第362話 第一章「自分を誘拐した公女」後編

 告発状が届いたからといって、置き手紙の調査が終わるわけではない。

 法は法の定義で動く。

 現場は、現場の痕跡で動く。

 セレナは食堂の紙を一枚ずつ番号へし、全員をユノの治療室へ戻した。

「昨夜すでに調べた」とハル。

「告発状が来たことで、調べる目的が変わりました」

「人さらいがいたか、じゃなく?」

「国家が人さらいと呼んでいる行為が、実際にどう行われたか」

「同じ部屋を二回見る?」

「一回目に見つからなかったものだけでなく、一回目に意味がなかったものが、二回目に意味を持ちます」

「部屋も版履歴」とトーヴ。

「人の生活へ脚注を付けすぎないでください」とリゼ。

「今のは比喩です」

「脚注を一つ?」

「……減らします」

 治療室には、昨日の空気が残っていた。

 苦い薬草。

 鏡砂消毒液。

 ユノが葡萄の皮だけ残した皿。

 窓は内側から閉じている。

 扉の封鎖糸は切れていない。

 床には争った跡がない。

 その事実は、すでに確認済みである。

 今度、セレナは「出る準備」を探した。

 寝台の下。

 洗面台。

 衣装箱。

「黒い外套が一着ない」とリゼ。

「普段着?」

「王家印のない旅用。兄さんが、身分を隠すには白髪が目立ちすぎると文句を言いながら買った」

「靴」とハル。

 靴箱には三足。

 舞踏靴。

 王宮礼装靴。

 室内靴。

 砂地用の短靴がない。

「歩く準備」とセレナ。

「連れ去られた人は、靴を選べない?」

「選べる状況もあります。強要者が準備させる場合もある。単独では決定打になりません」

「決定打じゃないもの、多い」

「現実は一つの決定打を用意しません」

 ロロは洗面台の裏へ補助腕を入れた。

「触る前に」とセレナ。

「見るだけ!」

「三本目がネジを回しています」

「見るために外す!」

「現状変更」

「じゃお前が外せ!」

「証拠保全手順に従います」

「手順が遅い!」

「あなたが速すぎる」

 二人が言い争う間に、ノクスが机の下へ鼻を入れた。

 破られた約束の匂いを追える夜獣。

 ハルは名前を呼ぶ。

「ノクス」

 二本尾が止まる。

「嗅がなくていい」

「ナァ」

「ユノが嘘ついたか、道具にしない」

 ノクスは机の脚へ爪を一度立て、代わりに床へ落ちた葡萄の種を食べた。

 拒否を尊重された動物は、必ず感謝するわけではない。

 それでも、勝手に証拠へされないことを覚える。

 ロロが洗面台の背板を外す。

 中に、小さな鏡門整流器。

「壊れてる?」とハル。

「壊してある」

「誰が」

「ユノ。切り方が楽器用の細刃。ここの補助反射を一枚だけ止めてる」

「何のため」

「治療室の出入りを王家中央鏡へ自動送信しないため。記録そのものは船内へ残る」

「消した?」

「中央へ送らなかった。船の記録は消してない」

 セレナが時刻を読む。

 正午二分。

 扉が開く。

 正午四分。

 閉じる。

 ユノ一人分の体重。

「逃げるなら、船内記録も消せた」とロロ。

「消し方を知っていた?」

「千扉隊商の安全点検で説明した」

「説明したの?」

「鏡門の安全点検で! 悪用講座じゃねえ!」

「知っていて残した」とセレナ。

「見つけてほしかった?」とハル。

「そうとは限りません。消さないことと、追ってほしいことは同じではない」

 机の引き出しから、小さな紙片が出る。

 置き手紙の書き損じ。

 一枚目。

『探さないでください。』

 横線で消してある。

 二枚目。

『追わないでください。』

 これも消した。

 三枚目。

『役名で探さないでください。』

