第376話 第八章「鏡門追跡」後編
最初の鏡門が閉じた。
警告音は、閉じる三拍前に鳴った。
「早い!」とロロ。
「通常は十拍」とエリア。
「誰かが保護封鎖を先行させてる!」
王家回収隊ではない。
人の姿はない。
ユノの所在が保護宮殿へ登録されたことで、鏡門網そのものが「外部者の接近」を危険として処理し始めた。
法廷列車の進行権と、保護宮殿の遮断権。
二つの正当な命令が、同じ門へ入る。
門は判断できない。
判断できない機械は、止まるか、両方を半分ずつ実行する。
鏡面が中央から割れ、入口と出口がずれた。
先頭車は第六都市。
二両目は第五都市。
三両目以後は鏡門の途中。
「列車が七つに裂けるぞ!」
ロロの補助腕が、床下の接続器へ伸びる。
「触っていい!」とセレナ。
「記録したか!」
「緊急改変、時刻九時十二分、目的は車両分断防止!」
「よし!」
「費用は後で争います!」
「そこは今認めろ!」
分断は車両だけでは済まなかった。
第四車両の半分に、証言都市オラの橋が現れる。
第五車両の天井には、折紙都市の雨石が逆さに降る。
第六車両の窓から、裏鏡市の灰布が吸い込まれた。
法廷列車は七都市を移動してきた。
今、その通過履歴が一度に車内へ戻っている。
「傍聴人を先に!」とカイル。
「全員を同じ出口へ出せない!」とロロ。
白い門は実在するが、証言都市へ出る。
黄色い門は遅延し、折紙都市の二分前へつながる。
灰色は過去像。入れば身体だけが行き先を失う。
「選択肢を表示!」とセレナ。
リゼが三色の縁を広げる。
「白、現実。黄、遅延。灰、通過不可。白が安全とは限らない!」
「オラへ出る人、いる?」とハル。
傍聴人の一人が手を上げる。
「私はオラに家族がいる」
「じゃ白」
「法廷へ戻れなくなる」
「戻りたい?」
「今日の判決は聞きたい」
「なら乗ったまま」
別の傍聴人。
「折紙都市へ出る。仕事がある」
「黄は二分前」とリゼ。
「二分前なら、まだ出勤前だ」
「自分に会う可能性」とトーヴ。
「朝の自分なら、橋の向こう」
「接触禁止。過去像へ干渉すると門が閉じる」
「じゃ待つ」
追跡の危機で、全員を「救助対象」と一つに数えない。
法廷へ残る理由も、出る理由も違う。
セレナは各車両へ短い選択札を配る。
『残る』
『最寄り都市へ出る』
『決めない』
「決めない人はどうする!」と法吏。
「中央車両へ。選択期限は門の閉鎖十拍前。無回答を残留へ数えない!」
法廷は、人の意思を争っている最中に、人を勝手に運べない。
その慎重さが、救難を遅くする。
遅さは危険である。
速さも危険である。
「十拍前に決められない人!」とハルが叫ぶ。「俺が一緒に中央へ行く!」
「あなたは枠を取る役!」とエリア。
「じゃカイル!」
「国家資産を相談員へ使う?」
「得意だろ!」
「王子への無茶振りが制度化している!」
カイルは盾炎を床へ広げたまま、決められない老女の前へ膝をつく。
「法廷へ残る利益は判決を聞けること。出る利益は、今すぐ家へ帰れること。どちらを選んでも、証言権は失わないよう記録する」
「あなたなら」と老女。
「俺の答えは要らない」
「王子でしょう」
「だから要らない。重すぎる」
老女は決めない札を持ったまま、中央車両へ移る。
カイルの王盾炎が強くなる。
守る人数ではなく、守ると本人が引き受けた人数へ応じる術。
「三十三!」とロロ。
「何が」
「残留! 退出九! 保留四!」
「合計」
「四十六!」
「乗員は四十七」とセレナ。
「ノクス!」
ノクスは車両間の鏡索の上にいる。
「本人はどれ」とハル。
赤、青、白の札を見せる。
残る。
出る。
自由移動。
ノクスは自由移動の白札を噛み、ハルの腰索へ結んだ。
