第268話 第二章「呼吸孔から入れ」後編

 入るのは九名と一頭になった。

 ハル。

 エリア。

 カイル。

 ロロ。

 セレナ。

 ガンガ。

 ネム。

 ハダン。

 ラハナ。

 ノクス。

 ピコはロロの工具箱へ入れられた。

「ピコは数えない?」とハル。

「機械だ!」とロロ。

「本人が怒る」

「ピコ」

 工具箱の中から抗議。

「登録へ機械鳥一」とセレナ。

「増やすんですか」とラハナ。

「失う可能性のある物を、最初から数えます」

 ロロは一瞬、何も言わなかった。

 機械も、人も、壊れたと判断された瞬間に数から外される。

 その恐怖を説明する代わりに、工具箱の留め具を一つ増やした。

 装備確認。

 火の代わりに冷光石。

 穿孔杭の代わりに広面吸着布。

 一本の長い命綱ではなく、呼吸ごとに付け替える短い二重索。

 薬品は密封。

 刃物は骨へ当てない赤鞘。

「俺の肩」とハル。

「頭上保持十息。左手で長時間懸垂なし。吸気時に身体が回転した場合、方向感覚を声で確認」とエリア。

「全部覚えてる」

「本人が言うの」

「肩一。吐き気零。方向、裂け目が下、ゼロスター号が南、村が東」

「村は南東」とエリア。

「もうずれた?」

「地図を見ずに答えたから」

「方向感覚じゃなく知識の問題」

「あなたの場合、分離が難しい」

 カイルは肋部一、背中一、盾上限三十拍。

 エリアは踵一、呼吸一、路図連続展開六十拍で交代。

 ロロは呼吸零、吸入器右腰、粉塵三で中断。

 ガンガは頭痛一、胸骨一、右足裏の傷一。

 ネムは音三、頭一、喉一。

 ハダンは右膝二。

 セレナは左側視界の補助者を自分で指名しない。

「私が左を言う」とカイル。

「必要時に頼みます」

「言われる前に船腹が来る時は」

「距離と方向を述べてください。身体へ触れる場合は緊急性も」

「相変わらず細かい」

「あなたの無断外出件数より少ないです」

「何件」

「現在、百十二」

「三桁へ乗った?」

「鼓動祭の祭場離脱を二件へ分けました」

「一回しか出てない」

「無許可出航と無許可帰還」

「帰った方も罪!」

「帰れば消える罪ではありません」

 ハルが笑う。

「帰ることを美談にしない星律官」

「戻った後に説明する人は評価します。罪状は消しません」

「母さんが好きそう」

 言ってから、ハルの声が少しだけ落ちる。

 帰れない時に理由を説明する人。

 代わりの方法を探す人。

 父は、まだどちらもしていない。

 零星針の封印箱は、ゼロスター号に残してある。

 今夜の問いを「失われた王の命」と置けば、針はどこかを指すかもしれない。

 だが、何が失われたかを決める前に針を開けば、死者の居場所を探して生者の拘束を見落とす可能性がある。

 ハルは羅針盤のない右ポケットを一度叩いた。

「空っぽ?」とエリア。

「空っぽを確認した」

「置いてきたことを忘れないため?」

「持ってない時の癖を作る」

「良いと思う」

「今、褒めた?」

「記録しないで」

「セレナ」

「聞いていません」

「絶対聞いてた」

「証拠がありません」

 呼吸孔へ入る方法は、降りることではなかった。

 吐気で外へ押される時に一段進み、停止中に吸着布を張り、吸気では身体を壁へ伏せる。

 下へ行くのに、風へ逆らわない。

 肺が吐く時だけ中へ進む。

「逆じゃない?」とハル。

「吐気は外向き」とエリア。

「外へ押される時に中へ?」

「押される力を壁沿いへ流す。吸気で飛び込むと、一度に奥へ吸われる」

「分かりにくい」

「だから先に私」

「俺が先」

「地図を描く者が先です」

「危険を見る者が先」

「測らない危険は、あなたの好みで増えます」

「じゃ並ぶ」

「入口の幅は一人半」

「俺、細い」

「そこだけガンガの評価を使わないで」

