第304話 第八章「子獣の背へ渡れ」後編

 最後に、村の火をどうするかで揉めた。

 共同炉の種火。

 火壺へ入れれば運べる。

 橇へ載せれば、旧皮の乾いた帯で火災になる。

「消す」と救難員。

「新地で同じ火を起こせない」と炉守。

「火は火だ」とハル。

「違う。祭、出産、葬送。全部この火から分けた」

 火に記憶があると信じる者と、燃焼でしかないと考える者。

 どちらでも、火災の危険は同じ。

 炉守が提案する。

「炭へ落とす。炎は消す。熱だけ持つ」

 火壺へ赤い炭を一つ。

 蓋を二重。

 水袋を隣へ。

 橇の最後尾へ、単独で載せる。

「同じ火?」とハル。

「着いて、また息を入れた時に決める」

 保留できるものは、燃えたまま運ばなくてよい。

 間に、剥がれかけた白い皮の帯。

 下へ風が入るたび、帯が持ち上がる。

「歩けない」と村人。

「歩かない」とハル。

「飛ぶのか」

「滑る」

「違いは」

「地面へ近い」

「落ちたら」

「新皮を傷つける」

「人より地面か!」

「両方!」

 怒鳴ってから、ハルは息を戻す。

「人を助けるために、ルゥを傷つけたら、次の人が落ちる。だから帯の上を滑る」

 ロロが遠隔で設計する。

 森から回収した仮桟橋の板。

 寝台の車輪。

 種袋の滑り布。

 小さな橇を作る。

「一台四人! 寝台は一人と介助二! 山羊は」

「自分で歩く」とハダン。

「帯から外れる!」

「餌歌を使う」

「魔法?」とハル。

「歌だ」

「効く?」

「昔から効く」

「理由」

「幼獣期に餌を出す拍と同じだからだ。歌を覚えるな、理由を覚えろ」

「自分で回収した」

「私の言葉だ」

 ハダンが低く歌う。

 七音ではない。

 短い二音と、長い一音。

 山羊が耳を動かす。

 村人が足で同じ拍を返す。

 ルゥも向こうで首を上げた。

 強制する咆哮ではない。

 食べ物が来た時、昔の飼育者が使った音。

 住民が歩く時、日常に踏んできた足拍。

 ルゥは前脚を一度下ろす。

 白い帯が、少し張る。

「今!」

 第一橇。

 墓守の老女と子ども二人。

「骨壺は中央へ固定!」とハル。

「夫を荷物扱いするな」

「重さは重さ!」

「分かってるよ!」

 老女は自分で結ぶ。

 ガンガが橇を押す。

「強すぎ!」

「まだ押してない!」

「体が強そう!」

「見た目を力へ足すな!」

「顔を証拠にするな、の仲間?」

「違う!」

 ハルが前を走る。

 測距札。

 十二度。

 九度。

 三度。

 橇が滑る。

 帯が風へ持ち上がる。

 老女が笑う。

「葬式より速い!」

「縁起悪い!」とハル。

「夫は速いのが好きだった!」

「本人に聞いた?」

「生きてる時に!」

「なら成立!」

「また盗んだね」

 五台目には、鍋が乗った。

「人を先」と甲板役。

「鍋も」と村の料理人。

「命の後」

「百三十七人が向こうで何を食べる」

「一台四人分を使う」

「鍋一つで百三十七人分を作る」

 大鍋。

 底は黒い。

 縁に三度修理した銅継ぎ。

 村の祭り、葬式、出産祝い、飢饉の薄粥を作った。

 物語があるから優先するのではない。

 未来の食事に使うから運ぶ。

「鍋一、料理人一、介助不要二」とエリア。

「鍋へ席?」とハル。

「荷重です」

 料理人が鍋の中へ座ろうとする。

「だめ!」

「重心が低い!」

「転んだら頭を打つ!」

「鍋に頭を守られる」

「蓋がない!」

「私が蓋!」

 老女が自分の身体を指す。

