第205話 第七章「風を盗む上限」前編
限界は、能力の終わりではない。
能力を使ったあとも、その人間が生きているために引かれた線である。
兵士は、撃てる最後の一発を限界と呼びたがる。
医師は、撃った翌日に指が動く一発を限界と呼ぶ。
商人は、借りればもう一発買えると言う。
本人は、隣にいる者が撃てない時だけ線を越えようとする。
制度が最も好む限界は、数字である。
七。
七なら札へ書ける。
七なら八を禁じられる。
七なら、七を出させた後の身体を、まだ使える資産として分類できる。
ミラ・ベルウェザーの限界を、税務要塞は七と数えた。
問題は、何を七つ数えたのかを、税務要塞自身が理解していなかったことである。
「来訪者六、覚醒」
「名前ある」
ハルは目を開けた。
天井が床だった。
正確には、円筒形の留置室が要塞の回転に合わせて九十度動き、さっきまで壁だった面へ全員が固定されている。
手首に縄はない。
代わりに、衣服の金具と靴底へ白い荷重印が付いている。印が床へ重さを足し、立ち上がろうとするほど身体が沈む。
「氏名照合、未了」と白手袋の職員。
「凪野ハル」
「申告名」
「呼べば」
「規定外」
「規定、耳ない?」
「応答不要」
「じゃ俺も応答不要」
「質問拒否を記録」
「今の返事、応答した」
職員が黙る。
「勝った」とハル。
「何に」とカイル。
「規則との会話」
「負けてる。床から動けてない」
「王子も」
「暫定王族一だ」
「逃げた」
カイルは冗談を言う。
多い。
肋部の痛みか、背中の古傷か、恐怖。
セレナが本人へ聞く。
「痛み」
「肋部一。背部一。冗談二」
「最後は尺度外」
「皆が症状扱いするから申告した」
「冗談三」とエリア。
「増やすな」
エリアは壁際へ座っている。
踵、二。
呼吸、一。
自分から告げた。
ハルには、身体の申告だけが正直に聞こえる。
それ以外の言葉は、黒い紙の下にある気がした。
ノクスは荷重印を付けられていない。
付けようとした職員の手袋へ噛みつき、今は天井だった面へ逆さに座っている。
「小獣一、未固定」と職員。
「ノクス」とハル。
「分類名ではありません」
「本人名」
「登録確認不能」
「本人、ここにいる」
「本人性を証明する記録が」
ノクスが職員の帽子を落とした。
「本人」とハル。
「行動記録へ」
「名前で書いて」
職員は拾った帽子をかぶり、出ていく。
扉が閉じる。
ハルは荷重印を見る。
「セレナ。これ、物へ付くんだよね」
「第五章の秤杖と同系統なら」
「俺たちにじゃない」
「衣服と靴へ」
「脱ぐ?」とカイル。
「王子から」とハル。
「なぜ俺が先だ」
「身分高い順」
「今は暫定だ」
「じゃ保留」
エリアが印の位置を数える。
「上着、靴、腰帯。皮膚にはない。ただし扉前に体重鏡。急に軽くなれば警報」
「一人ずつ軽くする」とハル。
「どういう理屈です」とセレナ。
「全員同時じゃなければ、食後に痩せたと思う」
「一刻で五十量減る食事とは」
「税が重かった」
「比喩で警報は騙せない」
「じゃ、重さを残す」
カイルが黒パンの残りを出す。
「食後重量を申告しろと言われたから持ってきた」
「パンへ荷重印を移す?」
「術印の転写は」とセレナ。
「可能です。接触した同材質へ、同じ所有申告がある場合」
「靴とパン、同材質?」
「違います」
「王子の靴、食べられる?」
「景気が悪すぎる」
エリアは留置室の壁を叩く。
コン。
コン。
鈍い。
一か所だけ、軽い。
「椅子の固定帯」と彼女。「晩餐室から移された時、椅子ごと運ばれた。帯にも印がある」
「帯を切って、重い椅子を残す」とハル。
「体重鏡は人数も見ます」とセレナ。
「椅子に服」
「人型へ」
「ノクスが乗る」
「ナァ」
「拒否」とエリア。
「魚三尾」
「ノゥ」
「四」
「ナ」
「成立?」
「鳴き方で契約を決めないで」とエリア。
ノクスはすでに椅子へ移っていた。
その頃、要塞の中心軸から二十七歩下。
ロロは咳を殺していた。
「殺すと後で増える」とパル。
「咳をか」
「咳も借りになる?」
「利息つけるな」
整備軸は狭い。
四本の補助腕は二本だけ展開。
右の本腕で工具。
左で索。
残りは身体へ沿わせる。
パルは前を進む。
首の古い焼印へ布を巻いている。下層の職員が見ると、量札の所有番号と誤認する可能性があるためだ。
壁には白い管。
赤い管。
青い管。
白は重力。
赤は熱。
青は勢い。
「青、金庫へ行ってる」とパル。
「何で分かる」
「音。さっきから七つごと」
耳を付ける。
