第203話 第六章「税務要塞の晩餐」前編

宴会は、権力が食欲の形を借りる場所である。

 王が宴を開けば、誰を近くへ座らせるかで家臣の序列が決まる。

 商人が宴を開けば、誰が先に皿へ手を伸ばすかで信用が測られる。

 徴税人が宴を開けば、皿そのものに持ち主の番号が振られる。

 永遠に回る徴税要塞〈ストーム・ヴォルト〉の晩餐室には、客用の銀器がなかった。

 正確には、あった。

 ただし客のために作られた銀器ではない。

 船主が税の代わりに置いていった杯。

 登録を失った町から押収した皿。

 死亡確認のない航海士の匙。

 孤児院の鐘を溶かして作った燭台。

 全ての品には白い量札が結ばれ、量札には所有者の名より先に、徴収番号が書かれている。

 歴史は、略奪した者の名前を残すことがある。

 だが略奪された匙の持ち主まで残すことは少ない。

 税務要塞は、その逆を行った。

 持ち主の名を削り、徴収番号だけを三百年保存したのである。

「晩餐へご招待いたします」

 白手袋の監督官が言った。

 その後ろで、六本の秤杖がハルたちへ向いている。

「招待って、断れる?」とハル。

「招待は名誉です」

「断ると」

「拘束します」

「じゃ拘束の言い換え」

「待遇の差です」

「手首に縄があるか、皿があるか?」

「皿はございます」

「食べ物は」

「申告後に」

「腹減ったって申告する?」

「空腹は所有物ではありません」

「なら取られない」

「お前は食欲を財産扱いするのか」とカイル。

「減るから財産」

「食えば増えるだろ」

「食欲が?」

「体重が」

「王子の晩餐観、景気悪い」

 秤杖の一つが近づく。

 先端の白い秤皿が、ハルの配達鞄を指した。

「未申告金属方位具を提出せよ」

「持ち主不明って言った」

「所有申告不能。留置対象」

「分からない物を、そっちは分かってるの?」

「分類は可能です」

「分類できたら持っていい?」

「管理権が生じます」

「じゃ、俺を『客』に分類したら、俺も持っていい?」

「客は人員区分です」

「俺の方が物より権利少ない?」

 監督官の眉が一度動く。

 セレナの黒い証羽が、その動きを書いた。

「招待受諾。ただし」と彼女。「携行品の任意提出には同意しません。身体拘束、所持品留置、移動制限はそれぞれ別の処分として告知してください」

「一括して保安措置です」

「一括した言葉で、別の行為を隠さないでください」

「本要塞の手続に従っていただきます」

「従った事実と、適法だと認めることは別です」

「面倒な客」とカイル。

「あなたもです」

「俺はまだ何も」

「王家章を外して入った時点で、身分照合が二倍になります」

「景気が悪い」

 エリアは会話へ入らず、壁を見ている。

 床は十六歩で壁へ移る。

 壁はさらに十六歩で天井になる。

 それでも燭台の火は上へ向く。

 炎が上を知っているのではない。

 燭台の脚へ小さな重力石が埋められ、局所的な下を作っている。

 食器も、椅子も、人も、要塞の回転へ合わせて個別に「下」を買っている。

「地図を描くな」と監督官。

「見ています」

「測量は申告対象」

「歩数を数えることも?」

「記録した場合」

「記憶は」

「提出不能のため課税外」

「便利」とハル。

「何が」

「覚えれば無料」

「あなたは覚えた後に迷うでしょう」

「無料でも品質悪い」

 エリアの口元が一瞬だけ緩む。

 だが、ハルは見なかった。

 彼女がミラの計画を知っていた可能性が、二人の間へ薄い壁のように立っている。

 透明だから、向こう側の顔は見える。

 透明だからこそ、壁がないふりもできる。

 ハルはしなかった。

 晩餐室は、要塞の内輪にあった。

 扉を三つ通る。

 最初の扉は鉄。

 二つ目は帳簿の綴じ板。

 三つ目は、何百枚もの量札を樹脂で固めた透明板。

 透明板の中へ、古い名が埋まっている。

『灰風便 第七厨房 鍋一』

『北渓孤児舎 毛布四十六』

『船名なし 児童一』

『船名なし 児童一』

『船名なし 児童一』

 同じ記載が続く。

 名ではない。

 荷の単位。

 パルの首には、かつて同じ形式の札が焼き付けられていた。

 彼女は今、ロロとともに第六廃砲口の奥にいるはずだった。

 少なくともハルが知る計画では。

「これ、返した?」とハル。

「何を」と監督官。

「毛布。鍋。子ども」

「本要塞は人身を財として保管しません」

「札に書いてある」

「当時の輸送区分です」

「区分した側は、人だと思ってなかった?」

「現在の制度と過去の記載を混同しないでください」

「過去の札で今も返さないのに?」

 監督官は答えない。

