第199話 第四章「裏切りの稽古」前編

裏切りには、顔がある。

 人は、相手が嘘をついた瞬間の顔を覚えていると思う。

 実際に長く残るのは、自分が信じた直後の顔である。

 口が開く。

 目が一度だけ遅れる。

 胸の奥で、昨日まで正しかった世界が床を失う。

 演技の上手い者は、裏切る側を演じられる。

 裏切られた側を演じるには、何かを本当に信じていなければならない。

 税務要塞の徴収官は、言葉を信用しなかった。

 密輸人は声を作る。

 貴族は顔を作る。

 商人は損をしたふりを作る。

 そこで彼らは、心拍と迷いを読む鏡を作った。

 人間が嘘をつく時、心臓が速くなるという、半分だけ正しい前提で。

 半分だけ正しい道具は、完全に間違った道具より長く残る。

 当たった時だけ、制度の自信になるからである。

「裏切ってみて」

「今?」

「今」

「何を」

「私たちを」

「練習で?」

「本番のため」

「本番で裏切るの?」

「その反応を練習する」

「質問へ答えてない」

「反応としては正しい」

 旧軍旗艦の食堂は、今日は税務要塞の晩餐室になっていた。

 長卓の中央へ、銀色の鏡皿が十二枚。

 壁へ四枚の脈見鏡。

 椅子の下には、ロロが作った心拍計。

 鏡は本物ではない。

 税務要塞から回収した旧式図面をもとに、エリアとロロが作った模擬装置である。

「心拍を読むって、嘘発見器?」とハル。

「違います」とセレナ。「心拍変化を記録するだけです。嘘かどうかは解釈」

「解釈する人が嘘発見器って呼ぶ」

「だから危険です」

 セレナは長卓の端へ座り、脈見鏡の誤差を書いている。

 食後。

 空腹。

 痛み。

 恋愛。

 怒り。

 恐怖。

 階段を上った直後。

 全部、心拍を変える。

「恋愛、必要?」とハル。

「実例記録にあります」

「誰の」

「非公開です」

「セレナ?」とカイル。

「王族の私生活を記録へ追加しますか」

「やめよう」

「心拍が上がった」とロロ。

「機械を俺へ向けるな!」

 エリアはハルの正面へ座る。

「税務要塞の脈見鏡は、言葉より『言う前の迷い』を測る。一定の申告文を読ませ、途中で拍が変わる位置を記録するの」

「何で分かる」

「徴税官は、物の持ち主を確認する時に使う。『これは自分の物です』と言わせる。所有に迷いがあれば、追加審査」

「借り物でも迷う」

「家族の物でも」

「拾った物でも」

「本人の物なのに、自信ない人も」とパル。

 机の下から声。

 パルは銀皿へ映るのを嫌い、長卓の下にいる。鏡は首の焼印まで映す。

「だから心拍だけで所有を決めるのは誤り」とセレナ。「しかし要塞側は、誤りを運用している」

「壊す?」とハル。

「全て壊せば、使用された記録も失う」とセレナ。

「じゃ騙す」

 ミラが言う。

「何を」

「鏡を」

「心拍を止める?」

「死ぬ」

「遅くする?」

「訓練でできる奴はいる。でも迷いは消えない」

 カイルは胸へ手を当てる。

「宮廷礼法では、怒られても拍を崩すなと習う」

「できる?」

「父上の前なら」

「怖いから?」

「慣れだ」

「怖さに?」

「父上に」

 エリアが淡々と補足する。

「カイルは緊張すると冗談が食べ物になります」

「なぜ皆、俺の恐怖を共有財産にする」

「役立つから」とミラ。

「取り分を払え」

「苺一皿」

「成立」

「成立するのか」とハル。

「苺は重要だ」

 ミラは卓の向こうへ歩く。

 義足の踵が一定の拍を打つ。

「私が敵へ移る」

 ハルの心拍計が、二つ上がる。

「練習だから」

「そう思うな。本番だと思え」

「思えって言われたら練習」

「じゃあ今から本番」

「宣言した時点で練習」

「面倒な客」

「裏切りの客って何」

「売られる側」

「値札つけるな」

 ミラは笑い、真顔へ戻る。

 嘘をつく時だけ、相手へ正面から近づく。