「四十七!」
「動物欄でなく本人欄へ」とセレナ。
分断した列車の数が合う。
ロロが床下接続器を回す。
「次の門まで二十六拍!」
エリアの路図は休止中。
ハルの足裏記憶と、リゼの白縁と、ロロの接続音と、カイルの床だけで進む。
一人の能力が止まっても、路が止まらない。
鏡門追跡は、走ることだけではない。
門の中では、前と後ろが別の都市になる。
右足だけが乾いた砂へ、左足だけが冷たい書庫床へ着く。
音は二拍遅れて帰る。
エリアはグリムリリーを地図槍へ変えた。
「路図を開く」
白い槍先から銀線が走る。
測定済みの床。
車両の接続。
門のずれ。
閉鎖までの時間。
いつもなら、最短の一本を描く。
今は描かない。
「線を増やす」とハル。
「退路を残す」
銀線は前へ進まず、後ろの六両を囲む。
進行路ではなく、撤退路。
路図を、行かせるためでなく、戻れるように使う。
「三十拍」とハル。
「数えないで。自分で――」
「監視者」
「……そうだった」
一。
二。
三。
ハルが数える。
エリアは、数えられることを屈辱だと思わないよう努力する。
努力している時点で、まだ屈辱なのだ。
十拍。
右踵へ針。
申告する。
「痛み、二」
「十段階?」
「五段階」
「先に言って」
「今言った」
「数の意味」
「次から書く」
二十拍。
左肺が薄くなる。
「呼吸、一・三」
「計れる?」
「あなたより正確」
「張り合うな」
二十八。
二十九。
三十。
「切る」
エリアは自分で中止輪を握った。
銀線が消える。
退路は、残った。
前方の最後の接続だけがない。
「あと一枚」とロロ。
「私の再展開は六十拍後」
「待てねえ!」
「私がやる」とリゼ。
面紗の下で、紫の瞳へ金輪が広がる。
彼女の術は、正しい道を作らない。
鏡像へ確度を示す縁色を付ける術〈トゥルース・フレーム〉。
今見えている三つの出口へ、白、黄、灰の縁が付く。
「白は実在。黄は接続先が遅延。灰は過去像」
「どれ」とハル。
「白。でも、白が安全とは言ってない」
「十分」
「十分を勝手に決めないで」
「俺の身体に聞く」
ハルは床へ手をつく。
門を一度走った時の段差。
砂の匂い。
左から吹いた冷気。
視覚では同じ三つの鏡も、足裏の微振動は違う。
「中央」
「白は右」とリゼ。
「入口が右で、出口が中央へずれてる」
エリアは地図を出さない。
ハルへ任せる。
任せるとは、祈ることではない。
相手の根拠を聞き、撤退条件を共有し、自分の手を一度下ろすことだ。
「手伝って」と彼女は言った。
命令形ではない。
具体的な役割。
「中央の段差を取って。私は後ろを閉じさせない」
「分かった」
「分かった顔だけ――」
「走る!」
ハルが飛ぶ。
一、二、三。
赤いマフラーが三つの鏡像へ分かれ、中央の出口だけが遅れて揺れた。
彼の右手が枠をつかむ。
左肩が引かれる。
「肩!」
「大丈夫!」
「申告が雑!」とティアの遠隔声。
「痛み、五段階で一!」
「その尺度、誰の!」
「今作った!」
「規則へ入れない!」
ロロが鏡索を射出する。
ハルの腰へ巻く。
カイルが最後尾で王盾炎を薄く展開した。
人数を守るほど強くなる炎を、門を押し開くためではなく、分断した車両の揺れを受ける床へ広げる。
「守る人数、何人」とハル。
「法廷全部!」
「景気いい!」
「肋骨には悪い!」
「申告しろ!」
「痛み、王子尺度で二!」
「その尺度も廃止!」とティア。
リゼが白縁を更新する。
「中央、実在率上昇。今」
ハルが鏡枠を引く。
車両一両分の隙間が開いた。
法廷列車が、一本ずつ通過する。
最後尾が抜けた瞬間、三枚の門は重なって閉じた。
床へ全員が落ちる。
エリアは踵をつく前に膝を折り、衝撃を逃がした。