「人を道具へするな!」とハル。

「本人が言ってる!」

「本人でも危険!」

 ロロが遠隔で割り込む。

『鍋は横へ固定。人は後ろ。蓋役は禁止!』

「規則が増えた」と料理人。

『お前の発想で増えた!』

 大鍋は渡る。

 七台目には、鶏籠。

 鶏は計画にない。

「山羊十二と書いてあった」とハル。

「鶏は二十八」と少女。

「最初に!」

「木の下に隠れてた」

「全員?」

「二十七」

「一羽足りない」

「卵を抱いてる」

「どこ」

「家の床下」

 家は旧皮の端。

 取りに戻れば二往復。

 帯の傾斜、十三度。

「置いていけ」と祭司長。

 少女は首を横へ振る。

「卵ごと」

「人が先だ」

「鶏も生きてる」

「一羽のために全員を」

 ガンガが止める。

「全員を待たせない。取りに行く者を一人。橇は進める」

「誰が」とハル。

「俺」

「全体じゃなく村の運び手」

「そうだ」

「戻り道、狭い」

「身体が大きい」

「自分で言う?」

「事実だ。お前が行け」

「肩」

「二」

「嘘」

「一・五」

「小数」

「ミラのせい」

 ハルが家へ走る。

 三往復の上限は使い切った。

 ここからは救助役ではない。

「別の走者」とエリア。

 少女が手を上げる。

「私が場所を知ってる」

「年齢」とハル。

「十二」

「走れる?」

「毎日、鶏を追う」

「痛いところ」

「右手の豆」

「中止」

「帯十四度、息三、鶏が逃げたら追わない」

 自分で条件を言う。

 少女が走る。

 ハルは入口で待つ。

 助けに入らない。

 家の床が傾く。

 少女が腹ばいになり、床下へ手を伸ばす。

 鶏の声。

 一羽。

 卵七。

 籠へ。

 帰り。

 白い帯が一度持ち上がる。

 少女は走らず伏せる。

 空白拍を待つ。

 下がった時だけ進む。

「ネムに習った?」とハル。

「橋で見た」

 知識は、説明した者の名前を離れて生活へ入る。

 少女と鶏が戻る。

 祭司長が何も言わず、鶏籠を橇へ固定する。

「置いていけって」と少女。

「間違えた」

「謝る?」

「……悪かった」

「短い」

「災害中だ」

「後で長く」

「覚えていたら」

「記録した」とセレナ。

 祭司長は顔をしかめる。

 少女は笑う。

 鶏は卵の上で鳴く。

 二十台。

 三十台。

 村が少しずつルゥの背へ渡る。

 エリアの路図は、橇の前へだけ出る。

 乗った者が行き先の紐を結び、最初の一歩――橇なら最初の押し出しへ同意した後に光る。

 保留者は、薄翠紐へ黒い結びを加える。

 ルゥへ退避する。

 所属は決めない。

 後で別の地域へ移れる。

 道は、決定を永久へ固定しない。

 ネムは最後から三台目に乗る。

 胸太鼓。

 心拍珠。

 記録板。

「先に行け」とガンガ。

 ネムは首を横へ振る。

「お前が必要だ」

『ここにも』

「俺が残る」

『代わりに言うな』

「じゃ、なぜ残る」

『最後の人が、最後と決められていない』

 黒紐の祭司長。

 彼はまだ中央宮殿の返答を待っている。

 旧皮は十一・五度。

 期限まで半度。

 伝羽が来る。

 中央宮殿。

『全住民は中央避難へ従え。王族避難船の席を一般開放。タル谷へ迎え船を出す』

「迎え船、到着は」とネム。

 返答。

『最短四十分』

 旧皮が十二度へ達する予測、十三分。

 祭司長は目を閉じる。

「正統な命令が来た」

「間に合わない」とハル。

「分かっている」

「じゃ」

「従わない」

 祭司長は黒紐を、薄翠へ結ぶ。