 結局、エリアが先。

 ハルは半歩後ろ。

 吐気。

 温かい風が二人を押す。

 エリアは白い日傘を開かず、槍形のグリムリリーを壁へ沿わせる。先端から淡緑の線が伸び、触れた場所だけを地図へする。

「三歩。右に膜。左は骨。正面、二リュム下へ段差」

「見える」

「声にして」

「三歩、右ぷにぷに、左硬い、前に穴」

「情報が退化した」

「生活語」

「右は生体膜。触れない」

「ぷにぷに禁止」

「言葉ではなく行動を」

 停止。

 二人は広面布を壁へ貼る。

 吸気。

 空気が奥へ走る。

 赤いマフラーが引かれる。

 ハルの身体が半回転しかける。

「方向」

「下、足。上、エリア。入口、後ろ」

「正しい。肩」

「一」

 次の吐気で、さらに進む。

 内部はすぐに広がった。

 裂け目の先に、空洞。

 天井は見えない。

 壁は白い骨と半透明の膜が交互に走り、膜の向こうを淡い青い液がゆっくり移動している。

 洞窟ではない。

 古い骨格へ、後世の橋、風車、足場、管が取り付けられている。

 壁際には村の換気筒が束になって下り、風を分ける薄い帆が呼吸ごとに開閉する。

 死体の内部を、町が使っている。

 あるいは、町が使い続けることで、死体の一部が動いている。

 人は死者の上へ墓を建てる。

 ヴァルカでは、死者の中へ生活を建てた。

「骨へ直接、家の風筒がつながってる」とハル。

「建築年代が違う」とエリア。「古い骨面。中期の樹脂補修。新しい青銅輪。少なくとも三層」

「三回、使い方を変えた?」

「可能性」

 後続が入る。

 カイル。

 セレナ。

 ロロ。

 ネム。

 ガンガ。

 ハダン。

 ラハナ。

 最後にノクス。

 ノクスは入口へ一度戻り、外を嗅ぐ。

 村。

 ゼロスター号。

 開いた空。

 それから自分で中へ入った。

 ラハナは白い首輪を出さない。

 代わりに、登録板へ時刻を書く。

 ハルは何も言わなかった。

 選んだことを、褒めて自分の許可へしない。

 最初の内部道は、骨の梁だった。

 幅五リュム。

 左右に手すりなし。

 下には、暗い空気嚢が湖のように広がっている。

 湖面は水ではない。

 半透明の膜。

 息を吸うたび下がり、吐くたび盛り上がる。

 膜の下で、青白い光が遅れて走る。

「落ちたら」とハル。

「空気嚢を破ります」とラハナ。

「本人は」

「窒息、圧挫、地上三村の換気停止」

「落ちない理由が増えた」

「良いことです」とエリア。

「責任が重い」

「重さは、最初からありました。知っただけ」

 梁の途中に、白い花が咲いている。

 響花。

 角峰では、群れの弱い一頭を示す花として使われていた。

 ここでは生体の痛みを示す響花〈エコー・ブルーム〉として、骨と膜の境目へ植えられている。

 色ではなく、花弁の向きが乱れる。

 七枚のうち一枚だけ内側。

 次の花は二枚。

 その次は、全部が同じ方向。

「痛い場所を花で見る」とロロ。

「壊れた場所ではない」とネム。

 声を使った後、喉へ手を置く。

「壊れてなくても痛い?」

 ネムが右眉を上げる。

「人間へ聞け」とハル。

「お前は壊れてても痛くないって言うだろ」

「言わない」

「『ちょっと酔った』」とエリア。

「『景気の悪い痛み』」とセレナ。

「俺まで!」とカイル。

「『粉塵は味で分かる』」とエリア。

「昔の一回!」とロロ。

 ネムが小板へ書く。

『全員、悪い例』

「主要人物が失格」とハル。

「何の主役だ」とガンガ。

「痛み隠し大会」

「祭にするな」とハダン。

 笑いが、空洞へ落ちる。

 七方向から違う反響が返った。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 同じ笑いが、違う距離を通って戻る。