左肺へ空気。
一回。
二回。
「平常へ戻るまで四十拍」とハル。
「見ないで」
「監視」
「便利な権限を得た顔」
「権限少ないって言ったばっか」
「少ないものほど乱用する人がいる」
「俺?」
「今後の実績で判断」
ティアの遠隔鏡に、短い息が聞こえた。
笑ったのか、右膝が痛んだのか。
彼女は記録へ書く。
『改訂条件一、本人申告は機能。
問題一、尺度の事前共有不足。
問題二、監視者が自作尺度を許容。
問題三、王子尺度は廃止。』
「俺だけ名指し?」とカイル。
「国家資産として記録が必要だ」
「今それを使う?」
「使う」
法廷列車が安定してから、ティアは最初に成功を褒めなかった。
「中止確認」と言った。
「まだ門が一枚」とエリア。
「だから確認する。続行することを前提に質問しない」
呼吸。
踵。
左肺。
視界。
エリアは一つずつ答える。
「呼吸、一・一。右踵二、左一。路図休止は完了。続行を選ぶ」
「監視者」
「歩幅、平常の九割。右肩差なし。嘘ついてない」とハル。
「最後の部分は判定不能」とセレナ。
「見た感じ」
「見た感じを真実判定へしない」
「でも本人が申告した」
「なら、申告と観察が一致、と記録」
エリアは赤い中止輪を握り直す。
「続けます」
「許可ではない」とティア。
「確認」
「そうだ」
カイルも炎を解き、右腕を胸へ寄せる。
「痛み、王子尺度で――」
「廃止済み」と全員。
「五段階で二」
「休止」とロロ。
「異議なし」
ハルは左肩を回す。
「一。耳鳴りは二」
「零星針」とエリア。
「使ってない」
「正解を指す針を持っているのに?」とリゼ。
「ユノの行きたい場所を指す針じゃない」
「少し成長」
「少し?」
「実績で」
七つ目の門へ向かう前に、全員が一度座った。
追いつく直前に休むことは、遅れではない。
会えた時に、自分の焦りを相手の答えへ押しつけないための準備である。
ハルは水を飲み、赤いマフラーの結び目を直した。
「会いたい?」とエリア。
「会いたい」
「連れて帰りたい?」
「思ってる」
「私も」
「でも」
「聞く」
同じ言葉。
その先の答えまで同じだとは、二人とも言わなかった。
七つ目の鏡門は、追跡を拒まなかった。
白い石の回廊。
音のない噴水。
曇り一つない鏡。
門の向こうに、王家保護宮殿がある。
保護される者が、暗殺者から逃げるために作られた場所。
宮殿の所在地は、毎日変わる。
入口は本人の敵へ開かない。
そして、本人が外へ出ようとしても開かない場合がある。
エリアは最後の通過記録を見る。
『通行者――ユノ・ヴァレント』
『役籍――一時停止中』
『目的――公女保護契約の実地確認』
『同行者――なし』
『強制印――なし』
「自分から入った」とハル。
「はい」とセレナ。
「捕まりに?」
「まだ、本人へ聞いていません」
鏡門の奥で、人影が動く。
白銀の髪。
黒い礼装。
背に、白いヴァイオリンケース。
ユノ。
彼は扉の内側からこちらを見た。
笑わない。
右手を上げる。
右薬指だけが完全には伸びない。
ハルも手を上げかける。
ユノは首を横へ振った。
来るな、なのか。
まだ、なのか。
別の意味か。
代筆しない。
エリアは彼の口を読む。
『連れ戻しに来た?』
ハルが大声で答える。
「聞きに来た!」
ユノの目元が、口元より先に崩れた。
その直後、宮殿の鏡扉が閉じる。
表面へ文字が浮かんだ。
『保護対象への外部接触を、危険要因として停止する』
扉は、誰かが鍵を掛けたのではない。
保護という条件が、自分で閉じた。
最後の鏡門は、王家保護宮殿へつながっていた。
追いついた先にいたのは、逃亡者ではない。
外へ出る権利があるかを、自分の身体で証明しようとする被告人だった。