 沈黙は、制度が最も安く使える壁である。

 晩餐室の中央へ、円卓。

 長卓ではない。

 回転する要塞では、上下が変わるたび料理が流れる。円卓なら、どの方向へ傾いても中央の固定軸へ皿を寄せられる。

 椅子には番号。

 ハル、来訪者六。

 エリア、来訪者五。

 カイル、暫定王族一。

 ロロとパルは不在。

 ノクスは分類不能小獣一。

「名前で呼んで」とハル。

「照合前です」

「さっき俺の名前聞いた」

「申告名は確認済み。登録名との照合前」

「一致したら俺になる?」

「法的には」

「今は誰」

「来訪者六」

「六人目の俺」

「お前が六人いたら食費が破産する」とカイル。

「王子が払って」

「今は暫定王族一だ」

「便利に逃げた」

 料理が出る。

 塩漬け肉。

 根菜。

 薄い透明スープ。

 丸い黒パン。

 全て小皿。

 皿ごとに重さが刻まれている。

「食前重量、二百四十六量。食後に差を申告してください」

「食べた量へ税?」とハル。

「廃棄量の確認です」

「残したら」

「廃棄処理費」

「全部食べたら」

「栄養使用料」

「食べても残しても取る!」

「飲み込む前に逃げれば」とカイル。

「持ち出し課税です」

「景気が悪い!」

 ハルは黒パンを半分に割る。

 片方をノクスへ。

 ノクスは匂いを嗅ぎ、顔を背けた。

「夜獣、パン食べない?」

「税の匂いが嫌なのでは」とエリア。

「税に匂いある?」

「古い脂と樹脂」とセレナ。「あと、破られた約束の匂いではないでしょう」

 ノクスの二本尾は静かだった。

 この要塞の不正は、今ここで誰かが新しい約束を破った結果ではない。

 古い規則が、そのまま動き続けている。

 壊れた約束より厄介なものがある。

 誰も約束だと思っていない仕組みである。

 第一皿を運んだのは、給仕ではなかった。

 胸札には『食用資産管理二』。

 年齢はハルより少し上に見える。

 右手の爪が全部短く、左の小指だけ包帯。

「名前」とハル。

「業務上、番号で」

「呼ばれたい方」

 少年は監督官を見る。

 監督官は皿の重量しか見ていない。

「……レイ」

「レイ。この肉、何」

「第六冷蔵庫、保存期限七日」

「動物」

「申告分類、翼豚加工部位」

「味は」

「勤務中の試食は禁止」

「食べたことない?」

「廃棄時に一部」

「期限切れだけ?」

「職員配給は別献立です」

 客の皿には、没収された高級肉。

 職員の皿には、別の薄い粥。

「これ、誰から取った」とカイル。

 レイは量札を読む。

「小型商船《笑う梨》号。積荷重量申告差、二・三パーセント。担保留置」

「二・三で全部?」

「肉箱一つ」

「返したら腐る」とハル。

「保存している」

「三百年?」

「この箱は八日前」

「返還請求」

「船長は署名しました。帳簿名と署名名が一字不一致」

「間違い?」

「船長は幼少時の通称を使用」

「本人なのに」

「登録名と違う」

 肉は、本人確認が終わるまで保存される。

 保存されている間、船は商品を売れない。

 売れなければ次の港税を払えない。

 払えなければ船自体が留置される。

 制度は、一つの誤字から船を沈められる。

「食べない」とハル。

「廃棄料が発生します」とレイ。

「返す」

「食卓へ出した時点で衛生規定上、原箱へ戻せません」

「じゃレイが食べる」

「職員への移転は報酬扱い。課税」

「誰も食べられない!」

「客は食べられます」

「食べたら、船長の物を使う」

「留置物の保存費回収です」

「保存費を取って、物も使う?」

「規定です」

 カイルは肉を半分に切る。

「一口食べる。残りは現物証拠として封印できるか」

「食後残量申告を」

「船長へ、食べた分の価格を王家で補償」

 セレナが見る。

「王家印を使えば、現王家が当該徴税の適法性を認めたと解釈される可能性があります」

 カイルの手が止まる。

「私費なら」とエリア。

「公爵家も同じ」とセレナ。

「ハルの地球貨幣」とロロ。

「使えない!」

「俺の工賃」とロロ。

「お前、後で請求するだろ」とミラ。

「当然だ!」

 パルがここにいたなら、食べる値段を先に決めただろう。

 ハルは黒パンを取り、肉には触れない。

「レイ。これ、食べずに持ち主へ連絡できる?」

「通信料が必要」

「いくら」

「〇・六ルク」

「それなら払う」

 配達代から硬貨を一枚出す。

 エリアが止めない。

「何て送る」とレイ。

「肉はここにある。客の皿へ出された。俺たちは食べてない。署名名が違うって言われた。戻す方法を一緒に探す」

「一緒に、は手続用語では」

「だから書く」

「誰の責任で」

