第267話 第二章「呼吸孔から入れ」前編

人は、巨大なものへ入る時、それを建物だと思いたがる。

 入口があれば門。

 中に道があれば廊下。

 天井が高ければ聖堂。

 水が溜まれば湖。

 そう呼べば、壁は動かず、床は床の役目を守り、出口は入った場所で待っている気がする。

 生き物の中では、どれも保証されない。

 床は筋肉である。

 壁は痛む。

 湖は次の呼吸で消える。

 入口は、入った者を外へ吐き出すために閉じる。

 洞窟探検のつもりで肺へ入れば、肺の方が探検者を異物として扱う。

「呼吸孔から入る、という案へ賛成した者」

 セレナが聞いた。

 ハルが手を上げる。

 ロロの人間の左手と補助腕二本が上がる。

 ノクスは裂け目の前へ座っている。

 ガンガは胸を叩かない。

 ネムは太鼓を鳴らさない。

「反対」

 エリアが右手を上げた。

 カイルが左手を上げる。

 ハダンは杖を上げない。

「保留」とセレナ。

 ネムが指を一本。

 ガンガも一本。

 ハダンが杖の先を土へ置く。

「俺は賛成だけど、条件付き」とハル。

「賛成の手を上げた後で条件を生やさないでください」

「条件のない賛成は、入口しかない道だってエリアが」

「私の言葉へ勝手に意味仮名を振らないで」

「じゃ、正式に。中へ入る必要はある。呼吸の周期、下から来る圧、足跡の原因を外から全部は測れない。だけど、全員で入る必要はない」

「最初から言えばよいのです」とセレナ。

「手を上げる方が速い」

「速い誤解が増えました」

 裂け目は、三十七拍ごとに開閉した。

 吸う。

 止まる。

 吐く。

 止まる。

 ただし三度に一度、吸う長さが二拍短い。

 外気を取り込む自然な呼吸に見えて、周期は規則的すぎた。

 ロロは地面へ六本の腕を当て、歯車式の計時器を並べている。

「一周期、三十七・三、三十七・二、三十五・四。三つで百十。次も同じ」

「生き物の呼吸に小数を付ける?」とハル。

「生き物だって小数で生きてる! 数えない方が丸めてるだけだ!」

「怒りながら良いこと言った」

「請求するぞ」

「言葉代?」

「発見料!」

 エリアは裂け目へ細い白布を垂らした。

 吸気で布は下へ引かれ、次の停止で左へねじれる。

「外から一方向に吸っていません」

「左から風?」

「内部で横流れ。しかも毎周期、向きが変わる」

 七本の色紐を裂け目の周囲へ置く。

 黄、白、緑、紫、青、灰、赤。

 最初の呼吸では黄が先に引かれる。

 次は緑。

 その次は灰。

「順番」とネム。

 声は一語。

 胸太鼓へ七つの拍を置く。

 短い。

 長い。

 短い。

 休み。

 短い。

 短い。

 長い。

 裂け目の風が、同じ順で七本の紐を動かした。

「外の空気を一つの肺が吸うんじゃない」とエリア。「内部の七方向から、交互に圧が来ています」

「七つの肺?」とハル。

「可能性」

「今、地図に七つ描いた」

「仮説の点線です」

「点線、便利」

「確定線より責任が軽いと思わないで」

 死王の体内へ続く呼吸孔〈キング・ラング〉

 村の古い俗称では、一つの穴を指す。

 七脈院の管理図では、地上の角筒、地下の気道、空気嚢へ続く裂け目群の総称だった。

 洞窟ではない。

 村の換気路でもある。

 火を持ち込めば、内部の乾燥膜へ燃え移る。

 杭を骨へ打てば、遠くの空気嚢へ振動が伝わる。

 吐気の途中で身体を固定すれば、次の吸気に索ごと引きちぎられる。

「入る条件を読み上げます」

 女の声が、後ろから来た。

 低くない。

 大きくない。

 それでも村人が一斉に道を空ける声だった。

 ラハナ・セヴ。

 七脈院の王心監。

 年齢は四十を越えているように見える。

 黄褐色の髪を七つの細い束へ分け、束ごとに青銅の輪を一つ通している。左手の小指と薬指がなく、代わりに手首へ細い鍵が七本下がっていた。

 彼女は足跡へひざまずかない。

 呼吸孔へ祈らない。

 最初に見るのは、裂け目の幅と、集まった人数と、村の風筒の回転数だった。

「第一、火気なし。第二、骨壁への穿孔なし。第三、吸気中の自由索禁止。第四、生体膜へ薬品を付けない。第五、同行者の痛み申告を本人の意思と分けて記録。第六、撤退命令は七脈院と外部隊の双方に権限。第七――」