 採用された文。

「変えた」とハル。

「探すこと全部を拒否していない」とエリア。

「友達として来る余地を残した?」

「そこまで断定しない」

「でも、探すな、から役名で探すなへ変えた」

「事実です」

 ハルは紙片を見た。

 父は、必ず帰るとだけ残した。

 行き先も、危険も、待つ期限もなかった。

 ユノは帰るとは言わない。

 探す方法だけを限定した。

 どちらが正しい、ではない。

 ただ、説明を残すことにも技術がある。

 説明を残しすぎれば追跡路になる。

 少なすぎれば、残された者へ全ての判断を押しつける。

「俺なら」とハル。

「何」とエリア。

「危険の種類だけ書く」

「自分が消える予定でも?」

「予定はない」

「仮定」

「怪我か、追われてるか、一人でいたいか」

「帰る時刻は」

「分からないなら書かない」

「私へ連絡は」

 エリアの声が、少しだけ私的になる。

「する」

「即答」

「しないと槍が飛ぶ」

「理由を武器へしないで」

「じゃ、心配させたくない」

「それも本人不在で決める保護です」

「難しい」

「だから、次も聞いて」

 昨夜の舞踏会で交わした言葉。

 ハルは一度、羅針盤の蓋を弾く。

「聞く」

 セレナが書き損じを透明袋へ入れる。

「現在確認できる事実。ユノは自分で旅装を選び、船内記録を消さず、王家中央への自動送信だけを止めた。置き手紙は『探すな』から『役名で探すな』へ訂正した」

「結論は」とカイル。

「準備して出た可能性が高い。強要を完全には否定できない。少なくとも、告発状が前提とする身体的連れ去りの痕跡は、現時点でない」

「それを法廷へ」

「出します」

「告発、取り消せる?」

「相手が問題にしているのは、身体的連れ去りではありません」

「同じ部屋を見て、同じ事件じゃないって分かった」とハル。

「はい」

「嫌な学び」

「重要な学びは、好ましいとは限りません」

 船体の外で、鏡が鳴る。

 法廷列車の接近音。

 ハルはユノの空いた寝台へ背を向ける前に、出口を一度見た。

 窓。

 扉。

 床下点検口。

 どの出口を使ったかは分からない。

 だが、出たことを「奪われた」と先に決めないための証拠は増えた。

 警告鐘が三度鳴る。

 ゼロスター号の帆に、白い鏡鎖が巻き付いた。

 帆布を切らない。

 機関を止めない。

 ただ、航路条件を上書きする。

『当船は、審理終了まで王国保護域を離脱できない』

「保護」とロロ。

 補助腕が一斉に鎖へ伸びる。

「触るな」とセレナ。

「壊してねえ、調べる!」

「同じ結果になる時があります」

「技術者への偏見!」

 法廷列車の先頭鏡が、ゼロスター号の船首へ接続する。

 扉が開く。

 黒と白の法衣を着た法吏が三人。

 顔の半分を、反射しない布で覆っている。

「誓術を扱う公開法廷〈ヴォウ・コート〉、七都巡回審理を開始する」

 中央の法吏が告げる。

「被害公女ユノ・ヴァレントの所在は」

 ハルが答えた。

「知らない」

「被告人ユノ・ヴァレントの所在は」

「同じ人だろ」

「法的地位が異なる」

「身体は一つ」

「その点が、審理対象である」

 法吏は鏡札を一枚掲げた。

『ゼロスター号、移動禁止』

 白い鏡鎖が締まる。

 船が止まった。

 止まったのは船だけではない。

 どこへ行くかを、本人が決めるまで待とうとしていた時間を、国家が先に拘束した。

 ハルは空席を見る。

 ユノはいない。

 それでも裁判は始まる。

 本人の不在を、本人の同意として数えるためではない。

 本人がいない間に、本人の居場所を誰が所有できるのかを決めるために。