第193話 第一章「盗めない金庫」前編

税というものは、金を取る技術だと思われやすい。

 半分だけ正しい。

 金を取る前に、取る側は決めなければならない。麦を一袋と数えるのか、袋の中の一粒ずつを数えるのか。船を一隻と数えるのか、船腹へ住む百人を百の財産と数えるのか。名のない子どもが抱えている毛布を、その子の物と認めるのか、登録された船主の積荷と認めるのか。

 税は数える。

 数えられた物だけを、取る。

 そのため歴史上、最も残酷な徴税人は、税率を百にした者ではない。

 数に入らない人間を作った者である。

 自由港ヴェインの西北、旧王国航路の終端には、三百年以上回り続ける台風があった。

 雲の柱は七層。

 外輪の直径は、晴れた日なら王都から下面区までを二度包む。

 中心には風のない目があり、その目の縁へ黒い要塞が浮いている。

 かつて船は、そこを通るたび速度の一部を納めた。

 硬貨ではない。

 積荷でもない。

 帆が受けた勢いを、徴税帆へ一拍だけ譲る。

 百隻が一拍ずつ遅くなれば、要塞は百拍ぶん回る。

 千隻が払えば、砲も壁も金庫も一年動く。

 永遠に回る徴税要塞〈ストーム・ヴォルト〉

 永遠とは、止める人間が責任を負いたくない機械につけられる、最も便利な期限である。

「酔う」

「まだ外輪です」

「外輪だから酔う。中は止まってるんだろ」

「見かけ上は」

「見かけに酔い止め効く?」

「あなたの内耳へ聞いて」

「内耳、返事しない」

「いつも地図にも返事をしません」

「仲良くなれそう」

「似た者同士だから?」

「返事しない者同士」

 幽霊艦隊を止めてから十七日目。

 ゼロスター号は、台風の外縁を三周目に入っていた。

 主帆は新しい。

 正確には、新しい布が古い布より少し多い。白、青、灰、旧軍艦の深緑。ロロが「同じ色でそろえる予算があるなら軸を直す」と言い切ったため、船は遠目にも修理履歴を隠さない姿になっている。

 船尾には二十一隻の旧軍艦から外した残存帆骨が六本、仮設枠へ並べられていた。どれも長さも厚みも違う。一本は王家章を削った跡があり、一本は砲撃で半分黒い。ロロはそれらを新品へ交換せず、傷の横へ白い測定線を引いた。

 壊れた場所が見える方が、限界を相談できる。

 ハルは船首の索へ右腕を回し、左肩を使わないよう腰帯を結び直した。

 日常の痛みはほぼない。

 着替えられる。

 荷物も持てる。

 右手なら屋根へ上がれる。

 ただし片腕だけで全身を吊るすな、と医師に言われている。

 医師の言葉には、しばしば「絶対」が付く。

 患者はしばしば、その絶対の端へ「緊急時を除く」と勝手に書き足す。

 ハルは書き足さない努力をしていた。

「顔が緑」とカイル。

「台風の色」

「お前の顔は環境へ合わせて変わるのか。便利だな」

「王子は赤い」

「元からだ」

「審査で怒られた色?」

「怒られた量なら黒になる」

 カイルの深紅の半マントには、白い細帯が一本縫われている。

 旧軍艦隊へ対する単独軍令権、三十日停止。

 軍籍の移管、解体、運用命令は、王太子一人の印で行えない。

 救難参加は可。ただし王家兵へ命令する場合は現場共同署名が必要。

 審査の結論は、彼を船から降ろさなかった。

 代わりに、命令へもう一人の手を必要とした。

「俺は今日、王子じゃなく共同保管者だ」とカイル。

「王子を休めるの?」

「休暇ならもう少し景色のいい所へ行く」

 目の前で、雲の壁が空を食べている。

 景色は悪くない。

 良すぎて、近づくと死ぬだけである。

 台風外輪の雲は白ではなかった。下層は鉛色、中層は青黒く、上層だけ朝日を受けて銀色に光る。雲の切れ間を稲妻が横へ走り、雷鳴は風に巻かれて二度遅れて届いた。

 その中心。

 黒い環状要塞がある。

 外壁は、城壁というより巨大な歯車だった。

 縦長の砲門。

 税務船を飲み込む六つの入港口。

 文字の刻まれた黒鉄板が帯のように連なり、台風と同じ向きへ回っている。

 なのに、要塞全体は同じ場所に見えた。

「目が間違える」とハル。

「目ではなく、基準が足りないの」とエリア。

 濃紺の髪を左だけ編み、白い遮風布を肩へ留めている。両踵の固定布は外れた。代わりにブーツの内側へ薄い冷却板が入り、路図を長く使う時は本人が時間を申告することになっている。

