第291話 第二章「七頭、七方向」前編
統一は、距離を消す言葉である。
遠くの村も同じ国民。
異なる言葉も同じ法の下。
別々の群れも同じ王へ従う。
それによって救われた者は多い。
水路はつながり、軍は一つの合図で動き、税は遠い飢饉へ送られた。
同時に、統一は差を消す言葉でもある。
歩ける速さ。
必要な水。
背負っている重さ。
離れたい理由。
皆を一つへ集める者は、皆を数えたつもりになりやすい。
ガンガ・オルバは、七頭を呼んだ。
術ではない。
最初は、声だけだった。
「ナア! ユル! カラ! セト! ミイ! ドゥ! ルゥ!」
七つの名を、同じ大きさで呼ぶ。
だが、同じ大きさで呼んだ言葉は、同じ距離へは届かない。
北のナアは、重い外皮と岩根の集落を背負っている。足を上げるまでが長い。
西のユルは、腹まで水へ浸かりながら、湿原の水位を下げないよう進む。一歩が遅い。
赤土台のカラは、二度踏んでから一気に前へ出る。
樹冠区のセトは、吊り根の間で長く止まり、風が合う瞬間だけ高い方へ動く。
東塩盆のミイは、乾燥した地面を細かく速く刻む。
南断崖のドゥは、短い跳躍で古い港を外縁へ運ぶ。
最も若いルゥは、歩くたび自分の脚を確かめるように止まる。
同じ声は、七頭へ別々の時刻で届いた。
ガンガは焦った。
焦りは、彼の身体では大声より先に胸へ出る。
右手で胸を二度。
左足で地面を一度。
どん、どん、どん。
自分と群れをつなぐ古い拍。
生物の心拍を束ねる咆哮〈ハート・ハウル〉が、薄く広がった。
使うつもりはなかった。
しかし「呼ぶ」と「従わせる」の間は、力を持つ者ほど狭い。
「一度、止まれ!」
七頭の拍が、ガンガへ寄る。
ナアの重い一拍。
ユルの水の拍。
カラの二度打ち。
セトの長い間。
ミイの乾いた速さ。
ドゥの短い跳ね。
ルゥの遅い七番。
異なる形のまま、間隔だけが縮んだ。
七頭が止まる。
止まったから、安全になるはずだった。
「ガンガ!」
ネムの細い声。
北と赤土の境で、白い外皮が持ち上がる。
ナアは止まるまでに二歩必要だった。
カラは二度踏んだ直後に止められ、二歩目の勢いだけが旧皮へ残った。
重い北の地面と、速い赤土の地面が、斜めからぶつかる。
家ではない。
森でもない。
地面同士が衝突した。
白い旧皮が波になる。
石垣が一列、空へ跳ねる。
人が転ぶ。
吊り橋が、別の方角へ引かれて切れた。
「術を切る!」
ガンガは胸を叩く手を止める。
心拍の束がほどける。
ほどけた反動で、自分の胸が一度空打ちした。
視界が白くなる。
膝をつく。
「兄――」
ネムは呼び方を途中で捨てる。
「ガンガ。座れ」
「もう座ってる」
「倒れた」
「地面へ近い方が聞ける」
「言い訳」
ネムの小板へ、太い字。
『頭痛』
「二」
『吐き気』
「一」
『混線』
「三」
七頭の恐怖が、薄い膜のようにガンガの身体へ残っている。
ナアの重さ。
カラの急な驚き。
ユルの水を失う不安。
ルゥの足場を探す迷い。
どれが自分の感情か、分からなくなる。
「俺が止めた」
『止めようとした』
「同じだ」
『違う。結果は同じでも、次に直す場所が違う』
「言葉の仕事はハルへ任せろ」
『あれより上手い』
「それは否定できん」
ハルは少し離れた崩れへ走っている。
聞こえたら反論しただろう。
ネムは七つの心拍珠を地面へ置く。
混ぜない。
黄、青、赤、緑、白、紫、薄い翠。
七色の光が、ばらばらの速さで点く。
『止まれ、が違う』
「全員へ同じ命令を出した」
『そこ』
「危険なら止まる」
『ナアは二歩で止まる。カラは次の二度目を踏まないと倒れる。ユルは止まると水が片側へ寄る。セトは止まっている時間が長いから、合図の意味が逆』
「止まるだけでも七つある」
『人も』
ガンガは地面を見る。
人の群れも、同じだった。
走れと言えば走れる者。
杖を持てば歩ける者。
寝台ごとでなければ動けない者。
家畜を置いていけない者。
墓を離れたくない者。
国が七つへ分かれるなら、古い地面と一緒に落ちると言う者。
全員を聞くと誓った。
全員を一つの拍へ近づける力を持っている。
誓いと力が、同じ方向を向いていない。
衝突の後に来たのは、静けさではなかった。
石が転がる音。
泣き声。
名前を呼ぶ声。
同じ名前が別々の場所から返る声。
ナアとカラの境界へ、白い粉塵が立つ。
ガンガは立ち上がろうとする。
膝が一度戻らない。
ネムが肩へ触れない。
代わりに小板を目の前へ出す。
『誰を助ける』
「全部」
ネムの眉が上がる。
「言い直す。見える範囲から。橋下の三人」
『役割』
「俺は石を支える。お前は心拍を分ける。ハダンは止まる場所だけ命令。名前を呼ぶのは現地の者」
ネムは頷く。
ガンガはドゥルガを倒れた石梁へ差し込む。
石の下に、北の石運び二人と、赤土の少女。
少女は左足を挟まれている。
「痛み」とガンガ。
「五!」
「足の感覚」
「ある!」
「名前」