「凪野ハル」

「登録名」

「申告名でいい。照合できないなら、照合できない人から来たって書いて」

 レイは初めて、少し笑った。

「変な伝文」

「名前で言った」

「業務外なら」

「今、業務外?」

「〇・六ルク分」

 ミラが口を挟む。

「高い」

「払ったの俺」

「交渉できた」

「人の名前聞く料金込み」

「それなら安い」

 レイは肉皿へ透明覆いをかける。

『未摂取・本人照会中』

 小さな札。

 三百年の制度は、その一枚で変わらない。

 だが今日の肉は、勝手に食べられずに済んだ。

 歴史の改訂は、最初から大きな法令として現れるとは限らない。

 時に、食べなかった一皿として始まる。

 食事の第二皿とともに、収庫監が現れた。

 名前は名乗らない。

 胸元へ縦長の白札。

『収庫監・現任』

 年齢は五十前後。

 髪は短く、肌は台風の湿気を嫌う粉で白い。右手の人差し指だけ黒い。長年、量札印を押した色である。

「ようこそ、未返還資産の中心へ」

「自分で未返還って言うんだ」とハル。

「返還条件を満たしていないだけです」

「誰が満たせない条件を作った」

「歴代の管理者」

「あなたは」

「現在の管理者」

「変えられる?」

「規定上、私の権限では」

「じゃ何ができる」

「守ること」

「何を」

「権利の連続性を」

 収庫監が手を上げる。

 壁の量札が光る。

 円卓の奥、透明な展示棚へ明かりが入る。

 品物が並んでいた。

 子どもの靴。

 半分欠けた婚礼杯。

 船名を削られた舵輪。

 焼けた診療箱。

 六本指用に作られた小さな手袋。

 そして、黒銀の曲片。

 二つの掌ほど。

 表面へ七本の溝。

 王獣鈴の欠片。

 透明箱の内側で、緑にも青にも見える鈍い光を一度返した。

 カイルの呼吸が止まる。

「共同保管物だ」と彼。

「未申告王家金属です」

「王家の物と認めているのか」

「王家由来の可能性を分類しています」

「なら王家へ返せ」

「現王家が当時の所有者と同一である証明を」

「俺は王太子だ」

「暫定照合中です」

「便利だな」とカイル。

「何が」

「王家が命令すれば身分を疑い、税を取る時だけ王家由来と数える」

「制度は人へ従いません」

「人が作ったのに?」とハル。

 収庫監は彼を見る。

「人が作ったからこそ、人の気分で変えてはならない」

「間違いも?」

「間違いと判断する権限が、あなたにあるのですか」

「ない」

「では」

「でも、あの手袋の人にはある」

 ハルが展示棚を指す。

 六本指用の小さな手袋。

「返してって言える」

「本人の署名があれば」

「文字が書けなかったら」

「代理人」

「代理人を選べなかったら」

「公的後見」

「登録されてなかったら」

「本人確認不能」

「だから返さない?」

「誤返還を防ぐためです」

「正しい人へ返せないのと、間違った人へ返すの、どっちが悪い」

「比較できません」

「比較しないと、ずっと返さない方だけ選べる」

 収庫監の黒い人差し指が、一度だけ卓を叩く。

 怒りではない。

 長年の癖。

「所有とは、欲しいと言うことではない。記録の連続です」

「人が先? 記録が先?」

「記録がなければ、権利は争えません」

「なら記録を持ってるそっちが、一番強い」

「保存者です」

「独占者」とセレナ。

 収庫監が彼女を見る。

「星律官。あなたは記録の重要性を理解しているはずだ」

「だから一か所へ集中させない重要性も理解しています」

「分散は改竄を招く」

「集中は削除を招きます」

「本要塞の原簿は三百年連続しています」

「持ち主へ見せない連続は、誰のための証拠ですか」

「未来の正当な請求者のため」

「現在の請求者を、未来のために拒む?」

「未来は異議を申し立てられません」

「現在は申し立てています」

 証羽が黒い線を増やす。

 収庫監は少し笑った。

「それゆえ、あなた方を晩餐へ招いた」

「武器向けて」とハル。

「言葉だけでは、あなた方は入らなかったでしょう」

「それ、招待じゃない」

「結果として席にいる」

「結果で手順を正しくするな」とエリア。

 初めて、彼女の声が強くなる。

 収庫監は興味を持ったように見る。

「公爵令嬢。地図は、道を歩いた結果が良ければ、途中の崖を許すのでは?」

「許しません。崖があると書きます」

「それでも人は進む」

「選べるようにするためです」

「選択は非効率だ」

「非効率を理由に、人を荷札へ変えないで」

 ハルはエリアの横顔を見る。

 彼女は彼を見ない。

 選べるようにする、と言った。

 その言葉が、本番前の閉じた地図室にまで届いていたかは分からない。