 彼女は地図槍グリムリリーの先を船首へ固定し、三枚の薄い地図紙を空中へ広げた。

 一枚目、雲。

 二枚目、要塞。

 三枚目、星帆船の航跡。

「外壁は十一秒で一周の四十八分の一。内壁は同じ角速度。台風の内輪もほぼ同じ」

「同じ速さ?」

「速さではなく角度。外側は長い距離を、内側は短い距離を同じ時間で回る」

「一緒に回ってるから止まって見える」

「そう」

「じゃ、止まってない」

「最初からそう言っています」

「見かけ上は、って」

「あなたが中は止まっていると言ったから」

「訂正が遅い」

「質問が雑」

 エリアの右眉が上がる。

 未知の建築を前にしているため、怒っているのに歩幅は半歩大きい。

「金庫はどれ」とハル。

 エリアは内側の紙へ細い円を描く。

「中央の黒い円筒。直径二百四十歩、高さ百十。外壁から橋が十二本」

「船より大きい」とカイル。

「ゼロスター号七隻分」とロロ。

 機関室の天窓から、四本の補助腕が先に出た。

 一本は風速計。

 一本は温度針。

 一本は古い軍用航路盤。

 最後の一本だけが、吹き飛びかけた本人のゴーグルを押さえている。

「七隻を誰に請求すりゃいい」

「盗む前から壊す計算するな」とハル。

「運ぶなら壊すだろ! 外へ出す穴が入港口しかねえ。幅は最大でゼロスター一・三隻。金庫は七隻。切るなら二百四十歩ぶん。工具代――」

「切らない」とミラ。

 船尾から、三つの風鈴が鳴った。

 銅色の短い巻き髪。

 左右で丈の違う赤茶のコート。

 左膝下には、再調整を終えた星晶義足。

 義足の結晶骨格は以前より少し太くなり、脹ら脛の小帆へ三本の白い安全糸が渡してある。右膝の固定帯は取れたが、急減速時の腰痛は残る。ロロが床へ付けた注意札には、本人の字でこう書かれていた。

『重蓄勢、七まで。八は医者と修理工を敵に回す』

 ロロは『敵』へ二重線を引き、『債権者』と訂正した。

「金庫を切らない。運ばない。持ち上げない」

 ミラは義足の踵を一度鳴らす。

「それ、盗むって言う?」とハル。

「持ち主の所から失わせれば、盗み」

「返す物だよ」

「相手から見れば盗み。自分の言葉だけで罪名を安くするな」

 セレナが黒い証羽を一枚、風除け箱へ入れた。

「不当に徴収された所有記録の返還請求。共同保管物の違法留置解除。王国法では自力救済に制限があります。自由港法では、そもそも管轄が争われています」

「つまり」とハル。

「入れば罪状候補が増えます」

「減る可能性は」

「行動次第です」

「景気が悪いな」とカイル。

「あなたは軍令権停止中です。犯罪の先頭へ立たないでください」

「共同保管者として後ろから?」

「位置の問題ではありません」

 セレナの外套は台風風に合わせ、裾を三か所留めてある。左眼の六角単眼鏡には防滴覆い。右手首へ薄い固定帯。証羽の連続記録は四十分まで、と自分で書いた紙を袖内へ貼っていた。

「合法的な返還請求は?」とハル。

「三回」とジル。

 錆びた声が船尾から飛ぶ。

 ジル・カスクは帆柱の中ほどへ座り、銅笛を歯で噛んでいた。右耳には青い遮光片。静止した床では眠れない女が、台風の揺れでは欠伸をしている。

「一回目。所有者本人の署名を出せ。二回目。署名できねえなら登録証人を出せ。三回目。登録証人が死んでるなら相続登録をしろ」

「登録がない人は」とハル。

「最初から所有者じゃないって返事だ」

 自由港の量札事件で押収された記録は、港主の保険庫だけにあったわけではない。

 港の浮力負担を偽装するため、古い量札の原簿が数十年ぶん売られ、担保にされ、一部は税務要塞へ「紛争物」として保管された。名前のない船、戸籍のない住民、沈んだ家族船の記録ほど、返還条件を満たせない。

 そして十日前。

 公開審理のため自由港へ移送していた王獣鈴の欠片は、旧軍艦《グレイ・リターン》ごと古い税務航路を横切った。

 要塞は自動徴税を再開した。

『王家由来未登録金属。通行税未納。所有争い終結まで留置』

 風の鉤が、三封印の箱だけを船倉から引き抜いた。

 カイルは盾を出しかけた。

 セレナが止めた。

 箱へ盾を当てれば、欠片と来歴記録を一緒に焼く可能性があったからだ。

 守るために、取られるのを見た。

 その事実は、カイルの冗談を十日間だけ少し増やした。

「俺の祖先の税務要塞なら、王太子の返還命令は」とハル。

「軍令権停止以前の問題だ」とカイル。「要塞の最終所有者は旧王国徴税院。今の王家は継承を主張していない」

「主張すれば」

「要塞の債務と、過去三百年の不当徴税と、保管中の全損害も継承候補になる」

「都合のいい所だけ王家にできない?」

「それをやった祖先が多すぎて、今こうなってる」

「歴史が重い」

「重い物へ札を付けるのが、あそこだ」

 船底の机の下から、橙色の袖が出た。

「それ、いくら?」

 パル・スピン。

 十と少し。

 煤黒の短い髪。

 左右違う靴。

 右手は六指。

 自由港から同行した彼女は、座席を与えられても机の下を選んだ。腰袋の匙が揺れ、一本だけ見覚えのない銀色が混ざっている。

「何が」とハル。

「歴史の重さ」

「値段つかない」

「じゃ、あそこは盗れない」

「何で」

「値段ない物、帳簿に入らないから」

 ミラが短く三回笑う。

「パル、税務官になれる」

「白い手袋、嫌い」

「じゃ船長」

「命令するの、面倒」

「私の職を二秒で否定したな」

「今、船長じゃない」

 ミラの笑いが一度で止まる。

 前の船は自由港へ残してきた。

 今の彼女は、ゼロスター号の客員航路士。

 船長と呼ばれれば訂正する。訂正するたび、少しだけ風鈴を強く鳴らす。

「正確」とエリア。

「地図屋まで乗るな」

「事実です」

「法官が言う台詞」

「事実だけを」とセレナ。

「全員、値段が高い」

 ノクスがミラの風鈴へ飛びついた。

「ナァ!」

「お前は無料!」

「ノゥ!」

「魚二尾」とハルが翻訳する。

「勝手に価格を決めるな!」

 黒い小獣は一本目の風鈴を前脚で叩き、二本尾を別方向へ振った。

 右尾は要塞。

 左尾は古い航路盤。