「テサ!」
「テサ、梁を上げる。足は自分で抜くか、誰かに抜いてほしいか」
「自分!」
「できなければ」
「母さん!」
赤土側から母親が来る。
石運びが怒鳴る。
「先にこっちを出せ! 梁が北へ落ちる!」
「三人を同時に」とガンガが言いかける。
ネムの珠が、三つの心拍を別々に光らせる。
石運びの一人は速い。
もう一人は遅い。
テサは痛みで途切れる。
同時に引けば、遅い者の腕が梁へ残る。
「順番」とガンガ。
最も早く抜けられる石運び。
次に、梁の端へいる石運び。
最後にテサ。
「子どもが最後か!」と母親。
「足を抜く間、梁の角度を固定する。先に二人の体重を外した方が、テサの隙間が増える」
「保証は」
「ない。だが今の荷重はそうだ」
母親はガンガを睨む。
王候補を見る目ではない。
娘を挟んだ者を見る目。
「あなたが止まれと言った」
「俺が言った」
「謝れば足が戻る?」
「戻らない」
「なら今は持て」
「持つ」
ドゥルガへ力を入れる。
左腕。
背中。
脚。
力は出せる。
力を出すことだけなら、簡単だった。
石運び一人目。
二人目。
テサが自分で足を引く。
途中で止まる。
「母さん」
「触っていい?」
「膝より上!」
母親が腿を支える。
ガンガは梁を一寸上げる。
上げすぎない。
テサの足が抜ける。
梁を下ろす。
粉塵。
少女の足首は曲がっている。
医療者へ渡す。
「ガンガ」とテサ。
「何だ」
「王になったら、止まれって言わないで」
胸へ来る。
責められるより、条件付きで期待される方が痛い。
「王になるかは決まっていない」
「逃げた」
「今の命令は、間違えた。次は、止まり方を一つにしない」
「長い」
「ハルが移った」
「誰」
「悪い見本」
遠くから「聞こえてる!」という声。
少女は痛みの中で少し笑った。
ガンガが初めて群れを一つへそろえたのは、九歳の時だった。
王獣が雷を怖がり、背の集落ごと走った。
大人たちは別々の命令を出した。
北へ。
伏せろ。
荷を捨てろ。
子どもを中央へ。
声が増えるほど群れは速くなった。
ガンガは胸を二度、地面を一度叩いた。
全ての心拍が一つへ寄った。
混乱は止まった。
大きな群れは救われた。
その拍へ入れなかった小さな一団は、別の谷へ逃げる道を失った。
ネムが喉を傷めたのは、その後の寄生胞子だった。
だがガンガの記憶では、弟の声が細くなった原因まで、自分の一拍へ結びついている。
「昔と同じだ」とガンガ。
ネムは首を横へ振る。
「同じじゃない?」
『似ている』
「違いは」
『今、止めた後を見た』
「昔も見た」
『昔は、救った数で失った方を隠した』
「俺が?」
『大人が。お前も、その話を受け取った』
「今日は隠さない」
『なら、同じにするな』
過去と同じだと言えば、罪は運命になる。
違うと言えば、責任から逃げられる。
似ている。
似ているから、違う選択をする余地がある。
ガンガはテサの名を、自分で小板へ書く。
文字は遅い。
間違え、消し、もう一度書く。
止めろという一命令の負傷者。
数ではなく、名と足の状態を残す。
衝突した境では、古い橋が落ちかけていた。
北岩根の石運びと、赤土台の種守が、両側から同じ縄を引く。
「北へ寄せろ!」
「赤土へ!」
橋の中央には、荷車が一台。
乾燥種。
水桶。
子ども二人。
どちらへ引いても、片側の橋板が外れる。
ガンガは立つ。
頭痛、二。
混線、二。
術は使わない。
「荷車を下ろせ!」
「下は裂け目だ!」
「荷を分ける!」
「種は一緒でないと管理できない!」
「水は北へ!」
「種は赤土へ!」
「子どもは!」
二人の大人が同時に黙る。
ガンガは鐘棍ドゥルガを橋の下へ差し込む。
巨大な棍が、落ちかけた中央を支える。
殴る武器を、橋脚へする。
「子どもに聞け」
「子どもへ決めさせるのか!」
「行き先を全部決めさせない。今、どちらへ渡りたいか聞け!」
年上の子が、北を見る。
「妹の薬、北」
「種は」
「お母さんが赤へ持つ」
「離れるぞ!」と母。
「後で会う道はある?」
ガンガは答えかける。
ある、と。
約束したくなる。
「今は、ない」
子どもの顔が歪む。
「作る」とガンガ。「だが、今あるとは言わん」
荷車を分解する。
ロロがいれば三十秒で外しただろう。
ガンガの太い指では留め具が小さい。
赤土台の種守が笑う。
「王候補の手は、役に立たん」
「王候補だから大きいんじゃない」
「生まれつきか」
「多分」
「便利な言い訳だ」
「お前が外せ」
「命令か」
「頼む」
種守が留め具を外す。
北へ水と子ども。
赤土へ種と母。
家族を一つの荷車へ固定しない。
別れることを勝利とも呼ばない。
橋を渡り終えた後、ガンガはドゥルガを引き抜く。
橋は落ちた。
二つの岸は、別々の方向へ離れていく。
子どもが声を張る。
「名前、忘れないで!」
母が返す。
「そっちも!」
名前は、道ではない。
道がなくても届くものの一つだった。