「命令が正統でも、道がない」

 ネムが太鼓を二拍。

 聞いた。

 賛成ではない。

「そこは賛成でいいだろう」と祭司長。

『手順』

「最後まで面倒だな」

『生きるなら続く』

 祭司長が橇へ乗る。

 十八台目で、ガンガの全体回線が鳴った。

 北岩根。

『ナアの背で医療棚が二列倒れた。指示を』

 次に西湿原。

『ユルの水位が上がる。中央調整を』

 赤土台。

『カラの二度目が早い。王候補、止めろ』

 三つの声が、同時に彼を呼ぶ。

 ガンガの胸が反応する。

 右手が二度打ちへ上がる。

 ネムがその手を止めない。

 止める代わりに、小板を出す。

『今の役』

 ガンガは橇の後ろにいる。

 乗るのは、脚の不自由な老夫婦と、種袋二つ。

「村の搬送」

『全体は』

「各地の聞き手」

 北へ伝羽。

「バルグへ判断を渡す。医療棚を動かすか、ナアを遅らせるか、現地で決めろ。結果を知らせろ」

 西。

「シアへ。水皿の数と、ユルの呼吸を優先。中央の返事を待つな」

 赤。

「種守と足守へ。カラを止める命令は出さない。二度目を遅らせる方法があるか、なければ路を変えろ」

『王候補が決めないのか』

「今、そこにいない」

『逃げるのか』

「一つの村を運んでいる」

『国全体より』

「国全体は、お前たちがいる場所だ」

 回線が切れる。

 返事はない。

 ガンガの手が震える。

「怒ってる?」とハル。

「怖い」

「任せるの」

「違う判断をされる」

「自分と?」

「そうだ」

「それが任せる」

「失敗したら」

「ガンガも責任ある?」

「ある」

「決めてないのに」

「役を渡した責任」

「全部?」

「全部にしたくなる」

「また一つにしてる」

 ハルの言葉は鋭い。

 本人も、自分で全ての代償になろうとする。

 似た者同士は、互いの悪癖だけよく見える。

「では」とガンガ。「決めた者の責任を奪わない。俺は、役を渡した手順と、必要な資源を送らなかった分を負う」

「長い」

「責任は短いと美しくなりすぎる、とセレナが」

「うつった」

 橇を押す。

 力は半分。

 ハルの右手が上がるまで待つ。

 老夫婦が後ろから言う。

「王様」

「まだ違う」

「王様になったら、私らの橇を押さない?」

 ガンガは答えに詰まる。

「押せない時もある」

「じゃ誰を置く」

「押せる人」

「名前」

「今はハル」

「肩を痛めてる」

「だから俺」

「二人しかいない」

 老女が笑う。

「国を作るなら、橇を押す人の名簿から作りな」

 ガンガはその言葉をネムへ送る。

 ネムは短く返す。

『王名簿より先』

 十九台目から、村人自身の押し手表ができる。

 力のある者。

 道を読む者。

 寝台に触れてよい者。

 山羊を導ける者。

 休む時刻。

 王候補がいなくても、二十台目は動く。

 ガンガは不要にならない。

 必要が一人へ集中しなくなる。

 最後の寝台が重かった。

 患者。

 薬箱。

 介助者二人。

 規定より一人多い。

「薬箱を別」とロロ。

「患者から離せない薬」と介助者。

「一台増やす!」

「帯がもたない!」

「じゃ、押す人を減らす」とハル。

「加速が足りん」とガンガ。

「ガンガ一人」

「強すぎると言った」

「力を半分」

「どうやって」

「俺の手を見て」

 ハルは橇の横を走る。

 右手を上げる。

 押せ。

 下げる。

 止めろ。

 ガンガは自分の感覚で押し切らず、ハルの合図へ力を分ける。

 橇が出る。

