第318話 第三章「どの鏡も正しい」後編

 赤天幕へ戻る。

 十二枚の鏡を、一枚ずつ調べる。

 第一鏡。

 青天幕。

 小石通過。

 塩露あり。

 像は現在と一秒以内。

 向こうの床へ付けた白線と一致。

 リゼが金縁。

 第二鏡。

 治療天幕。

 小石は戻る。

 通過不可。

 像は七分前。患者が移動した後も寝台に残っている。

「嘘?」とファル。

「七分前には本当」とリゼ。

 青縁。

 外周へ白い時差札。

 第三鏡。

 赤天幕自身を斜め上から。

 通過不可。

 像は現在。

 観測位置不明。

 紫縁と白い位置札。

 第四鏡。

 家畜柵。

 小石通過。

 ただし投げた小石が、鏡の上側から落ちて見える。

「出口の向きが九十度違う」とエリア。

「床は」とハル。

「向こう側では壁」

「また穴」

「入らない」

 第五。

 黒夜砂。

 通過可。

 向こうは夜。

「同じ空域で夜?」とハル。

「鏡砂丘の裏側。日照が届かない斜面」とサミラ。

「物理距離」

「歩けば三日。鏡なら一枚」

 位置の遠さと、接続の近さが反対になる。

 第六。

 水車。

 観測のみ。

 像は現在。

 第七。

 水車。

 通過可。

 像は二分前。

 出口は砂穴壁。

 第八。

 同じ赤天幕。

 通過可。

 出れば赤天幕の反対側。

 第九。

 同じ赤天幕。

 観測のみ。

 十二秒前。

 第十。

 何も映らない。

 銀色だけ。

「壊れた?」とハル。

 リゼが白縁を付ける。

「分からない」

 ロロが小石を投げる。

 戻る。

 トーヴが眼鏡を畳まず、鏡へ近づく。

「空を映しています」

「銀しかない」とハル。

「曇りの上。雲中。微細な水滴」

「空が何もないみたいに見えた」

「何もない像も、何かを映している場合があります」

 第十一。

 ナジュの青鈴。

 彼女は砂へ傷を付けている。

 通過可。

 ハルが入ろうとする前に、エリアが腕を出す。

「小石」

 投げる。

 銀面へ消え、赤天幕の第八鏡から出た。

「ナジュの場所へ行かない」とハル。

「像は観測中継。通過先は別」

「一枚の鏡が、違う二つを持つ?」

「表の景色と、門の出口」とサミラ。

「それを同じ顔で出すな!」とロロ。

「砂嵐までは、持ち主が覚えていた」

「記憶へ安全規格を外注するな!」

「鏡技師へ言って」

「二人行方不明!」

「だから怒ってる」

 サミラの声が低くなる。

 ロロの補助腕が下がった。

「……悪い。設計へ怒った」

「分かってる。私は、覚えていたつもりの自分へ怒ってる」

 謝罪は、相手の怒りを消すためにするものではない。

 怒る場所を分けるためにすることもある。

 第十二鏡。

 ゼロスター号。

 船首にはピコ。

 像は現在。

 通過可。

 ただし投げた小石は、ゼロスター号へ出ず、第十鏡から戻った。

「船が見えるのに、船へ行けない」とハル。

「像と門路が完全に分離しています」とエリア。

「全部、正しい像?」とセレナ。

 リゼは十二枚の縁を見比べる。

「見えている物については。第十は雲。ほかも実在を確認。時刻差と角度差はある。でも、作り物はない」

「ユノの術の影響は」

「演奏停止後も同じ。幻の白縁もない」

 セレナは証羽を十二枚へ飛ばす。

 黒い羽は、鏡像を信じない。

 見たものを、見た角度のまま記録する。

 第一鏡の青天幕。

 第二鏡の七分前の治療天幕。

 第三鏡の上から見た赤天幕。

 第四鏡の壁向き家畜柵。

 第五鏡の夜砂。

 第六と第七の水車。

 第八と第九の赤天幕。

 第十の雲。

 第十一のナジュ。

 第十二のゼロスター号。

「偽鏡なし」とセレナ。

「なら、正しい鏡だけ選べば」とハル。

「何を正しいと呼ぶ?」とリゼ。

「今を映す」

「今を映しても、通れない」

「通れる」

