第275話 第六章「国のための一頭」前編

国家は、人を一人にまとめたがる。

 初代。

 建国王。

 救国の英雄。

 最後の反逆者。

 何万人の働きも、何百年の偶然も、一人の顔へ集めれば覚えやすい。

 覚えやすい物語は、命令しやすい。

 王が国であり、国が王であるなら、王を守るための犠牲は国を守る犠牲になる。

 犠牲になった者が国民であるかぎり、その論理は自分の尾を食べて永遠に続く。

 もっとも、象徴を壊した翌日に、食料も国境も平和も自動的に残るわけではない。

 虚構を暴くことと、虚構が支えていた重さを受け取ることは、別の仕事である。

 王心と呼ばれる場所は、心臓ではなかった。

 死王の胸郭中央。

 七本の骨柱が天井へ伸び、その間へ巨大な鐘が吊られている。鐘の下に円形の会議床。床の外周から七つの管が伸び、遠くの拍を淡い光として運ぶ。

 六本は脈打つ。

 薄紫だけが消えている。

「一頭を完成させるとは」

 カイルが聞いた。

 ラハナは会議床の中心へ、七枚の骨札を置く。

「王獣は死の直前、自らの王心を七つへ分けました」

 初めて、七脈院側が認めた。

 セレナの証羽が動く。

「発言者、七脈院長代理ラハナ・セヴ。王獣の死亡と王心分割を認める、と記録します」

「公開記録ではありません」

「記録の公開範囲は別に判断します。発言した事実は消えません」

 ラハナは拒まない。

「分けた理由は」とエリア。

「死後も国土を歩かせるため、と継承文は解釈しています」

「原文は『一歩を七つへ預ける』です」

「同じです」

「預けると、所有を移すは同じではありません」

「帰す必要があります」

「誰へ」

「次王へ」

 ラハナは中央の骨札を裏返す。

 若い王獣の輪郭。

 六本脚。

 小さな角。

 名はない。

「薄紫系統の奉身仔は最も若く、王心への適合率が高い。残る六拍を集めれば、一頭の王獣として目覚めます」

「六頭は」とハル。

「王心を失います」

「死ぬ?」

「個体差があります」

「死ぬ可能性」

「高い」

「完成って、七頭から一頭を残すこと?」

「国を残すことです」

 カイルは右籠手を叩かない。

 叩けば、王として決断する姿勢になる。

 彼は他国の会議床で、ただの十七歳へ戻れない。

 王子である事実は、印章をしまっても消えない。

 だから言葉を選ぶ。

「俺の国にも、王家へ力を集める炉がある」

 ラハナが見る。

「星脈炉」

「王が生きれば都市が浮く。王が倒れれば都市も落ちる。守るために集中させ、集中したから王を守るためさらに集中させた」

「では理解されるはずです」

「理解と賛成は違う」

 ネムが太鼓を二拍。

 聞いた。賛成ではない。

 カイルは続ける。

「一頭へ集めれば、命令は速い。危機の責任も見える。だが、その一頭が拒めないなら、責任じゃない。拘束だ」

「王獣は国と共に生きます」

「国が王獣の身体で生きてるんじゃないか」

「同じです」

「同じにするな」

 声が低くなる。

「俺の母は、王家の盾へ国民の痛みを集めて死んだ。皆は立派な犠牲だと言った。国のために一人が死ぬ話は美しい。美しいから、次も同じ形を選びやすい」

 ラハナの顔は変わらない。

「あなたの国は、王子を残した」

「だから正しかったとは言えない」

「残らなければ、今ここで反論もできません」

「そうだ。犠牲が役に立った事実は消えない。役に立ったから、本人の選択だったことにもならない」

 会議床へ、六つの拍が響く。

 一つへ集めれば、分かりやすい。

 分かりやすさが、正しさの顔をしている。

「時間がありません」とラハナ。

 七つの空気嚢のうち一つは弱り、北路の地表が沈み始めている。

 国境の王権誓術も不安定になった。

 翠獣環では、王獣が歩いた範囲を国土とする古い誓いがある。

 死王の足跡が止まれば、周辺国は境界の失効を主張できる。

 交易保険は王の生存証明へ連動し、税の一部は「生きた国土」へだけ課せられる。

「嘘で税を取ってた?」とハル。

「生存の法的定義を維持していました」

