第312話 第十二章「王獣鈴と七重の反響」後編

 欠片を、王獣鈴へ戻す。

 戻す、という言い方にも異議が出た。

「元々そこにあった証拠は」とセレナ。

「溝形状の一致」とロロ。

「切断面」

「一致」

「材質」

「同一範囲。誤差は表面酸化」

「古い記録」

「欠片を外した時期は不明」

「なら『戻す』は推定を含む」

「はめる!」とハル。

「機能確認のため、一時接続」とエリア。

「長い!」

「正確」

「成立」とミラ。

「使用料!」

「私の言葉です」

「一回目は無料」

「契約していません」

「強い」

 王獣鈴は、ゼロスター号の船腹下へ吊られた。

 吊り上げてみると、王獣鈴は政治だけでなく物理的にも重かった。

 船腹が左へ四度傾く。

「共同保管が左寄り!」とハル。

「思想ではなく重心です!」とエリア。

「思想も重心を作る」とロロ。

「修理中に哲学するな!」

 水樽を右へ移す。

 機関油を中央へ。

 客員席の下に積まれていた各地の石を、左右へ同じ数ではなく同じ重さで分ける。

 ハルの凪浜の小石は軽い。

 自由港の錨片は重い。

 翼亀図書館の棚金具は形が悪い。

「旅の記念品が船を傾けてたの?」

「前からだ!」とロロ。「お前が端の石を拾うたび、右舷が歴史になってる!」

「歴史は重い」

「片付けろ!」

 ガンガの鐘棍を外すと、今度は右へ傾く。

 客員席の持ち主がいなくても、残した物は船の重さへ参加している。

 ロロは王獣鈴の懸架点を一か所へ集めず、船腹四点へ分けた。

「中央へ吊った方が安定しない?」とハル。

「中央へ一本で吊れば、その一本が切れた時全部落ちる。四点なら一つ切れても三つで止める」

「誰か一人の所有にしないのと同じ」

「たまたま似てるだけだ。機械へ美談を貼るな」

「でも似てる」

「似てるのは記録していい」とセレナ。

「許可が出た」

「因果とは書きません」

 船は水平へ戻る。

 完全ではない。

 風が吹けば揺れる。

 共同保管とは、動かない中心を作ることではなかった。

 傾いた時、どこを動かしたかを全員が見られるようにすることだった。

 巨大な黒銀の弧は、四本の懸架索で船腹へ収まった。

「本来動作は戻してない」とハル。

「これは修理じゃねえ。懸架具を新しく作った」

「リメイクなし」

「使えば、昔の王の保管方法へ戻るかもしれん。今の共同保管と違う」

「機械にも政治がある」

「政治が機械へ逃げ込むんだよ」

 欠片は、七地域の代表、セレナ、ロロが見守る前で接続される。

 ロロが工具で押し込まない。

 七頭の現在の拍を、珠で一度ずつ伝える。

 黄。

 赤。

 紫。

 青。

 白。

 緑。

 薄翠。

 最後に無音。

 欠片が、自分から半寸だけ動く。

 切断面へ収まる。

 音はしない。

「完成?」とハル。

「形状は」とロロ。

「機能は」とセレナ。

「未確認」とエリア。

「みんな言葉が硬い」

「お前が柔らかすぎる」と三人。

 吊り上げ試験では、鈴を持ち上げる綱も七本に分けた。

 一本が切れても落ちない。

 一本だけを引けば傾く。

 七本を同じ強さで引く必要もない。

 鈴の重心は中央にないからだ。

「天鍵、偏ってる」とハル。

「欠陥ではなく形状」とロロ。

「性格悪い重さ」

「物へ性格を付けるな!」

 北側は短く強く。

 西は長く弱く。

 赤土側は二度に分ける。

 樹冠側は一拍待つ。

 東は細い補助索。

 南は船の揺れへ合わせる。

 若草側は最後に遅れて張る。

 七拍の救難と同じ順ではない。

 同じ成功手順を、便利だからと別の物へコピーしない。

「俺はどこを持つ」とハル。

「中央索はありません」とエリア。

「じゃ余る」

「合図」

「一番偉そう」

「一番軽い」

「言い方!」

 ハルは七地域の手元を見る。

 誰か一人の顔で判断しない。

 切れ込み札。

 張力計。

 船腹角度。

「北、半分。西そのまま。赤、一度離して。樹冠、待って。東、補助二。南、波の後。若草――今!」

 王獣鈴が上がる。

 真っ直ぐではない。

 必要な角度へ、少し傾いたまま。

 船腹の懸架架へ収まる。

 誰も一人では持ち上げていない。

 だから記録欄にも、『ハルが天鍵を得た』とは書かれなかった。

『七地域および保管船、共同で懸架完了』

 ハルはその長い一行を読む。

「英雄譚っぽくない」

「誰の英雄譚?」とエリア。

「分かんない」

「なら問題ありません」

 別れは、会議より短かった。

 ミラは自由港へ戻る。

 青旗船団と橙旗船団は、同じ方向へ出ない。

 青は北回り。

 橙は南回り。