「通れても、像の場所へ出ない」

「両方」

「十二枚には、一枚もない」

 ユノが白いヴァイオリンを構える。

「見える景色と出口を、別々に表示する」

「今度は埋めないで」とリゼ。

「空白を残す」

「口だけじゃなく」

「弦で」

「楽器を信用の代わりにしない」

「厳しいな」

「今の私に聞いて」

 ユノは一音を鳴らした。

 鏡の上へ、二つの印が浮かぶ。

 目。

 矢印。

 目は、何を映すか。

 矢印は、どこへ出るか。

 第一鏡。

 目は青天幕。

 矢印も青天幕。

 第二。

 目は治療天幕。

 矢印なし。

 第三。

 目は赤天幕上空。

 矢印なし。

 第十一。

 目はナジュ。

 矢印は赤天幕。

 十二。

 目はゼロスター号。

 矢印は雲中。

「同じ面へ、別の役割が重なってた」とハル。

「観測と通過」とエリア。

「表から見えるのは観測。通過先は裏の刻印」

「砂嵐で裏表が」

 ロロが言いかける。

 サミラが彼を見る。

「まだ仮説」とセレナ。

「触ってねえ!」

「言葉でも先に分解する癖」

「俺はそういう職業だ!」

 正しい像だけを選ぶ。

 金縁だけ。

 現在確認だけ。

 実在だけ。

 エリアが、その条件で三枚の鏡を選んだ。

 第一。

 第六。

 第十二。

「青天幕、水車、ゼロスター」とハル。

「像は現在。実在。直接確認」

「通過先は」

「第一だけ一致。第六は観測のみ。第十二は雲中」

「正しい三枚で、道にならない」

「だから、像の正しさを選別基準にしない」

 エリアは十二枚の鏡へ、二種類の札を置く。

 見えるもの。

 出るところ。

 同じ鏡へ、同じ場所を書けない。

 美しい一枚図にはならない。

 その時、トーヴが第三鏡の銀縁へ顔を近づけた。

「何か」とセレナ。

「表ではなく、縁の側面です。触れても?」

 サミラが鏡の持ち主を呼ぶ。

 年老いた女が来る。

 トーヴの眼鏡を見て、腕の文字刺青を見て、頷いた。

「側面だけ。裏は読まない」

「条件を記録します」

 トーヴは右手を使わず、左親指で縁の砂を払う。

 古い小さな光が、文字の形に残っていた。

「閲覧痕」とリゼ。

「王家記録者の古式印。少なくとも三十年以上前。誰かが、この鏡の裏面記録を閲覧した」

「誰」とハル。

「残光は職級だけ。個人名なし」

「王家が隊商路を見てた?」

「その可能性。監視、検査、修理、地図作成。目的は断定できません」

「今の循環と関係」

「不明です」

 トーヴは脚注札を一枚、鏡の側面へ付ける。

『古式閲覧痕あり。因果未確定。裏面内容は未閲覧』

「見つけたのに、見ない?」とハル。

「救難に必要なら、持ち主へ理由を説明してから。古い権力が勝手に見た痕跡を見つけたからといって、私たちも勝手に見れば、違いは版番号だけになります」

「脚注卿」とリゼ。

「貴族ではありません」

「褒めてない」

「認識しています」

 赤天幕の十二枚は、どれも嘘を映していなかった。

 だからこそ、誰も像だけでは道を選べない。

 ナジュは第十一鏡の中にいる。

 ゼロスター号は第十二鏡の中にいる。

 水車は二枚の中にいる。

 見える。

 届かない。

 正しい像は、救援隊を三度、同じ赤天幕へ戻した。

 セレナは証羽へ一文だけ書く。

『当該鏡群に虚偽像を確認せず。通過先と観測先の一致を確認せず』

「長い」とハル。

「短くすると」

「『鏡は正しい。道は違う』」

 セレナは少し考える。

 証羽の下に、注記として加えた。

『鏡は正しい。道は違う』

 その短い一文の方が、隊商民には早く伝わった。

 そして早く伝わったから、次の誤りも早く始まった。

「なら」とサミラが言う。「全部の像を一枚へ並べれば、本当の位置が分かる」

 エリアの淡緑の瞳が、金色の縁を帯びた。

 未知の地図を前にした時の色。

「できます」

 その返事は、あまりに速かった。