第269話 第三章「脈動する橋」前編
修理とは、元へ戻すことだと思われやすい。
壊れる前の形。
故障する前の音。
事故が起きる前の手順。
だが、生き物は元へ戻らない。
傷が塞がれば、そこには傷のなかった皮膚ではなく、傷を越えた皮膚が残る。
骨がつながれば、折れる前と同じ骨ではなく、折れた場所を厚くした骨になる。
恐怖から立ち直った者は、恐怖を知らなかった者には戻らない。
機械にも修理痕は残る。
しかし機械は、直されたくない場所を自分の言葉で拒まない。
少なくとも、多くの修理工はそう信じている。
ロロ・ピクスも、その一人だった。
「全員、膝曲げろ! 硬く立つと足首から持っていかれる!」
ロロは叫びながら、自分だけ六本の腕で床へ張りついていた。
骨梁は、奥へ向かって波打っている。
一つ目の隆起がハルの足元を押す。
二つ目がエリアを半歩上げる。
三つ目がカイルの背後を追い、四つ目がセレナの外套を浮かせる。
橋全体が一つの周期で動いているのではない。
七つの部分が、順番に別の形へ変わる。
「出口!」とハル。
「前に足場! 八リュム!」とエリア。
「八って遠い?」
「今の床なら近づいています!」
「床が運んでくれる?」
「目的地が同じとは限りません!」
「親切じゃない!」
「生体へサービス精神を求めないで!」
骨梁の右側が盛り上がる。
ハルの身体が左へ流れる。
右手の索で保つ。
左肩へ力を入れない。
「肩一!」
「方向」とエリア。
「前、白い足場。後ろ、閉じた門。下、空気嚢。上――」
天井から膜が降りる。
「上、来た!」
「伏せろ!」
カイルが赤金の盾を薄く開く。
壁ではない。
膜と頭の間へ入る一枚の傾斜。
透明な生体膜が盾へ触れ、横へ滑る。
「痛み!」とエリア。
「一!」
「盾を強くしないで!」
「分かってる!」
「今、強くした!」
「反射だ!」
「反射を申告!」
「王子の反射、二!」
「数字の対象が違います」とセレナ。
ロロの四本の補助腕が、順番に骨へ吸着布を置く。
一号、前。
二号、左。
三号、右。
四号――請求札を守っている。
「四号!」とハル。
「濡れる!」
「命より紙!」
「紙が残らないと、命を助けた費用が消える!」
「今の説明で少し納得した!」
「少しかよ!」
橋の波が加速する。
ロロの右眼へ、周期計の数字が重なる。
三十七。
三十七。
三十五。
違う。
今は、十一、九、十三、七、十二、十、十四。
七つの区画が別々の間隔で収縮し、合計した時だけ一つの長い運動になる。
「壊れてる」
口から出た。
「どこ」とネム。
「中央関節。第三と第四の間。変形量が大きすぎる」
「痛い?」
「機械に聞けるか!」
ネムは骨梁へ指を置く。
右眉が上がる。
「ここ、違う」
「だから壊れだ!」
「違う、だけ」
「同じことを短く言うな!」
ロロは工具箱を開く。
ピコが飛び出す。
「ピコ、回転差を取れ! 一号、左へ楔! 二号、収縮板を押さえろ!」
「穿孔禁止」とラハナ。
「刺さねえ! 挟む!」
「生体膜へ金属を」
「樹脂布を噛ませる!」
「許可していません」
「許可待ったら次の波で落ちる!」
ロロの声は高くなり、最後だけ裏返った。
嘘ではない。
恐怖がある。
機械が壊れる音を聞く前に、手を入れたい。
誰かが落ちる前に、動きを止めたい。
止めることが救うことだと、身体が先に決めている。
「ロロ、待て」とハル。
「お前は待って落ちろ!」
「嫌だ!」
「じゃ掴まれ!」
一号の楔が、第三と第四の骨節へ入る。
補助腕が押す。
再機〈リメイク〉。
壊れた機構の動いた時の形を、残った部品から呼び戻す術。
星滴が青白く走り、骨節のひびへ沿う。
「戻れ!」
ロロが叫ぶ。
骨梁が、一瞬だけ止まった。
「成功?」とハル。
響花が全部、内側へ閉じた。
次の瞬間。
梁全体が反り返った。
骨は、機械の元の形へ戻らなかった。
戻される力へ抵抗した。
第三節が縮み、第四節が伸びる。
固定した楔を中心に、前後の骨が別方向へねじれる。
悲鳴はない。
代わりに、七方向の空気嚢が一斉に低く鳴った。
「楔を外せ!」とラハナ。
「荷重が乗ってる! 今抜いたら跳ぶ!」
