第378話 第九章「保護の名の檻」後編

 宮殿の昼食は、全員の身体情報へ合わせて出た。

 セレナには蜂蜜を添えた小麦菓子。

 カイルには肋骨へ負担の少ない柔らかい肉。

 エリアには呼吸を刺激しない薄い香り。

 ロロには油分の少ない揚げ生地。

 リゼには鏡面反射を抑えた黒い器。

 ハルには、辛い香辛料を避けた煮込み。

「俺、辛いの好き」とハル。

 侍従が記録板を見る。

「異世界人の胃腸保護規定により、未確認香辛料は除外しています」

「本人に聞かず?」

「安全のため」

「一口食べて決める」

「許可できません」

「じゃ、いらない」

「栄養摂取が必要です」

「食べない自由」

「保護対象ではないため、あります」

「ユノは」

「食事拒否が二回続くと医療介入です」

 ユノが酸っぱい葡萄を一粒食べる。

「ここは、僕の好みをよく知っている。でも、好みが変わった時の欄がない」

「変えられない?」とハル。

「申請できる。保護官承認が要る」

「葡萄にも?」

「暗殺対策上、食材変更は危険だから」

「本当に危険?」

「本当に危険な時があった」

 ユノは否定しない。

 保護制度は、架空の危険だけで作られたのではない。

 毒が入ったことがある。

 鏡門が爆破されたことがある。

 親族が幼い王子を連れ戻そうとしたことがある。

 一つ一つの規則には、死者や傷が埋まっている。

 だから規則を変える者は、傷を馬鹿にしてはならない。

 傷を尊重することと、傷へ未来の全権を渡すことは違う。

 ハルは、煮込みの横へ置かれた空の小皿を見る。

「ここに香辛料を入れる申請は」

「食材変更票を提出し、毒物検査、医師確認、保護官承認。通常二日」と第一接遇。

「二日後には食べ終わってる」

「次回食へ適用します」

「今の俺が食いたい」

「今の希望を未来の安全へ反映します」

「未来の俺は、辛いの嫌いかも」

 ユノが葡萄を噛む。

「それが、この宮殿の得意な時間だよ。過去の危険を、未来の僕へ延ばす」

「未来を守るため」

「未来の僕へ聞く日を、予定表に入れない」

 隣の卓では、保護対象の少年が髪を切りたいと申し出ていた。

「長い髪が嫌」

「身元識別特徴の変更になります」と第二接遇。

「顔は役名で隠してるのに」

「緊急時に本人確認が必要です」

「短くしたら本人じゃなくなる?」

「確認項目が一つ減ります」

「増やせばいい」

「代替項目の登録に、保護者署名が必要です」

 少年は黙る。

 ハルが口を挟みかける。

 セレナが袖を引く。

「本人が助けを求めていません」

「でも」

「まず、聞く」

 ハルは少年へ向き直る。

「手伝ってほしい?」

「知らない人に?」

「知らない人だから、断りやすい」

「……規定を知りたい」

「切るのを手伝うんじゃなく?」

「今は」

 トーヴが食事を止める。

「代替本人確認は、声紋、指紋、誓紋、本人選択の二項以上で足ります。髪型は必須項目ではない」

 第二接遇が規定を調べる。

「旧版では必須」

「版番号」

「九版」

「現行は十二版」

「更新通知が、この区画へ届いていません」

 少年は笑わない。

「じゃ、切れる?」

「本日の医療確認後、本人署名で」

「今日?」

「はい」

「短くして、明日長くしたくなったら」

「伸びるまで待つ必要があります」

「そこは魔法で戻らない?」

「身体の時間は、申請で早められません」

「分かった」

 少年は自分で決める。

 小さな規定違いが見つかる。

 それはユノの事件の証拠ではない。

 宮殿が悪意の一枚岩でない証拠でもある。

 更新が届かず、古い保護が残る。

 誰かが得をしていなくても、人は古い条件へ閉じ込められる。

「規則は」とハル。「放っとくと古くなる?」

「人が変わるので」とセレナ。

「食べ物みたい」

「腐敗と同一視しないでください」