 途中で白い帯が裂ける。

「跳ぶ!」

「寝台で?」

「三リュム!」

「長い!」

 ルゥが、向こうで足を踏む。

 村人の餌歌。

 足拍。

 一歩。

 白い帯の端が、ルゥの背へ近づく。

 距離が二リュムへ縮む。

「今!」

 ガンガが押す。

 橇が空へ出る。

 エリアの路図は空中へ道を作らない。

 測った場所でも、踏み出す足場がない。

 代わりに、カイルの投げた盾索が橇へ掛かる。

 向こう岸から引く。

 寝台がルゥの背へ落ちる。

 柔らかな苔面。

 患者の薬瓶が鳴る。

 割れない。

 全員が渡った。

 ガンガは全体指揮者ではなかった。

 一つの村の最後の橇を押した。

 その手が震えている。

「怖かった?」とハル。

「力を半分にする方が、全部出すより難しい」

「俺も走るの半分、難しい」

「お前はまだ七割だ」

「見てた?」

「足音で分かる」

「顔じゃない」

「証拠だ」

 最後の寝台が渡った後、百三十七人はすぐ出発しなかった。

 人数を数え直す。

 色紐、百三十七。

 人、百三十七。

 山羊、十二。

 鶏、二十八。

 卵、七。

 寝台、三。

 死亡、零。

 行方不明、零。

「祠」と祭司長。

「損失」とセレナ。

「王像台座」

「橇試験材へ転用。四分割、全片回収」

「パン」

「持ってきてない」とハル。

「空腹」と料理人。

 大鍋を出す。

 薄い粥。

 まだ火床がないため、王心の火壺から炭を一つ移す。

「祭を始める火だ」と祭司長。

「飯を作る」と料理人。

「同じ火で」

「火は用途で減らない」

「炭は減る」

「木を足す」

 祭司長は考える。

 王の儀式に使った火で、避難粥を煮る。

 穢れか。

 継承か。

 今すぐ決めなくてよい。

「一鍋だけ」と彼。

「次は」と料理人。

「次に決める」

 粥が煮える。

 ルゥは匂いへ鼻を動かす。

 ヤッカが給餌桶へ若草を入れ、同じ二音と長い一音を歌う。

 村人は食器を叩く。

 完全に同じ拍ではない。

 匙の大きさ。

 腕の速さ。

 子どもの先走り。

 ルゥはそのばらつきを、日常の音として聞く。

 前脚を下ろす。

 村人が揺れる。

「歩く!」

「粥!」

「持て!」

 大鍋を四人で。

 火壺を祭司長。

 山羊は少女。

 鶏は籠。

 寝台は押し手表。

 ガンガは全体へ号令しない。

 一つの寝台の枠を持つ。

 ルゥが二歩目を出す。

 村は、避難先へ到着したのではない。

 動く背の上で生活を再開した。

 その瞬間に、中央の鐘が鳴った。

 ルゥが歩き出す。

 薄翠の紐を持つ村人。

 黒い保留。

 墓札。

 寝台。

 山羊。

 一つの村が、同じ所属ではなく、同じ背へ一時的に乗る。

 その時、空が鳴った。

 鐘。

 一つの、長い、巨大な音。

 中央宮殿の共鳴塔から、黒銀の光が立つ。

「王獣鈴」とガンガ。

 観測だけに使うはずの欠片。

 七地域側、中央側、外部側。

 三重の封印。

 それでも、召集音が出た。

 ナアが北で首を上げる。

 ユルが西の水から向きを変える。

 カラが二度踏む。

 セトが風待ちをやめる。

 ミイが東路を外れる。

 ドゥが港索を引きずる。

 ルゥが、乗せた村ごと中央宮殿へ顔を向ける。

 七頭が一つの音へ呼ばれた。

「止めるな!」とガンガが叫ぶ。

 自分が出した言葉と逆だった。

「その音へ、揃うな!」

 若い獣の背が傾く。

 完成したばかりの七つの避難路が、中央へ向かって崩れ始めた。