「長く言うと合法になる?」

「合法です」

「じゃ正しい?」

「法と正しさを混ぜないでください」とセレナ。

「今、助けた?」

「区別しました」

 ラハナは地図を開く。

 王獣の死を公表しかけた時代が二度あった。

 一度目。

 後継群が三つに割れ、国境集落が互いの水場を焼いた。

 二度目。

 周辺国の保険船団が撤退し、薬が届かなかった。

 死者の数が並ぶ。

 百二十七。

 三百八十六。

 記録外、不明。

「偽装で救った命もある」とラハナ。

「あります」とセレナ。

 即答した。

「記録します。王生存の公的物語により、継承争いが抑制され、交易と医療輸送が維持された事実」

「なら」

「同時に、生きた七個体を役名で消し、拘束し、身体機能を国土設備へ接続した事実も記録します」

「両方では決められない」

「両方を消せば、決めたとは言えません」

 決めるための材料は、会議床の外からも来た。

 七つの管へ、地上の声を運ぶ伝羽が接続される。

 映像ではない。

 緊急時に像まで送れば浮力を食うため、音だけだった。

 最初は北岩根の薬庫番。

『一頭へ集めれば北路は持つのか』

「確率は八割です」とラハナ。

『なら急げ。熱冷ましが三十箱、崖下へ落ちかけている』

 次は西湿原の学校番。

『うちの床はもう指二本沈んだ。だが、うちの子どもの下へ別の仔を縛ったままにする決定へ、賛成とは言わない』

「代案は」とラハナ。

『知らない。知らない者は黙れというなら、沈む側は永遠に専門家へ従うしかない』

 東塩盆の保険組合。

『王の死亡が確定すれば、契約上、外来船は撤退する。偽装の公表は段階的に』

 南断崖の検疫所。

『公表を遅らせれば、外来船へ虚偽の生存証明を出すことになる。撤退を恐れて嘘を続ければ、次に真実を出しても誰も入港しない』

 樹冠区の橋市。

『王が一頭でも七頭でも、今日の風膜鹿の出産は待たない。道だけ先に残せ』

 赤土台の種庫。

『種は移せる。人は移せる。若獣は移せないのか』

 タル谷の祭務会。

『祭の中止は王権誓術の失効と同義である』

「同義にしたのは誰です」とセレナ。

『先祖だ』

「先祖は現在の署名者ではありません」

 七つの声は、一つの国民意志にならなかった。

 薬を落としたくない。

 子どもを沈めたくない。

 契約を切られたくない。

 嘘を出したくない。

 道を残したい。

 種を動かしたい。

 祭を止めたくない。

 どれも生活だった。

 どれも、他の生活を自動的には救わない。

「多数決を」と祭務会。

「母数は」とカイル。

『七地域代表』

「選ばれ方は」

『伝統により』

「奉身仔は票を持つか」

 沈黙。

「今、身体を使われる側が一票もない」

『獣だ』

「王でもあると言ったのはそちらだ」

 声が重なる。

 王子が他国の制度へ口を出すな。

 王家だからこそ理解しろ。

 外から来た者は責任を取らない。

 内にいる者だけで決めれば隠蔽になる。

 カイルは全てを止める大声を持っていた。

 王盾炎〈レグルス・ガード〉を床へ立てれば、会議は静まる。

 使わない。

 代わりに、骨札を四枚並べた。

「答えを出す前に、四つだけ書け」

 一枚目。

 ――誰の身体を使う。

 二枚目。

 ――誰が利益を受ける。

 三枚目。

 ――誰が止められる。

 四枚目。

 ――いつ権限が終わる。

「これに名前を書けない案は、国の案じゃない。誰かの身体へ、責任だけ国と書いた案だ」

「書けば犠牲にしてよいのですか」とラハナ。

「よくない。だが、書かずに犠牲にするより、次の拒否ができる」

「拒否して地面が落ちたら」

「拒否した者のせいにするな。止められない構造を作った者と、今日動かす者を分けて記録する」

 セレナが四枚を写す。

 エリアは七地域の地図へ、避難路と残存時間を書き足す。

 ロロは補助浮力塔の在庫を計算する。

「北岩根へ二基回せば、十八分が二十六分。西湿原は水を上層槽へ汲み上げれば十一分が十六分」

「誰が汲む」とハル。

『学校の上級生が動ける』と西湿原。