「王は死んでる?」とハル。

 ラハナは七つ目を言わず、彼を見る。

「質問が規則の途中へ入りました」

「答えが規則の外にあるから」

「王は歩いています」

「生きてるかを聞いた」

「歩いています」

「同じ答え」

「同じ事実です」

「事実?」とセレナ。

 声だけで敬称が完全になった。

「王心監ラハナ・セヴ。あなたが観測した事実ですか。制度上の表現ですか」

 ラハナは左手の二本欠けた指を外套へ隠さない。

「制度上、王の歩みが継続しています」

「生体死亡の有無」

「七脈院記録への閲覧権限が必要です」

「申請します」

「却下します」

「理由」

「死王谷内部は王位継承の中枢。外空域の星律官に司法権なし」

「地上へ生じた足跡が村の井戸水位を変え、若い生体へ苦痛反応を与えています。公共危険の共同調査として再申請」

「同行者に王位候補がいる」

 ラハナはガンガを見る。

「候補本人の申請なら受理します」

 全員の視線がガンガへ集まる。

 王位候補だから入れる。

 ガンガの肩書を使えば、道が開く。

「俺の名で入る」とガンガ。

 ネムの太鼓が鳴らない。

 ガンガは一拍待つ。

「入る者は、自分で選ぶ。俺の従者として数えるな。記録はセレナが持つ。撤退は各自にある」

「王位候補の調査隊としては、統率が不明確です」

「不明確なまま受理しろ」

「王になれば、命令は一つへ」

「まだ王じゃない」

「だから選ばれるのです」

「選ばれる前に、一つへされる気はない」

 ラハナの目が細くなる。

 怒ってはいない。

 計算を変えている。

「受理します。外部隊五、候補隊三、七脈院案内一」

「数が違う」とハル。

「どこが」

「ノクス」

 ラハナは黒い夜獣を見る。

「祭礼獣は七脈院管理」

「違う」

「所有者は」

「いない」

「では数えられません」

 ノクスがラハナの外套を嗅ぐ。

 右の尾が白く光る。

 左が青く遅れる。

 ラハナは動かない。

「約食みは、王心へ必要です」

「必要なら数えろ」とハル。

「役割のない個体を調査隊へ登録できません」

「役割があるから必要って言った」

「祭礼上の役割です」

「本人が祭礼へ入るって言った?」

「獣へ意思確認を」

「できないから、勝手に決めない」

「決めなければ、危険管理ができません」

「危険を説明して、出口を残す」

「それで死んだ場合、誰が責任を」

 ハルの口が止まる。

 責任を取る、と言えば、ノクスの選択を自分の所有へする。

 何もしない、と言えば、危険を渡しただけになる。

「俺は、説明できる危険を説明する。戻る道を塞がない。ノクスが入ったら、仲間として数える。死んだら俺の責任、とは言わない。ノクスの命を俺の責任って形にしない。でも、俺が見落としたことは俺の失敗として残す」

「長い」とロロ。

「短くすると?」

「一緒に行く。所有しない。失敗は逃げない」

「それ!」

「発見料!」

 ラハナはノクスを見る。

「登録名」

「ノクス」とハル。

「本人の反応」

「ノゥ」

「観測できました」とセレナ。

 ラハナは板へ一行加えた。

『同行個体 ノクス。役割未確定。離脱自由』

「離脱自由は全員へ」とエリア。

「人には当然です」

「当然なら書けます」

「書く必要が」

「書けない当然は、必要な時に消えます」

 ラハナはエリアを見た。

「ルーンベルグ公爵令嬢」

「航路士として申請しています」

「身分を外せば、権限も減ります」

「減った権限で入れる道を作ってください」

 ラハナは七本の鍵を一度鳴らした。

「厄介な客です」

「客なら帰せます。共同調査員です」

「さらに厄介です」