「期限を書く?」

「見直し期限を」

 ユノは酸っぱい葡萄をもう一粒取った。

「僕の保護契約には、それがない」

「出口の契約を見せて」とトーヴ。

 侍従が首を横へ振る。

「王家機密」

「法廷命令」

「保護対象の安全情報は公開できません」

「公開を求めていません。法官限定閲覧」

「保護主体の許可が」

「保護主体が争いの当事者です」

「では王家代訴官へ」

「相手方だけに見せる?」

「規定です」

 トーヴの眼鏡が白く光る。

「その『規定』の版番号を」

 侍従は答えられない。

 回答権限がない。

 トーヴは怒鳴らない。

 袖から脚注札を一枚抜き、机へ置く。

「閲覧拒否の理由、拒否者、参照規定、版番号不明を記録してください」

 セレナが証羽を出す。

 侍従は迷う。

「私の名が」

「役名で記録します」とセレナ。「個人名を求めません」

「役の判断として残る」

「それが職務責任です」

「私個人の判断ではありません」

「だから、あなた個人を責めていない」

「でも記録される」

「記録されなければ、次の人も同じ拒否をする」

 侍従は胸の役札を見る。

『第一接遇』

「記録してください」

 声が少し変わる。

 役の後ろに、本人がいた。

 出口契約は、公開されなかった。

 公開されない契約を、宮殿の動作から読む。

 それは法解釈というより、巨大な機械の故障診断に近かった。

 ロロは工具なしで、食器を並べ替える。

「この皿、食堂から持ち出せる?」

「衛生区画外へは不可」と第一接遇。

「じゃ葡萄一粒」

「摂取物は本人の体内であれば可」

「口に入れて廊下へ出る」

「可」

「手に持つ」

「不可」

「同じ葡萄」

「役が違う。食材か、本人の摂取物か」とトーヴ。

 ロロは床へ寝そべり、柱の根元に耳を当てる。

「扉だけじゃねえ。部屋ごとに、物と人の役を読み替えてる」

 エリアは地図筆で、許可された行動を線へする。

 ユノが本を持つ。

 図書室から寝室へは通る。

 寝室から庭へは通らない。

「湿気保護」と侍従。

 ユノが同じ本を「証拠」と宣言する。

 法廷待合室へ通る。

「役名で道が変わる」とハル。

「本人も同じ」とエリア。

 ユノが「患者」として医務室へ行く。

 開く。

「来訪者」として入口へ向かう。

 閉じる。

「王子」として父王へ向かう。

 開く。

「個人」として外へ行く。

 反応しない。

「個人の出口が、契約語彙にない」とセレナ。

「ない言葉は、ない人?」とリゼ。

「法が認識できない」

「本人はいる」

「だから法を直す」

 トーヴは柱、皿、寝台、腕輪、庭門の小文字を写す。

 一つずつは安全機能である。

『食材変更は保護官承認』

『身元特徴変更は保護官承認』

『外部接触は危険評価』

『保護終了は安全域内で確認』

『退出は保護終了後』

 並べると円になる。

「誰が円を作った」とハル。

「一人ではない」とトーヴ。「食事担当は毒を恐れ、門担当は暗殺を恐れ、法務は責任を恐れた。各自が自分の区画へ鍵を一つ足した。全体を見た時、鍵が円になった」

「犯人なし?」

「責任者なし、ではない。全体監査をしない責任。終了条件を設けない責任。本人へ権限を返さない責任」

 セレナが証羽で、分散した文を一枚ずつ記録する。

 証羽は真実を判定しない。

 見た文字と場所を残すだけ。

「これで契約全部?」とハル。

「いいえ」とセレナ。「見えた実行条件だけ。秘密条項を想像で埋めない」

「でも円は見える」

「見える範囲で、円は立証できる」

 ユノが壁へ手を置く。

「僕は、全ての条項を知らずに守られていた」

「守られる側が知らなくても、守れる」と第一接遇。

「出たい側は、知らないと出られない」

 同じ秘密が、一方には盾で、一方には迷路になる。

 代わりに、宮殿そのものが実行する条件を一つずつ試す。