ドン。
ドン。
ドン。
ドン。
ドン。
ドン。
ドン。
止まる。
また七つ。
「風盗試験」とロロ。
「ミラ?」
「多分」
「助ける?」
「契約上、俺たちは整備軸」
「拒否権」
「ある」
「使う?」
ロロは答えない。
胸が少し狭い。
喘息一。
まだ申告すべきほどではない、と考えた瞬間、パルが振り返る。
「呼吸」
「一」
「本当」
「一・五」
「小数、禁止」
「全員セレナになるな!」
「二?」
「二」
「止まる」
「まだ歩ける」
「止まれる時に止まる契約」
パルは整備軸のくぼみへ座る。
水瓶を出す。
「値段」とロロ。
「申告したから半額」
「ミラだけだろ」
「みんな」
「じゃ払う」
「共同費」
「俺が払った気がしねえ」
「助け、値段ないと嫌?」
「……嫌っていうか、借りみたいで」
「ミラみたい」
「似てねえ!」
「声大きい」
二人とも黙る。
青管の七拍が、もう一度止まった。
その直後。
一本だけ、冷たい風が管の外側を逆へ走る。
ロロは指を当てる。
「中へ入れた勢いが、同じ場所に残ってねえ」
「どこ」
「別の帆骨」
「外?」
「分からん。分からんけど、七で満杯なら、七回目の後に冷えるはずがない」
「ミラ、八を隠した?」
「数じゃねえ」
ロロは工具の柄で青管を叩く。
返ってくる音が、二つ。
一つは要塞中心。
もう一つは、外輪の船団方向。
「置き場所を隠した」
風盗試験室は、円形だった。
中央にミラ。
外周に七枚の白帆。
帆の後ろへ、銀の脈見鏡。
義足の接合部へ固定帯。
右膝へ角度計。
腰へ星晶の温度針。
「同意範囲を確認」と脈査官。
「敵対船の勢い七単位。身体破損へ至る強制は禁止。蓄勢先は私が選ぶ」
「蓄勢先は要塞指定」
「契約外」
「担保査定の一部」
「売買対価の半分が未払い」
「査定完了後」
「じゃ試験前に欠片を移せ」
「封印箱の前まで」
「見える位置」
「認める」
ミラは一つずつ条件を取る。
買われたふりをしていても、無料で従わない。
扉の向こうへ透明箱が運ばれる。
王獣鈴の欠片。
七本の溝。
緑がかった黒銀。
ミラは見ただけで、数える。
扉まで十四歩。
監督官二人。
封印三重。
床回転、二十三秒で九十度。
「開始」
第一帆が回る。
勢いが青い輪へなる。
ミラの右手。
義足。
背中。
「蓄勢一」
別室の帆骨へ渡す。
第二。
「二」
第三。
「三」
脈見鏡は、彼女の迷いを読む。
迷いはない。
七で止まることは本当だからである。
第四。
「四」
右膝、一。
腰、一。
第五。
「五」
義足の小帆が青い。
第六。
「六」
片耳の風鈴が一つ、聞こえなくなる。
第七。
「七」
全身が沈む。
義足踵が床を三度打つ。
一。
二。
三。
止まれない身体の音。
「上限確認」と脈査官。
「停止」
「八を追加」
「契約外」
「安全確認のため半単位」
「八は半じゃない」
「七・五」
「数字で言い換えるな」
「拒否?」
「拒否」
脈見鏡の縁が青くなる。
拒否は本物。
脈査官は満足する。
「公称上限七。偽装なし」
ミラは膝をつく。
右膝、二。
腰、二。
接合部、三。
試験室の外へつながる六本の蓄勢帆骨は、全て熱を持っている。
表面だけ。
三番帆骨の内側へ、冷たい線。
訓練の六番から移した導管が、税務要塞の検査器では見えない深さに入っている。
冷たい線は、外へ続く。
ミラは見ない。
見れば脈見鏡が読む。
「買い手として質問」と収庫監が入る。「空賊船団の現在計画は」
「外輪で九分待機。私の信号がなければ撤退」
「信号は」
「風鈴七音」
「今鳴らせ」
「対価」
「量札原簿の閲覧」
「閲覧だけ?」
「複写は別」
「値切るね」
「守っている」
「誰から」
「誤返還から」
「返さないことを守るって呼ぶの、便利」
「あなたも盗むことを返還と呼ぶ」
「持ち主が選んだ相手へ戻す」
「持ち主をどう証明する」
「本人に聞く」
「申告は嘘を含む」
「記録も」
「本要塞の原簿は連続している」
「連続した間違いは、長いだけ」
収庫監は笑わない。
「信号を」
ミラは風鈴へ指を置く。
七音。
外輪の空賊船団へ届くはずの撤退合図。
一音。
二音。
三音。
四音。
五音。
六音。
七音目だけ、鳴らさない。
「故障」と彼女。
「上限負荷で高音域を喪失」
脈査官が記録する。
「代行信号を送る」
「好きに」
要塞から白い撤退旗が上がる。
外の船団には、ミラの風鈴ではないと分かる。
だが、税務要塞は自分が騙されたとは考えない。
記録上、七音目が聞こえなかったからである。