
「俺も知ってる!」
「知っている人ほど使い潰す」とエリア。
ロロは黙った。
補助腕だけが、全部少し下がる。
機械を壊れたと判断された瞬間に捨てる制度を、彼は憎んでいる。
自分の眼や肺だけは、壊れるまで働かせようとする。
「一分」とハル。「俺が数える」
「心拍で?」
「時計」
「成長した!」
「お前に言われると腹立つ」
ハルはロロの三つある時計から、一番ずれていない物を選ぶ。
「どれ」
「全部ずれてる」
「平均取れ!」
「休みの一分に平均の計算をさせるな!」