 フリー・ラインの救難艇だけが、その間を一刻並走する。

「一緒に戻らないの」とハル。

「救命共同は成立。船団統一は不成立」

「仲直りしてない」

「喧嘩の理由が残ってる」

「助け合ったのに」

「助け合ったから、全部同じになれって言うのが一番高い請求だ」

 ミラは壊れた風鈴を一つ、客員席の下から拾う。

 前に置いていった三枚の風鈴を結んだ赤茶の革札。

 一枚は、港側で売られかけた跡に、パルが木片を足している。

「これ、持ってく?」とハル。

「船側は船に置く。私の側は港へ」

「同じじゃない」

「更新したら違う。次に会った時、どこが変わったか読める」

 パルがハルの鞄へ、盗んでいた匙を一本戻す。

「これ、ゼロスターの?」

「違う」

「じゃ誰の」

「次、返す」

「どこへ」

「自由港」

 ハルの鞄を、港への保管場所にしたらしい。

「使用料」とハル。

「パン一個」

「高い」

「市場価格」

 ミラの笑いが短く三回。

「契約終了じゃない」と彼女。

「何」

「今回の救難。精算は続く。助かった顔をしたからって、勘定を勝手に終わらせるな」

「誰に言ってる?」

「助かった顔してる奴全部」

 意味は分からない。

 風鈴が鳴り、二つの船団は別の航路へ出た。

 ガンガは残る。

 ネムも。

 ハダンも。

 七地域の巡回は、明朝から始まる。

「明朝?」とハル。「今日くらい休めば」

「北黒棚の患者棚が傾いてる」

「聞き手がいる」

「その聞き手の交代が必要だ」

「王じゃないのに忙しい」

「王なら、宮殿で報告を待てた」

「宮殿、落ちた」

「ちょうどいい」

 ガンガは王獣の抜け毛を編んだ緑の房を二本作る。

 一方を自分の髪へ。

 もう一方を、ゼロスター号の主帆内側へ。

 一本の緑ではない。

 七色の毛が並び、途中だけ三つの結びでつながる。

「三枚目」とエリア。

 最初はティアの、折れた規則剣の目盛り片。

 二枚目はミラの、三枚の風鈴を結んだ赤茶革。

 三枚目が、ガンガの緑の房。

 航路札は、別れた者を船へ縛る鎖ではない。

 船に残る一本と、故郷へ持ち帰る一本。

 同じ素材が、別の場所で変わっていく。

「次に会った時」とハル。「毛、増える?」

「群れが分かれれば」

「減る?」

「抜ければ」

「国の数?」

「毛の数を国へするな」

「じゃ何」

「歩いた跡」

「分かりにくい」

「今の俺たちも分かりにくい」

「王じゃなく、国は七つじゃなく、でも救難は一緒」

「そうだ」

「名前は」

「まだ」

「好き、その答え」

「ネムのものだ」

 ネムが太鼓を一度。

 聞いた。

 所有はしていない。

 ハルは笑う。

「ガンガ」

「何だ」

「王にならないで、怖くない?」

「怖い」

「王になっても」

「怖い」

「同じ?」

「違う。王になれば、怖さを命令へ変えられる」

「ならない方は」

「誰かへ言う」

「今みたいに」

「今みたいに」

 ガンガは胸を二度叩く。

 地面は叩かない。

 自分の拍だけ。

「ハル。お前は帰るのか」

「地球へ?」

「いつか」

「帰りたい」

「ここを捨てるか」

「離れる」

 ネムの言葉。

「戻れる保証はない」とガンガ。

「ない」

「それでも」

「行き先は、自分で決めたい」

 ガンガは頷く。

「なら、帰る道を一つへするな」

 助言は、未来の答えではない。

 今の彼が、今の失敗から言える範囲だった。

 日没前、ハルは主帆の根元へ登った。

 高い場所から見れば、七地域は一つの輪に見えるかもしれないと思った。

 見えなかった。

 北黒棚は雲の上。

 西水盆は薄い雨の中。

 赤隆起は夕日を返し、高風林はその影へ隠れ、東塩路は白く、南断崖雲は紫に沈み、若草地はルゥの背と地面の境がまだ曖昧だった。

「一つに見えた?」

 エリアが梯子の下から言う。

「見えない」

「地図なら重ねられます」

「重ねないんでしょ」

「透明板は重ねます。混ぜません」

 彼女も登る。

 右踵一。

 左一。

 呼吸一。

 ハルは手を伸ばさない。

「手、いる?」

「最後の二段だけ」

 具体的な依頼。

 最後の二段で、手を出す。

 エリアの指は冷たい。

 登り切れば離れる。

 離れた後も、握った形だけが掌へ残る。

「仲間って」とハル。

「定義の話ですか」

「ミラは帰った。ガンガも残る。ティアも船にいない。でも仲間?」

「あなたはどう定義しますか」

「一緒にいる人」

「では、今いない人は違う」

「だから更新」

「候補は」

 ハルは主帆の内側を見る。

 目盛り片。

 風鈴。

 緑の房。

「離れた後も、こっちの選び方を変えた人」