「止めた場所が痛みを増やしてる!」とネム。
「痛みを数字で言え!」
「花、全部!」
「全部じゃ場所が分からねえ!」
「だから名前!」
ネムは胸太鼓を床へ置く。
最初の一拍。
「右前、熱い」
二拍。
「左下、引かれる」
三拍。
「中央、挟まる」
四拍。
「奥、届かない」
五拍。
「上、薄い」
六拍。
「後ろ、戻れない」
七拍。
「楔の場所、痛い」
長く話すたび喉が擦れる。
それでも、ネムは「全部」と言わない。
痛む場所へ、一つずつ名前を付ける。
「右前、左下、中央、奥、上、後ろ、楔」とロロ。
「順番」とネム。
「右前が先?」
「痛みが来た順」
「壊れの順じゃねえ」
「痛み」
ロロの補助腕が止まる。
機械の故障なら、原因から追う。
入力。
伝達。
出力。
生体の痛みは、原因と感じる場所が同じとは限らない。
右前を押した力が、後ろで痛む。
古い傷が、別の動きで先に鳴る。
「ロロ!」とエリア。
足場まで四リュム。
橋が反り、全員が外側へ滑る。
「今、直すな!」とハル。
「じゃどうする!」
「逃げる!」
「橋を置いて!」
「橋が俺たちを置こうとしてる!」
「うまくない!」
「言葉遊びの採点は後!」
カイルが盾を床へ斜めに開く。
「滑り台を作る! 全員、前へ!」
「盾上限」とエリア。
「二十拍!」
「十五で交代準備!」
「誰と!」
「ガンガのドゥルガ!」
「また棒か」とガンガ。
「硬い物へ役職はない!」とロロ。
「祭場でも同じこと言ってた」
「正しい工具は繰り返す!」
「事件は繰り返すな」とハル。
「今、編集会議か!」
盾の傾斜へ、エリアが路図を引く。
測った場所だけ。
光の道は、止まっている床へではなく、動く盾の角度へ合わせて更新される。
「順番! セレナ、ハダン、ネム、ラハナ、ロロ、ノクス、ハル、私、ガンガ、カイル!」
「俺が最後?」とカイル。
「盾を持ってる!」
「王子差別!」
「役割差!」
セレナが先に滑る。
「左側、膜!」とカイル。
「距離」
「一・五!」
「接触なし」
ハダンが杖を横へし、ネムの足場を広げる。
触る前に「肩」と一語。
ネムが頷く。
ハダンは肩ではなく腰の帯を支える。
ラハナが続く。
欠けた左手で索を取り、右手で七本の鍵を胸へ押さえる。
ロロは楔の前に残る。
「行け!」とハル。
「これを外す!」
「何拍!」
「分からねえ!」
「分からないなら言え!」
「分からねえって言った!」
「聞いた! 手伝う!」
「何を!」
「分からない!」
「役に立て!」
ハルは戻る。
エリアの声が鋭くなる。
「ハル!」
「戻る! 肩一!」
「役割を言って!」
「ロロを運ぶ! 楔はロロが外す! 俺は索!」
「二十拍!」
「十五!」
「値切らない!」
「安全側!」
「成立!」とロロ。
ハルは右手でロロの腰索を取る。
左手は自分の胸へ置く。
ロロの一号腕が楔を支える。
二号が樹脂布を巻く。
三号が荷重を測る。
四号が、ようやく請求札を工具箱へ入れた。
「四号、成長!」
「黙れ!」
ネムの言葉を、ロロが繰り返す。
「右前、熱い。左下、引く。中央、挟む。奥、届かない。上、薄い。後ろ、戻れない。楔、痛い」
「何してる!」
「痛みの順を覚える!」
「今?」
「今の失敗を、次の手へ入れる!」
再機を切る。
戻そうとする力が消える。
楔へ乗っていた荷重が変わる。
「三、二、一!」
ロロが楔を抜く。
骨節が自由になる。
反動は来なかった。
第三節が縮み、第四節が伸びる。
さっきと同じ変形。
ただし今度は、止める物がない。
七つの動きが順番に通り過ぎ、梁のねじれが前方へ逃げる。
「壊れじゃない」とロロ。
「後!」とハル。
二人は盾へ飛び乗る。
カイルの炎が薄くなる。
「十五!」とエリア。
「解除!」
ガンガがドゥルガを横へ入れる。
盾が消える前の角度を、棍で一拍だけ支える。
全員が白い足場へ滑り込む。
カイルが最後に跳ぶ。
着地で左膝が沈む。
「膝」
「一!」
「背中」
「二!」
「盾は」
「終了!」
赤金の炎が消える。
直後、骨梁が大きく持ち上がり、元いた位置を天井の膜へ叩きつけた。
もし固定したままだったら、中央で折れていた。