 ハルの椅子まで一歩。

「契約終了。ゼロスター号の航路、旧軍艦の帆骨限界、エリアの地図癖、カイルの盾制限、ロロの廃砲口位置を税務要塞へ売る」

「いくら」

「台風金庫の三割」

「安い」

「何で」

「みんな合わせて三割?」

「情報だけ」

「じゃ高い」

「どっちだ」

「人は売ってない」

「売る」

「誰を」

「お前」

「俺、所有権ない」

「身柄」

「値段は」

「話を金額へ逃がすな!」

 ミラが怒鳴る。

 ハルは笑う。

 心拍は上がらない。

 ロロが計器を叩く。

「駄目。平常から一割。驚いてねえ」

「ミラ、怒るの下手」とパル。

「本気で怒ってる!」

「裏切るの上手?」

「本番なら」

「今、本番って言った」

「うるさい!」

 ミラの風鈴が全部鳴る。

 ジルが壁際で笑う。

「船長役が板についてねえな、役立たず航路士」

「船団契約、一割減」

「お前に権限ねえ」

「今から裏切って敵の権限を取る!」

「それを先に言う裏切り者があるか」

「練習だから!」

「本番じゃなかったの」とハル。

 ミラは銀皿を伏せた。

 鏡の癖を知るため、全員が同じ文を読んだ。

『この品は、私の物です』

 最初はカイル。

 卓上へ、深紅の半マント。

「この品は、私の物です」

 脈見鏡、青。

「迷いなし」とロロ。

「王国予算で作られた礼装です」とセレナ。

 鏡の縁が赤くなる。

「今、後から反応した」とハル。

「所有と言っても、公費購入、王家管理、本人使用が分かれる」とセレナ。

「着てるのは俺だ」

「退位後の返納規定があります」

「急に服が借り物になった」

「王子も借り物?」とパル。

「役職はな」

「人は?」

「俺だ」

 鏡は青い。

「そこは迷わない」とハル。

「迷ったら困る」

 次、エリア。

 地図槍グリムリリー。

「この品は、私の物です」

 赤。

「嘘?」とハル。

「公爵家の星具です。相続前は家産」

「でもエリアしか使えない」

「使用者と所有者は別」

「手放せと言われたら」

 エリアの心拍が上がる。

「拒否します」

「家の物なのに?」

「私の路図と結び付いている」

「じゃ、物?」

「私の能力の一部」

「鏡、赤いまま」とロロ。

「迷いがあるから」とセレナ。

「嘘じゃない」

「鏡は嘘を読まないと最初に言いました」

 次、ロロ。

 四本の補助腕。

 外せる装具である。

 本人の身体でもある。

 工房登録上は、二本が貸与部品のままになっている。

「この品は、俺の物です」

 赤。

「嘘」とハル。

「違う!」

「工房へ返す?」

「返したら働けねえ!」

「ならロロの」

「登録は違う」

「書類が身体より強い?」

「税務要塞なら、二本だけ留置対象になる可能性があります」とセレナ。

「腕二本置いて帰れってか!」

 ロロの心拍がさらに上がる。

 鏡は濃赤。

「税務官なら、所有に後ろめたいと判定」とミラ。

「怒ってるんだ!」

「怒りと嘘を分けない道具」

「壊す!」

「今、鏡が正しく危険人物を示した」とカイル。

「王子から壊すぞ!」

「冗談四」とエリア。

 次、パル。

 銀匙。

「この品は、私の物です」

 赤。

「落とし物箱から?」とセレナ。

「働いてもらった」

「元の持ち主が現れたら」

「返す」

「だから迷う」とエリア。

「でも今は使う」

「所有ではなく保管?」

「知らない」

 パルは鏡の前へ銀匙を置く。

「これ、私のじゃないかもしれない。だから、私が使っちゃ駄目?」

 誰もすぐ答えない。

 鏡は赤いまま。

「要塞なら留置」とミラ。

「なくなる」

「誤返還防止」

「誰にも返せないなら、なくしたのと同じ」

「記録には残る」

「匙は使えない」

 パルは銀匙を取り戻す。

「鏡、嫌い」

「鏡に意思はありません」とセレナ。

「使う人、嫌い」

「それは分けて記録できます」