「敵も該当します」

「嫌な更新」

「精度が不足」

「じゃ、離れた後も、また会った時に続きを話したい人」

「会わなければ」

「続きを持ってる人」

 エリアは少し考える。

「暫定定義として採用します」

「十四日?」

「期限は設けません。異議が出た時に更新」

「珍しい」

「全部へ期限を付けるのも、期限による支配です」

 風が来る。

 エリアの左編み髪がほどけかける。

 ハルは言う。

「きれい」

「何が」

 聞き返されるとは思っていなかった。

「夕日」

「いま私を見ていました」

「髪に夕日」

「では、夕日と髪のどちらが」

「言葉を分けないとだめ?」

「証拠として」

「エリアの髪が、夕日で、きれい」

 三つに分けた。

 正確になった分、逃げ道がなくなる。

 エリアは前を向く。

「観測を受理します」

「感想!」

「記録しません」

「顔、赤い」

「夕日です」

「顔を証拠にするな?」

「教育が悪い」

 二人は笑う。

 恋の答えは出ない。

 行き先を急いで一つへ決めなかった者たちは、自分たちの関係だけを例外にして決めるほど器用ではなかった。

 それでも、梯子を下りる時、エリアは最初の二段で手を求めた。

「最後じゃない」とハル。

「条件を更新しました」

 手を取る。

 今度は、下り切るまで離さなかった。

 王獣鈴の最初の観測は、日没後に行われた。

 使うのではない。

 鳴らさない。

 ゼロスター号を、七地域の外周星杭が見える位置へ置く。

 王獣鈴を船腹へ吊るしたまま、周囲の自然音を受ける。

 風。

 七頭の遠い歩み。

 船の機関。

 人の食器。

 零星針は出さない。

 ハルの胸元で、封じたまま。

「何も起きない」とハル。

「観測時間、百拍」とセレナ。

「九十七」

「数えていたのですか」

「途中から」

「では不正確」

「ロロ」

「百一!」

「何で増えた」

「機関拍を数えた!」

「心臓じゃない」とガンガがいない場所で言いそうになる。

 いない。

 客員席は空いている。

 空いているが、緑の房が主帆の内側で揺れている。

 ティアは学院で規則を作り直している。

 ミラは自由港へ帰る途中で、赤字の帳簿を開いている。

 ガンガは七地域のどこかで、一つの拍だけを聞いている。

 船にいない者の時間は、止まらない。

 百二拍。

 王獣鈴が、かすかに震えた。

 一度。

 返りが来る。

 二度。

 三度。

 七重。

 翠獣環の七頭からではない。

 もっと乾いた音。

 砂が金属へ当たるような細い響き。

「方角」とハル。

「一つに定まりません」とエリア。

 七枚の地図板へ、反響が映る。

 北。

 南。

 東。

 西。

 同じ音が、異なる角度から返る。

「鏡?」とロロ。

「断定しません」とセレナ。

「鏡みたい」

「観測表現として記録」

 王獣鈴の表面へ、細かな砂が一粒だけ現れた。

 どこから落ちたのか分からない。

 白でも赤でもない。

 光を受けるたび、裏表が入れ替わるように輝く。

 ハルは触らない。

 エリアが小瓶を出す。

「採取します」

「地図へ?」

「先に材質」

「行き先の名前、聞こえなかった」

「鈴は案内人ではありません」

「王獣を呼ぶ道具でもなかった」

「少なくとも、今確認した範囲では」

 言葉を狭くする。

 世界を狭くしないために。

 七重の反響が止む。

 ゼロスター号の窓が、夜の空を映す。

 その一瞬。

 窓の中だけに、別の景色が現れた。

 砂漠。

 平らな砂ではない。

 無数の鏡面が地平まで立ち、互いの光を返している。

 中央に、扉。

 壁のない扉。

 石か、金属かも分からない。

 開いてはいない。

 向こう側も見えない。

「見た?」とハル。

「記録しました」とセレナ。

「位置」とエリア。

「窓」とロロ。

「窓の向こう?」

「窓の表面」とエリア。「外にはありません」

 ノクスが窓へ前脚を置く。

 像は消える。

 夜空だけ。

 王獣鈴は沈黙する。

 ハルは窓へ額を付ける。

 冷たい。

「扉なのに、道がない」

「道がないから、扉だけ見えたのかもしれません」とエリア。

「行く?」

「今は、行き先を決める情報が足りません」

「保留」

「はい」

 ハルは赤いマフラーを結び直す。

 主帆の内側で、三枚の航路札が別々の音を立てる。

 目盛り片。

 風鈴。

 緑の房。

 扉は開かなかった。

 映っただけだった。

 だから行き先は、まだ誰かに決められていない。

 それは不安であり、空白であり、次に自分たちが選べる余地でもあった。