 ユノが「庭へ行く」と言う。

 開く。

「医務室へ行く」

 開く。

「父王へ会う」

 開く。

「法廷へ証言に行く」

 扉が半分開く。

 鏡面に文字。

『保護対象として、閉鎖証言室へ移送』

「被告人として法廷へ出頭する」

 扉が震える。

 二つの役が衝突する。

『被告人の出頭権――優先』

『被害公女の保護義務――優先』

「両方優先」とハル。

「最優先が二つある設計」とロロ。「壊れてる」

「作った時、同じ人が両方になる想定がなかった」とトーヴ。

「自己誘拐なんて想定する方が変だろ」

「想定外を変と呼んで排除すれば、制度は想定内の人だけを人間として扱う」

「脚注長い」

「主文です」

 エリアが、扉の下へ細い文字列を見つける。

 契約書の隠れた条件〈スモール・ライン〉

 小さく書かれているから隠れたのではない。

 本文の目的を実行するため、床や柱や食器へ分散され、全体を見なければ条件だと分からない。

『保護対象の退出は、保護役の終了確認後に認める』

「終了を誰が確認する」とセレナ。

 別の壁。

『保護役の終了確認は、保護対象が安全な保護域内に所在する時に限る』

「中にいないと終われない」とハル。

「終わらないと外へ出られない」とリゼ。

「円だ」とロロ。

「円なら出口がない」とエリア。

「円を切る?」とハル。

「物理的に切れば、宮殿全体の暗殺遮断も止まる」とロロ。「ここにいる他の保護対象まで危険」

「他にもいる?」

「いる」とユノ。「証言できない人。家族から逃げた人。自分でここを選んだ人」

「じゃ壊さない」

 ハルは即答した。

 自分の友人を出すために、別の人の避難所を壊さない。

「法で切る」とセレナ。

「どこ」

「同じ身体に二つの優先役がある。どちらを先に扱うかを、本人へ選ばせる」

「選べる?」

「まだ規定にない」

「作る?」

「法廷へ申請する」

 ユノが首を横へ振る。

「申請は僕がする」

「弁護人がいない」とセレナ。

「だから、自分で」

「法律上の不利益を理解していますか」

「被告人として出頭すれば、保護の中立性を自分から外す。逃走計画、協力者への説明、偽装通行。全て質問される」

「不利益を避けるための助言は」

「受ける。でも、無罪を代筆してもらわない」

 ユノはアルマを持たない。

 幻像も演出も使わない。

 鏡扉の前へ立つ。

「法廷へ伝えて」

「文面」とセレナ。

「被害公女としてではなく」

 ユノの目元が先に崩れ、微笑みが消える。

「被告人ユノ・ヴァレントとして、出頭する」

 法廷命令が届く。

 鏡扉の二つの優先表示が揺れる。

『被害公女――宮殿内待機』

『被告人――公開法廷へ出頭』

 ユノは、自分の身体へ付いた二つの役のうち、今どちらとして歩くかを宣言した。

 扉が開く。

 外の空気が入る。

 白い石の庭。

 法廷列車。

 七都市の鏡。

 ユノは一歩、外へ出る。

 宮殿の中には、白い人影が一つ残った。

 本人ではない。

『被害公女ユノ・ヴァレント』と表示された、法的な役の影。

 影は保護されたまま。

 本人だけが、被告席へ向かう。

「変な絵」とハル。

「法がようやく、変さを見せた」とリゼ。

 ユノはハルの前で止まる。

「連れ戻しに来た?」

「聞きに来た」

「答えは」

「まだ聞いてない」

 ユノが一度、目を閉じる。

 弓を弦へ置く前の癖。

 今、楽器はない。

「僕は、ここから出たい」

「どこへ」

「法廷へ。先は、そこで選ぶ」

「分かった」

「分かった顔だけ――」

「それ流行ってる」

「君たちが使いすぎた」

 法廷列車の被告席が開く。

 ユノは自分から乗る。

「被告人ユノ・ヴァレント」

 柔らかな敬語ではない。

「出頭する」

 被害者として連れ戻されるのではなく。

 自分の不利益まで含む席へ、自分で歩いて。