 エリアが足を止める。

「空洞が一つではありません」

「七?」

「まだ数えません」

「今、顔が七って言った」

「私の顔へ仮説を読むな」

「地図より先に出る」

「あなたの顔ほどではありません」

 梁の中央へ、古い補修板がある。

 青銅の縁。

 骨樹脂。

 そして、三枚歯のうち一枚を欠いた小さな印。

 ロロがしゃがむ。

「まただ」

「同じ工具?」とハル。

「印だけで使用者は分からねえ。時代も、ここは樹脂が重なってる」

「前より慎重」

「前も慎重だった!」

「分解する前までは」

「今日はしねえ!」

 補助腕が板へ近づく。

 ネムの太鼓が休符を一つ。

 ロロの腕が止まる。

「触らねえ。見るだけ」

 ラハナが驚いたようにロロを見る。

「修理工が、触らない?」

「料金が出てねえ」

 理由を金へ逃がした。

 補助腕の一本だけが、少し下を向いている。

 骨梁の終わりに、門があった。

 扉ではない。

 左右の骨が呼吸ごとに開閉する狭い隙間。

「通過は一人ずつ」とラハナ。

「閉じたら」とハル。

「次の呼吸で開く」

「挟まれたら」

「次の呼吸まで挟まれます」

「説明が正直」

「死王谷で曖昧にしてよいのは、王の生死だけか?」とハダン。

 ラハナの七本の鍵が鳴る。

「拍守。あなたは記録閲覧を拒んだ側にもいました」

「だから今、入っておる」

「罪を認めれば、現在の判断が正しくなるわけではありません」

「正しいと言っておらん。逃げないと言っておる」

「逃げずに誤る人が、最も長く権力へ残ります」

「よい。後で続きをやる」

「今では」

「門が閉じる」

 骨門が開く。

 議論より呼吸が速い。

 エリアが先に通る。

 ハル。

 カイル。

 セレナ。

 ロロ。

 ネム。

 ガンガ。

 ハダン。

 ノクス。

 ラハナ。

 最後のラハナが抜けた瞬間、門が閉じる。

 全員、同じ側。

「戻るには」とハル。

「次の開き」

 待つ。

 一拍。

 二拍。

 開かない。

「周期」とロロ。

 計時器を見る。

「ずれた。三十七じゃねえ」

 骨梁の下で、空気嚢が膨らむ。

 足元の骨が、低く鳴る。

 ガンガが裸足を置く。

「来る」

「何が」

「拍」

 一つ目。

 橋が持ち上がる。

 二つ目。

 前方が沈む。

 三つ目。

 左右の骨壁が狭まる。

 七つのずれた振動が、梁を一つの長い舌のように動かした。

「固定!」とエリア。

「骨へ打つな!」とラハナ。

「布!」とロロ。

 吸着布が広がる。

 ハルは左手を使わず、右の索を腰へ回す。

 カイルが後方へ腕を伸ばす。

 ガンガがネムを抱えない。代わりに足場を示し、ネムが自分で掴む。

 ノクスは低く身を伏せる。

 橋が、もう一度脈打つ。

 今度は上下ではない。

 奥へ向かって、順番に盛り上がる。

「運ばれる!」とハル。

「橋が歩いてる!」とロロ。

「橋ではない」とエリア。

「今それ言う!?」

 骨梁の波が、一行の足元を掬う。

 入口の門は閉じたまま。

 死王の体内が、異物を奥へ送るように、一行を暗い方へ運び始めた。