「今、分けた」

 次、ハル。

 零星針。

 黒銀の羅針盤。

 父が残した物か、世界が彼へ渡した物か、今も不明。

「この品は、私の物です」

 鏡は、すぐ赤くなった。

「迷いすぎ」とロロ。

「俺の手元」

「所有とは」とセレナ。

「分からない」

「使う権利」

「分からない」

「返す相手」

「分からない」

「それでも持つ?」とミラ。

「置いたら、父さんを探す道もなくなる」

「道を持ってる?」

「道に持たれてるかも」

「怖い?」

「怖い」

 鏡は赤い。

 嘘だからではない。

 正直に怖いと言ったからである。

「税務要塞がこれを見れば、所有申告不能で留置」とエリア。

「俺の迷いを理由に取る」

「はい」

「じゃ、迷わないふりをする?」

「それを脈見鏡が読む」

「ずるい」

「制度側が質問を作り、答え方を決め、反応を解釈する。三つ全てを持っています」とセレナ。

「負けるようにできてる」とパル。

「だから、勝とうとしない」とミラ。

「何する」

「別の本物を見せる」

 最後、ノクス。

 卓上へ干し魚。

「この品は、私の物です」とハルが代読する。

 ノクスが魚をくわえた。

 鏡は反応しない。

「心拍を測れません」とロロ。

「勝った」とハル。

「測定対象外です」とセレナ。

「制度に勝つ方法、夜獣になる」

「人間をやめる費用が高い」とミラ。

 ノクスは魚を食べ、鏡の裏へ隠した二尾目まで取った。

「盗った!」とロロ。

「所有権を主張しています」とハル。

「お前の翻訳は毎回、夜獣に有利だ!」

 最後、と言った後で、ミラが自分からもう一つ置いた。

 机には乗らない。

 左膝下の星晶義足。

 外せば座位になるため、接合部を外さず、義足の登録札だけを鏡皿へ置く。

「この品は、私の物です」

 鏡の縁は赤くなった。

「嘘?」とハル。

「違う」とミラ。

「迷い」

「質問が違う」

「何が」

「品じゃない」

 ミラは義足の踵で床を一度打つ。

「私の脚」

「でも外せる」とパル。

「歯も抜ける」

「髪も切れる」

「だから品になる?」

「ならない」

 パルは即答する。

 セレナが登録札を見る。

「旧自由港法では、星晶義足は高額装具。購入者、使用者、修理債権者を別に記録します」

「救助船長が購入者」とミラ。

「債務返済前に離船したため、旧記録上は修理債権が残る可能性」

「じゃ、船長の脚?」とハル。

「制度上の請求可能性と、身体の帰属は同一ではありません」

「でも税務要塞は」

「所有申告へ迷いあり。追加審査。装具を一時留置する可能性があります」

 ハルの椅子が鳴る。

「脚を置いて帰れって?」

「規定の運用次第では」

「帰れない」

「だから、返還を受けられない者は申告そのものを避ける」とエリア。

「持ってるって言えば取られる。持ってないって言えば返ってこない」

「質問で負けるようにできてる」とパル。

 ミラは鏡へ顔を近づける。

 嘘をつく時の距離。

「この品は、私の物です」

 もう一度。

 赤。

「この脚は、私です」

 鏡は反応しない。

 定型文から外れたためである。

「測定不能」とロロ。

「勝った」とハル。

「測定から外れただけ」とセレナ。

「外れる権利が必要」とミラ。

「全ての審査から?」

「身体を品と呼ぶ審査から」

「登録しないと修理費補助が受けられない場合もあります」

「登録するかは選ぶ。登録したから、身体を担保にしない」

「制度文へすると長い」とセレナ。

「短くして」

 パルが言う。

「脚を取るな」

「採用」とミラ。

「法文には」とセレナ。

「併記」とカイル。

「王子、便利」とハル。

「今の俺は苺を食べるだけの暫定王族だ」

「まだ食べてない」

「報酬確定前だ」

 笑いが起きる。

 ミラだけは、鏡皿の登録札をすぐ戻した。

 紙一枚でも、脚から離れている時間を嫌うように。